それが"生きがい"だった
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気がついたら棺の中にいた。
おかしい。あの日私は死んだのではないのか。
なぜだ?まだ生きてるのか?ここはなんだ。
心がどよめき焦燥した。記憶を頼りに1つ1つ辿ってゆく。思い出したくもない忌々しいクソみたいな記憶だったがそれしか私には無い。鮮明に思い出す。
何度考えても確かにあの日、全てに絶望した私は命を絶った。深い深い未知の感情に耐えられなかった。
…そのはずだ。
そもそも私の生まれ落ちた世界は地獄そのものだったと言える。
意味もない、時の流れを感じない永遠とも感じる日々であった。
実の父親はどこの誰かも知らない。貧しく体を売っていた母親がその過程で身篭った所謂不必要な子だった。
物心ついてからというもの、私がいるから貧しいままなのだと泣き叫ばれ日常的な暴力も当然だった。だから常に生傷が絶えない日々であった。
それが私の当たり前で全てであった。
幸せを感じたことなどない。だから幸せを求めることすらもない。そんな日々だった。
「お前のせいだ!お前さえいなければ!」
「やめて!いたいよ!やめてよ!ごめんなさい!ごめんなさい!!産まれてごめんなさい!!許して!!」
母はいつも憎しみを詰め込んだように怒鳴った。
もう刺激しないように部屋の隅にうずくまっているしか出来なかった。今が何日なのか、何ヶ月経ったのか、何年なのかすらわからない日々だった。
ある日を境に母親は家に男を連れ込み連日性行為に耽った。リビングの端にいるこちらに見向きもしないで寝室へ真っ直ぐ。私の食事なんてあってないようなものばかり。
「…♡」
電気が止まった部屋、窓から覗く満月とガラスに張り付くヤモリと虫の音に混ざり薄らと聞こえる猫撫で声の"女"の喘ぎ声。
聞かなくていいように目を閉じた。
そして間もなく出来た義父。今までの事を考えれば至極当然だった。
「初めまして。お父さんと呼んでいいからね。」
仮面を付けているように見えた、わざとらしく慰めるかのように言った。気持ち悪くて仕方がなかった。でも正直もうどうだってよかった。
この時の私はこれで上手く収まるかと思った。
やはり私が浅はかだったのだ。救いようもない。
「あの女の娘なんだ。どうせお前も淫乱だろ。俺が使ってやるからありがたく思えよ」
義父に犯されるのに時間はかからなかった。決まって母のいない日だった。
愛なんてものは無く、人間とすらも思っていないその行為。引き攣り裂けるかのような局部の痛みと恐らく流れているだろう血液の垂れる感覚。押さえつけられミシミシと骨が軋む腕。
「痛い、痛い、怖い、もうやめて」
「萎えるだろうが。少しは可愛く喘いで見せろよ」
当然痛みに耐えられず数度逆らったことがあった。逆らえば殴られた。次は息ができないほど口元と首元を押さえつけられた。酸素が吸えず気を失った。
だからそれよりはだいぶマシなその痛みに耐えるしか無かった。それが私の生きる術だった。
「クソガキの分際で逆らってんじゃねーよ」
叫んだり助けを呼ぶことすら出来ない。
幼い私はその行為を知らないままひたすら抱かれ、使われた。
やがていつしか考えることを辞めた。ただただ嵐が過ぎ去ることを待った。
その私も歳を重ねだいぶ賢くなった。だが相変わらずの日々だった。性行為の意味を知った。ローションを予め仕込んでおけばマシになった。膣を締めたり、義父のソレを口に含んだり、まともに食べてないが為に申し訳程度の胸で挟んで奉仕すれば早く終わった。痛みしかないけど善がってみせた。
行為の後決まって空っぽの胃から出るものもないのに嘔吐した。
当然その頃から避妊薬を処方してもらう為、病院へ通おうとした。
あろうことか私には戸籍がなかったことが発覚した。
この世に私という存在が認められていなかったのだ。誰も私の事なんか見ていないとその時悟った。
仕方がなく体を売っていた繋がりから人伝いに紹介してもらい裏ルートの医者から薬を買った。それはもう馬鹿みたいに高い。当然だが小遣いなんぞなく家の支払い滞納も当たり前であった私に薬代なぞ高くて払えやしない。
それに学校に行ったことがない私には読み書きが出来ない。
…そんな私が出来ることと言えばこれしかない。
「おにーさぁん、ホ別3でどう?」
