緑一荘の彼女
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「そういえばひろゆきさんはなんでうちに通ってくれているんですか?」
とある平日の午後6時。定時で上がってそのまま緑一荘にやってきたひろゆきはカオルの作ったハヤシライスを食べている。常連が集まるまであと少しかかりそうだ。
「…え?」
突然の問いにひろゆきは言葉を詰まらせた。
「前に天さんがひろと赤木が来るほどの店じゃないって言ってたじゃないですか。赤木さんは来ても時々なのでまだわかるんですが、ひろゆきさんはなんでよく来てくれるのかなと思って。」
「……。」
なにか理由を作らねばとひろゆきは目を泳がせる。
◆◇◆◇◆◇◆◇
3年前。
柳瀬 カオルはただの女子高生で、ひろゆきは文具メーカーに務めていた。
ひろゆきにとってまともな社会人の生活は退屈でしかなかった。
決まった仕事を1人で淡々とこなして、飲みに行くことも無くまっすぐ帰宅する。
そんなひろゆきとカオルは毎朝同じバスに乗っていた。
「カオル!おはよ!」
「友美!おはようー!」
ひろゆきの前に女子高生二人組が立つ。いつもの定位置だ。カオルとその友人は高校の前にバスが止まるまでノンストップで喋り続けた。ひろゆきは小説を読みながら、そんな2人の会話をラジオ代わりに聞いていた。
彼女たちの性格は対照的だ。
友美は明るくて活発で恋愛にも興味津々。長休みの後に旅行のことを話しているから恐らくそれなりに裕福な家庭だ。
カオルは大人しくていつも友美の恋愛を応援している。身につけているアクセサリーや革靴などを比べると、友美より倹約家な女性…もとい貧乏な家庭なのは明らかだ。しかし彼女たちは見下すことも卑下することも無く、毎日楽しそうに話していた。
ひろゆきにとって、そんな2人の会話を聞くのがささやかな楽しみとなっていた。
「今日は遅くなったな…」
定時間際に上司が仕事を押し付けてきたせいで1時間残業してしまった。ため息をつきながらいつものバスに乗り込むと見覚えのある女性がいた。
朝のバスの女子高生。カオルだ。疲れた顔をして重そうな買い物袋をもっている。
(母子家庭なのかな…)
ひろゆきが高校生のころそういう友人がいたのを思い出した。
カオルがバスを降りようとしてひろゆきの前を通り過ぎた時、大根が袋の底を破ってしまった。破れたところから他の野菜がゴロゴロと転がり落ちていく。
「もう降りるのに…やばい…」
彼女は急いでそれらを拾い集める。ひろゆきも見ていられず一緒に拾い集めた。
「ありがとうございます」
「俺もここだから一緒に降りよう」
「は、はい」
2人は急いでバスを降りた。
「本当にすみません。ありがとうございます。」
「…途中のコンビニでタバコ買いたいからついでに袋貰ってくるよ。」
ひろゆきは両手に野菜を抱えながらぶっきらぼうに話した。
「そんな、悪いです!」
「いいから。家、どっち」
「す、すみません…。」
ひろゆきの突き放したような言い方にすっかり萎縮したカオルは、申し訳なさそうに家の方へ歩き出した。
母子家庭の女子高生に同情してしまった訳ではない。ましてや身体目当てのつもりでも断じてない。
ひろゆきにとっては自分の時間を犠牲にしてまで見知らぬ他人を助けるなどイレギュラーな事態であったし、カオルの記憶に残りたいととも思わなかった。
2人は特に雑談することなく解散した。街灯もない田舎道で、カオルがすみませんすみませんと頭を下げ続けているのだけが印象に残っていた。
しかし、3年間というのは短いようで長いものだ。
3年前よりできる仕事はずっと多くなったし、残業もたまにはしている。帰りにカオルと一緒になることは1度もなかったが、ひろゆきにとってあの日の出来事はなんとなく忘れられなかった。
カオルが高校を卒業して1ヶ月。
営業に異動になったひろゆきは会社の近くに引越しを決めて車通勤になった。
バスでカオルと友美の会話を聞いていたあの頃が懐かしい。
会社から帰る途中、カオルの姿が見えた。緑色のエプロンをつけて歩いている。
(どこかで働いているのか?)
