飛段•角都章
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「……最悪だな」
後悔を滲ませながらも、どこか苦笑を含んだ声が耳に届く。その声に引き上げられるように、私はゆっくりと瞼を開いた。
不思議なくらい頭はすっきりしていた。昨夜まで胸を覆っていた重苦しい靄が嘘のように消えているけれど、身を起こした瞬間だった。肌に触れる空気がやけに冷たい。違和感に視線を落とし、思わず息を呑んだ。
『……え』
何も身につけていない。一瞬、思考が真っ白になる。恐る恐る顔を上げると、目の前には同じように何も身につけていないカカシ先生の姿があった。
『……』
カカシ「……」
互いに無言のまま視線を交わす。自分の姿を見て、先生を見て、もう一度自分を見る。そこでようやく昨夜の出来事が断片となって脳裏に蘇った。熱、触れられた感覚、縋るように求めた自分。ぼんやりしていた記憶がひとつずつ鮮明さを取り戻していく。そして、昨夜のすべてを思い出した瞬間、全身から血の気が引いた。
『……す、すみませんでした』
絞り出した謝罪は心の底からのものだった。
カカシ「いや……俺も悪かった」
『………』
やってしまった。
カカシ先生と、一線を越えてしまった。
酔っていたとはいえ、自分から求めたのは紛れもない事実で言い訳なんてできない。羞恥と後悔が一気に押し寄せる。先生は今どんな気持ちなのだろうと視線を向けると、目に飛び込んできたのは任務で鍛え上げられた無駄のない体だった。昨夜、その腕に抱き寄せられたことを思い出し、慌てて視線を逸らす。これ以上まともに先生の顔なんて見られない。気まずい空気の中、沈黙を破ったのは先生だった。
カカシ「悪かった。俺は帰るから、ゆっくり休むんだよ」
『……あの』
カカシ「ん?」
そう言って背を向けた先生を、思わず呼び止めてしまった。振り返った先生を前にして言葉が喉につかえてしまう。何を言いたかったのか、自分でも分からないから。気まずい沈黙だけが流れ、ようやく絞り出したのは、あまりにも場違いな一言だった。
『……朝ごはん、食べていきます?』
自分で言っておきながら、おかしくて俯く。けれど先生は小さく目を丸くしたあと、「じゃあ、ごちそうになろうかな」と力の抜けた笑みを浮かべた。
しばらくして、食卓には味噌汁の湯気が静かに立ちのぼる。箸の触れ合う小さな音だけが部屋に響き、どちらも必要以上のことは口にしない。さっきまでのことが嘘みたいに、穏やかで何もなかったような朝だ。よく考えれば、相手が先生でよかったのかもしれない。先生だからこそ、昨晩のこともきっと“数あるうちのひとつ”になるのではないか。そう思いながら味噌汁を口に運ぶ。さっきまで胸の奥に引っかかっていたものが、ほんの少しだけ軽くなった気がした。
カカシ「……相変わらず、美味いな」
『…修行先で親切に郷土料理とか教えてくれた人もいるので、前より少しは進化してますよ』
カカシ「それは楽しみだな」
他愛もない会話。いつもと変わらないやり取りが続き、張り詰めていた空気がさらに和らいでいく。やっぱり、気にしているのは私だけだったのかもしれない。そう思いかけた、その時だった。
カカシ「あー……本当に悪かった。その……」
箸を止めた先生が、どこか言いづらそうに口を開く。
『……いや、私が』
慌てて否定しようとすると、先生は小さく首を振った。
カカシ「あ、そうじゃなくて……」
言い淀むと、先生は困ったように自分の首元を指先で軽く叩いた。何のことだろうと首を傾げると、そのまま先生は部屋の隅にある鏡へ視線を向ける。つられるように鏡を見ると、そこに映る自分の首元には、はっきりと目立つ赤い跡がいくつも残っていた。
『……え』
思考が止まる。まさか、という思いで胸元へ視線を落とす。服の襟元をそっと引けば、そこにも同じような跡が見え、思わず息を呑んだ。
『う、嘘……せ、先生……いくらなんでも……つけすぎじゃないですか!』
思わず身を乗り出して睨むと、先生は少し困ったように笑いながら、両手を軽く上げた。
カカシ「いやぁ……自分でも驚いたというか……お前が、良すぎ……いや、つい…だから、その……悪かったって」
『……これ、任務どうするんですか……』
一気に現実へ引き戻される。隠せるのか誤魔化せるのか、頭の中で必死に考え始める。先生は少しだけ考え込むように顎へ手を当て、それから肩をすくめた。
カカシ「……包帯でも巻く?」
『余計に怪しまれます』
即答すると、先生は「だよねぇ」と小さく苦笑した。
カカシ「……まあ、その辺は……上手くやってくれ。忍だし」
『それ、関係ないですよ』
間髪入れずに返すと、先生は一瞬だけ目を細めたものの、それ以上何か言うことはなかった。きっとこれといった名案なんてないのだろう。とても大事なことのような気がするのに、いつもの調子で軽く受け流される。そもそも、自分から誘ったことが始まりなのだ。つまり、自業自得。そう思うしかなかった。
『……』
ふっと、息を吐く。もう二度とカカシ先生の前では飲まない、そう心に決めた。じゃないと、私はきっとまた同じことを繰り返す。
イタチとは違う。あの人から与えられたものとは違う温もりを知ってしまった。触れた感触を、声を、距離の近さを身体が覚えてしまっている。
私の理性なんて思っているよりずっと脆い。少しのきっかけで簡単に崩れてしまう。これは、心の傷を埋めたくて、ついしてしまった行動。そう言い訳してしまえば、少しは楽になれる気がした。
そうでなければきっと困る。だから、もう二度と間違えない。そう何度も自分に言い聞かせるのに、胸の奥に残る温もりだけは、どうしても消えてはくれなかった。
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