だから私は体を売って歩いた。あのめいっぱい憎んだ母親と同じ道を歩むのは癪だったが生きるためだった。皮肉じみていて理不尽だ。
やはりと言うべきか、その生活も長くは持たなかった。
どうにか日々をやり過ごしていたはずが今度はどこからかバレたのだ。
「この泥棒猫!誰がここまで育ててやったと思ってるんだ!父親にまで手を出しやがって!恩を仇で返すのか!」
義父を誑かしたと母親からの暴力が更に悪化した。
あろうことか隠していた現金も取られるようになった。食事はさらに減り月経が止まり骨が浮き髪も抜け始めた。
こんな酷い姿の私を誰が買うだろうか。
誰にでも股を開く淫乱のアバズレだと義父からも罵られ、それでも便器のようにぶちまけられる生活。
戸籍もなく学校にも行っていない私に頼れる人などいるわけなかった。
自分と見ている世界が違う人ばかりで誰も彼も綺麗事にしか見えなかった。
私の世界はいつしかぐにゃりと歪みそこら中に大量の虫が這うようになった。体にもそれが這っているようで気色悪くて身体中血だらけになるほど掻き毟った。
そんな日々の中でいつしかやんわりと"死"を考えるようになった。
身投げ、首吊り、服毒
何がいいかひとしきり考えた。
無けなしのかき集めた小銭で入場券を買い、ホームから身を投げた。
やっと楽になれる!そう思った。
皮肉にもこの瞬間だけは体に羽が生えたように軽かった。
自然に笑えた気がした。
人も飛べるんだな、なんてスローモーションの世界でゆっくり目を閉じながら独り言ちた。
迫り来る鉄塊とまぶしい程輝くライトで白く染まった視界が痛みもなく暗転した。
これが死というものなのだろうか。
次に目を覚ました時にはもうこの世界にいた。
痛みはない。だが、浮遊感と体に迫ってくる鉄塊の記憶だけはやけに鮮明だった。
私はその瞬間に死ねなかったのだろうと悟った。
まだ神様は楽になることを許してくれないのか。酷く悲しかった。面白くもないのになぜか笑みが込み上げてくる。涙も垂れ流し引き攣るほど口角が吊り上がった。
だが何故だろうか、ここは不思議と酷く懐かしく思えた。
私はこの瞬間に糸が切れてしまったのかもしれないと結論づけた。
もう最終手段が通用しなかったのだ。また何かしらで自殺した所で死ねる確証はない。ならば情報を集める方がいいと判断して時の流れるまま、流されるまま生活した。
お世辞にも綺麗では無い寮であったが貧しくとも衣食住は保証してくれた。
夢にまで見た学校にも通えたのだ。楽しくないはずがない。
まだ日は浅いがみんなと過ごす日々は痛いことも苦しいことも無かった。初めて年相応に純粋に楽しめた。
「お前昔は表情作るの下手くそだったけどだいぶ良くなったんじゃね〜?」
「そうだな。確かに目付きが変わったな。」
同い年の友と呼べる間柄ができて荒んだ心がすこし潤った気がした。
それと同時に対価もろくに無く与えられるこの環境が今まで歩んだ人生と対極にありすぎるが故に自分の存在価値や自分自身についてを見失った。
私の心は言うなれば砂漠だ。少し潤っても直ぐに水はどこかに消えるしもっと、と渇望する。
贅沢な悩みだと思った。
他人事のように見えるだろう?
これは自分の感情を切り離さないと生きて来れなかった私の癖でもある。
間もなくハーツラビュル寮長がオーバーブロットした。
「ボクは……僕こそが!!!絶対、絶対、正しいんだーーーーー!!!!」
話を聞いて酷く可哀想だと思った。だが、気持ちを理解出来ても共感はし切れなかった。それと同時にそこまで執着されたことの無い私は羨ましくも思った。我ながら浅ましく酷いと思う。
でも結果は無事に解決した。
安心したのもつかの間寮長が立て続けにオーバーブロットしたのだ。サバナクロー、オクタヴィネル。
どちらもどうにか解決した。
私がいてこそだったが逆手に取れば私のせいではないのかとも思った。
この世界からしたら異端の存在だ。狂わせてる歯車は私なのかもしれない。
それは1部の生徒も同じ考えだった。影から囁かれるようになった。嫌がらせも増えた。
決まって周りに人がいない時。私にだけ分かるようにやっている。でもバレていたのだろう。放課後いつも一緒だったエースとデュースがそそくさとどこか行ったのを不思議に思って付けたことがある。
胸ぐらを掴まれていたのは私のことを囁いてた生徒だった。
あぁ、また"こう"なるのか。私は守ってもらう必要なんてないのに。
また死んでみたらいい?
