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「付き合ってくれませんか」
その言葉は、思っていたよりもずっと静かに、私の中に落ちてきた。
一瞬、何を言われたのか理解できず、ただ彼の顔を見つめ返す。冗談でもからかいでもない。そう判断するには十分すぎるほど、彼の眼差しは真剣だった。
私の都合に嫌な顔ひとつせず付き合ってくれて、気づけば当たり前の存在になっていた人。優しくて、距離感が上手で、それでも一線は越えない。そういう人だと私は勝手に思い込んでいた。
それなのに。こんな状況でなぜか脳裏をよぎった顔がある。まったく関係ないはずの人物。
はたけ カカシ。
あの背中、あのとき確かに感じた安堵。そして、そのあとに残った名前のつかない感情。どうして今、それを思い出すんだろう。無性に腹が立った。自分に対してなのか、それとも思い出した相手に対してなのか。理由は分からない。ただ、胸の奥に溜まっていた何かが、じわじわと熱を帯びていくのを感じた。
彼は何も言わない。答えを急かすこともせず、ただ逃げ場を塞がない距離で静かに待っている。その姿が妙にずるかった。……いや、本当にずるいのは私のほうだ。
なんとなく気づいていた。それでも気づかないふりをしていた。この関係がこのまま続けばいいと思っていたから。私はゆっくりと息を吸い、口を開いた。
『私は……』
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なぜ、こういうときに限ってこうなるんだろう。新しい入院患者のカルテを受け取り、何気なく視線を落とした瞬間、指が止まった。白い紙の中央に並ぶ、あまりにも見慣れた文字。
はたけ カカシ
担当 夢主
容態 チャクラ切れ 重症
日数 未定(長期入院)
〝重症〟〝長期入院〟その文字が頭の中で何度も反復される。胸の奥を鷲掴みにされたような痛みが走った。看護師として担当が誰であろうと関係ない。今までだって、そうやって仕事をしてきた。それなのに、気づけばカルテを胸に抱えたまま走り出していた。
どうして、今なんだろう。
どうして、こんなタイミングで。
病室に辿り着くまで、まともに呼吸ができていなかった気がする。肺に空気が入っている感覚がなくて、胸だけが苦しい。ノックをすることも忘れ、勢いのまま扉を開けた。視線の先、ベッドの上に彼はいた。包帯に巻かれ、点滴に繋がれた姿でも間違えようがない。
「やあ、久しぶりだね」
気の抜けた声。いつもと変わらない調子で片目だけを細めて笑う。一瞬、何が起きているのか分からなかった。だから、その〝当たり前〟みたいな一言が無性に腹が立った。
次の瞬間、私は看護師としてあるまじき行動に出ていた。返事もせず一気に距離を詰める。胸ぐらを掴んだ指先に伝わる布の感触と、確かにそこにある彼の体温。
「えっ……ちょっ」
驚いた顔なんて、もうどうでもよかった。
『あなたね……なにが〝やあ、久しぶり〟よ』
言葉が止まらない。
『よくそんな、ヘラヘラしていられるわね。たった一言、紙切れ一枚だけ残して…あんなに、あんなにしつこく付きまとってたくせに。急に、煙みたいに消えて』
息を吸う暇もなく、吐き出す。
『次の日から、あのクズはいなくなって。仕事はしやすくなったし、周りは平和になって……それで?帰ってきたと思ったら、重症ってなにそれ』
喉の奥が、じわりと熱くなる。
『……で!いざ来てみれば、ヘラヘラしてて……あー、もう。本当に、なんなのよ、あなたは‼︎』
掴んだ手に思わず力がこもる。自分でも何を言いたいのか分からない。ただ、胸の奥に溜まり続けていたもの、この名前のつかない苛立ちをぶつけずにはいられなかった。
胸ぐらを掴まれたまま彼は何も言わない。いつもなら軽口の一つくらい返してくるはずなのに、今は違った。視線を落とし、掴まれた襟元を見つめたまま、口を開きかけては閉じる。眉がほんのわずかに寄った。
『……なにか言いなさいよ』
そう言った自分の声がひどく掠れているのが分かる。視界がじわりと滲んだ。胸の奥に押し込めてきたものが、もう限界だと訴えているのに。それでも返事はなかった。
代わりに手首を掴まれる。強くはない。でも、はっきりと伝わる力。その瞬間、張り詰めていた何かが音を立てて切れた。安心も、怒りも、不安も、悔しさも、期待も。全部、押し込めてきたはずの感情が一気に溢れ出して、堪えていた涙がどうしようもなく零れ落ちる。喉の奥が痛くて、視界がぐらりと揺れた。こんなふうに泣くつもりなんて、なかったのに。
「……ごめん」
その一言は驚くほど低く、静かだった。ゆっくりと視線が上がり、片目だけでこちらを捉えるあの視線。いつもと変わらないはずなのに、今はひどく重く感じる。掴まれた手首は離れない。逃がさないように、あるいは確かめるみたいに。
「……あのとき。俺は、正気じゃない君を……分かってて抱いた……許されることじゃない」
そう言い切った瞬間、病室に沈黙が落ちた。私は掴んでいた胸ぐらを離した。正確には力が抜けた。……この男は、そんなことでずっと悩んで、勝手に苦しんで、私から距離を取っていたのか。そう理解した途端、怒りとも呆れともつかない感情が一気に胸の奥から噴き上がった。
『……あなた、本当に人の神経を逆撫でするのが得意ね』
吐き捨てるように言って、ひとつ息を吸う。
『医療班に預けず、自分の部屋に連れて行って。未遂とはいえ一線を越えかけて……そのあと急に怖くなって、何も言わず距離を取る』
「……未遂って、なんで……」
彼が口を挟もうとした瞬間、私は間を与えなかった。
『……女々しすぎよ‼︎』
言葉が鋭く病室に響く。
『私はね。ずっと、あなたに会って、お礼が言いたかっただけなの』
一度、言葉を区切る。
『助けてくれて、ありがとうって。それだけ』
静寂、彼は何も言わなかった。
視線を伏せたまま、ただ黙っていた。
『ちゃんと、最後に止まったのは……あなたでしょ』
声を荒げることなく、けれどはっきりと言う。
「……それでも、俺は……」
『言い訳なんか、聞きたくない』
被せるように遮った。視線を落としたまま、彼の指先がシーツをきゅっと掴む。
「……怖かったんだ」
ぽつりと、今度は誤魔化しのない声が落ちた。
「君が……俺を見る目が変わるのが。嫌われるのが……」
その言葉に、胸の奥がほんの少しだけ、ちくりと痛む。
『……ほんと、面倒な人』
小さく息を吐いてそう零した。
目の前の男を改めて見る。里で囁かれている〝女癖が悪い〟〝手が早いクズ〟そんな噂で語られる姿とは、あまりにも違っていた。今、私の目の前にいるのは、視線を伏せて、言葉を選びあぐねている、ひどく不器用な男だった。