ひろゆきは遠くからバレないようにあとを着けた。
バスの中の会話によるとカオルは知り合いのところで働くと言っていた。友美は私立大学に行くと言っていたが、カオルの家にはそんな金は無さそうだ。友美とお揃いのキーホルダーだけがぶら下がっている3年間丁寧に使われたスクールバッグがそれを物語っていた。
(きっと八百屋か花屋、本屋あたりだろう。)
彼女が健気に働く姿を想像して何故かドキドキしてしまった。
カオルは3階建てのビルの前で立ち止まり、階段を登った。しばらくしてひろゆきはそのビルの前に行き唖然とした。
「雀荘…?」
去年まで普通の高校生だった彼女が?
ひろゆきはビルのテナントを何度も見たが3階には何も入っていない。2階に雀荘 緑一荘があるだけだ。
「お客さんですか?やってますよ!どうぞ!」
階段の上から聞きなれた声がした。カオルだ。通学時よりずっとハキハキと元気そうに喋る。ひろゆきは言われるがまま入店して、あっという間に卓に通された。
(おぼえてないんだな…)
野菜を拾った時のことは覚えてくれているかもと期待してしまっていた。ひろゆきは肩を落とす。
アイスコーヒーを飲みながら店内を見回したが店員はカオルしかいなさそうだ。
常連さんと思わしき男性達が麻雀の相手をしてくれた。同時に店の説明もざっくりとしてくれた。ひろゆきはメニューを見た。
店は古いがフードメニューもドリンクも良心的な価格だし何より雰囲気がいい。
雀荘に来たのは久しぶりだったがこんなに雰囲気のいい雀荘は初めて来た気がする。
「お兄ちゃん、強いなぁ!もう小遣いないから今日はこれで帰るよ」
おじさん達としばらく打っていると対面の中年男性が帰ってしまった。千鳥足になりながら階段をゆっくり降りていく。
(これじゃ飲みに来てんだか打ちにきてんだかわからないな…)
こんなに下手な人と打ったのは数年ぶりだ。しかしレートが低いから勝ちまくったとしても日に5000円程度にしかならない。雀ゴロはまず来ない店だ。雰囲気の良さもそういうところからきているのだろう。
「ここ、いい店だろ?カオルちゃんが新しい店長になってから毎日来てんだよ。」
上家の中年男性が誇らしげに胸を張った。
「足りないみたいなので私入りますね。」
対面にカオルが座った。
カオルと目が合ってひろゆきはほんのり顔を赤くした。
「兄ちゃん、惚れた?」
下家の高齢男性がひろゆきの肩を叩いてニヤニヤと笑った。咳払いをして表情に出ないように一生懸命口角を下げた。
「お名前を伺っても?」
「…井川ひろゆき。」
「井川さん。お手柔らかにお願いしますね。」
カオルは小さな手で牌を持った。
その後しばらく打ってみたが基本に忠実なだけで特に秀でた才能は感じなかった。案外本当に知り合いの紹介かもしれない。しかし、こんな郊外の小さな雀荘でアルバイトを雇ってやっていけるのだろうか。ひろゆきは首を傾げた。
「やっぱり上手いなぁ、井川さん。」
カオルは恐縮しながら点棒を渡した。
「…なんで雀荘で働いてるんですか。去年まで高校生だったのに。」
「あれ、私の歳教えてましたっけ?」
「あ…。いや、何となくそれくらいの歳かなと思っただけで…。」
「…ここってお父さんが働いてた雀荘なんですけど。私、お父さんにもうずっと会えてなくて。ここで働いてたらお父さんにまた会えるかもと思って働いてるんです。」
「くぅ〜、何度聞いても泣けるんだよ」
上家の男性が涙を流した。
「兄ちゃん、ここフードメニューも美味いから夕食に食ってきなよ。なんなら麻雀打たなくてもいいから。」
「おいおい、それは勝てないからだろ」
カオルと上家と下家の3人が笑った。つられてひろゆきも笑いそうになったがなんとか堪えた。
「今日はハヤシライスがありますよ」
「じゃあそれ貰います。」
カオルがパタパタとかけていく後ろ姿を見ていると下家の高齢男性がまたひろゆきをつついた。
「未来の奥さんになるの想像しちゃった?」
