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あんスタ(HiMERU)

「お~い、メルメル大丈夫かァ?」
天城が顔を覗き込んで声を掛ければ、ええ、と短くぼんやりとした声が返ってくる。収録を終えて楽屋に戻ると、ぷつりと糸が切れたかのようにHiMERUはソファに体重を預けた。
「HiMERUはん最近忙しそうやったもんなあ。」
「今日はこれで終わり、ンで明日はオフだっけ?」
「……はい。」
「じゃ、ゆっくり休めンのな。よかったよかった。」

そんな会話を終えて、HiMERUは先に帰っていった。残された3人は顔を見合わせる。

「HiMERUくんがあんな感じなの初めてじゃないっすか? 」
「せやなぁ。どんなに疲れてても意地でも顔には出さなそうなもんやけど。」
「たしかに一人の仕事もいろいろしてたし、さすがのHiMERUさんも限界だったかァ?」
「──もしかして、体調悪いとか…!?」
「なんやニキはん、ハッとしたような顔して。」
「いや、そういえばさっき、HiMERUくんにお弁当の残りもらったんすけど…それがけっこうな量残ってたんすよね……。僕ってばその時はご飯もらえるのが嬉しくて全く気づかなかったんすけど〜!!」
「まあニキなんてそんなもんっしょ。」
「ニキはんらしゅうて逆に安心やわ。」
「うっ……。」
「でもニキは安心だとして、メルメルのほうはちょっとねェ。」
「大丈夫やろか……。」
「あの感じじゃまだそう遠くには行ってないっしょ。……ニキ。」
「はい!?」
「ゴー」
「はい!!」

ほぼ脊髄反射で走り出したニキの脳裏を今日の色々なシーンが通り過ぎていく。まるで走馬灯のように。いや、僕は死なないんすけど。
弁当を渡してきた彼の少し辛そうな表情。受け取った箱のずっしりとした重み。そういえばあの後すぐに彼は廊下に消えていったっけ。収録中はなんともなかったけど──いや、企画で手を繋いだ時、「意外と手あったかい」なんて思っていたけどそれも、もしかして。

捕まえたところでそのあとどうするかなどということは全く考えていなかった。追っていた背中が思ったよりも早く近づいてきているのを見つけてから「どうしよう」なんて思い始めたがもう遅い。気づけばすぐそばにあった華奢な手首をきゅっと掴んでいた。

「HiMERUくん!」
あまり大きな声では人の視線を集めてしまうから。彼にだけ聞こえるようにと落とした声は、上がった息と重なってだいぶ掠れてしまった。びくっと肩が跳ねたあと、ぴたと足の動きが止まってHiMERUが振り返る。
「椎名……?」
「HiMERUくん、体調悪いっすよね?僕ほっとけなくて……えーと、だから、その……あ、僕んちここから近いっすから。ゆっくり休もう?」
「──いえ、少々疲れただけですから。お気遣いありがとうございます。」
それだけ言って、踵を返そうとする彼をニキは許しはしなかった。
「ちょっと、HiMERUくん!」

疲れただけ?そんなわけない。だって、まだこんなところを歩いてたんだ。疲れたからといって外をダラダラ歩くような彼じゃない。なんなら少し歩みが遅くたって、持ち前の足の長さでそれなりに進めていまうはずなのだ。それに、なんて言ったって。

「そんな、泣きそうな顔してるHiMERUくん、ほっとけるわけないっす。」

いつも凛々しく、精悍にこちらを見つめる蜂蜜色がこんなにとろりと。ほんもののハチミツみたいにとろけてしまいそうなくらい。辛いのを我慢してなのか、しつこいニキに苛立ってなのか、くっと睨むような目つきも、今はその潤みを強くしているだけ。大人びて見える彼がこんなにも弱々しく、幼く見えたのは初めてだと、ニキは彼の手を掴む力を少しだけ強めた。

「この状態で電車乗ってほしくないっす!もし、倒れちゃったりなんかしたら…」
「倒れません」
「そうとは言い切れないっすから!もしもの時に騒ぎになっちゃったら、HiMERUくんも嫌でしょ?もう、命令っす!僕んち来てください!」

