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過去の小話

「ほれ、立香」

その声に向けば、イアソンが缶ジュースを立香に差し出していた。

「えっイアソン珍しく気が利く!」
「珍しくは余計だ」

少し顔をしかめたがそれでもイアソンは缶を差し出したままだ。彼の気が変わらぬうちに貰えるものはいただこう。何せ今日は息を吸うだけで暑いと感じる。
立香はもう夏なんだなと思いながらキンキンに冷えた缶ジュースを受け取る、つもりだった。

「あれ?」
「なんだ」
「開いてるよこれ」
「そりゃそうだ、オレが開けたからな」
「軽いよこれ」
「そりゃそうだ、オレが飲んだからな」
「なんだよもー!」

身体はもう冷たい缶ジュースを一気に飲み干すつもりだったものだから、脱力感が凄い。立香は少しふくれてイアソンを見る。

「まだ入ってるっつーの!いらんならオレが全部飲む!」
「やだやだ喉乾いた飲む!」

この際文句は言うまいと取られそうになる缶を慌てて奪い、少ないジュースを一瞬で飲み干す。量は確かに多くはなかったがそれでもまだ冷えていたそれは立香の気持ちを和らげるに十分だった。

「っはー!生き返る!」

高らかに声をあげた立香をイアソンはただ見つめている。いや『ただ』ではない、『にやにや』の間違いだ。

「何その顔」
「ふ~ん?」
「ん?何?」
「飲んだな」
「飲んだね」
「間接キス、だな」

言われて見ればその通りだ。喉が渇きすぎて失念していた!
しかし立香は不意打ちの指摘に驚きはしたが、そう騒ぎ立てることもない。

「そうだね」
「なんだつまらん。付き合いはじめの恥じらいはどこに行ったんだ」
「流石に馴れますとも!」

何せキスもそれ以上も、ある程度は経験したのだ。間接キスくらいで動じはしない。少しくらいは、ドキッとしたかも知れないが。
いつも立香ばかりが照れてそれをイアソンがからかうのだが、そう毎度上手を行かれるのは中々に悔しい。別に間接キスくらいどうだというのだ!

──ちゅ。

それが何だとツンとしていれば、小気味良いリップ音が鳴った。鳴ったのは立香の口先だ。
まぁ、ようするにキスをされた。

「甘いな」

それはキスの事か立香の油断の事か。
間接キスくらいで、と言っておきながら流石のキスにはまだまだドキドキしてしまう。それを知っていてイアソンはわざと音まで立てるのだから本当に憎らしい。
先程までの強がりは無駄だったと思えるほどに立香は真っ赤になってしまったというのに、イアソンはそれを見て楽しそうに笑う。
そんな風に笑うイアソンも好きなのだからもう立香は素直に負けを認めるしかないのだ。

「……もっと欲しい」

絞り出した立香のその一言にエメラルドの瞳は大きく見開いた。
少しくらいは、主導権を握らせてくれてみてもいいのでは?

「それは、どっちの話だ?」
「……中々いじわるだね」
「生意気な事を言うからだ」

それで?というイアソンの手は既に立香の腰にまわっていて、答えはわかりきっている顔だ。
立香もまた、首に腕をまわして目の前にいる彼の名を呼んでやれば満足そうに笑うのを知っている。

きっとまた、喉が渇くに違いない。
こんな暑い日に、わざわざ汗をかくようなことをしなくてもいいだろうに、二人ともわかっていながら口にはしたくないのだ。
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