決め手は技術とお人柄
《設定》
名前:露(ろう)
性別:男
能力:どこにでも行ける魔法使い
・料理人(お菓子作りが得意)
※それほど夢主が出てこない。
お茶の時間にしよう、という提案が、稀にある。いや、思ったよりよくある。一大組織の頭、しかも隠すつもりのない威圧感を纏う男からの提案としては割と異様かもしれない。見掛けで人を判断してはいけない、とはよく言ったものである。
これは少し昔の話。
テーブルに品の良い白磁の器が並べられていく。適温で淹れられた、知る人ぞ知る銘柄の紅茶が香り立つ。後は空いた皿に置かれるべき甘味さえ揃えば完璧といったところ。
煙が何やら電話を片手に話しているのを、心は何の気なしに聞いていた。どうやら今まさに手配をかけているらしい。チョコレートケーキ、といった単語を耳にした心は、今日はケーキかァ……などとぼんやり思いながら、気を回して口を開いた。
「煙サン、オレ車出そうか?」
ところが思いもよらない返答が飛んでくる。
「まあ焦るな、少し待て。」
そう言いながらどっかと椅子に腰を下ろした煙を、心は多少訝しげに見つめた。わざわざ電話をしていたということは、屋敷の専属料理人に頼む、という可能性は低い。とすれば街のどこかにある店にでもかけていたのだろうが、それならば自分が引き取りに行くという申し出を断る理由が無いはず。かと言って、一般人をこの屋敷に招き入れるという事を煙が好むはずも無いだろう。
(そもそも割と面倒なんだぞ、この屋敷に入るの。)
煙に雇われた当初、屋敷のセキュリティの高さに辟易した記憶が頭をよぎった心は、誰にも分からない程度に苦笑いした。
少しばかり話が逸れたが、兎にも角にも煙が何故自分を含めた他の誰にも引き取りに向かうよう指示しないのかが心には理解できないらしかった。
煙は今日の茶葉の銘柄の素晴らしさについてしばらく語り続けた(心は適当に相槌を打った。能井は恐らく聞いてもいない)後、満足したのか能井に告げた。
「そろそろか。能井、貰ってこい。」
「ったく、テメーで取りに行けば良いダロ!仕方ねェなあ。」
「何だ、だからオレが行くって……つうか、お前運転できねェだろ、オレが────」
文句を言いながら席を立つ能井を引き留めようと同じように立ち上がった心は、能井が勢いよく開けたドアの向こうを見て、思わず固まった。
腕が生えていた。いや、言い方に多大なる語弊がある。何も無いはずの中空に現れた切れ目のような空間から、腕と顔が覗いている。次いで上半身が現れた。
「こんにちは!ご注文頂いたケーキをお持ちしましたよ!」
爽やかな笑顔と共に挨拶を述べた好青年が、よいしょ、と言いながら切れ目に両手をかけて横に押し広げることで、縦に引き裂いていく。一体何を言っているのか、と思われても仕方がないが、目の前で繰り広げられる光景を言葉で表現するとこうなってしまう。と後に心は語ることになる。
それはさておき、とうとう床にまで到達した裂け目より身を乗り出した青年は、屋敷の絨毯を踏んだ。いかにもお菓子を販売する店員、という格好がこの空間と非常に不釣り合いである。なんなら背後の裂け目から甘い香りが漂ってくるのも相まって、心はますます混乱した。
「おう!今日も急に悪かったなァ。」
煙のヤローにはオレから言っとくからよ、と笑う能井に青年は苦笑して、とんでもないです、と言いながら今し方出てきた裂け目に手を入れる。そして中から取り出した真っ白な細長い箱を能井に手渡した。
「やった、チョコレートケーキだ!」
早速箱の中身をちらりと確認した能井が笑顔を深める。
「いつもご贔屓にして下さって、大変ありがたいです。」
能井の様子を嬉しそうに眺めていた青年はそう言った。
一方、能井の背後に佇んでいた心は裂け目の中を覗こうと試みた。目を凝らしてよく見てみると、厨房のような場所が見えたので、何処かの店にでも繋がっているのだろうか、などと考えた。考えてはみたのだが。
「……どうなってんだ?」
