アイ・オープナー
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
病院の朝は、いつもと変わらず始まった。白衣に袖を通し、カルテを確認し、患者の名前を呼び無駄な動きはしない。余計な感情も挟まず、ただ仕事をするだけ。平和、そう言っていいはずの時間だった。……少なくとも、最近までは。
「おはよー。今日も忙しそうだね」
目の前に立つ男を視界に入れないように、私はカルテから目を離さない。それでも、周囲の空気がざわつくのは嫌でも伝わってくる。ひそひそ。きゃあ、という小さな声と頬を赤らめる同僚たちの視線。三日続けば慣れると思っていたけれど、この男の顔を毎日見せられる生活には、まったく慣れる気配がない。
はたけカカシ。片目を隠したまま、にこにこと人の距離に入り込んでくる男。忍びは忙しいはずなのに、なぜ毎日この病院にいる。暇なのか、この人は。
「そろそろお昼だよね。一緒にどう?」
いつも同じ時間、同じ言葉。答えは知っているはずなのに、軽い調子で投げてくる。
『結構です。お弁当があるので』
即答。視線すら向けない。
「なら、いい場所があるんだ。そこで食べようよ」
『時間がないので、遠いところには行きません』
「それなら問題ないね。忍の足ならすぐだし」
さらりと、当たり前のように言い……。
「外で待ってるね」
私が止める間もなく、ひらりと身を翻しそのまま廊下の向こうへ歩いていった。
『……』
言葉が喉で止まる。あの男……絶対に、行かない。私はそう心に決め、カルテを閉じた…はずだったのに、私は今少し離れた場所から様子をうかがっていた。
行くつもりはない。それは、最初から決めていた。ただ…「外で待ってるね」と言われた以上、本当に待っているのかどうかくらいは、確認しておくべきだろう。
『……いる』
確かに、はたけカカシは病院の外に立っている。ただし、一人ではなかった。二人の看護師に囲まれ、相変わらず柔らかい笑みを浮かべながら、何やら楽しそうに話していた。頬を赤らめる二人。距離の近さ。見慣れた光景。
なんであんな男がいいのか不思議でたまらないが、これなら問題ない、と踵を返しその場を離れようとしたその瞬間。
「声、かけてくれてもよかったのに」
背後から、近すぎる距離で声が落ちた。
『……!?』
反射的に振り向くと、そこにいたのはさっきまで、確かに“外にいた”はたけカカシ。
「確認しに来たんでしょ?」
余裕たっぷりの笑み。
完全に読まれている。
「じゃ、行こうか」
『え、ちょっ……待っ――』
抗議が形になる前に視界がぐらりと揺れた。次の瞬間、身体がふわりと浮く。
『……っ!?』
「はいはい、暴れない」
軽い調子で言いながら、彼は私をお姫様抱っこのまま歩き出す。
『ちょ、あなた!さっき、あそこに!』
外にいたはずだ。看護師に囲まれていたはずだ。
「あれ?ああ」
少しだけ首を傾げてから、彼はにこりと笑った。
「あれは影分身」
『……っ』
言葉を失う私にどこか楽しそうに続ける。これだから忍びは。力を抜けば落とされるし、力を入れても敵わない。抗う気力ごと削られるような、あまりにも自然な連行。
「安心して。そんな遠くには行かないから」
安心できる要素がどこにある。私は小さく息を吐き、抵抗を諦めた。この男に正面から勝つのは無理だ。ついた場所は病院から少し離れた、裏道を抜けた先。人通りの少ない細い道沿いに、大きな木が一本だけ立っていた。昼の光を遮る葉の影が、地面にまだらな模様を落としている。その木の根元には古びたベンチが一つ。誰かが休憩に使うというより、ただ置き去りにされたような場所だった。
はたけカカシはそこでようやく足を止め、抱えられていた身体が静かに地面へ下ろされる。
『……病院、もう見えませんけど』
思わずそう言うと、彼は少しだけ肩をすくめる。
「敷地内だと落ち着かないでしょ。ここなら、人も来ない」
逃げ道はある。声を上げることもできる。それでも、完全に隔離された場所ではない。その微妙な距離感がかえって落ち着かない。彼はベンチの端に腰を下ろした。触れてこない、詰め寄らない、けれど帰す気もない。
『で、何の用ですか』
立ったまま問いかけると、彼は片目を細めて笑う。
「お昼、でしょ?」
『…………』
昼の時間は限られている。それだけは揺るがない事実だ。私はベンチに腰を下ろし、弁当の包みをほどいた。箸を取り、迷いなくご飯を口に運ぶ。ここがどこであれ昼休みは昼休みだ。はたけカカシは、珍しそうにその様子を眺めていた。
「美味しそうだね。俺にも作ってよ」
『絶対に嫌よ』
彼は小さく笑っただけで、それ以上口を出さなかった。数口食べ進めたところで、ずっと胸の奥に引っかかっていた疑問がふと浮かび上がる。
『……どうして、私なんですか』
箸を止めずに視線も向けずに言う。
『他にも女性はいますよね』
少し間が空いた。その沈黙が逆に答えを引き延ばす。
「君に興味があって、知りたいだけ」
あまりにも直球な言葉だった。思考が一瞬止まり、返す言葉が見つからない。彼はそれ以上説明する気もないのか、懐から本を取り出し静かにページをめくり始めた。風が葉を揺らす音。私が箸を進める音。紙がめくられる、かすかな音。不思議と居心地は悪くなかった。
『……本、読むのね』
沈黙に耐えかねて、そう言うと。
「意外?結構、読書家なんだよ。俺」
その横顔を見て、思ってしまった。
――私と、同じだ。
『本当に意外。てっきり、暇さえあれば女性を口説いてるものだと』
ここに無理やり連れてこられた腹いせに、少しだけ棘を込める。けれど彼はページから目を離さないまま、さらりと返した。
「今は、暇さえあれば君のこと考えてるよ」
『……本当に、口達者ね。同僚の看護師にでも使ってあげて。喜ぶから』
嫌味のつもりだった。
けれど…。
「知ってるよ」
即答。否定しないところが、ひどく腹立たしい。
『…………』
それ以上、言葉は続かなかった。
しばらくして、彼が本を閉じる。
「もう、時間だね」
そう言って立ち上がり、返事を待たずに近づいてくる。
『ちょ、また――』
抗議は最後まで形にならなかった。身体が浮き、視界が揺れる。お姫様抱っこ。人気のない病院の裏手まで、あっという間だった。静かに下ろされ、距離を取ったまま彼は手をひらりと振る。
「じゃあ、またね」
それだけ言って、何事もなかったように背を向けて歩いていく。私はその場に立ち尽くし、しばらく動けなかった。
昼休みは終わり、仕事は待っている。けれど、胸の奥に残った違和感だけが、どうしても消えなかった。静かな木陰で過ごした、短い時間。それが、確かに“何か”だったことだけは、否定できなかった。