逃げようとするHiMERUの瞳をニキがしっかりと見つめれば、もう降参だというように──あるいはもう限界だと言うように彼はゆっくり頷いた。


電車に乗らなければ帰ることのできないHiMERUのアパートとは違い、ニキの部屋はここから徒歩で帰れる距離だ。今来た道を少し戻って、大きな通りをまっすぐ進んで、普段であれば10分と少しくらいの道のりなのだけれど。隣を並んで歩いてみればHiMERUの足取りの重さは想像以上で、この状態で歩かせては酷だと、彼が首を振るのには構わずにタクシーに乗り込んだ。「短い距離で申し訳ないんすけど」、そう運転手にことわれば、「お大事になさってください」と優しい一言。

──ほらねHiMERUくん、運転手さんにまで言われちゃってるっすよ。
なんて言おうかと思った口は、慌てて押さえた。乗り込んですぐなのに、もう寝ているようだったから。
平日の昼過ぎの道は空いていて、アパートの前にすんなり到着。目を閉じてはいたものの深く眠っていたわけではなかったHiMERUは、運転手とニキの会話を聞いてか、車が止まったのを感じてか、声をかけずとも自分で起きて車をゆっくりと降りた。
足取りは先程と変わらなかったが表情はどことなくぼんやりとしており、マスクから覗く肌も火照っているように見える。

「HiMERUくん、どうぞ。中入って。」
「すみません……失礼します。」
こんな時でもしゃがんできちんと靴を揃えようとするHiMERUを制してニキがくるりと靴の向きを変えた。
「さ、気遣いは御無用っすから。」
手洗いうがい、そして適当な部屋着を渡してニキは寝室に走る。久々の、来客用の布団の出番……と思ったけれど、高級なわけでもなんでもないそれは、床の硬さが伝わりやすくてあまり体に優しくない。自分のものを使ってもらえばいいかと、今朝軽く畳んだだけだった布団を整えた。

HiMERUは、ニキに言われたとおり、大人しくソファに腰掛けていた。きっと体は辛いだろうに、寝転がりもせずしゃんと座っているのが彼らしいと思う一方、それでも普段よりは元気のない背中がその辛さを物語っている。
「HiMERUくん、おまたせ。こっち、来れそうっすか?」
「ええ……。」
ソファから立ち上がり、寝室を見た彼は何か物言いたげにじっと布団を見つめていた。
「えっと……ベッドじゃなくて布団だし……ちょっと寝づらい……すかね?」
──HiMERUくんがいつも寝ているのはもっとふかふかの布団、いやきっとかっこいいベッドだろうから(まあ知らないっすけど)
などとニキが恥ずかしくなっているのをよそに、HiMERUは思わぬ言葉を口にした。
「椎名は…?」
「へ?」
「これは貴方の布団なのでしょう?」
「あ、ああ!それは気にしなくていいんすよ!もう一つ布団あるし、こっちのほうがまだ寝心地いいんすから!!HiMERUくんはゆっくり寝ることだけ考えてれば大丈夫なんすよ。」
「ありがとう…ございます…。」
「さあ、寝ちゃっていいっすから。」
肩をとんとん、と叩いて彼を布団の方へ促す。遠慮している様子ではあったものの、きっと本心は横になれる時間を欲していたのだろう。布団にすっぽりとくるまると、HiMERUは安心したように息をついた。

「おでこにタオルとか、いります?」
「いえ……大丈夫です。」
「そっか。あ、寒かったりします?」
「少し、だけ。」
「そしたらこの毛布、中に入れたらあったかいっすかね!」
「ありがとう…ございます。」
どっと疲れが押し寄せたのか、随分とHiMERUの口調は蕩けてしまっている。早く、寝かせてあげなくちゃ。そう思ったニキの動きは彼自身も内心驚くほどテキパキとしていた。

弱めに暖房を入れて、乾燥は良くないからと加湿器も入れて。ニキが動いているのをぼんやりと見ていたHiMERUだったが、ぱち、と部屋の電気が落とされる頃にはほとんどその瞼が落ちきっていた。

