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『なんでいるんですか、先輩』
無事に中忍選抜試験第二試験は終了。暗部としての警戒任務もひとまず解かれ、明日からは通過したナルト君とサスケ君の修行補助に入る予定になっている。問題は、家に着いてすぐに起きた。
自宅の玄関前。薄暗い廊下の灯りの下、壁にもたれながら例の本を片手に持ち、にこにことこちらへ手を振る男がいる。あまりにも自然な顔で立っているものだから、一瞬ここが自分の家だという確信が揺らいだ。
反射的に斜め後ろを振り返るとテンゾウと目が合った。ほんの一瞬だけ彼の視線が泳ぎ、あからさまに逸らされた。……ああ、なるほど。知ってたな。胸の奥に小さな確信とわずかに裏切られた感覚が広がる。前に向き直ると、先輩は相変わらず穏やかに笑っていた。
「火影様に言われたでしょ。一人になるなって。だから、大蛇丸の件が片付くまでの生活は俺が一緒に過ごすことになったの」
『……聞いてないです』
即答すると、先輩は少しだけ首を傾げる。笑っているのに目は笑っていない。
「お前も…俺に言ってなかったこと、あるだろ」
その声がひとつだけ低くなり、心臓がぎゅっと縮む。暗部の件、黙っていた任務、わりと注意していたのに、もうバレている。予定ではもう少し先のはずだったのに。肩が小さく跳ねたのを自分でも自覚した。言い訳を探す前にそれが何よりの答えだ。
「まあ、怒ってないから」
そう言って、またいつもの調子で笑う。……嘘つきだ、怒っていないはずがない。
『プライベートもテンゾウで構いません』
「えっ⁉︎僕ですか⁉︎」
先輩の視線が私の後方へと移動したのを見て、すかさず口を開く。
『圧をかけないでください。誰かと一緒にいればいいんですよね?なら、テンゾウでも問題ないはずです』
わざとらしく首を傾げるとテンゾウは引きつった笑みを浮かべ、先輩は相変わらずの目だった。
「……って、言われてますけど」
「え、あっと……ぼくはー……」
『朝晩のご飯に、お弁当も付けるよ、テンゾウ』
私の気持ちが伝われ、と首を傾げにっこりと笑いかける。悪い提案じゃないはずだ。実際、一瞬だけ彼の顔がぱっと明るくなった。
「それはいいで――」
言いかけたところでぴたりと止まった。みるみるうちに顔色が変わり、視線が完全に私の後ろへ固定された。ああ…これは相当、圧がかかっている。
「い、いやー……やっぱりやめときます。僕は暗部の時にご一緒しますので。それでは失礼します」
『ちょっ‼︎ テンゾウ‼︎』
伸ばした手は虚しく空を切り彼の気配は一瞬で消えた。裏切り者。そう思った瞬間、ずしりと肩に重みが乗る。背後から回された腕に、逃げ道を塞ぐようにぴたりと背中に密着する体温。振り返らなくても分かる。
「さ。入れてくれるかな」
耳元に落ちる柔らかい声。怒っていないと言ったくせに、声の奥が少しだけ低い。
『……はぁ……わかりました』
小さくため息をつき鍵を回す。背中の熱はまるで〝逃さないよ〟とでも言うように、離れなかった。
「で、これはなにかな」
部屋の中央に立ったまま腕を組み、私が差し出した紙を見下ろした。私は一歩前に出て真正面から向き合う。逃げないし、引かない。
『ここで住むための誓約書です』
事務的な声で告げる。彼は紙を手に取り目を細めながら読み上げた。
「一、家事は当番制。
二、お互いのプライベートに干渉しない。
三、一定の距離を保つ……」
そこで視線が止まる。
ゆっくりと顔が上がった。
「1と2については、まー、なんとなく理解できるけど……3はどういうこと?」
3を指差し、首を傾げながら聞いてきた。
