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丞体調不良まとめ


昨夜、「体調が悪いからもう寝る」と珍しい内容のLIMEを送ってきたと思えば、帰ってから一度も談話室に姿を現すことなく部屋着に着替えベッドに横になっていた丞。布団を被っても眠れてはいなさそうな様子を見かねて症状を問えば、訴えたのは吐き気と軽い腹痛だった。吐き気と言っても吐きそうというわけではなく、ただひたすらに胸から腹部にかけてが気持ち悪いらしい。トイレに行って解決するものでもないようで、できることと言えば体を横にすることくらいなのだそうだ。

額に手を当ててみると、もともと高めの体温よりもさらに少しだけ高い温度が感じられた。
「たーちゃん、一応熱測ろう。ちょっと待ってて。」
「…ん。」

東さんにLIMEで状況を説明して体温計や洗面器の準備をお願いした。しばらくすると、控えめなノックが聞こえ、頼んでいた物を持って東さんが入ってきた。

「ありがとうございます。」
「これ、置いておくね。熱、ありそう?」
「はい…そこまで高くはなさそうなんですけど…」
「そっか。…動けそうかな?辛くなる前に下に移動しちゃったほうがいいかなって思うんだけど。」
「たしかに、そうですね。……丞、起きれる?」
「…ああ。」

気怠げに体を起こした彼は、吐き気を増長させないようになのか、いつもの何倍もの時間をかけてハシゴを降りてくる。俺たちが布団を降ろす間、床にしゃがんでしきりに胸をさすっていたが、もう少しで布団を敷き終わろうかというところで口元に手を当ててふらふらと立ち上がり、部屋を出ていった。

「ちょっとボク見てくるね。」
東さんがペットボトルの水を持って後を追った。残った俺は布団を整え、二人の帰りを待った。

約15分後。東さんが先に戻ってきた。
「丞、けっこう吐いちゃって。口ゆすいで出ようとしたら、今度はお腹にきちゃったみたい。待ってられるのも嫌だろうしボクは帰ってきちゃったんだけど…」
「そうですか…すみません。」
「ふふ、どうして紬が謝るの?…うーん、とりあえずあそこのトイレは丞以外は使わないようにしたほうがいいかな。左京くんに連絡しておくね。」
「ありがとうございます。……丞、胃腸炎ですかね?」
「うん、あの感じだとただの風邪ってわけじゃなさそうだし…一晩様子見て、明日病院に行ったほうがいいね。」

そんな話をしている頃に、ゆっくりと扉が開き、疲れ切った様子の丞が帰ってきた。血の気がなくどんよりとした顔つきから、決してすっきりしたわけではないというのが伝わってくると共に、とろんとした瞳が熱が上がっていることを告げていた。
とっくに敷き終わっていた布団に座らせ、体温計を渡す。音が鳴り、ちらりと液晶を見た丞は何も言わずに視線を外し俺に体温計を差し出す。俺がそれを受け取ればすぐ手を離し、横たわって首まで掛布団を上げた。表示されるのは「38.4℃」。さっき触れたときはこんなに高くなかったはず。短時間で随分と悪化したものだと、さすがに不安になる。東さんもその数字を見て心配そうに眉を下げた。今すぐ病院に連れていきたい気持ちにもなったが、布団に入りぎゅっと目を閉じる丞の呼吸は落ち着いたもので、表情こそ緩んではいないものの、どうやら体を休ませることはできているようだ。眠れそうならわざわざ起こすこともない。東さんの言うように、明日の朝まで待ってみようと決めた。

それから約二時間ほどだろうか。ちょうど日付が変わる頃。寝返りの回数が増え、そしてしばらくして立ち上がり、丞は部屋を出て行った。

うとうとしていた俺はすぐには情報を処理できず、東さんの「やっぱりお腹痛いみたいだね」という言葉で初めて丞の行き先を理解した。急いでいた風ではなかったため、そこまでの激痛、便意というわけではないのだとは思うが、眠りから覚めてしまったのだ。それなりには辛いのだろう。それほど時間を経てずに戻ってきた丞は、脚に掛布団をかけてしばらく座っていた。「大丈夫?」と聞きたくなったが、不快そうに眉を顰め、唾を飲み込むその姿は明らかに大丈夫そうではない。どうしたものかと考えはじめた時。
う、と息を詰まらせたような声を出したと思ったのも束の間、枕元の洗面器を一瞥してから手荒く布団を剥いで立ち上がり、覚束ない足取りで部屋を出ていった。水を持ってトイレに向かうと、ドアも閉めずに空えずきを繰り返す姿が見えた。さっきもうすでに一度吐いている。体調が悪くなってからは何も食べられていないだろうし、もう吐くものはそこまで残っていないだろう。
「…っ、んぇ…う、はっ、………けほ」
「たーちゃん、1回水飲もうか」
「ん、……うぇっ、ごほ、げほ」
水を飲ませると背中が大きく波打って、少量の胃液を吐き出した。引き攣っていた呼吸が落ち着いていく。少ないながらも胃のものを出せたことで楽になったらしく、酷い吐き気も治まったようだ。
「口ゆすごう?」