「は、はぁ?!」
「俺、ひろだったらカオルちゃん嫁にやれるよ!麻雀強いし、なんかちゃんとしてそうだし!」
突然のひろ呼びにひろゆきはさらに言葉を失った。
「よし!そうと決まればひろも酒飲もうや!勢いでデートに誘おう!」
「いや、俺運転あるんで酒はちょっと…」
「こーら!井川さん困ってるでしょ」
カオルはごめんなさいねと言ってハヤシライスをひろゆきの隣に置いた。
◆◇◆◇◆◇◆
「ここの店、会社から近いから」
どうして通ってくれているのか、という質問にひろゆきはしばらくしてから答えた。
「随分考えてくれてたけど、普通の理由なんですね」
「…うるさいなぁ。ほら、ごちそうさま。」
空になった皿をカオルの前に出した。カオルは嬉しそうにその皿を洗いにいった。
「カオルさん、今度遊びに行かない?」
水が流れる音にかき消されるだろうと思い、半分冗談のつもりでキッチンに呼びかけた。
「えー?なんですかー?」
「いや、カオルさんかわいいなと思って」
「すみませーん、聞こえないんですー。ちょっと待ってくださいねー。」
案の定聞き取れず、聞き返してくる声がした。
カオルの困る様子を見てひろゆきはニヤリと笑った。
「井川さん、なんか話しかけました?…って、上村さん。いつからいたんですか?」
ひろゆきはハッとした顔で振り返った。ひろゆきが初めて緑一荘に来た時に上家で茶化してきた男だ。カオルが皿を洗う音で気が付かなかったがいつの間にか入店していたらしい。
「いやぁ…ついさっき…ね。」
上村がニヤつきながらひろゆきの肩に手を置いた。
「ちょ、ちょっと、上村さん。落ち着いて」
「うんうん、わかってる、わかってるから」
「えー、なになに、なんですかー?」
その日上村がなにか話そうとする度に、ひろゆきは忖度した麻雀を打って上村の機嫌をとった。後にも先にも、ひろゆきが常連に負け続けたのはこの日だけだった。
とある平日の午後6時。定時で上がってそのまま緑一荘にやってきたひろゆきはカオルの作ったハヤシライスを食べている。常連が集まるまであと少しかかりそうだ。
「…え?」
突然の問いにひろゆきは言葉を詰まらせた。
「前に天さんがひろと赤木が来るほどの店じゃないって言ってたじゃないですか。赤木さんは来ても時々なのでまだわかるんですが、ひろゆきさんはなんでよく来てくれるのかなと思って。」
「……。」
なにか理由を作らねばとひろゆきは目を泳がせる。
◆◇◆◇◆◇◆◇
3年前。
柳瀬 カオルはただの女子高生で、ひろゆきは文具メーカーに務めていた。
ひろゆきにとってまともな社会人の生活は退屈でしかなかった。
決まった仕事を1人で淡々とこなして、飲みに行くことも無くまっすぐ帰宅する。
そんなひろゆきとカオルは毎朝同じバスに乗っていた。
「カオル!おはよ!」
「友美!おはようー!」
ひろゆきの前に女子高生二人組が立つ。いつもの定位置だ。カオルとその友人は高校の前にバスが止まるまでノンストップで喋り続けた。ひろゆきは小説を読みながら、そんな2人の会話をラジオ代わりに聞いていた。
彼女たちの性格は対照的だ。
友美は明るくて活発で恋愛にも興味津々。長休みの後に旅行のことを話しているから恐らくそれなりに裕福な家庭だ。
カオルは大人しくていつも友美の恋愛を応援している。身につけているアクセサリーや革靴などを比べると、友美より倹約家な女性…もとい貧乏な家庭なのは明らかだ。しかし彼女たちは見下すことも卑下することも無く、毎日楽しそうに話していた。
ひろゆきにとって、そんな2人の会話を聞くのがささやかな楽しみとなっていた。
「今日は遅くなったな…」
定時間際に上司が仕事を押し付けてきたせいで1時間残業してしまった。ため息をつきながらいつものバスに乗り込むと見覚えのある女性がいた。
朝のバスの女子高生。カオルだ。疲れた顔をして重そうな買い物袋をもっている。
(母子家庭なのかな…)