『そのままの意味です。先輩は距離が近いので。ここに先輩がいるのは任務だからで、それ以上でもそれ以下でもない。私たちは付き合っていない。だから、私に触れないでください、もちろん私も触れません』
言い切った瞬間、部屋が静まり返る。時計の音がやけに大きい。先輩は「ふーん」と小さく息を漏らし、紙をテーブルに置いた。怒るか、笑って流すか、皮肉を言うか。どんな言葉が来ても言い返せるように、頭の中で何通りも返答を組み立てていた。けれど、彼はゆっくりと私に近づき誓約書を指先で軽く叩きながら言った。
「分かった、いいよ」
『えっ』
自分でも驚くほど間の抜けた声が出た。あまりにもあっさりしていて、拍子抜けする。
「〝えっ〟て。 名前が言い出したんだよ?そんなに意外だった?」
『……まあ、そうですね。先輩なら、小言の一つや二つは言ってくるものだと』
「俺をなんだと思ってるの。ま、俺の補助なのに、俺に内緒で暗部に入ったり。さっきも〝テンゾウでいい〟って言われたり……」
そこで一瞬、言葉が途切れる。やっぱり怒っている。目がそれだった。冗談めかしているけれど、奥に溜まった感情が隠しきれていない。
「帰ってきてから必要以上に避けるしさ、言いたいことは山ほどあるけど……」
一歩、距離が詰まり息がかかるほど近い。次の瞬間、手がすっと伸びてきて私の首筋に触れた。ぴたり、と体が止まる。懐かしい感触、昔に何度も触れられた場所。こうやって話し合いをするとき、私が嘘をついていないか確認するための行為。そこにある体温が一瞬で記憶を引きずり出す。
「お前が俺のこと意識しすぎてるから、OKしとこうと思って」
指先がわずかに動き、心臓が強く打つ。ドクン、と跳ねた鼓動は触れている彼にもきっと伝わった。首に触れたまま、彼はわずかに目を細めた。完全に見透かされている。
『…意識なんてしてません』
「バレてんの知ってるでしょ」
『……触らない約束です』
「そうだったね」そう言いながら、私の首から手を引っ込めた。
「いい機会だからはっきりさせておくけど、俺はもう一度お前と過ごしたいと思ってるのよ」
告白じみた言葉だった。薄々感じてはいたけど、はっきり言われると、それが現実なのだと思う。一瞬揺らいだがすぐに冷静になる。
『もう10年も前に終わったことです』
「そうだね…俺が最低なことをしたのは分かってる。それが消えることはない…けど、少しでもまだ、お前の中に俺がいるなら、俺は諦めないよ」
彼の顔を見ると冗談でないのはすぐに分かった。彼の言う通り、私の中にはまだカカシ先輩がいる。けどそれを認めたくなくて。
『確かに…意識しすぎたのかもしれないです。残念ですが、私の中に先輩はもういませんよ』
表情には一切出さずに、はっきりそう告げる。感情を殺せ、こうゆうときは忍びでよかったと思う。感情を押し殺すことなんて造作もない。
「そうか……まあ、お前はすごく逃げたがってるところ悪いけど、俺は逃すきはないよ」
その目は本気だと伝わるのに十分な熱がこもっていた。人間関係は分からないが、忍としての彼が本気になると恐ろしいことは知っている。これは覚悟しないと、そう思う。
『やっぱり変わりましたね先輩。昔はそんな直球に言う人じゃなかったのに』
「誰が変えたと思ってるの」
『さあ』
だから、10年いなかったのに知るわけないでしょ。そう内心思いながら、部屋着を取り風呂場へ向かう。
『今日のご飯は先輩が当番なんで、よろしくお願いします』
「え、そこは後輩の 名前からでしょ?」
『私の家なんだから、家事当番のスタートは先輩に決まってます』
そう言い残し、戸を閉めた。後ろから「勝手にキッチン使うぞ」と言う声が聞こえた。あんな会話をしても、通常に戻れるのもカカシ先輩だからだろうか。この少しの会話だけでわかる。きっと明日から2人の生活はなんの問題もなく過ごせるだろう。それが何よりも問題だった。