あぁでもこのくらいの方がいい。
私には泥を被って人間臭いくらいがお似合いだ。
そして出会った彼。いや、厳密に言えば前から知ってはいた。
スカラビア寮のジャミル・バイパー先輩。
実は一目見て恋に落ちた、と言うより酷く焦がれたのだった。初めて自分の物にしたい、そして自分を捧げたいと思えた。
そんな彼と最近になって急接近した。
何もかもが私とは全く違って見えた。
「ユウ」
「…え?」
「…あぁいや、すまない、皆がそう呼んでいたから移ってしまっただけだ。馴れ馴れしかったな。忘れてくれ。」
見蕩れていたら名前で呼ばれた。すごく嬉しかった。
心臓が脈打ち全身の血が沸き立って全ての毛が逆立つような雷に打たれたような感覚。
だから気が付かなかった。皆は私を監督生と呼び、彼に名を告げたことはなかったことを。
間もなく彼もオーバーブロットした。
戦いが終わり泣くカリム寮長と倒れたジャミル先輩を見てやはり私のせいなのではないかと酷い自責の念に駆られた。私が来てからこんなに頻繁に起きているのだ。やはりおかしい。
自分で精一杯だったから彼がこちらを見て微かに微笑んでいることを私は知る由もなかったのだ。
それから自責の念に駆られた私は彼に甲斐甲斐しく付いてまわった。何かしら手伝えることを探して歩いた。
私が好いていると言っても彼はアジーム家の従者だ。その彼が私と恋仲になるなど到底ありえない話だ。
わかっていた。
だとしても彼の気を引くことは辞められなかった。
いや、違うな。私を振り向くことが無さそうだからこそ好きになったのだ。高嶺の花、とは似て非なるものだが1番それが近いと思う。
その反面気を引いて少しでも意識してもらうことが嬉しくて仕方なかった。水を手に入れた魚のように何も無くたって全てが輝いて見えた。
きっと彼に恋しているこの状況に酔っている。というのが正しいのだろう。
当然彼も若き青少年だ。異性が気になって仕方がない年頃。
だが決して自分の境遇からかはわからないが彼が本気で私を見ることは無かった。
それが私を尚更燃え上がらせた。命が、心臓が燃えているようだった。このような感覚は生まれて初めてでヤミツキになった。
色仕掛けに引っかからないのはもう知っている。
地道にやるしかない。幸い失うものなどもう元の世界に全て捨てて来たし時間なら山ほどある。
来る日も来る日も彼の隣を歩いて、同じ授業を選び従者として世話する様を朝から晩まで傍で見て時には手伝った。
徐々に疑心暗鬼だった彼とたわいも無い話をするようにまでなった。こんなことでも数ヶ月はかかった。
本音で話してくれる友となり、ゆくゆくは心を開いてもらうという目標のためにはいくら時間がかかろうが厭わない。
日に日に彼との距離が詰まってゆく。それが亀の歩みのようであっても些細なことが楽しかった。それは事実だ。それほどの恋をしたのだと、彼を愛していたのだと今は胸を張って言える。
「なぁ、君。そんなに俺のことが好きなら俺は付き合ってもいいと思っているのだが。」
「いいえ。まだダメです。」
意識してもらえているのは知っている。だがまだそれは私に対する気持ちでは無い。
求めたものをここでやすやすと諦める訳には行かない。
心から私を求めて貰えなければ。
きっと彼の私への気持ちはまだ恋ではない。
ここまで8つの月ほど時間をかけた。もうあと少し。
あぁ…毎日夢心地のようだ。
だが今はまだ顔に出さず耐えるときだと言い聞かせた。
それは出会ってから2度目の春だった。彼は3年生となり私も2年に上がった頃だった。
「なぁ君…まだダメなのか?俺のことが好きなんじゃないのか?」
その時は来た。来た!
私が求めたのがついに来た。おくびにも出さず、なるべく自然に、自然に。
振り返ってなるべく優しく微笑んで答えた。
「やっと好きに、なって貰えました?」
いつもの彼とはうって変わってしおらしく項垂れて私の腕を掴み眉を下げ目線を下げたまま懇願する愛しい愛しいその姿。
「あぁ、もうとっくに好きなんだ。こんなに俺を好きだと全身から振りまいてる癖に振り向かせたと思えばずっと焦らして、全く俺のものになりやしない。本当に酷いやつだよ。」
「すみません。」
それだけで何も言わない私に彼はそのまま1歩近寄り肩に顔を埋めて深呼吸を1つついたのがわかった。
ふわりと香る決して香水ではないスパイスの混じるようなセクシーで自然な彼の香り。
ドクリと胸が高鳴った。
「…で。」
「で、とは?」
「君は俺と付き合いたくは無いのか…?いや、もういい加減諦めて全部俺のものになってくれ…頼む…」
あの彼がここまで私に縋って強請って媚びて。
全身の血が沸騰したようだった。水の少ない鍋が湯気を上げシューシューと音を立てて蒸発していくよう。
「意地悪してすみません。本当に嬉しくって。私の身の上はお話したはずですが私でいいんですか?…ご実家とか」
「知るか。もう好きにやると決めたんだ。相手がカリムだって君だって。例え神であってもそれは例外じゃない。」
ふわっと腕ごと後ろから抱きしめられた。それはとてもきつく、まるで"逃がさない"とでも言うようだった。
私も何も言わずに体を捩って体ごと彼に向き合い抱き締め返した。言葉がなくともそれで全てが伝わった、と感じた。
それはもう穏やかな時間だった。風が2人の髪を揺らし頬を撫でていく。邪魔するものなどなく静かでお互いの呼吸と心音だけ。
どちらからともなく見つめ合って、そっと触れるだけのキスをした。
そこからお互い何も言わず、彼は寮まで送ってくれ、「また明日」と手を振った。
その日は人生で2番目に穏やかな眠りだったと思う。
それからは人並みに恋人らしい日々を過ごした。
もう背中に羽が生えるのではないかという程華やいだ。
一緒に過ごし、感情を共有し2人で喜びも楽しみも悲しみも分け合った。その日々はかけがえのないものになった。
お互いを知りそろそろだろうと覚悟は決めていた。
ついに彼の部屋に招かれたのだ。
あぁ、きっと今日私は彼に抱かれる。上手く出来るだろうか?上手く出来なくて呆れられてしまったら?
