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あんスタ(HiMERU)

深夜2時過ぎ。
ベッドの上の二人は体を起こしている。そのうちひとりは相手の胸に顔をうずめ、もうひとりはその熱をもった身体を優しく抱いている。そのシルエットが、常夜灯が照らす部屋に不自然に浮かんでいた。
「――なァ、たぶん治ンねェよ?このままこうしてても。」
「…いい。」
「まァ気持ちはわかンだけど…。」
かれこれ30分この状態なのである。熱っぽさに苦しみながらもどうにか寝付くことができたHiMERUの隣で眠りにつけば、そう長い時間も経たぬうちに彼がもぞもぞと動き出して。上がった体温を感じながらその理由を問うたところ、吐き気を訴えたのだった。身体を起こしてもたれかかるような姿勢を取らせれば少しは楽になったようだが、そんなのは気分の問題。吐きたくはないらしく、ただずっと唾を飲み続けている。

原因は疲れ、といったところだろうか。収録終わり、元々多いわけではない口数はさらに少なく、天城からの質問に短い言葉でしか答えなかった。なにか怒らせてしまったのだと思い込んだ彼が「オーイどうしちゃったよ」と軽く肩を抱いた時。じっとりと高い体温に気づいたのだった。タクシーに揺られる間にもその熱は上がっていき、たどり着いた家でソファーに座り体温計を挟んだHiMERUの顔と言ったらそれはもう、アイドルとしては許されないような険しさであった。38.3℃。その表示をきつく睨んでいたため、とっとと体温計は没収。とにかく機嫌が悪いらしい。おそらくその理由は自分の体調管理の甘さだとか、そういった方向に向いているのだろうけれど。慰めようとしてみても受け入れる気はないらしく、まったく頑固な恋人だと天城は眉を下げたのだった。

しかし。
――さすがに強情すぎやしないか。
一向にトイレに行こうとしない彼に、段々と天城は疲れてきていた。吐き気が治まるのと大きな波が来るのとでは、絶対に後者の方が近いという自覚はあるだろうに。これ以上弱いところは見せたくないというHiMERUのプライドの高さが恋人にとっては煩わしいのは事実。Tシャツの背中を握る力は強まってきている上、唾を飲む回数だってさっきより増えているではないか。
ひとつため息をついて、天城は彼の身体をそっと剥がす。行き場なく何かを探す指をつかまえて、瞳を見つめた。
「はい、もう無理っしょ。おいで。」
目を逸らし首を振るHiMERUに構わず少し強めに手を引けば、観念したのかゆっくりとベッドを降りてきた。手荒だったかもしれないが、少なくともベッドの上で袋に吐かせるよりは彼にとって格段にマシだろう。ふらふらと歩く肩を支え、扉に近づくにつれ速度を落としていく彼を前へ促す。

おそるおそる、といった様子で便座の前にしゃがんだHiMERUの背中に手を当てて、ゆっくりと上下にさすってやる。う、う、と苦しそうに声を漏らしながらも吐けそうにない。
「はい、おっきく口開けてみな。」
「…っ、は、う」
「もうちょいガマン。もっかいやってみ。」
「…は、んっ…ぅ、ぇ、りんね、」
「だいじょぶだいじょぶ。できてっから。」
「ん、おえ……っ、うぇ」
「そうそう上手、頑張れ頑張れ。」
指の色が変わるほど便座を強く掴みながら、無理して詰め込んだらしい昼飯と思しきものを少しずつ吐き出している。しっかり見るようなことはしなかったものの、音から感じられる質量は天城まで吐き気を催しそうになるほど。こんなものを腹に抱えてよく今まで耐えたものだと、彼の我慢強さに驚くと同時に少し呆れてしまう。ペットボトルの水とタオルを取りに行った天城が戻れば、つんとした臭いにあてられてか今度は空嘔きを繰り返していた。背中をぽんぽんと叩いて、フタを開けたペットボトルを渡してやれば、あまり抵抗を示すことなくひと口それを含んだ。それも、すぐに吐き出してしまったけれど。残っていた物は吐ききれたのだろうか、乱れていた呼吸も落ち着いてきている。
「もうだいじょぶそ?」
「……たぶん、」
「そしたら口ゆすぎな。そンで、ベッド戻ってていいから。」
「……ここは」
「大して汚れてねェし俺っちがやっとく。疲れたっしょ。早く戻ンな。」
渡したタオルを握りしめたまま、彼は動こうとしなかった。ちらりと便器の中に目を向けるものだから、天城はすっと蓋を下ろす。
「そんな叱られたワンちゃんみたいなカオしねェの。」
「…してない」
「俺っち怒ってねェし。迷惑とかも思ってねェし。体調悪ィんだから余計なこと考えないで寝な。」
「……すみません。」
「だーかーら。謝ンなって。」
吐き疲れたせいか先程よりもとろりと眠そうな目。こんな状態でも病人にはなりきれていないのだから驚きだ。
――もっと甘えりゃいいのに。
しゅんとしおれた頭を撫でれば、やっと彼は立ち上がって寝室の方へと去っていった。

