アイ・オープナー
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めんどくさい。その一言で片づけたい場面だったけれど、あの光景を見てしまった以上、声をかけずに通り過ぎるわけにはいかなかった。いけすかない顔をした医療忍者が、物ひとつ言わない看護師を壁際に追い詰め、さらには太腿にまで手を伸ばしていた。
男は論外として、問題は女にもあった。気弱に縮こまっているわけじゃない。むしろ握りしめた拳は、今にも相手を殴り飛ばしそうなくらい強く力が入っている。なのに、黙っている。怒りでも怯えでもなく、ただ、“飲み込んで”耐えている。その不自然さに、男以上の苛立ちが湧いた。
「さすがにそれはまずいんじゃないんすか」
低く落とした声で、張りつめた空気に切れ目が走る。振り返った男のいかにもな表情に、思わずため息が漏れた。中庭に連れ出し少し話をしただけだが、強いのか、弱いのか。芯があるのか、ただ我慢強いだけなのか、はっきりしない。だが、最初に抱いた印象は、それだった。
「あら、シカマル。用は終わったの?」
病棟に戻ると、サクラが腕を組みながら覗き込んできた。いつもの調子で返す。
「おう。悪かったな」
すると彼女は妙に顔を寄せ、唇をにやりと吊り上げる。
「で? シカマルが女性に声をかけるなんて珍しいじゃない。い〜ったい何があったのかしら?」
ずいずいと肘でつついてくるのを押し戻し、深く息を吐いた。
「何もねぇよ。……それより、いけ好かない顔した医療忍者いるだろ。どんなやつだ?」
「いけ好かないって…特徴が雑すぎるんだけど?」
「“俺は仕事できるし顔もいい”って思ってそうなやつだ」
それを聞いたサクラは、ああ、と声を漏らし、「それ、クズミさんよ」と名前を教えてくれた。
俺がここまでする必要はない。本来なら関わりたくもない。なのに…なぜか放っておけなかった。
「まあ、できればでいいが……そのクズミってやつと、さっきの――」
そこまで言って、はっとする。……名前、聞いてねぇ。思い返せば、あの女は何も言わなかった。自己紹介も、助けを求める言葉も。額を軽く押さえながら続ける。
「……しまったな。さっきの女のシフト、できる限りその男と外してやれ」
サクラは意外そうに目を瞬き、次いで小さく息をついた。
「…あんたがそこまで言うなら外すけど。それとねシカマル、“あの女”って呼ばない方がいいわよ。失礼よ。年上なんだから。名前は名前さんよ」
「ん? ……はっ⁉あいつが年上⁉」
サクラは飄々と肩をすくめる。
「そうよ。確か22だったはず」
「……嘘だろ」
思わず素で返してしまった。
サクラは呆れたように笑っている。
「……はぁ。ほんと、めんどくせぇ」
口をついて出た言葉に、自分でも苦笑するしかなかった。まさか、年下の自分が年上相手に説教じみたことを言っていたなんて、あの女がそれを知ったらどう思うだろうか。想像しただけで面倒くさい。極力、顔を合わせずに済めばいい、そう願うばかりだ。
まさかこの先、〝面倒〟どころじゃ済まない関わりが待っているなんて。この時の俺には知る由もなかった。そんな時、背後からやけに張りのある声が飛んできた。
「サクラ!それに、シカマルじゃない!!ちょうどいいとこにいるわね」
振り返るまでもない。
この張りのある声の主は一人しかいない。
「…なんだよ。俺はもう帰るところなんだけど」
げんなりした声を出す間もなく、イノがずいっと距離を詰めてくる。今日はやけに機嫌がいい。こういう時ほど、ろくな話じゃない。
「聞いた!? カカシ先生の噂!」
嫌な予感しかしない。