結果的にそんな杞憂、彼の前では全く必要なかった。
それはもう大事に大事に触れ全身傷だらけの体を余すことなくキスされ、トラウマでガチガチで快楽を感じる余裕のない私に合わせてたくさんの時間をかけて心ごと解された。ちょっと体が強ばれば直ぐに察知して少しも苦しくないように抱かれた。
事前に準備もしていないのに痛みも全くない、その上私は無理しなくていいと全て彼がリードしてくれた。最中の彼の一挙一動や表情に何度心臓が破裂するかと思った。
事が終わり2人でシャワーを浴び体を洗い合ってお互いをタオルで拭き合って部屋着を着せてお互いの髪を交代で乾かし一緒の布団に入り、私を腕枕しながら彼は直ぐに眠った。
一方私といえば彼のベッドの赤い天蓋が風に揺れるのを眺め、多幸感に包まれながらもどことない虚無感に苛まれていた。その違和感の理由を探していた。
幸せなのは嘘偽りなく、今この時だけは生まれて良かったと思った。自分の存在を呪ってきた自分が私は彼と結ばれるために生まれてきたのだと心から思えた。
あぁきっと私にとっては彼を手に入れることが"生きがい"だったのだ。
彼を手に入れてしまった今この瞬間その生きがいを失った。叶わない方がいいことだってこの世には在る。現に私は今耐え難い虚無感と絶望に打ちのめされているのだ。
何かに縋らないと、追い求めないと私は生きていられない。
それにきっとこれ以上のものはこの先ないだろう。
この幸せな瞬間はこのまま綺麗な良い思い出であるべきだと思わないか?
この幸せを味わった以上この先、耐え難い絶望がまた訪れた時きっと耐えられない。
今この時を綺麗なまま最期として残して、この幸せを深く感じながら死ねたら。
そんな悪魔の囁きをかき消せるほど私は強くはない。昔からそうだ。いつだって絶望の縁を歩いてきた。
彼を起こさないようにそっと窓を開け足を掛けた。
不思議と羽が生えたように軽い体。
魔法が使えなくても私は飛べるようだ。
「ジャミル先輩!愛してます!どうか、どうか幸せに!」
急降下する体で声いっぱい愛を叫んだ。
気がついたであろう先輩が窓からこちらを見て苦虫を噛み締めたような泣きそうな複雑な表情をしていた。
その手にはマジカルペンと金色のユリの花。何かの魔法の詠唱中だろうか、口を動かすのが微かに見えた。
先輩は諦めたように口を閉ざして
愛した彼女が死んだ。
体を重ねた後。そう、ちょうど日付を越した頃だった。
今回はあの禁術を使わなかった。
使おうと思えば間に合ったはずで、こんな姿の彼女は見なくて済んだ。それは分かっていた。あの一瞬、俺は躊躇した。
またか?これで一体何度目だ?何度、?何度何度何度、何度何度何度もやり直したって
彼女は、俺と結ばれた後命を絶つ選択をした。
まさかこれが運命だとでも言うのか?これがハッピーエンドなわけないだろう。どこでシナリオを間違えた?選択肢が違ったのか?もう、分からない。
所詮は悪役として生まれ落ちたこの身故だろうか。悪役は幸せになる事を許さないとでも?
