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過去の小話

「先に言っておくがな」

神妙なような、いつも通りなような。そんな顔で。

「オレがお前を抱くことは、多分無い」

イアソンに言われ、立香は言葉に詰まる。
紆余曲折が有り、何だかんだでじゃあもう付き合ってみるかとなったのはつい先程の話。じゃあ今から恋人関係ですねとなった矢先のこの言葉である。

「……まぁ、別にそういうことがしたくてイアソンの事好きになったわけじゃないから、うん、それは気にしなくていいよ」

イアソンが恋愛に後ろ向きな事は知っていた。
立香もそれについては何となくわかる。だからイアソンからの交際の提案には目を丸くしたし大丈夫かと思わず聞いてしまった。長く隣に居すぎて、互いに互いが嫌いではなくむしろ好きだと思っている事はなんとなく察していたので感情について驚きはしなかったが、あえて男女関係に今更ならずともいいのでは、と。何よりイアソンが恋愛に後ろ向きなのだから、一歩踏み込まない方がお互いに気楽だろうと、そう思っていたのに。
立香はイアソンの事が好きだと自覚していたので、提案は素直に嬉しかった。嬉しかったが好きだからこそ不可解だった。
理由を聞いてもきっとはぐらかすだろう。
ただ、恐らくまだ迷っているのだろうと思う。好きだという感情を理解しきれていない。だからイアソンなりの一歩が、告白だったのだと思うと『抱くことは無い』という言葉は頷けた。
残念だとまったく思わない訳ではないが、立香が口にした言葉は偽りではなく、むしろ抱きたいと思わなくとも恋がわからないなりに隣に居たいと思ってくれたのだと解釈すればむしろ嬉しさが勝る。

しかし気にするなと笑って言う立香に対し、言葉を受けたイアソンは少し罰が悪そうに視線を落とした。

いつ急に別れることになるか、それどころかいつ死ぬかもわからない状況下で、刹那でも好きな人と付き合うという経験をくれたイアソンに、立香は感謝したいと思った。もしかしたら明日になれば「やっぱり別れよう」なんて言ってくるかも知れないが、それでも良いと思えた。
それはそれで、立香はイアソンは優しいのだとしか思わないだろう。



******



「ん……」

あまり意識をしないように。と思っていても、いざ初めてのキスは立香も緊張で小さな声を出してしまった。
付けて離すだけのキス。こんなのは挨拶レベルだと言う英霊も沢山いるだろうなと思ったが、挨拶でキスはしない環境で育った立香にとってキスは特別だったし、意識するつもりは無かったが好きな人だと思うと直前まで冗談を言い合っていた相手なのにそれが嘘のように顔が紅潮した。

抱くことは無い、とイアソンは言った。
その言葉を立香は「ただ隣に居たいだけでそれ以上でも以下でもない」と受け取っていた。イアソンの事だから自分から動くことはきっと無いだろうから、いつか立香が恋人らしいことをしてみたいと思った時が問題といえば問題かもしれないと、そう高を括っていた。
しかしいざ蓋を開けてみるとイアソンからの要望が思いの外多かったのだ。
それこそ初々しい恋人のステップアップのように、「手を繋いでみたい」「抱き締めてみたい」と。
表情はと言えば照れているようにもやりたくなさそうにも、どちらにも取れるような曖昧さ。文句は大声で言うのがイアソンだ、恐らくは嫌ではないのだろうがわかりにくい。

子供の成長を見守る気持ちで応えてきたが、キスに発展は中々しないだろうと思っていた立香の予想は外れ順当に「キスがしたい」と言われた。
茶化そうとも思ったが、感情の理解に悩んでいるのだとしたらそれも悪いと受け入れることにした。



それから順当に性交へ──至ることはやはり無かった。
それは最初に言われた事だったので、疑問や落胆は無い。

むしろ立香は戸惑っていた。

(イアソン、キスが上手くなってる)

キスを初めてした日から、毎日、必ずキスをしている。最近は舌を入れるようにもなった。
イアソンは別に生前童貞だった訳でもなし、キスも経験豊富だったのかもしれないがそれはそれ。
確かめるように、ぎこちなくキスをした初日。
それを確信を持つようにゆっくりと口付けた二日目。
忘れないように味わうようにした三日目。

