アイ・オープナー
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記憶は、霧がかかったように曖昧だった。
冷たく、湿った気配が蛇のように身体へまとわりつく。皮膚の上を這う感触は、ぞわりと鳥肌を立たせ、反射的に身を引こうとするのに、身体は言うことを聞かない。自分の意思とは関係なく、呼吸だけが浅く、乱れていく。
近くにいる相手の存在が、ただただ不快だった。声も、気配も、触れ方も、すべてが拒絶を誘うのに、拒絶する力だけが奪われている。逃げたい。離れたい。視界が滲み、思考が削られていく中で、その願いだけが、必死に頭の奥で繰り返されていた。
叫んだはずだった。喉が痛むほど、必死に声を絞り出した記憶がある。その直後だった。大きな音がして、視界が揺れ、何かが壊れるような衝撃が走った。ぼやけた視界の端で、人影が動く。
次の瞬間、身体を包み込む腕があった。強くて、ためらいのない力。怖かったはずなのに、その温もりに触れた瞬間、張り詰めていたものが音を立てて崩れ落ち、胸の奥にじわりと安心感が広がっていった。
大丈夫だ、と身体が先に理解していた。意識が、ゆっくりと遠のいていく。輪郭のはっきりしない視界の端に、ふいに誰かの顔が入り込んだ。いつも目にしてきた、軽くて愛想のいい、作られたような笑顔じゃない。
そこにいたのは、眉を歪め唇を噛みしめた、はたけカカシだった。抑えきれない感情が表情の奥から滲み出ている。悲しさと、後悔と、焦りが入り混じった、ひどく生々しい顔。
……そんな顔、するんだ。
思考はうまく回らないのに、胸の奥だけが妙に敏感だった。きゅっと締め付けられるような感覚。理由は分からない。ただ、放っておけない、という衝動だけが残る。喉が熱を帯び舌が重たい。それでも唇は勝手に動いた。
『……許して、あげる』
自分の声なのに、どこか遠い。言葉が空気に溶けた瞬間、意識がさらに沈み、現実と感覚の境目が曖昧になる。なぜそんな言葉を選んだのか、考える前に思考は白く滲み、そのまま、深い波の底へ引き込まれていった__________
目を覚ましたとき、視界いっぱいに広がったのは、見慣れない天井だった。一瞬、自分がどこにいるのか分からなくなる。頭の中が真っ白で、時間の感覚も曖昧だった。身体は重く、指一本動かすのにも、少しだけ気合がいる。それなのに、不思議と頭だけは冴えていた。少しずつ、記憶が繋がっていく。
ここは、彼の部屋だ。
そう気づいたのは、ベッドの横に置かれたサイドテーブルを見たときだった。無造作に畳まれた衣類。色も、匂いも、彼のものだとすぐに分かる。そして、同時に気づく。自分は、裸だ。布団をそっとめくり、身体を確認する。白い肌に浮かぶ、赤い痕。胸元、腕、太腿。ひとつひとつが、昨夜の出来事を無言で主張している。
「……つけすぎでしょ」
小さく呟き、舌打ちする。その程度の悪態をつけるくらいには、意識ははっきりしていた。用意されていた服に袖を通し、静かな部屋を抜けてリビングへ向かう。人の気配はどこにもない代わりに、テーブルの上に並べられた簡単な朝食と、一枚のメモ。
〝すまなかった〟
たった、それだけ。
『なにが“すまなかった”よ』
誰もいない部屋で、思わず声に出す。
『助けてくれたなら……ちゃんと、お礼くらい言わせてよ』
“未遂のくせに”。
その言葉は、声にする前に胸の奥へ沈めた。下腹部にそっと意識を向ける。確かめるように、静かに呼吸を整えても、違和感は残るだけで出血はない。安堵と同時に、説明のつかない熱がじわりと広がった。彼は、どれほどの理性で自分を止めたのだろう。あんな、欲を隠しきれない目をしておいて。
思い出そうとするほど、身体が先に反応する。触れられていないはずの場所が、なぜか疼く。その感覚を振り払うように、湯気の立つ椀を手に取った。味噌汁を一口、口に含む。舌に広がる塩気が、やけに強い。
『……しょっぱい』
呟いた声は小さく、けれど身体の奥まで染み渡った。熱と余韻だけが、まだ、消えてくれなかった。
きっと、また彼は会いに来る。そのときに、曖昧なまま残された部分を聞けばいい。そう思っていた。本当に、そう信じていた。
けれど、彼は来なかった。1日が過ぎ、2日が過ぎ、それでも気配すらない。1ヶ月が経ち、さすがにおかしいと思い、誰かにそれとなく尋ねてみて、ようやく知った。つい2日前、砂の里への長期任務に出たのだと。
胸の奥で、何かが静かに音を立てた。あれほど、しつこいくらいに付き纏っていたくせに。顔を合わせれば、冗談めかして距離を詰めてきて、逃げ場を塞ぐような視線を向けてきたくせに。それが、まるで最初から何もなかったかのように、唐突に途切れる。急に、距離を置かれたような気がした。
理由も説明もないまま、一方的に線を引かれた感覚。胸の奥に、ちくりと刺さるものがあった。小さくて、無視できるはずなのに、なぜかじわじわと広がっていく。
……腹が立つ。
どうして、こんな気持ちになるのかも分からない。ただ、ひどく。理由のない苛立ちだけが、胸に残っていた。
