軍人
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さすがに覚えた道を歩いて、数十分。
軽くノックをしながら声をかけると、すぐに扉は開いた。
「あ。いらっしゃい、イチちゃん」
「……フリッピー?」
ドアノブを押しながら、眉尻を下げた柔らかそうな笑顔と共に歓迎を寄越すのは迷彩の軍服を着た、若葉の髪と緑の眼をした男の人。オレはフレイキーの家を訪ねた筈だったのだけれど。
「うん?ああ、大丈夫だよ、ここはフレイキーの家であってるよ」
それは見たら分かる。
困惑を見て取ったのか、相変わらず少しズレた気遣いを寄越したフリッピーは、とにかくどうぞ。とオレを招き入れた。
「フレイキーは?」
昨日、フレイキーは『あしたクッキーつくるんだ!イチ、来る?』とうきうきしながら言っていたので、オレもちょっと楽しみに訪ねて来たのだが。
するとオレをリビングまで先導しながら、フリッピーは少し困ったように微笑んだ。
「今、お風呂なんだ」
「風呂?フレイキーが?」
「う、うん」
フレイキーは極度の風呂嫌いで、ペチュニアによく怒られているところを見かけるくらいなのに珍しい、と思っていたら、フリッピーが言い難そうに付け加えた。
「ええと、ちょっと……頭から小麦粉被っちゃって」
それは……出来事として果たして『ちょっと』か?
「実は今やっと床を拭き終えたところで……フレイキーはすぐお風呂場に行かせたけど、どうせならきちんと洗って出なさいって言っちゃったし、かなり真っ白だったから、時間はかかると思う」
自分が悪いわけではないのに、申し訳なさそうにフリッピーは言う。かまわないと伝えると、フリッピーはほっとしたように笑った。そのままはっと気付いたように、お茶を淹れるというのでとりあえずオレが替わっておいた。フレイキーも勝手に触った事を怒ったりはしないだろ、まぁオレも間違っても厨房が得意と言える方ではないのだけれど。
「ありがとう、……おいしいね」
「そう、かな?」
「うん、とっても」
淹れるのが上手なんだね。と、フリッピーは少し目を輝かせる。そうかな。
向かい側に腰掛ければ、カップを傾ける軍人さんの様子から、それはまんざらお世辞でも無さそうだった。
茶葉が良いからだというような気もするが……でもお茶の淹れ方はモールさんに教えて貰ったので、それを褒められるのは嬉しい。オレはまだ飲んでいないにも関わらず、ほわんと暖かいものが腹に落ちたような気分でティーポットをそっとテーブルに置く。
「フリッピーもクッキー作ってたの?」
「そうだよ、フレイキーと一緒に、たまに作るんだ。あ、っと……変かな」
「なにが?」
「うぅん、男で、この歳で、しかもこんな恰好なのに、お菓子作りなんて、変って言われるかと思って」
──そういえば初めてフレイキーの髪の話をした時、フレイキーも言っていたな。『変かな!?』似たその様子にふと思い出す。……変。そんなに、気になるものなんだろうか。「オレは言わないけど。変かどうかはフリッピーが決めればいいし」そう言うと、フリッピーは「イチちゃんは強いね」と言って笑った。
強い?強弱の問題なのだろうか。そもそもオレには普通がよく分っていないというだけの話なのかもしれないけれど……フリッピーが笑ってるならまあいいか。
「あぁそういえば、僕もだけど、ディドさんもよくお菓子作るらしいよ」
「え……英雄?」
「うん。もともとパン作りに凝ってるんだって言ってたよ。この間スーパーで会ったんだ」
パン、が作れるのか。いや、双子がそんな事を言っていた気がする。あの時は特に思いつかなかったが、力加減が出来ないで人の骨をぽきぽき折るくせに卵を割れるのか?というか、
「フリッピーは、英雄と仲いいんだな」
「うん?そうだね、ディドさんとは……そんなに喋った事ないんだけど、良くして貰ってると思うから」
良くして貰ってる、のは、良くない時はあっちのフリッピーと交代してるからじゃないだろうか。と、少し思ったのだが推測なので言わないでおく。沈黙にして、舌には代わりにお茶を載せたのだが、何も言わずともフリッピーには大体分かってしまったらしい。「そうだね、『アイツ』はディドさんが嫌いみたい」と苦笑した。
それを見て、オレは少し前に図書館で読んだ本と、スニッフルズとした会話を思い出した。
『……解離性同一性障害の場合、主人格は別人格のことを認識しないんだってさ。フリッピーはどうなってるんだろう』
『残念ながら、僕はフリッピーさんの治療は受け持った事が無いのでなんとも……』
よくよく考えたら結構前の会話である。
「どうかした?イチちゃん」
「あ、えっと」
もしかしてオレは物凄く分かりやすいのか?
未だに無表情だとよく言われるのだが、そんなにも考えている事が表に出ているだろうか。流石に少し動揺して、顔を隠すようにティーカップを持ち上げれば軍人さんをますます不思議そうな顔にしてしまう。少し悩んだが正直に言う事にした。
「……前に、フリッピーは自分が二重人格だって話してくれたけど、それだとフリッピーと、金眼のフリッピーは何で話せるのかなって」
怪訝そうに首を傾げるフリッピーに、オレが本を読んで得た知識を披露する。フリッピーは「そういえば、ランピーがそんなこと言ってたような気も……」と大分怪しい。
「フレイキーが、イチちゃんは物知りだって言ってたけど、本当だね」
「そんなに何でも知ってるわけじゃない、し、全部人から聞いた話だから」
正確には、人から聞いたらしい話、だけれど。
フリッピーはその辺を突っ込んで訊いたりはしない。こういう微妙な地雷を踏み分けるのがとても上手いのだと思う。日常会話における、瑣末な地雷はよく踏むのだが。だんだん分かってきたが、多分、フリッピーは『天然』だ。
「それにしても、そっか、普通は喋れないんだね」
「例外があるのかもしれないけど」
「うん、そうだね──いや、」
フリッピーはそこで少し考えるような顔つきになると、手の平で口を覆うように少し黙った。
「確かに、それが普通なのかも……」
それは独り言かもしれないのでオレは返事をしなかった。
こうして対峙していると、姿形は全く同じなのに、いかに
そんな事を考えながら、帽子を取った若葉色を見ていれば一筋落ちた髪越しに緑の瞳とぱっと視線がぶつかった。フリッピーにしては珍しく、愛想を寄越すでもなくそのままじっとこちらを見つめている。視線があっているのだからきっと、オレがその緑の瞳を見つめている様にあちらかもオレの眼が見えているのだろう。
やがて奇妙な見詰め合いの果てに、フリッピーは後ろをちらっと振り返って、
「フレイキーのお風呂はもうちょっとかかるね」
「そう」
「……イチちゃん、もし、良かったら、なんだけど。ちょっとだけ僕の話を聞いてくれる?」
オレは当然断るはずもなく、「すきなだけ」と答えた。
フリッピーは微笑んで、つまらなかったら眠ってて良いからね、と前置いて、そして、僕はね、と話はじめた。
「──戦争に行ってた時は、知らなかったんだよアイツのこと」
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