なんて独りごちりながら誰にも見られないように、痕跡を残さないように慎重に彼女の亡骸を抱えて棺に収め、紫のライラックでいっぱいに満たした。
彼女によく似た甘くて優しい香り。
こんなことせずとも術さえ使えさえすれば、また、
なのにこんな弔いの真似事をしているのは俺の覚悟が足りていないからだ。このストーリーを諦めて彼女の死を受け入れる覚悟が。己が執念深くて浅ましいのは俺が1番分かっている。
五枚目の花弁を持つそれに気付いて手に取り、どこかの本で読んだとある言い伝えを思い出していた。
棺の内装はマゼンタがかった深く、かつ可愛らしい紫にした。この色にしたのは彼女とは切りきれない色で彼女そのものを表す色のようだったからだ。
俺だけの姫の一等穏やかな顔に1つキスをし
「俺もだ。」
届かない返事をした。
そしてそっと棺を閉じ金で豪華に装飾をした。キラキラとした輝きがカラフルに瞬いている。
棺の前で立ち尽くすしか無くなった俺は思わず手に持ったその花を口に含むか迷っていた。
だからだろうか。気付かぬうちに涙が一筋俺の頬を伝い鍵に落ちたのに気付かなかった。
鍵がひとりでに動き出したと思えば勝手に鍵穴に入り、鍵が回って
あぁ、俺はまた過ちを冒す。
'20/07/04 公開
'21/03/13 再掲
おかしい。あの日私は死んだのではないのか。
なぜだ?まだ生きてるのか?ここはなんだ。
心がどよめき焦燥した。記憶を頼りに1つ1つ辿ってゆく。思い出したくもない忌々しいクソみたいな記憶だったがそれしか私には無い。鮮明に思い出す。
何度考えても確かにあの日、全てに絶望した私は命を絶った。深い深い未知の感情に耐えられなかった。
…そのはずだ。
そもそも私の生まれ落ちた世界は地獄そのものだったと言える。
意味もない、時の流れを感じない永遠とも感じる日々であった。
実の父親はどこの誰かも知らない。貧しく体を売っていた母親がその過程で身篭った所謂不必要な子だった。
物心ついてからというもの、私がいるから貧しいままなのだと泣き叫ばれ日常的な暴力も当然だった。だから常に生傷が絶えない日々であった。
それが私の当たり前で全てであった。
幸せを感じたことなどない。だから幸せを求めることすらもない。そんな日々だった。
「お前のせいだ!お前さえいなければ!」
「やめて!いたいよ!やめてよ!ごめんなさい!ごめんなさい!!産まれてごめんなさい!!許して!!」
母はいつも憎しみを詰め込んだように怒鳴った。
もう刺激しないように部屋の隅にうずくまっているしか出来なかった。今が何日なのか、何ヶ月経ったのか、何年なのかすらわからない日々だった。
ある日を境に母親は家に男を連れ込み連日性行為に耽った。リビングの端にいるこちらに見向きもしないで寝室へ真っ直ぐ。私の食事なんてあってないようなものばかり。
「…♡」
電気が止まった部屋、窓から覗く満月とガラスに張り付くヤモリと虫の音に混ざり薄らと聞こえる猫撫で声の"女"の喘ぎ声。
聞かなくていいように目を閉じた。
そして間もなく出来た義父。今までの事を考えれば至極当然だった。
「初めまして。お父さんと呼んでいいからね。」
仮面を付けているように見えた、わざとらしく慰めるかのように言った。気持ち悪くて仕方がなかった。でも正直もうどうだってよかった。
この時の私はこれで上手く収まるかと思った。
やはり私が浅はかだったのだ。救いようもない。
「あの女の娘なんだ。どうせお前も淫乱だろ。俺が使ってやるからありがたく思えよ」
義父に犯されるのに時間はかからなかった。決まって母のいない日だった。
愛なんてものは無く、人間とすらも思っていないその行為。引き攣り裂けるかのような局部の痛みと恐らく流れているだろう血液の垂れる感覚。押さえつけられミシミシと骨が軋む腕。
「痛い、痛い、怖い、もうやめて」
「萎えるだろうが。少しは可愛く喘いで見せろよ」
当然痛みに耐えられず数度逆らったことがあった。逆らえば殴られた。次は息ができないほど口元と首元を押さえつけられた。酸素が吸えず気を失った。
だからそれよりはだいぶマシなその痛みに耐えるしか無かった。それが私の生きる術だった。
「クソガキの分際で逆らってんじゃねーよ」
叫んだり助けを呼ぶことすら出来ない。
幼い私はその行為を知らないままひたすら抱かれ、使われた。
やがていつしか考えることを辞めた。ただただ嵐が過ぎ去ることを待った。
その私も歳を重ねだいぶ賢くなった。だが相変わらずの日々だった。性行為の意味を知った。ローションを予め仕込んでおけばマシになった。膣を締めたり、義父のソレを口に含んだり、まともに食べてないが為に申し訳程度の胸で挟んで奉仕すれば早く終わった。痛みしかないけど善がってみせた。
行為の後決まって空っぽの胃から出るものもないのに嘔吐した。
当然その頃から避妊薬を処方してもらう為、病院へ通おうとした。
あろうことか私には戸籍がなかったことが発覚した。