ひろゆきが高校生のころそういう友人がいたのを思い出した。
カオルがバスを降りようとしてひろゆきの前を通り過ぎた時、大根が袋の底を破ってしまった。破れたところから他の野菜がゴロゴロと転がり落ちていく。
「もう降りるのに…やばい…」
彼女は急いでそれらを拾い集める。ひろゆきも見ていられず一緒に拾い集めた。
「ありがとうございます」
「俺もここだから一緒に降りよう」
「は、はい」
2人は急いでバスを降りた。
「本当にすみません。ありがとうございます。」
「…途中のコンビニでタバコ買いたいからついでに袋貰ってくるよ。」
ひろゆきは両手に野菜を抱えながらぶっきらぼうに話した。
「そんな、悪いです!」
「いいから。家、どっち」
「す、すみません…。」
ひろゆきの突き放したような言い方にすっかり萎縮したカオルは、申し訳なさそうに家の方へ歩き出した。
母子家庭の女子高生に同情してしまった訳ではない。ましてや身体目当てのつもりでも断じてない。
ひろゆきにとっては自分の時間を犠牲にしてまで見知らぬ他人を助けるなどイレギュラーな事態であったし、カオルの記憶に残りたいととも思わなかった。
2人は特に雑談することなく解散した。街灯もない田舎道で、カオルがすみませんすみませんと頭を下げ続けているのだけが印象に残っていた。
しかし、3年間というのは短いようで長いものだ。
3年前よりできる仕事はずっと多くなったし、残業もたまにはしている。帰りにカオルと一緒になることは1度もなかったが、ひろゆきにとってあの日の出来事はなんとなく忘れられなかった。
カオルが高校を卒業して1ヶ月。
営業に異動になったひろゆきは会社の近くに引越しを決めて車通勤になった。
バスでカオルと友美の会話を聞いていたあの頃が懐かしい。
会社から帰る途中、カオルの姿が見えた。緑色のエプロンをつけて歩いている。
(どこかで働いているのか?)
ひろゆきは遠くからバレないようにあとを着けた。
バスの中の会話によるとカオルは知り合いのところで働くと言っていた。友美は私立大学に行くと言っていたが、カオルの家にはそんな金は無さそうだ。友美とお揃いのキーホルダーだけがぶら下がっている3年間丁寧に使われたスクールバッグがそれを物語っていた。
(きっと八百屋か花屋、本屋あたりだろう。)
彼女が健気に働く姿を想像して何故かドキドキしてしまった。
カオルは3階建てのビルの前で立ち止まり、階段を登った。しばらくしてひろゆきはそのビルの前に行き唖然とした。
「雀荘…?」
去年まで普通の高校生だった彼女が?
ひろゆきはビルのテナントを何度も見たが3階には何も入っていない。2階に雀荘 緑一荘があるだけだ。
「お客さんですか?やってますよ!どうぞ!」
階段の上から聞きなれた声がした。カオルだ。通学時よりずっとハキハキと元気そうに喋る。ひろゆきは言われるがまま入店して、あっという間に卓に通された。
(おぼえてないんだな…)
野菜を拾った時のことは覚えてくれているかもと期待してしまっていた。ひろゆきは肩を落とす。
アイスコーヒーを飲みながら店内を見回したが店員はカオルしかいなさそうだ。
常連さんと思わしき男性達が麻雀の相手をしてくれた。同時に店の説明もざっくりとしてくれた。ひろゆきはメニューを見た。
店は古いがフードメニューもドリンクも良心的な価格だし何より雰囲気がいい。
雀荘に来たのは久しぶりだったがこんなに雰囲気のいい雀荘は初めて来た気がする。
「お兄ちゃん、強いなぁ!もう小遣いないから今日はこれで帰るよ」
おじさん達としばらく打っていると対面の中年男性が帰ってしまった。千鳥足になりながら階段をゆっくり降りていく。
(これじゃ飲みに来てんだか打ちにきてんだかわからないな…)
こんなに下手な人と打ったのは数年ぶりだ。しかしレートが低いから勝ちまくったとしても日に5000円程度にしかならない。雀ゴロはまず来ない店だ。雰囲気の良さもそういうところからきているのだろう。