リビングに戻ったニキは、そういえばしばらく見ていなかったスマートフォンに手を伸ばす。未読マークの増えたトークは、こはくと燐音からのものだった。たしかあの後二人はそれぞれ仕事があると言っていたが、二人して同じようにHiMERUを心配する内容を送ってきている。Crazy:Bの面々はドライなように見えて、なんだかんだ面倒見がいい人たちなのだと改めて思うのだった。

熱は?と聞かれたけれど答えられなかった。それはなぜならもちろん、測るのをすっかり忘れていたから。知ったところで楽になるものでもないし、どちらかといえば辛くなってしまうものだ。あとで測ればいいっすよねと、ニキは一人で頷いた。



キッチンには一通りの物を作れるくらいの食材がある。HiMERUが目を覚まし時に何か軽く作ってあげることは容易であるものの、それを胃に入れたところで飲める薬がこの部屋にはなかった。使いかけの風邪薬は相当前の物である上、冷えピタの類も残っていない。ニキは彼が眠れているのを確認してから財布を掴み、そっと部屋を出た。



「HiMERUくん、入るっすよ。」
ビニール袋をぶら下げてドアを開けると、じっとりとした空気が肌を撫でた。彼は壁の方を向いていてその顔色はこちらから見えないけれど、きっとさっきよりも熱が上がってきているのだろうということは予想できる。できるだけ足音を立てないように気をつけながらニキは近づいていった。失礼しまあすと一応小声で断ってから、首筋にそっと触れてみる。
「あ〜……あっついな。」
「……ん、しいな?」
「冷えピタ買ってきたんすけど、貼ります?」
「ありがとうございます」
「はーい、じゃあちょっと我慢してくださいね〜。はい、オッケー。そしたらまた寝てていいっすよ、軽く何か食べてお薬飲んじゃいましょ。」
「あまり…食べたくない、ですけど」
「ん〜でも胃が荒れちゃうっすよ?ほんの一口だけでいいから。食べやすいの作ってくるっすから。」

やさしい味付けにしたスープをマグカップにひとすくい。野菜の甘みと鶏肉の旨み、そしてほんのり香る生姜できっとからだはあたたまるだろう。すりおろしたりんごと一緒にお盆にのせて。再びニキはHiMERUのもとへ足を進めた。

「ちょっと身体起こせそう?」
眠ってはいなかったらしく、今度はこちらを向いてぼんやりとしていたHiMERUに声をかければ、普段の彼からはかけはなれた緩慢な動きで、自身にのしかかる重力に抗うかのような様子で起き上がった。

「ありがと…ございます。」
「なはは、どういたしまして。そんなに熱くはないと思うんすけど、飲めそうっすかね?」
差し出された手にマグカップを握らせてあげると、すん、と少し香りを確かめてから、ゆっくりと口をつけた。火を早めに止めておいたせいか、飲みやすい温度にはなっていたようだ。喉が小さく上下してほっと一息、おいしい、という呟きが聞こえて椎名はにまっと口角を上げた。
「よかった〜。無理はしなくていいっすから。擦ったりんごもあるんで、食べられそうならこれもどうぞ〜。」
両手でマグカップを包み込んで、ゆっくりとそれを飲む姿はまるで幼子のようにかわいらしく、ああ、HiMERUくんもそういえば僕より年下なんだっけ、などとニキは改めて思うのだった。年下と言っても、彼を幼子と言えるほどの違いはないのだけれど。

完食とまではいかなかったが、すりりんごも少し食べてすっかり満足したようだった。薬を飲んだ彼の頭を思わず撫でたニキの手も拒まれることはないまま、また眠そうな顔に戻っていく。
「あ、ちょっと待って、熱測れって燐音くんたちに言われてるんだった。」
「天城…?」
「そうそう。HiMERUくんのこと追っかけろって言ったのも燐音くんだし、こはくちゃんも心配そうだったし。みんな、HiMERUくんが元気になるの待ってるんすよ。」
「それは……すみません、迷惑を。」
「あ〜!悲しい顔しないで!?僕のメンツを保つためにも?HiMERUくんはゆっくり休んでくれればいいってことっすから。」
「はい…。ありがとうございます。」