この世に私という存在が認められていなかったのだ。誰も私の事なんか見ていないとその時悟った。
仕方がなく体を売っていた繋がりから人伝いに紹介してもらい裏ルートの医者から薬を買った。それはもう馬鹿みたいに高い。当然だが小遣いなんぞなく家の支払い滞納も当たり前であった私に薬代なぞ高くて払えやしない。
それに学校に行ったことがない私には読み書きが出来ない。
…そんな私が出来ることと言えばこれしかない。
「おにーさぁん、ホ別3でどう?」
だから私は体を売って歩いた。あのめいっぱい憎んだ母親と同じ道を歩むのは癪だったが生きるためだった。皮肉じみていて理不尽だ。
やはりと言うべきか、その生活も長くは持たなかった。
どうにか日々をやり過ごしていたはずが今度はどこからかバレたのだ。
「この泥棒猫!誰がここまで育ててやったと思ってるんだ!父親にまで手を出しやがって!恩を仇で返すのか!」
義父を誑かしたと母親からの暴力が更に悪化した。
あろうことか隠していた現金も取られるようになった。食事はさらに減り月経が止まり骨が浮き髪も抜け始めた。
こんな酷い姿の私を誰が買うだろうか。
誰にでも股を開く淫乱のアバズレだと義父からも罵られ、それでも便器のようにぶちまけられる生活。
戸籍もなく学校にも行っていない私に頼れる人などいるわけなかった。
自分と見ている世界が違う人ばかりで誰も彼も綺麗事にしか見えなかった。
私の世界はいつしかぐにゃりと歪みそこら中に大量の虫が這うようになった。体にもそれが這っているようで気色悪くて身体中血だらけになるほど掻き毟った。
そんな日々の中でいつしかやんわりと"死"を考えるようになった。
身投げ、首吊り、服毒
何がいいかひとしきり考えた。
無けなしのかき集めた小銭で入場券を買い、ホームから身を投げた。
やっと楽になれる!そう思った。
皮肉にもこの瞬間だけは体に羽が生えたように軽かった。
自然に笑えた気がした。
人も飛べるんだな、なんてスローモーションの世界でゆっくり目を閉じながら独り言ちた。
迫り来る鉄塊とまぶしい程輝くライトで白く染まった視界が痛みもなく暗転した。
これが死というものなのだろうか。
次に目を覚ました時にはもうこの世界にいた。
痛みはない。だが、浮遊感と体に迫ってくる鉄塊の記憶だけはやけに鮮明だった。
私はその瞬間に死ねなかったのだろうと悟った。
まだ神様は楽になることを許してくれないのか。酷く悲しかった。面白くもないのになぜか笑みが込み上げてくる。涙も垂れ流し引き攣るほど口角が吊り上がった。
だが何故だろうか、ここは不思議と酷く懐かしく思えた。
私はこの瞬間に糸が切れてしまったのかもしれないと結論づけた。
もう最終手段が通用しなかったのだ。また何かしらで自殺した所で死ねる確証はない。ならば情報を集める方がいいと判断して時の流れるまま、流されるまま生活した。
お世辞にも綺麗では無い寮であったが貧しくとも衣食住は保証してくれた。
夢にまで見た学校にも通えたのだ。楽しくないはずがない。
まだ日は浅いがみんなと過ごす日々は痛いことも苦しいことも無かった。初めて年相応に純粋に楽しめた。
「お前昔は表情作るの下手くそだったけどだいぶ良くなったんじゃね〜?」
「そうだな。確かに目付きが変わったな。」
同い年の友と呼べる間柄ができて荒んだ心がすこし潤った気がした。
それと同時に対価もろくに無く与えられるこの環境が今まで歩んだ人生と対極にありすぎるが故に自分の存在価値や自分自身についてを見失った。
私の心は言うなれば砂漠だ。少し潤っても直ぐに水はどこかに消えるしもっと、と渇望する。
贅沢な悩みだと思った。
他人事のように見えるだろう?
これは自分の感情を切り離さないと生きて来れなかった私の癖でもある。
間もなくハーツラビュル寮長がオーバーブロットした。
「ボクは……僕こそが!!!絶対、絶対、正しいんだーーーーー!!!!」
話を聞いて酷く可哀想だと思った。だが、気持ちを理解出来ても共感はし切れなかった。それと同時にそこまで執着されたことの無い私は羨ましくも思った。我ながら浅ましく酷いと思う。
でも結果は無事に解決した。
安心したのもつかの間寮長が立て続けにオーバーブロットしたのだ。サバナクロー、オクタヴィネル。
どちらもどうにか解決した。
私がいてこそだったが逆手に取れば私のせいではないのかとも思った。
この世界からしたら異端の存在だ。狂わせてる歯車は私なのかもしれない。
それは1部の生徒も同じ考えだった。影から囁かれるようになった。嫌がらせも増えた。
決まって周りに人がいない時。私にだけ分かるようにやっている。でもバレていたのだろう。放課後いつも一緒だったエースとデュースがそそくさとどこか行ったのを不思議に思って付けたことがある。
胸ぐらを掴まれていたのは私のことを囁いてた生徒だった。
あぁ、また"こう"なるのか。私は守ってもらう必要なんてないのに。
また死んでみたらいい?