「ここ、いい店だろ?カオルちゃんが新しい店長になってから毎日来てんだよ。」
上家の中年男性が誇らしげに胸を張った。
「足りないみたいなので私入りますね。」
対面にカオルが座った。
カオルと目が合ってひろゆきはほんのり顔を赤くした。
「兄ちゃん、惚れた?」
下家の高齢男性がひろゆきの肩を叩いてニヤニヤと笑った。咳払いをして表情に出ないように一生懸命口角を下げた。
「お名前を伺っても?」
「…井川ひろゆき。」
「井川さん。お手柔らかにお願いしますね。」
カオルは小さな手で牌を持った。
その後しばらく打ってみたが基本に忠実なだけで特に秀でた才能は感じなかった。案外本当に知り合いの紹介かもしれない。しかし、こんな郊外の小さな雀荘でアルバイトを雇ってやっていけるのだろうか。ひろゆきは首を傾げた。
「やっぱり上手いなぁ、井川さん。」
カオルは恐縮しながら点棒を渡した。
「…なんで雀荘で働いてるんですか。去年まで高校生だったのに。」
「あれ、私の歳教えてましたっけ?」
「あ…。いや、何となくそれくらいの歳かなと思っただけで…。」
「…ここってお父さんが働いてた雀荘なんですけど。私、お父さんにもうずっと会えてなくて。ここで働いてたらお父さんにまた会えるかもと思って働いてるんです。」
「くぅ〜、何度聞いても泣けるんだよ」
上家の男性が涙を流した。
「兄ちゃん、ここフードメニューも美味いから夕食に食ってきなよ。なんなら麻雀打たなくてもいいから。」
「おいおい、それは勝てないからだろ」
カオルと上家と下家の3人が笑った。つられてひろゆきも笑いそうになったがなんとか堪えた。
「今日はハヤシライスがありますよ」
「じゃあそれ貰います。」
カオルがパタパタとかけていく後ろ姿を見ていると下家の高齢男性がまたひろゆきをつついた。
「未来の奥さんになるの想像しちゃった?」
「は、はぁ?!」
「俺、ひろだったらカオルちゃん嫁にやれるよ!麻雀強いし、なんかちゃんとしてそうだし!」
突然のひろ呼びにひろゆきはさらに言葉を失った。
「よし!そうと決まればひろも酒飲もうや!勢いでデートに誘おう!」
「いや、俺運転あるんで酒はちょっと…」
「こーら!井川さん困ってるでしょ」
カオルはごめんなさいねと言ってハヤシライスをひろゆきの隣に置いた。
◆◇◆◇◆◇◆
「ここの店、会社から近いから」
どうして通ってくれているのか、という質問にひろゆきはしばらくしてから答えた。
「随分考えてくれてたけど、普通の理由なんですね」
「…うるさいなぁ。ほら、ごちそうさま。」
空になった皿をカオルの前に出した。カオルは嬉しそうにその皿を洗いにいった。
「カオルさん、今度遊びに行かない?」
水が流れる音にかき消されるだろうと思い、半分冗談のつもりでキッチンに呼びかけた。
「えー?なんですかー?」
「いや、カオルさんかわいいなと思って」
「すみませーん、聞こえないんですー。ちょっと待ってくださいねー。」
案の定聞き取れず、聞き返してくる声がした。
カオルの困る様子を見てひろゆきはニヤリと笑った。
「井川さん、なんか話しかけました?…って、上村さん。いつからいたんですか?」
ひろゆきはハッとした顔で振り返った。ひろゆきが初めて緑一荘に来た時に上家で茶化してきた男だ。カオルが皿を洗う音で気が付かなかったがいつの間にか入店していたらしい。
「いやぁ…ついさっき…ね。」
上村がニヤつきながらひろゆきの肩に手を置いた。
「ちょ、ちょっと、上村さん。落ち着いて」
「うんうん、わかってる、わかってるから」
「えー、なになに、なんですかー?」
その日上村がなにか話そうとする度に、ひろゆきは忖度した麻雀を打って上村の機嫌をとった。後にも先にも、ひろゆきが常連に負け続けたのはこの日だけだった。
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