旅立ち編
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旅立ってから一年が経った。季節はひと巡りし、任務も途切れることなく続いている。あの頃より里は平和で、報告書に特筆するような出来事もほとんどない。それなのに、胸の奥には小さなざらつきが残ったままだ。
理由を探すほど大げさなものじゃないけれど、確かに落ち着かない。きっと長い間、同じ食卓を囲んでいたせいだろう。そう結論づけて、最近は夜になると賑やかな場所へ足を運ぶようになった。
酒の匂い。人の声。誰かの笑い声。曖昧な距離感の中に身を置いていれば、余計なことを考えずに済むと思った。
店内は相変わらず騒がしかった。酒の匂いと笑い声が入り混じり、誰かが酔いに任せて大声を上げる。その喧騒の中にいると、不思議と現実感が薄れる。忍びにとっては都合のいい場所だ。任務のことも、面倒な考え事も、一時だけ脇へ追いやることができる。
今日はゲンマとの任務帰りだった。報告を済ませ、そのまま軽く飲んでいこうという流れになり、こうして席に腰を下ろしている。
「ねえ、カカシさん」
不意に隣から声がかかった。視線だけ向けると、女が少し身を寄せてくる。肩が触れるほどではないけれど、相手の体温が伝わるには十分な距離だった。その時、向かいにいたゲンマが小さく肩をすくめた。俺と目が合うと、何も言わずにひらりと手を上げ、そのまま席を立つ。
気を遣わなくてもいいのに。
カカシ「……今日は連れと来てるんだ」
グラスへ視線を落としたまま答えた。期待を持たせるつもりもないし、変に勘違いさせるつもりもない。女は一瞬だけ残念そうな顔をしたが、すぐに笑みを作る。
「でも、さっきから見てましたよね」
カカシ「……気のせいだよ」
「ふうん……」
女は意味ありげに笑った。
そして一拍置いて、囁くように言う。
「本当は、私が来るの待ってたんじゃない?」
その瞬間だった。胸の奥がひどく静かになる。
〝私を待ってたんでしょ〟
不意に別の声が重なった。少し生意気で、口ばかり達者で。無茶ばかりして、目を離せなくて。放っておけば勝手に危ない方へ踏み込んでいく。そんなあいつの声。
カカシ「……」
目の前の女を見る。栗色の髪に、茶色の瞳。柔らかな笑顔に、愛想のいい仕草。背格好も、声も、纏う空気も、何ひとつあの子とは似ていない。
それなのに、同じ言葉を向けられただけで胸の奥がわずかに疼いた。期待なのか、錯覚なのか、自分でも判別がつかない。一瞬だけ、「もしも」が脳裏を掠める。誰かと過ごせばこの空白も埋まるんじゃないか。そんな都合のいい考えが。
カカシ「……そーかもね」
曖昧に返すと、女は一瞬目を丸くし、それから嬉しそうに笑った。その笑顔を見て、はっきり理解した。違う。違うな。
胸の奥で小さく呟く。
これは、違う。
その間にも、女は当然のように腕を絡めてくる。薄い布越しに伝わる柔らかな感触と体温。拒めばすぐに離れる距離だったけれど、俺は何も言わずそのまま立ち上がった。
〝私がいないからって、連れ込み過ぎはダメですからね〟
〝……自粛しますよ〟
記憶の中の声は楽しそうに笑っていた。断る理由ならいくらでもあったけれど、言葉は喉の奥で止まり、結局俺は腕を組まれたまま店を出る。
歩きながら、自分が何をしているのかくらい分かっていた。誰かで埋めようとしている。そして、その誰かでは埋まらないことを確認するためだけに、また別の誰かを選ぶ。
違うと分かっているのに、求めているものじゃないと知っているのに、それでも探してしまう。帰った時に灯りがついていて、くだらない話をしながら飯を食わせてくれるようなやつを。
カカシ「お腹すいたね」
ぽつりと零れた言葉に、隣の女が不思議そうな顔でこちらを見た。けれど、その言葉は最初から彼女に向けたものじゃなかった。