あぁでもこのくらいの方がいい。
私には泥を被って人間臭いくらいがお似合いだ。
そして出会った彼。いや、厳密に言えば前から知ってはいた。
スカラビア寮のジャミル・バイパー先輩。
実は一目見て恋に落ちた、と言うより酷く焦がれたのだった。初めて自分の物にしたい、そして自分を捧げたいと思えた。
そんな彼と最近になって急接近した。
何もかもが私とは全く違って見えた。
「ユウ」
「…え?」
「…あぁいや、すまない、皆がそう呼んでいたから移ってしまっただけだ。馴れ馴れしかったな。忘れてくれ。」
見蕩れていたら名前で呼ばれた。すごく嬉しかった。
心臓が脈打ち全身の血が沸き立って全ての毛が逆立つような雷に打たれたような感覚。
だから気が付かなかった。皆は私を監督生と呼び、彼に名を告げたことはなかったことを。
間もなく彼もオーバーブロットした。
戦いが終わり泣くカリム寮長と倒れたジャミル先輩を見てやはり私のせいなのではないかと酷い自責の念に駆られた。私が来てからこんなに頻繁に起きているのだ。やはりおかしい。
自分で精一杯だったから彼がこちらを見て微かに微笑んでいることを私は知る由もなかったのだ。
それから自責の念に駆られた私は彼に甲斐甲斐しく付いてまわった。何かしら手伝えることを探して歩いた。
私が好いていると言っても彼はアジーム家の従者だ。その彼が私と恋仲になるなど到底ありえない話だ。
わかっていた。
だとしても彼の気を引くことは辞められなかった。
いや、違うな。私を振り向くことが無さそうだからこそ好きになったのだ。高嶺の花、とは似て非なるものだが1番それが近いと思う。
その反面気を引いて少しでも意識してもらうことが嬉しくて仕方なかった。水を手に入れた魚のように何も無くたって全てが輝いて見えた。
きっと彼に恋しているこの状況に酔っている。というのが正しいのだろう。
当然彼も若き青少年だ。異性が気になって仕方がない年頃。
だが決して自分の境遇からかはわからないが彼が本気で私を見ることは無かった。
それが私を尚更燃え上がらせた。命が、心臓が燃えているようだった。このような感覚は生まれて初めてでヤミツキになった。
色仕掛けに引っかからないのはもう知っている。
地道にやるしかない。幸い失うものなどもう元の世界に全て捨てて来たし時間なら山ほどある。
来る日も来る日も彼の隣を歩いて、同じ授業を選び従者として世話する様を朝から晩まで傍で見て時には手伝った。
徐々に疑心暗鬼だった彼とたわいも無い話をするようにまでなった。こんなことでも数ヶ月はかかった。
本音で話してくれる友となり、ゆくゆくは心を開いてもらうという目標のためにはいくら時間がかかろうが厭わない。
日に日に彼との距離が詰まってゆく。それが亀の歩みのようであっても些細なことが楽しかった。それは事実だ。それほどの恋をしたのだと、彼を愛していたのだと今は胸を張って言える。
「なぁ、君。そんなに俺のことが好きなら俺は付き合ってもいいと思っているのだが。」
「いいえ。まだダメです。」
意識してもらえているのは知っている。だがまだそれは私に対する気持ちでは無い。
求めたものをここでやすやすと諦める訳には行かない。
心から私を求めて貰えなければ。
きっと彼の私への気持ちはまだ恋ではない。
ここまで8つの月ほど時間をかけた。もうあと少し。
あぁ…毎日夢心地のようだ。
だが今はまだ顔に出さず耐えるときだと言い聞かせた。
それは出会ってから2度目の春だった。彼は3年生となり私も2年に上がった頃だった。
「なぁ君…まだダメなのか?俺のことが好きなんじゃないのか?」
その時は来た。来た!
私が求めたのがついに来た。おくびにも出さず、なるべく自然に、自然に。
振り返ってなるべく優しく微笑んで答えた。
「やっと好きに、なって貰えました?」
いつもの彼とはうって変わってしおらしく項垂れて私の腕を掴み眉を下げ目線を下げたまま懇願する愛しい愛しいその姿。
「あぁ、もうとっくに好きなんだ。こんなに俺を好きだと全身から振りまいてる癖に振り向かせたと思えばずっと焦らして、全く俺のものになりやしない。本当に酷いやつだよ。」
「すみません。」
それだけで何も言わない私に彼はそのまま1歩近寄り肩に顔を埋めて深呼吸を1つついたのがわかった。
ふわりと香る決して香水ではないスパイスの混じるようなセクシーで自然な彼の香り。
ドクリと胸が高鳴った。
「…で。」
「で、とは?」
「君は俺と付き合いたくは無いのか…?いや、もういい加減諦めて全部俺のものになってくれ…頼む…」
あの彼がここまで私に縋って強請って媚びて。
全身の血が沸騰したようだった。水の少ない鍋が湯気を上げシューシューと音を立てて蒸発していくよう。
「意地悪してすみません。本当に嬉しくって。私の身の上はお話したはずですが私でいいんですか?…ご実家とか」
「知るか。もう好きにやると決めたんだ。相手がカリムだって君だって。例え神であってもそれは例外じゃない。」
ふわっと腕ごと後ろから抱きしめられた。それはとてもきつく、まるで"逃がさない"とでも言うようだった。
私も何も言わずに体を捩って体ごと彼に向き合い抱き締め返した。言葉がなくともそれで全てが伝わった、と感じた。
それはもう穏やかな時間だった。風が2人の髪を揺らし頬を撫でていく。邪魔するものなどなく静かでお互いの呼吸と心音だけ。
どちらからともなく見つめ合って、そっと触れるだけのキスをした。
そこからお互い何も言わず、彼は寮まで送ってくれ、「また明日」と手を振った。
その日は人生で2番目に穏やかな眠りだったと思う。
それからは人並みに恋人らしい日々を過ごした。
もう背中に羽が生えるのではないかという程華やいだ。
一緒に過ごし、感情を共有し2人で喜びも楽しみも悲しみも分け合った。その日々はかけがえのないものになった。
お互いを知りそろそろだろうと覚悟は決めていた。
ついに彼の部屋に招かれたのだ。
あぁ、きっと今日私は彼に抱かれる。上手く出来るだろうか?上手く出来なくて呆れられてしまったら?