「……どんな?」と一応聞いてやると、イノは待ってましたとばかりに胸を張った。
「あのカカシ先生に、お酒ぶっかけた女がいるんですって!しかも美人で、気が強くて、かなりの話題らしいわよ!」
意味が分からず、眉間に自然と皺が寄る。
その横から、サクラが肩をすくめて補足する。
「私も聞いた。なんでも先生が手を焼いてるって」
イノの目は完全に好奇心で輝いている。
「ねぇ、行こうよ! 絶対面白いって!あのカカシ先生がやられるなんて、滅多に見られないわよ?」
「……だから、俺はめんどくさいって言ってんだよ。お前らだけでいけばいいじゃねぇか」
即座に断るが、イノは引く気配を見せない。
「バーよ! バー!こんな か弱いレディー だけで行かせて、心配じゃないわけ⁉︎ちょっと見るだけ! ほんのちょっとよ! 帰り道でしょ?」
どの口が〝か弱い〟と言っているのか。そう突っ込みかけて、やめる。横ではサクラまで無言で頷いていた。…お前ら、本気で言ってるな。ため息をひとつ、喉の奥で噛み潰す。やれやれ。昔から、この二人の押しには弱い。
「……分かったよ。見るだけだからな」
念を押したつもりだったが、二人の顔が一斉に明るくなるのを見て、嫌な予感がさらに膨らんだ。どうせ、〝見るだけ〟で済むはずがない。そんな確信だけが、胸の奥に重く残っていた。
店は忍に人気のバーだった。未成年でも飲み物の注文はできるが、俺たちの目的は酒じゃない。ただの〝噂の確認〟それだけのはずだ。
「運良く会えるとは思うなよ。世の中そんな甘く」
扉を押し開けた瞬間、言葉が途中で凍りつく。……いる。照明を落とした店内のその中央に、まるで異様な空気の塊のように、二人が向かい合っていた。
カカシ先生はいつもと変わらない穏やかな笑みを浮かべている。だが向かいの女は違った。グラスを指先で持ち上げ、鋭利な刃物のような視線を先生に向けていた。二人の周囲だけ空気の密度が明らかに違う。ざわめく店内の音が、そこだけ切り取られたように遠い。下手に触れれば切れる。そんな緊張感が、肌に刺さるほどだった。
「……いたわね」
イノが、思わず息を潜める。
「うわ……なにあれ。近寄りがたいんだけど」
サクラも、無意識に眉を寄せていた。俺は黙ったまま、視線を逸らせなかった。あれは、巻き込まれたら終わる類の〝現場〟だ。
俺たちは会話を邪魔しないよう、軽く頭を下げてその場を離れようとした。できるだけ音を立てず、気配を薄くして横を通り抜ける。そのときだ。横目に映った女の横顔に、胸の奥がざわついた。
黒髪、冷たい光を帯びた瞳、背筋の伸びた、無駄のない姿勢。……どこかで見た。理由もなく引っかかる感覚に、足がわずかに鈍る。昼間、病院の白い光の下で見た、言葉を呑み込んでいたあの横顔がふとよぎる。いや、まさかな。そう思い直して歩き出そうとした瞬間。
『……お酒が不味くなるんだけど』
氷のように静かで、それでいて刺すような声が背後から落ちた。全身が一瞬で固まる。振り返らずとも分かった。あの〝飲み込んでいた女〟の声だ。
気づけば、身体は勝手に動いていた。彼女のそばへ歩み寄り、手を伸ばす。細い手首を掴むと、女が驚いたように顔を上げた。瞳が鮮やかに揺れ、昼間とは比べ物にならないほど印象が違った。
けれど、本質は同じだった。
「……お前、昼間の女か?」
思わず零れた言葉に、女の眉がわずかに動いた。今は化粧も、立ち姿も、纏う空気もまるで違う。それでも、声も、瞳も、間違えようがなかった。
この再会がやがて三つの影を絡め取り、面倒どころじゃ済まなくなる始まりだなんて。この時の俺は、まだ知る由もなかった。
