モーニンググローリーフィズ
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
血に濡れた針を一本ずつ布で拭う。指先に伝わる冷たい感触と鉄の匂い。この作業を以前もしていた。そんな感覚だけが唐突に胸の奥に浮かんだ。いつ、どこで、誰として。それは思い出せないけれど、手だけは迷わない。順序も力加減も、身体が勝手に覚えている。そんな違和感に意識を取られていた、その瞬間だった。
背後からずしりと体重がかかり息が詰まる。動きは雑で力のかけ方が荒い。まだ、体の感覚が完全には戻っていないのだろう。片手で顎を掴まれ、強引に振り向かされる。視界が揺れ、距離が一気に縮まり、顔に男の吐息がかかる。もう片方の手は、千本を持った私の手首を掴んでいた。逃がすつもりはない、という意思がはっきり伝わる。距離はさらに詰まり、意識的に呼吸を整えた。
『……何度も言わせないでください』
声は意識して平坦に保った。
『私を、そういった対象にしないでくださいと』
「いいじゃねーか」
低く濁った声が、耳元で響く。
「体もまだ、思うように動かねーしよ」
軽口のようでいて、視線は逸れない。
掴む力も緩まない。
『……誓約を破棄するということでしょうか』
淡々と事実だけを告げる。その一言で空気が変わった。男は舌打ちをし、乱暴に手を離す。顎と手首の拘束が同時に解けた。残った熱がゆっくりと引いていく。
「相変わらず、硬ぇな。お前は」
背後から投げられる言葉に振り返らず、拭き終えた針を定位置に戻しながら静かに続ける。
『お互いのためでしょう。それより……そんな元気があるなら、もう私は必要ありませんね。再不斬さん』
視線だけをわずかに向けると、霧の向こうで男の気配が僅かに揺れた。私は再び針に視線を落とした。
「まだですよ、名前さん。もう少し、傷を治してあげてください。それと…… 再不斬さんの望んでいること、してあげたらいいのに」
白くんの声は、霧の中をすり抜けるように静かだった。そこに私情はなく、ただ彼が「そうするべきだ」と判断した結果なのだと分かる。
『白くんは、ほんと彼に忠実ね』
軽く息を吐きながら答える。皮肉のつもりでも、咎めるつもりでもない。再不斬の首元に残る傷へ、再び掌を添える。血の気配はまだ濃く、鉄の匂いが霧に混じって鼻につく。チャクラを流すと傷口がじわりと熱を持ち、少しずつ塞がっていくのが分かった。
「白は、いつも通りだ。こんな強くていい男、他にいねーだろ」
『……いい男、というのは』
言葉を選ぶように一拍置いた、その瞬間だった。何の脈絡もなく、脳裏に〝誰か〟の姿が浮かぶ。霧とは違う、はっきりとした輪郭。銀色の髪、隠された片目、こちらを見下ろす少し困ったような視線。胸の奥が微かに軋んだ。
誰?
問いかける前に、その像は崩れる。掴もうとした指の間から霧がすり抜けるように。
『……強いから、いい男とは言いません』
逃げるように視線を再不斬の傷へ戻す。今は考えてはいけない。思い出そうとしても、どうせ答えは出ない。感情を削ぎ落とした声で告げる。
『いい男というのは……あなたではない。それだけは確かですよ』
傷はほとんど塞がっていた。治癒の終わりを確認しようとしたその時、私の手の上から別の重みが加わる。再不斬の大きな手が、覆い被さるように触れてきた。逃げ道を塞ぐような位置。力を込めなくても拒めない距離。
「つれないねぇ」
楽しげに、わざとらしく。
「俺は、こんなにお前を気に入ってるっていうのによ」
白の気配が、ほんの一瞬だけ揺れた。視線が伏せられるのが分かる。私はその言葉には答えなかった。治癒が終わったことを理由に、ゆっくりと手を引く。その動作一つで線を引く。霧の向こうで、何かがこちらを待っている気がして。それが〝過去〟なのか〝誰か〟なのかも分からないまま、私は再び血に濡れた針を拭き始めた。