再び蓋を上げて、特に汚れはなさそうに見える便座も一応拭いて。流れる水がそれを吸い込むのを見守る。最後にもう一度彼が今のを見ていたらまたきっと吐きそうになったことだろう。見せなかったのは正解だ。

片付けを終えて手を洗い、天城もまたベッドへ戻る。HiMERUに遅れることたった5分ちょっとだと思うが、もう彼はぐっすり眠っているようだった。額に触れれば、寝る前より上がった熱がじっとりと伝わってくる。一度寝室を出て冷蔵庫に向かい、冷却シートを一枚。ちょっと失礼しますよ、そうつぶやきながら貼ってやれば、うっすらと目が開いて、そしてまたすぐ眠りに落ちてしまった。普段の大人らしい表情に比べてもともとあどけない寝顔は、シートのせいでさらに幼く見えている。小さい弟を見るような懐かしい気持ちを抱かずにはいられないのだった。

次に天城が目を覚ましたのは、ごそごそとまた布が擦れる音を聞いた時だった。外がまだ暗いあたり、せいぜい2時間ほどしか経っていない。いつの間にかベッドを抜け出していたらしいHiMERUが戻ってきたところであった。
「また気持ち悪くなっちまったか。」
「…はい。」
「ンで、吐けた?」
「少し。」
「そっか。でもすっきりはしてねェか。」
「……うん。」
まだ少し気持ち悪さは残るものの、それ以上は吐くこともできずに帰ってきたようだった。先程よりも少し距離を詰めてきた彼の手を握ってやると、体がこちらを向いて、こつんと頭が肩に当てられる。やっと、甘える気になってくれたらしい。Tシャツと冷却シートを超えて伝わってくる体温が彼の辛さを物語っていて、天城は熱い手をしっかりと握り直した。
「寝れそ?」
「……寝たい、ですけど。」
「ン〜、辛ェよなァ。」
HiMERUの声を聞いて、天城は思わず体を彼に向けた。そして背中に手を回し、そっと抱きしめる。こんなに脆そうな、今にも泣きそうな声を聞いたのは初めてであったから。あやすように背中を撫でているうち、繋いでいた腕をぐっと包まれた。抱きしめるように力が込められる。
「……りんね。」
「どした?」
名前を呼んだだけ。何を言いたいわけでもないのだと、胸に押し付けられた頭がゆらゆらと振られる。普段ここまでべったりなことはない彼がこうして甘えてくれていることが嬉しい一方、その体調の悪さを思えば喜べることではない。見えない顔はきっと泣きそうに歪んでいるのだろうと想像して、背中をゆっくり撫で続けた。