熱は38.3℃。薬も飲んだしここから落ち着いていけばいいっすけど、などと思いながら、ニキは寝室を後にした。

自分用に残しておいたスープにもう一度火をかけて、プラスでおかずも用意して、待望のごはんの時間。先程ちょこちょこ味見をしていたおかげで限界には達していなかったが、あともう少しで危なかった。スープに合わせて作ったおかげで比較的ヘルシーになったメニューを、いつも通りの量たいらげた。天城たちにも連絡を済ませて、食器も洗い終わって、他にすることもなくなった頃。

荒い息と、不規則な呼吸。
「HiMERUくん!?」
扉を開ければ、むわっとした空気のあとを追うようにあの臭気が鼻を刺す。布団の脇に座り込んだ彼の前には、どろどろとしたものが広がっていた。
「すみませ、っ、しいな、っゔ」
消え入りそうな声は引き攣って、いつものように響かない。HiMERUの横にしゃがんで背中をゆっくりとさすってやれば、彼の肩を固くしていた力がふっと緩んだ。
「HiMERUくん、大丈夫っすから。吐けそうなら吐いちゃって?」
「ごめ…なさ…っ、しいなが…スープ」
「そんなの気にしなくていいんすよ。HiMERUくん、やっぱり優しいっすねぇ。僕も見習わないといけないんすけど…いっつも食べ物のことばっかり考えちゃって……なははっ」

最後に少量を吐き出して、吐き気は落ち着いたようだった。
「ごめんなさい僕、やっぱり気が回ってなくて、袋とかそういうの用意してなかったっすね。」
「いえ俺も……早くあなたに声をかけていれば。」
「けどHiMERUくん、もしかして…布団汚さないようにここで?」
「そのくらいはなんとか考える余裕がありました。」
「さすがっすね……」

HiMERUを洗面所に送り出して、ニキはてきはぱきと床を片付ける。何度か水拭きもして、乾拭きもして、アルコールで消毒もして。足できゅっきゅと床を撫でて確かめた頃、ちょうどHiMERUもトイレに寄るなどして帰ってきたところだった。

「HiMERUくん、もう大丈夫そうっすか?」
「ええ、失礼しました。吐いたらなんだかお腹が空いちゃいましたけど。」
「うーん、僕だったら気にせず食べちゃうけど一応やめといたほうがいいんすかね?」
「まあ、そうでしょうね。」
「なはは、そしたら、一回寝て起きた頃に何か食べれるように作っとくっすから。何かリクエストあります?ゼリーとかもできるっすけど。」
「では……さっきのようなスープをもう一度お願いできたらと。」
「かしこまりました!美味しかったっすか?よかった〜!」
「椎名の料理はなんでも美味しいですよ。」
「そう言ってもらえると料理人冥利に尽きるっすね…じゃ、楽しみにして寝てください!」
「はい。」
先程の疲れ切った顔はすっかり晴れて、額にシートを貼ったHiMERUはやはり幼子のようにふわふわと微笑んでいる。声は少し掠れているけれど、言葉もいつもより素直で、すっかり機嫌がよくなっているらしい。
「随分元気になったみたいで、安心したっす。」
「椎名のおかげです。」
「なはは、お世辞は結構っすよ?さあさあ、布団戻りましょ…」
と、HiMERUの手首を掴んだところで椎名は目を丸くした。
「ちょっ、熱上がってるじゃないっすか〜!」
そんな叫びさえも嬉しそうに聞いているHiMERUをさっさと布団に押し込めば、どうしたんですか椎名、と言いたげに見つめられた。
「HiMERUくん、熱出るとふわふわしちゃうタイプなんすね……なんかこれはこれでかわいいかもしんないすけど……いや、でもなんか変だからやっぱり早く寝て治して!!」
あわあわとしだしたニキを見てHiMERUはくつくつと笑いながら、ふにゃりと力の抜けた顔で目を閉じた。手がかからなそうでいて、HiMERUの面倒を見るのは実は大変なのかもしれないと思いながら。すやすやと穏やかな寝息が聞こえてきたのを確認して、ニキは部屋を出た。彼の頭の中はもう、何を作ってあげようかというそれだけでいっぱいだ。
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