───くちゅくちゅ、ぺ。がらがら、ぺ。
ふと、幼少期一緒に遊んだ後の手洗い場を思い出す。

そのくらい、今の丞は幼く見えた。
口をすっきりさせたところで、丞の手がペットボトルに伸びてくる。
「のど、かわいた」
少し掠れた声に安心する。脱水は、怖いから。飲み過ぎちゃダメだよ、と軽く忠告して、彼が二口ほど水を飲むのを見守った。
「お腹は大丈夫そう?」
立ち上がりながら問えば、
「大丈夫だ」と一言。気まずそうに、恥ずかしそうに。デリカシーのない聞き方だったと少しだけ申し訳なく思った。
「明日病院行こうね。」
「ああ」
「あと、気持ち悪くなったら洗面器使っていいんだからね。嫌なのはわかるけど。」
「………ああ」
部屋に戻ってふと思う。枕元の、洗面器と、体温計と、水。なんか、こういう物が置かれてあるの見ると、俺って具合悪いんだなあって、改めて実感しちゃうんだよね。

寝る前にもう一度、と体温を測ってみれば、38.2℃。まだ高いけれど、上がってはいない。お腹だけでも十分辛いのだ。熱はこのまま下がってくれるといいな。一口水を飲んで横になったのを見て、「何かあったらすぐ言ってね。」そう言って俺も眠りについた。スマホを見ている東さんと目が合えば、「ボクももう少ししたら寝るよ。おやすみ。」と微笑まれた。

 

───じわじわと、胸の方へ、喉の方へと何かが上ってくるのを感じる。唾を飲んでみても変わらない。身体の向きを変えてみても逃げられはしない。俺が今見ている景色は本物なのか、それとも夢なのか。寝ているのか、起きているのか、自分の意識の在り処を見つけられない。もう限界が近いのはわかっている。早く、起き上がらなければ。

言うことを聞かない身体を無理矢理起き上がらせたのは、強烈な吐き気の波だった。咄嗟に枕元のプラスチックを掴む。
「っ!…おえぇ、げほっ、ゔぇ…」
思っていたよりも勢いよく溢れた吐瀉物が、俺の上半身を、そして布団を汚した。洗面器で受け止められたのは、ほんの僅かだった。
目の前の惨状に、思考回路が停止した。
「丞?大丈夫?」
「あずま、さ、」
「吐いちゃった?……おっと、早く着替えたいよね。もう吐き気は治まってる?」
「すいませ、ちょっと、だけ」
「我慢しないで。吐けるだけ吐いちゃいな。」
東さんの手が、優しく背中に添えられる。まだ残っていたらしい若干の固形物と胃液を吐き出すと、気持ち悪さは落ち着いた。


「も、大丈夫です」
「よかった。…よし、口ゆすいで。」
洗面器に水が吐き出されるのを待って、ボクは洗面器を置いた。丞の胸元から腹部にかけて、そして布団の端をタオルで拭っていく。手や顎は、拭くだけでは気持ち悪いままだろう。いつの間にか起きていた紬が持ってきてくれた替えのTシャツに着替えさせ、トイレの前の手洗い場に促した。彼が手や顔を洗っているであろう間に、布団を取り替える。あとは洗面器をきれいにするのと、汚れた部屋着を洗うのと。紬もボクもずっとマスクはしているし、処理の時は手袋もしていたけれど。感染ってしまってもそれはもう仕方ない。


ジャー、と、水の流れる音が扉越しに聞こえる。今度はまた、下にきてしまっていたのだろうか。

もうそろそろで夜が明ける。朝まで彼がぐっすり眠れますように。普段の元気な姿に早く戻りますように。いつもより少し素直で幼く見える彼も可愛いのだけれど。早く元気になってほしいと、紬と二人、顔を見合わせた。
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