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家から少し離れた場所。人の気配は完全に途切れ、聞こえるのは夜風が草を撫でる音と、腕の中にいる彼女の微かな息遣いだけだった。……本物だ、こうして触れて体温を感じて、胸に伝わる呼吸の音。ようやく現実だと理解する。
『……ちょっと。もう、離してくれませんか』
その声で我に返った。指摘されて初めて自分がどれだけ強く腕を回していたのかに気づく。慌てて手を離すと、彼女はすぐに一歩距離を取った。その仕草が無意識に線を引く。
『……逆に、面倒なことになったと思いますよ』
呆れたようでいて責めきれない声音。
「……たしかに」
短く返す。それ以上、何も言えなかった。
彼女は小さく息を吐いた。
『本当に……逃げるの上手ですね』
冗談めかした言い方。軽く投げられたその言葉が、胸の奥に思った以上に刺さった。
『……はい。傷、痛みますから脱いでください』
仕事の声に切り替わるのが早い。言われるまま上着を脱ぐと、月明かりに晒された傷へ彼女の視線が落ちた。表情は動かないけれど、ほんの一瞬息を飲むのが分かった。無言のまま治療が始まる。指先が触れるたび温かなチャクラが流れ込むと、意識が否応なくそこへ引き寄せられる。痛みよりも距離の近さの方が厄介だった。
『……傷、増えましたね』
「まあね。ちゃんと働いてますから。それに……」
一拍、言葉を選ぶ。
「現場で治してくれる相方も、いなくなっちゃったしね」
その瞬間だった、彼女の手がほんのわずかに揺れた。止まるほどじゃないけれど、確かに確実に。それを見逃すほど俺は鈍くない。それでも彼女は何も言わず無言を貫いた。だからもう一つだけ、どうしても聞かずにはいられなかったことを口にする。
「……で、いったい今まで連絡もなしで、どこで何をしてたの」
声はできるだけ平静を装った。責めるつもりはない。彼女はすぐには答えなかった。治療の手を止めることなく、けれどほんのわずかに間を置く。その沈黙が妙に長く感じられる。
『……そうですね。報告は、帰ってから細かくすると思うので……今は、簡潔に言いますね』
「……わかったよ」
……要点だけ、か。必要以上を語らないのは昔から変わらない。そう言うと、彼女はようやく口を開いた。
『あの時の任務で負傷した私は、仲間を背負って敵から逃げる途中……滝壺に飛び込みました』
淡々とした声だった。あまりにも落ち着いていて、まるで他人の任務報告を聞いているような錯覚すら覚える。
『たぶん、その時に敵から何らかの封印術をかけられたみたいで……この十年、記憶をなくしてました。そこからは……いろんな場所を、転々としましたね』
十年。その言葉が胸の奥で鈍く響く。彼女は、自分が誰かも分からないまま、生きていたというのか。
『記憶をなくしても、やっぱり長年の勘と……叩き込まれた忍としての動きは残っていて。一ヶ所に留まることは、なかったですね』
自嘲も嘆きもない、語られるのはただの事実だけ。治療を続ける手つきは相変わらず正確で迷いがない。感情を挟む余地などない、と言わんばかりに。
『で……最後に身を預けていたのが、再不斬さんってわけです』
その名前が出た瞬間、ようやく全てが一本に繋がった気がした。ここでの再会も、彼女の立ち位置も、全部。
「……で、さっき記憶を取り戻したと」
『そうですね。きっかけは、カカシ先輩の写輪眼だと思います。それを見た瞬間、流れるように記憶が戻りました』
「そいつは……なんでお前の記憶を……」
問いは最後まで形にならなかった。彼女は肩をすくめ、ほんの少しだけ口角を上げる。
『さー、なんででしょうね。上手いことに、その人の顔にはまだモヤがかかってます。相当のやり手ですよ』
……まるで他人事だ。冗談めかしたその言い方に、呆れて何も言えなくなる。こいつは本当に分かっていない。自分がどれだけ危険な状況に放り込まれていたのかを。
「お前、本当に軽すぎだ。ちなみに……木の葉では、お前もう死んだことになってるぞ」
一瞬、空気がぴしりと固まった。さっきまで迷いなく動いていた彼女の手が、はっきり分かるほど止まる。
『……なっ⁉︎ ……だから……』
一拍置いて、彼女は小さく息を吐いた。
『カカシ先輩が私を、死人を見るみたいな目で見てたのか。納得しました』
苦笑混じりの声。けれど、その奥には隠しきれない焦りが滲んでいる。
『これは……帰ったら、三代目のじーさんに怒られそうですね』
冗談めかして言うが、その軽さがかえって胸に刺さった。死んだことにされていた十年。それをこんなふうに受け止められるほど、こいつは強かったのか。それとも、強がることでしか整理できないだけなのか。
「こら、何度言えば分かる。火影様、な」
『……分かりました』
昔と変わらない口調で言うと、彼女は一瞬だけ面倒そうに視線を逸らす。返事は素直だが、納得していないのが丸わかりだ。本当に何年経っても変わらない。そう思った瞬間、彼女の視線がじっと俺に向けられていることに気づいた。月明かりに照らされたその目は探るようで、でもどこか懐かしい温度を帯びている。
『……老けましたね、カカシ先輩。あと、丸くなりました』
唐突すぎる評価に思わず小さく苦笑が漏れた。
「お互いにな。丸くなったのは、まあ……下忍を担当してると、こうなっちゃうよね」
守る側に回った人間特有の変化。
彼女が、小さくクスッと笑った。
『本当に……あの時とは、別人みたい』
その笑みを見た瞬間、胸の奥がきゅっと締めつけられる。別人になったのはどっちだろうな。年月が経ったのは当たり前だ。大人になった彼女は、昔の鋭さを残したまま、別の綺麗さを身につけていた。
『あ、あと、前も言ってますけど、私の医療忍術は応急処置なんで、ちゃんと帰ったら病院へ…』
最後まで聞く前に体が動いていた。理由なんて考えていない。ただ、そこにいるのが本物で手を伸ばせば触れられる距離にいて。気づけば彼女を腕の中に引き寄せていた。細い身体、懐かしい体温。離れていた年月なんて関係ないと言わんばかりに、ぴたりと収まる感覚。
『……泣いてます?先輩』
耳元で困ったような、それでいてどこか柔らかい声がする。
「……そんなわけないだろ」
声が少し掠れたのはきっと気のせいだ。
『なら、私と会えたのがそんなに嬉しかったですか』
……ずるい質問だ。誤魔化そうと思えばいくらでも誤魔化せる。いつもの俺ならきっとそうしていた。でも、今は。
「……そーかも」
腕にほんの少しだけ力を込めた。
『……びっくり。本当に……丸くなりましたね、先輩』
呆れたようで、それでいてどこか安心したような声音。俺は何も言わず、そのまま彼女を離さなかった。今だけは失くした時間も、死んだことにされた過去も、全部どうでもよかった。ただこうして抱きしめられるこの現実だけが、確かだった。
