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機械人形の話

 ぼくがはじめて目を覚ましたのは、凍てつくような冬の夜のことだ。
 ほどよく暖をとった部屋の中、目の前に、御主人がいた。学者らしい細い顔、気難しい輪郭をえがくこまかいしわ。
 彼の背後の壁には、足やフェイスが立てかけられていた。人目でばくは、それらが全ておよそ自分と同じ形をしていることに気づいた。かつて動いていたきょうだい、いや、ぼくの弟妹になるものだったのかもしれない。
(とはいえ真相は最後までわからなかった。彼はぼくを最後に人形づくりを止めてしまったんだ)
 ぼくは、型通りにこれから自分が従えていくであろうその人に微笑んでみせた。彼はたっぷりと目に涙をためていた。不思議な沈黙があった。ぼくは彼のすきとおった目をのぞいた。目尻にこびりついたしわが、深い翳を刻むのを見た。そして、白い歯がぷわっと現れ、すき間から音がこぼれた。

「ああ、アパテイア」

それが、ぼくの名だった。


 思えばその時から、不吉の足音はもうこちらに向かっていたのかもしれない。その証拠に、彼は、研究所の外との接触を完璧なまでに拒んできた。ぼくにとってのセカイは研究所、寝室の窓から覗く、壁に囲まれた中庭、そびえたつクリスタル・クリスマスツリー。研究室の手前の通信機には何度も無線が入り込んできたのだけれど、不思議なことにぼくは気にもとめず、彼もそのことには触れなかった。
 それでも最初の五年間、ぼくが十歳の少女の肉体で過ごした五年間は、やさしく満ち足りた日々だったように思う。
(今思うとそうだったと確信しているけれど、当時のぼくがそう感じていたのかといわれると微妙だ。あのころは御主人にずっと守られていて、幸せの価値さえも知らなかったのだから)
 彼は、ぼくにとても丁寧に話しこんでくれた。空っぽなぼくのプログラムに常識を叩き込んでいる間、日常生活を演習している間、彼の研究につきそっている間に、それをよく感じた。覚えたことを反復すると、「アパテイアはかしこいな」と満足そうに言って頭をなでたり、皮膚に傷がつくと真っ先にメンテナンス室にとんでいった。
 寝る前に、昔話をしてくれたこともある。
 彼の母親の話、友達の話、初恋の話。急速に発展するテクノロジー。世相の変化、議論する知識人。
 彼は、時代が進むほど口数が減っていった。ぼくは、こうした御主人の奇行に対して反応に困ったが、それを否定してはいけない。彼にとってこうして語りかけることも、言いたくないことを言わないことも、食事よりずっと重要な儀式なのだと考えられたからだ。
 五年間。その間にぼくは、御主人と暮らしていく上で必要なことはすべて習得していた。肉体の活用法はもちろん、人間とのコミュニケーションもさほど違和感はうすらいでいった。
 御主人は時々やめてくれ、と言う。ぼくは何のことだかわからない。こういった時、彼はぼくの顔を見ない。
 彼は孤独だと言った。そして、おそらくぼくのことなのだろう、AIの悪態をポツリと吐いた。でも、彼は自分の声で傷つくのだ・・・・・・!
 無線は相変わらず続いていた。一年、二年、三年・・・・・・。
 クリスマスの夜、ぼくが生まれたその日、ぼくは再び手術台に登った。


 手術は五年ごとに五回にわたる。単純に御主人がぼくを人間のようにしたいのもあるけれど、この時不備を整え、記憶容量や情報の伝達のはやさ、メタ認知などの機能などを追加するのだ。合わせて肉体もちょっとずつ改造していく。十二歳、十四歳、十六歳。女の子の成長期に入ると、彼の接し方は繊細なものになった。
 一度だけ、古くなった自分の抜け殻を見せてもらったことがある。
 十歳のぼく、十二歳のぼくと、並んで倉庫に寝かされているのを見たとき、首筋にひやりとしたものが走った。
 ぼくが死んでいる、とも思った。
 ぼくは、無機質な棺おけの中で、穏やかな表情をたたえたまま固まっていた。右肩にできたメンテナンスの跡が、そのまま刻まれていた。それを見て、ぼくははじめて右肩がさみしくなった。
 青くなった瞼。自分が白髪で、頭のてっぺんだけ紅に染まっているのをはじめて意識した。なぜかその色は好ましくない、と思った。今度は薄い金髪にしてもらおう。
 ためし十二歳の自分の手を持ち上げたら、重いくせに肉はやわらかで、とても驚いた。その時とっさに手を離してしまって、御主人にひどく怒られた。いい思い出だ。この時ぼくは、人間の娘のようにあわれな声を出して許しを乞った。
 手術は何度も繰り返され、その度に人という生き物に近づいていくことになる。知覚、仕事、切り替えし。運動機能、反射、愛着、性格設定――
 無線はほとんどこなくなった。
 

