あなたのことが
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それから数週間、沖田くんのことを見なくなった。
多いときで週三回は始末書を警察庁まで届けに来ていた問題児が来ないとなると、わたしの残業も減り、かなり平和になった。
彼も町を破壊し続けていたことをようやく反省したのだろうか。
そんなことを思いながら、わたしは警察庁幹部クラスとその家族が出席する会食へ同行していた。主催者はもちろん松平長官だ。
この会食には真選組の幹部も数名参加しているとのことだが、未だにその姿は確認できていない。
…沖田くんもこのパーティーに来ているのだろうか。
しかし今はそれよりも…
「全く…長官たらどこ行ったのかしら…」
会食はそろそろお開きの予定だ。参加者を見送りに行く準備をしなければならないが、肝心の主催者が見当たらない。
「松平長官の秘書はさぞ大変でしょうな」
「これは佐内様。本日まで色々とお手伝い頂き、ありがとうございました」
「いやいや、今日まで本当に楽しく過ごさせてもらったよ」
佐内末吉。武家の名門佐内家のご当主でありながら、長年警察庁の幹部を勤めるエリートだ。仕事はできるし、新人からベテランまで、部下からの信頼も厚い。
わたしも警察庁に勤務を始めてからの10年間、彼に世話になりっぱなしであった。ここまで出世できたのも彼が何かとアドバイスをくれていたからだった。
今日のパーティーも彼が主体となって動いてくれたも同然だった。
「長官も佐内様のことを見習って欲しいものです。あの方は一々こちらの仕事を増やすのがお好きなようで…」
「ははは!そう言ってやるな。彼も彼なりに頑張っているんだ。だがわたしは君の苦労もわかっているつもりだよ。いつもご苦労さん」
「恐縮です」
…本当に佐内様のような方を上司に持ちたかったものだ。
そんなことを思っていると、急に辺りが暗くなった。このような演出は今日の予定には組み込まれていないはず。
「失礼致します!皆様!お逃げください!」
停電だろうか?と辺りがざわつく中、ホテルマンの一人が勢いよく入口の扉を開けて大声で叫んでいるのが聞こえた。
「攘夷浪士がこの会場へと押しかけてきています!皆様、速やかに安全な場所にご移動願います!」
「…!?」
そんな馬鹿な…!この会場は警備も万全を期したものにしていたはず。そう簡単に侵入できるはずがない。
周りを見渡すと、恐怖からか我先にと逃げ出す人々でごった返し、入口はかなり窮屈になっていた。
「これは…いかんな…」
「長官は一体どこに…!」
ここに居るものは警察庁幹部といっても実働部隊ではない上に、抵抗する武器などもほとんど持っていないに等しい。それに加えその家族まで来ている…一刻も早く脱出させなければ… しかし入口は逃げる人でごった返し、塞がれているも同然だ。
「…裏口が…ここは職員専用の裏口があったはずだ…」
「裏口ですか…!」
そうか、この会場には裏口があったのか。会場の下見に訪れていた佐内様ならご存知のはずだ。
「では裏口にも人を集めます。あちらばかりでは避難するにも時間がかかります」
わたしはそう言い、入口の方へ声をかけようとした。
「待ってくれ…裏口の安全を確保するのが先だ。ここはホテルの最上階。まだ入口側から浪士共が来る気配はない。しかし万が一裏口から浪士が来ていたら…」
「…さらに来場者を危険に晒すことになりますね…」
「ああ…今日は帯刀してきてよかった。とにかく武器を持ったわたしが様子を見に行った方がいいだろう」
「佐内様、わたしも警察庁の端くれ、自分の身は自分で守れます。状況をすぐに長官へ報告できるよう同行させていただけますでしょうか」
佐内様は心配こそすれど、わたしの意見を汲み取ってくださった。佐内様とわたしは周りの喧騒に紛れ、裏口へと足を踏み入れた。
停電の影響を受け、辺りは赤い非常灯が灯っており、景色は真っ赤だ。テロは珍しくはないが、最近は過激な攘夷浪士も鳴りを潜めていたため、妙な緊張感に襲われた。
しかししばらく進んでも、浪士と鉢合わせることはなかった。これであれば、すぐに裏口からも脱出の手筈が整えられるだろう。
「…佐内様、どうやらこちらから浪士が来る気配はないようですね。すぐに長官に連絡します」
「…ああ、そうしてくれ」
わたしは携帯を取り出し、長官に電話をかけようとした。しかし繋がらない。
画面をみると、そこには圏外の文字。
「しまった…ここは圏外か…」
「……」
先程から佐内様は敵の気配に集中しているのか、一言も言葉を発さない。その表情はこちらからは窺い知ることはできない……だが何かがおかしい。
「?佐内様…?どうかなされましたか?」
わたしは彼の肩に手をかけた。
瞬間、突然の鋭い破裂音。それは本当に一瞬の出来事だった。
「…ッ!」
携帯を持っていた左腕からポタポタと赤い雫が滴っていた。
そこで初めて、わたしは腕を撃たれたのだと理解した。
携帯電話を持っていた左腕は力なく垂れ下がり、カランと音を立てて携帯が手からこぼれ落ちた。
それと同時に激痛が走り、立っていることができなくなった。
「さ…佐内様…なぜ…なぜです…!」
今わたしを撃ったのは佐内様なのだろうかと錯覚してしまうくらい、あまりに突然の出来事に頭が追いつかない。
「すまないね。君に罪はない……が、わたしは今の幕府の体制に辟易しているんだ…このホテルに浪士を誘い込んだのもわたしだ。…君を人質にでも取れば、松平もそう簡単には動けまい」
「…最初からこうするために…浪士と手を組んだと…?」
「そうだ。今の警察組織自体を壊すことがわたしの目的だ。だからわたしはどうなっても構わない。今が壊れてくれるならばね…警察組織を壊せば、幕府の守りは薄くなる。わたしも彼らもそれを狙ってのことさ」
あの佐内様の口からそんな言葉が飛び出すだなんて、そんなこと思ってもいなかった。
信頼していた人間に裏切られることが、こんなにも冷静さを欠いてしまうことだとは。
わたしは腕に走る激痛と裏切られたショックから、何をすることも出来なかった。
「…貴方のことを…心から尊敬していたのに…」
「…すまないね」
彼は見たことのないような冷たい瞳でこちらを見ていた。彼の本性はこちらなのだろうか。
「とにかくここにいてはいけない。どこか身を隠せる場所まで共に来てもらうよ」
佐内は銃口を向けたままこちらへ近づき、わたしを無理やり立たせようとしているのか、手を伸ばしてきた。
向けられた銃口を見つめていると、わたしは用済みになれば消されるのだと思い知らされた。
生まれて初めて迫り来る死の恐怖に、わたしは震えが止まらなかった。
わたしは無力だった。
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