結果的にそんな杞憂、彼の前では全く必要なかった。
それはもう大事に大事に触れ全身傷だらけの体を余すことなくキスされ、トラウマでガチガチで快楽を感じる余裕のない私に合わせてたくさんの時間をかけて心ごと解された。ちょっと体が強ばれば直ぐに察知して少しも苦しくないように抱かれた。
事前に準備もしていないのに痛みも全くない、その上私は無理しなくていいと全て彼がリードしてくれた。最中の彼の一挙一動や表情に何度心臓が破裂するかと思った。
事が終わり2人でシャワーを浴び体を洗い合ってお互いをタオルで拭き合って部屋着を着せてお互いの髪を交代で乾かし一緒の布団に入り、私を腕枕しながら彼は直ぐに眠った。
一方私といえば彼のベッドの赤い天蓋が風に揺れるのを眺め、多幸感に包まれながらもどことない虚無感に苛まれていた。その違和感の理由を探していた。
幸せなのは嘘偽りなく、今この時だけは生まれて良かったと思った。自分の存在を呪ってきた自分が私は彼と結ばれるために生まれてきたのだと心から思えた。
あぁきっと私にとっては彼を手に入れることが"生きがい"だったのだ。
彼を手に入れてしまった今この瞬間その生きがいを失った。叶わない方がいいことだってこの世には在る。現に私は今耐え難い虚無感と絶望に打ちのめされているのだ。
何かに縋らないと、追い求めないと私は生きていられない。
それにきっとこれ以上のものはこの先ないだろう。
この幸せな瞬間はこのまま綺麗な良い思い出であるべきだと思わないか?
この幸せを味わった以上この先、耐え難い絶望がまた訪れた時きっと耐えられない。
今この時を綺麗なまま最期として残して、この幸せを深く感じながら死ねたら。
そんな悪魔の囁きをかき消せるほど私は強くはない。昔からそうだ。いつだって絶望の縁を歩いてきた。
彼を起こさないようにそっと窓を開け足を掛けた。
不思議と羽が生えたように軽い体。
魔法が使えなくても私は飛べるようだ。
「ジャミル先輩!愛してます!どうか、どうか幸せに!」
急降下する体で声いっぱい愛を叫んだ。
気がついたであろう先輩が窓からこちらを見て苦虫を噛み締めたような泣きそうな複雑な表情をしていた。
その手にはマジカルペンと金色のユリの花。何かの魔法の詠唱中だろうか、口を動かすのが微かに見えた。
先輩は諦めたように口を閉ざして
愛した彼女が死んだ。
体を重ねた後。そう、ちょうど日付を越した頃だった。
今回はあの禁術を使わなかった。
使おうと思えば間に合ったはずで、こんな姿の彼女は見なくて済んだ。それは分かっていた。あの一瞬、俺は躊躇した。
またか?これで一体何度目だ?何度、?何度何度何度、何度何度何度もやり直したって
彼女は、俺と結ばれた後命を絶つ選択をした。
まさかこれが運命だとでも言うのか?これがハッピーエンドなわけないだろう。どこでシナリオを間違えた?選択肢が違ったのか?もう、分からない。
所詮は悪役として生まれ落ちたこの身故だろうか。悪役は幸せになる事を許さないとでも?
なんて独りごちりながら誰にも見られないように、痕跡を残さないように慎重に彼女の亡骸を抱えて棺に収め、紫のライラックでいっぱいに満たした。
彼女によく似た甘くて優しい香り。
こんなことせずとも術さえ使えさえすれば、また、
なのにこんな弔いの真似事をしているのは俺の覚悟が足りていないからだ。このストーリーを諦めて彼女の死を受け入れる覚悟が。己が執念深くて浅ましいのは俺が1番分かっている。
五枚目の花弁を持つそれに気付いて手に取り、どこかの本で読んだとある言い伝えを思い出していた。
棺の内装はマゼンタがかった深く、かつ可愛らしい紫にした。この色にしたのは彼女とは切りきれない色で彼女そのものを表す色のようだったからだ。
俺だけの姫の一等穏やかな顔に1つキスをし
「俺もだ。」
届かない返事をした。
そしてそっと棺を閉じ金で豪華に装飾をした。キラキラとした輝きがカラフルに瞬いている。
棺の前で立ち尽くすしか無くなった俺は思わず手に持ったその花を口に含むか迷っていた。
だからだろうか。気付かぬうちに涙が一筋俺の頬を伝い鍵に落ちたのに気付かなかった。
鍵がひとりでに動き出したと思えば勝手に鍵穴に入り、鍵が回って
あぁ、俺はまた過ちを冒す。
'20/07/04 公開
'21/03/13 再掲
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