しばらくすると。ず、と鼻をすするのが聞こえた。とうとう限界が来てしまったらしい。呼吸のペースが乱れることのないように、天城は背中をとんとんと叩きはじめた。
「息ゆっくり、な。」
「……っ、ふ」
「そうそう。」
治まらない吐き気、そして眠れないという焦燥感、全身に回った熱。その全てが彼の心をぐちゃぐちゃにしてしまっているのだろう。生憎この症状をどうにかできる薬は家にないし、治せるような魔法も使えない。できることといえば、月次な言葉をかけて自分の体温に触れさせてやることくらいなものだからもどかしい。 
「どーする、メルメル。一回体起こすか?」
「……ん、ごめっなさい」
「謝ンなくていーって。よし、起きンぞ。」
支えてやりながら数時間前のような姿勢に戻る。しきりに胸のあたりをさすったり、服を掴んだりと落ち着きがない様子を見る限り、また吐きそうなのかもしれない。しかし、トイレに行くかと聞いてみれば小さく首が振られた。
涙を拭っても拭っても、また次が溢れ落ちる。なんとか保っていた呼吸もついにひくひくと乱れ始めている。そのたびに喉が詰まるのを聞く限り、きっと近いうちにまた波が来る。吐くものがまだあるのかはわからないけれど。天城は優しく問いかけた。
「トイレ行ってみねェ?」
「……いい」
「吐けなかったらそれでいいから。」
「……いかない」
「んーでも、そろそろきついっしょ?」
「……っ、きたく、ない、っ、やだ」
首を振りながら嫌だ嫌だとごねる彼だが、時折口を押さえるようになっているではないか。吐き気が強くなっているのを自覚しつつも、もう吐くのはうんざりなのだろう。気持ちはわかるけれど、ここで決壊を待つのもどうかと思うし。
「どっちかっしょ。行かないなら袋。」
「……はか、ない。」
「いやいやたぶん無理だって。」
「や……っ、」
ぐ、と喉が詰まる音。おっとこれは思ったよりも早かった。目からぼろぼろと涙を落としながら、必死に口を手で覆っている。
「歩け…ねェよなァ。」
こうなったら一択しかない。ベッドサイドに畳んであったビニール袋を広げ、HiMERUの顔の下に構えてやる。それをちらりと見てから今度は天城のほうを見て。手をすぐには離さないあたり、今なお難色を示している。
「どっちみち吐くっしょ。もうガマンすんなって。」
少しきつい言い方になったかと思ったが、この言葉のおかげかやっと袋が彼の手に渡った。
「……っぐ、え……けほっ」
ひとたび口を開ければぱたぱたと液体が中に落ちる。さすがにもう量はないようだが、ひっくひっくと腹が何かを押し上げようとするのに抗うこともできず苦しそうにえずき続けている。
「ぉえ……っ、も、やだ、はぁ、」
「よし一回水飲も。あとちょっとっしょ。頑張れ。な?」
「ん」
渡したペットボトルから、ごくりと水が飲み込まれたのを見守る。荒れた喉を通ったそれがまた何かを刺激したらしく、一度閉じかけた袋をまた開いて彼は胃液のようなものを吐いたけれど。それを最後に波は引いたようだった。

「おつかれさん。」
「歯、磨きたい」
「ん、行ってきな。」
ふらふらとしながらも、洗面所に向かっていく背中を見送る。だいぶ楽になったらしい。袋の口を縛って、天城もベッドを降りる。もう一重ビニールをかけて、明日出す予定でゴミ箱から外してあった90lの袋に突っ込んだ。手を洗おうと洗面所に入れば、うがいを繰り返す彼の姿。納得いくまでゆすいで寝室に戻るかと思いきや、天城が手を洗うのをじっと見つめて待っていた。手を拭きながら、目を合わせて首を傾げる。しかし彼は何も応えなかった。ひとしきり泣いた蜂蜜色の瞳はまだとろりと厚い膜に覆われているようで、泣きました感満載。今日がオフで本当によかったと思う。この泣き腫らした顔では絶対に外に出たがらないだろうから。…いや、仕事がないからこそ溜まっていた疲れが一気に出たのかもしれない。顔色の悪さはあまりないものの、熱でしっかりと赤く染まった頬もいたたまれない。天城は思わず勿忘草色の頭を撫でていた。
「…燐音。………汚いの、すみませんでした」
黙ってされるがままに撫でられていたHiMERUが口を開いた。
「気にすンなって。楽になったなら何よりっしょ。さ、今日はゆっくりおねんねしましょうね。」
「……子ども扱いすんな」
「こら、お口が悪いですよ。」
真っ赤なほっぺ、シートの貼られたおでこ、拗ねた顔。子ども以外の何者でもないだろうと笑いそうになったけれど。彼が自分より年下であることを改めて実感する。

すっかり甘えたスイッチの入ったらしいHiMERUを抱きしめながら目を閉じれば、心配した椎名や桜河からの電話が繰り返される昼まで二人の眠りは途切れなかった。
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