 二十年たった。ぼくは十六歳。情緒機能を残してぼくはほぼ御主人の理想のカラダになった。
 御主人は老いた。昔の傷がたたって身体が動かせなくなったため、研究所の大半はぼくが管理することになった。
 彼の車椅子を引くのはぼくの役目。彼は最後の命を刻み付けるように動きたがり、寝る間も惜しんでいろんなことを話してくれた。人間の歴史の話、遺伝子の話、山の木の実のこと、御主人が引きこもる前のセカイのこと。時々取り乱しては、ぼくの腕の中で落ち着いていくというのをくり返す。まるで小さな子どもだった。
 そして、四年目。御主人が死んだ。手術の前の日だった。
 老いによるものだった。
 ある日突然動かなくなった。
 研究所には、機械人形と抜け殻だけが残された。


 彼の死体は手術台の上に置いた。ぼく一人の手では心もとないため、手動でロボの腕を操作しなくてはいけなかった。
 ふと、このアームは御主人が死んだことを知っているのだろうか、と思った。ぼくは胸が熱くなって、話しかけてみた。
 ウィーン、ウィーン、ウィーン・・・・・・・・
 顔のない機械は語る。ぼくは彼のロボットをあきらめた。
 ぼくと同じ固体はいない。未完成の脚、フェイス、古くなったアパテイア。今までの”ぼく”自身でさえ、ぼくを対等な他者として慕ってくれるものは存在しない。
 髪の毛、薄い金髪にしてもらえばよかった。言わずじまいだった。今さらだ。
 御主人、ぼくには彼しかいなかったのだ。ひとり残されたあなたが絶えずぼくを求めたように。

 ああ御主人。あなたにあやまらなくてはならない事があります。
 ぼくは外の世界を知っていました。あなたから研究所を任された五年間、誘惑に負けて、たった一度だけ、一度シェルターを開け放ってしまったのです。
 そこには人間も、あなたのいう思い出も、どこにもございません。乾いた廃墟、そして大量の灰で深く沈んだ瓦礫や生物の群れが、累々と転がるのみです。天井の雲は禍々しい濁った赤や黄色。その真ん中で、太陽の死骸が宙に投げ出されたまま凍りついていました。
 あなたが隠していたかったのは、これですか。あなたが嘆いていたのは、これですか。全ての人間が滅んだ中、あなたはひとり残される孤独をかみしめたのですか。
 寝台に横たわるあなたの四肢は、やがて、朽ちとけて消えてしまうのでしょう。そして、ここには無人のシェルターと動かなくなった発明品が残るのです。
 百年後、百万年後、ここはどうなるのでしょうか。この鉄の塊は、やがて土に沈んで地層の一部になるのかもしれません。人類に継ぐ新たな支配者が現れ、ひょんなことからこのシェルターを見つけるのかもしれません。それとも地球は死に絶えたまま、太陽系の崩壊を待つことになるのですか?

 
 ぼくは、気がつくと吸い込まれるようにあなたの体に向けて立っていました。
 いくら身体をとりかえても、彼が目を覚ますことはない。ぼくはかけがえのないものを失ったのだと、今になって気がついたのでした。
 そっとあなたの手を握る。ごわごわ。冷たい。あの日、ぼくが目覚めた日に似ている。とすれば、たおやかに敷かれたあなたのかんばせは、雪に見えなくもありません。
 どうか、やすらかに。
 あなたは今、どこを見ているのですか? 
 
Fin
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