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丞体調不良まとめ

今週は忙しかった。重要な会議があったのに加え、新しいシステムの導入。データの移行がどうとか、フォルダが見つからないだとか、社員はみな慌ただしくしていた。機械に弱い上司たちはアナログからデジタルへの移行になかなかついていけず、比較的パソコンに慣れている若手たちは引っ張りだこ。文系学部出身者の中ではかなり機械に強いほうである高遠はなおのことだった。

金曜日。全て終われば週末はゆっくり休める。皆がその一心で業務に向かっていた日。珍しく、高遠がミスをした。そこまで大きなミスでもなく、日頃滅多にミスを犯さない高遠なだけあって、特に上司に怒られるわけでもなかったのだが。一通り対処を終えて隣のデスクに座った高遠は、酷く疲れて見えた。少し潤んで充血した目は、画面を見つめながら瞬きを繰り返している。

「おい、高遠」
「はい」
「それ、やらせてくれないか」
「大丈夫です、自分で」
「体調がよくないだろう」
「いや、そんなに」
「辛そうだ。無理はするな。」

勘は当たったようだった。自分は他人の様子や気持ちに敏感な方ではない、というよりむしろ疎いほうなのだとは思うが、高遠に対しては違った。恋人、というのはこういうものなのだろうか。

「すみません、」
「気にしなくていい。早く帰ろう。」
「ありがとうございます。」

小声のやりとり。この関係は公にはしていない。互いにあまり個人的なことを表に出すことは好まないため、普段はあくまで社員同士、先輩後輩という関係を保って周りの社員と平等に扱っているのだが。今日は、なんだかそうもいかなかった。隣で辛そうにしている恋人に湧いてしまった情。周りが気づいてしまう前に。小さな欲だった。

定時を少し過ぎ、やっと仕事は片付いた。
「帰るか」
荷物をまとめて立ち上がり、高遠の肩に手を置けば、じわりと熱が伝わってきた。
38.1℃、いや、38.0℃……いや、まあいいか。そんなことより、タクシーでも呼んでやらなければ。

伏せていた頭を上げ、ガサガサと机を片付け始める。覚束ない手付きで普段よりも汚く纏められていく書類が痛々しい。

「すみません、高遠は連れて帰ります。」
「えっ」

これだけ具合が悪そうなのだ。このくらい言っても不思議ではないだろう。周りの社員たちもさすがに高遠の体調には気づいていたようで、
「キツそうだもんなぁ」
「頼んだぞ」
「たすく〜お大事にな!」
「高遠おつかれ!」
温かく送り出してくれた。

呼んでおいたタクシーに乗り込んで俺の部屋へ。夕方過ぎから赤くなり始めた頬は、今ではすっかり上気している。

「……ガイさん、すみません」
「いいんだ。着くまで寝ていたほうがいい。疲れただろう。」
「はい、」

「そのマンションの前にお願いします。」
タクシーを家の目の前に止めてもらい、料金を払って高遠を下ろす。疲れきっているのに加え寝ぼけているようで、肩を組んで歩くのがやっとだった。

「……失礼します」
こんな状況でも、玄関を上がってそう呟く高遠はやはり律儀だ。

寝室のドアを開け、暖房をつける。
「ちょっとトイレ、借ります」
その声に振り返ると、よたよたとトイレに入っていく背中が見えた。酔ってしまっただろうか。駆けつけようかとも思ったが、本人のプライドの問題もある。しばらくは様子を見ようと、部屋着や水など、必要そうな物の準備を進めた。

一通り用意が終わり、部屋も暖まってきた頃。苦しそうな声と小さな咳が聞こえてトイレに向かう。

「酔ったか」
「…すみませ、っ、けほ」
「開けられるか?」

カチャリ、思ったよりも早く鍵が開いた。
床にぺたりと座り便座に手をついているが水面はまっさらで、吐けてはいないようだ。少し強めに背中をさする。何度か背中をびくつかせてから、少量を吐き出した。最近あまり満足に食事を取ってもいないのだろう。それ以上出てくることはなかった。

特にトイレは汚れることもなく、レバーを引けばすっかり綺麗になってくれた。

洗面所で口をゆすがせて、寝室に行く。やっとベッドに辿り着いた安心感からなのか、俺に凭れて座り、つらい、小さな弱音を吐いた。38.6℃…大人になってこの熱はなかなかに辛いだろう。ネクタイを外そうとしている右手は、胸元で止まったまま。放っておくわけにもいかず手伝って、なんとか着替えさせてベッドに寝かせた。横に腰掛け、そっと頭を撫でてやれば、ほろり。紫色の瞳から雫が頬を伝った。

「っ…すみません」
「辛いだろう」
「いや、わからないんですけど、っ…」
「きっと疲れが溜まっている。よく頑張っていたからな。」
「……っ」

こうして高遠が泣くのを見たのは初めてだった。体力も精神力も同世代の他の人に比べれば十分あるほうだろう。しかしそれでも、日常的な疲労やストレス、プレッシャーというのは徐々に心身を蝕むものだ。…俺は未だに感じたことがないが。頑丈である一方、どこか危なっかしい彼がやっと見せた弱った部分を、この上なく愛しく思ってしまった。

指で目の周りを拭ってやると、また次の雫が指を濡らす。本人はもうこの涙になんの抵抗もできないようだった。

声を上げることもなく大人しくしゃくり上げる高遠の寝息が聞こえるまで。
熱を持って汗ばんだ頭を、優しく撫で続けた。
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