日に日にキスが一歩先へと進もうとしているような。
もう何度したかわからないキス、それは日々の日課になってしまっていた。マイルームに二人きりになると必ず、だ。



ぎし、とベッドの軋む音に意識してしまう。
キスより先に進むことが無いとわかってはいるのに、キスだけでどんどん心臓が破裂しそうになる。
恋を自覚させられたのは立香の方なのかもしれない。

「ま、待って」
「何だよ」
「毎日……キスしなくても良いんじゃない?」
「……嫌だったならさっさと言え」
「いや、そうじゃなくて」
「何だ」
「……最近、凄く緊張するの」

初日からしてはいた。
何度もすれば馴れるかと思ったが、そんなことは無かった。

「別に良いだろ」
「よ、良くない」
「ハァ?良くない理由を言え」
「……」

言ったら別れを切り出されるかも知れないが、むしろその方が互いの為かもしれない。
半永久的にこんな気持ちを持ち続けるくらいなら、その方が楽だと立香は思う。

「イアソン、最初に私を抱くことは無いって言ったよね」
「言ったな」
「……私イアソンにキスされる度に心臓がぎゅっとなるの。好きだって改めて思うし、凄くどきときしてそれが溢れてきてね」
「……」
「触りたくなってくるの」

性交をしたくないイアソンへの裏切りとしか思えなかった。
そういうことがしたいわけではないからと了承したのは間違いなく立香自身だ。それなのに今更キス以上を求めるのは契約違反にも近い。
求めたく無くてもキスをされると身体が求めたくなってしまうのだ。ならばキスを止める他無い。

「ごめんね、がっかりしたよね」
「……」
「……別れる?」

泣く資格も無い。
ただひたすらにイアソンを幻滅させたであろうことが悲しかった。

「何故そうなる?」
「え?」
「キスが嫌だった訳ではないのだろう?」
「う、うん……」
「なら丁度良い」

そこまで聞いて、立香の視界は気付けは天井を向いていた。
そこにすかさずイアソンが割って入る。
ベッドに寝かされたのだと理解する頃にはイアソンにキスをされていた。

「?!何で?!」
「起きるな馬鹿」
「起きるよ!キスはやめようって」
「そんな事は言ってなかっただろ。キスしたらお前がオレに触りたくなる、だけだろ?」
「うぐぐ…」
「じゃあそのまま大人しくしてろ」
「……何する気?」 
「お前を抱く」
「っ、ハァ?!」
「そんなに叫ぶな馬鹿!お前の危機だと勘違いした阿保が乗り込んできたらどうする!」
「さ、叫びたくもなるよ!抱かないって言ったじゃん!」
「正しくは“抱くことは多分無い”だ。つまりは予定、予定は確定ではないんだよ」

べ、とイアソンは舌を出す。
そう言われてそうですねと言うかといったらそんな簡単な話ではない。立香は別れの覚悟までしていたと言うのに。

「べ、別に無理して抱いて欲しくないよ!」
「誰が無理して抱きたくない女抱くかっての」
「だって」
「そういうことしたくて好きになったわけじゃないとお前が言ったから、オレはお前の方が嫌なのかと思っていたんだがな」
「……イアソン……したくないんじゃなかったの?」
「したくないんじゃなくてお前相手に勃つかわからんかったんだ」
「いきなり下品!」
「お前の願い叶えてやるぞ、好きに触れよ。どこでもどうぞ?」
「い、いや結構です!」
「ハァ?!何でだよ!」
「もうそんな雰囲気じゃな、んむ!」

「……雰囲気は作れるんだよ」
「……心の準備が出来てない」
「そんなもの、必要ない」



覚悟だけ決めろと耳元で囁かれて、それからそのまま。



こうして結局悩みごとは全て馬鹿らしくなるくらいにあっさりと解決した。
文句を言おうとすればすぐにキスをする。そうすれば立香はすぐ黙ると学んだイアソンは厄介だ。
立香の新たな悩みは主導権が完全にイアソンに握られてしまった事だが、そのイアソンも新たな悩みを持ち始めているのはまた別のお話。
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