普段であれば、この屋敷に部外者が入り込んでいるという事実が判明した時点で、真っ先に臨戦態勢をとれる程度には警戒しているつもりだが、その警戒心が霧散してしまうほど、能井と青年の間で行われているやり取りは手慣れていた。正直、気が抜けた。そして、青年の背後に未だ存在している裂け目に対する疑問やら少しばかりの好奇心やらが、ますます心の隙を生む。とはいえこの油断は特に何も問題を引き起こさなかった。すなわちこの青年は、本当にただケーキを届ける為だけに、危険と隣り合わせの屋敷にやってきたのである。しかもちょっと珍しい魔法を使って。
「先輩!このケーキ、本当にめちゃくちゃ美味ェんですよ!」
心の問いかけを聞いていたのかいないのか、急に能井は青年の持ってきたケーキがいかに美味なのかを説明し始めた。
「分かった、いやまだ食って無ェけど、ちょっと待て能井、オレは今
とうとう警戒心が0と化した心は、青年が作り出した裂け目に近寄りしげしげと観察する。なんなら裂け目に首を突っ込んでみたりなどする。裂け目の向こうは本当に厨房だった。様々な業務用の調理器具が整然と並んでいる。大きな鍋にフライパン、色々なサイズのボウル等々、ありとあらゆる道具が揃えられた厨房が確かにそこにはあった。そして相変わらず漂う甘い香りが鼻腔をくすぐる。先程青年が持ってきて、能井が美味しさを力説したケーキの事を考えると、もしかして洋菓子店の厨房なのだろうか。
「あ、■■■です。宜しくお願いします。」
頭だけでは飽きたらず、身を乗り出して半分ほど厨房に侵入している心に少々謎のタイミングで挨拶をした■■■は、特に心の行動を咎めることも無かった。
「なあ、どこに繋がってんだ、コレ。」
「僕のお店の厨房ですよ。良かったら今度いらしてください。」
人好きのする笑みを浮かべてそう言った■■■は、急に何かを思い出したのかのように表情を変えた。
「あ。いけない、そろそろ戻らないと。」
「……ああ邪魔だな、よけるよ。」
ようやく裂け目から離れた心と、またもやケーキの入った箱の中を眺めるなどしていた能井に会釈をして、向こうの厨房に戻った■■■は裂け目を閉じながら挨拶をした。
「では、失礼します。煙さんにも宜しくお伝えください!」
「またなー!」
少しばかり大げさに手を振って(裂け目の隙間からは見えにくいだろうという能井なりの配慮なのかもしれないが)みせた能井は、やがて裂け目がすっかり消えて何事もなかったかのようにいつもの廊下に戻るのを確認してから心を見てにっこりと笑う。
「さあ、行きましょう先輩!」
心は、驚愕していた。
この世にこれほどまで美味しい食べ物があったのか、と。
……というのは少し大袈裟な表現だが、兎にも角にもそのチョコレートケーキは頬が落ちるほど美味しかった。
「うまい……。」
「でしょう!?いやぁ、■■■のケーキは本当最高だなァ!」
全くもって受け付けない、という訳ではないが、好き好んで甘い物を食べるか、と聞かれればそうでもない心でも、この洋菓子ならいくらでも平らげる事が出来そうだった。表面を覆うチョコレートクリームは甘過ぎず舌触り滑らかで、その下に隠れていたスポンジの軽くふわふわとした食感が心地良い。さらにスポンジの間のクリームに含まれているチョコレートの欠片がふわふわの食感に少しばかりアクセントを加えている。
能井は既にひとつ平らげてしまって、もう一個!と手を伸ばす。あらまあ早い事、と苦笑する心の頭の中に、もうひとつ疑問が湧いてきた。
「煙サンがケーキ食ってる……。」
「■■■のケーキは格別だからな。」
「でも、キノコ以外食わねェんじゃなかったのか?」
煙という男は、魔法であらゆるものを散々キノコにしておきながら、食事すらほとんどキノコ以外口にしないのだった。あれだけ毎日のようにキノコに囲まれて、よくもまあ飽きないというか、嫌にならないものだ、と一周回って心は心の内で関心していた。
「あれぇ、忘れたんですか?あーっ、そうか、あん時先輩風邪引いて寝込んでましたもんね!」
自ら提示した問いかけを見事に一瞬で回収した能井は、ケーキと共にその問いを飲み込んだが、ひとり置いてけぼりにされた(なおかつ若干情けない事実を引っ張り出された)心が黙っているはずもなく。
「いつの話だよ、ソレ。」
僅かに眉根を寄せつつ最後のひとかけらにフォークを刺しながら、先程投げられた問いを掘り返す。自らも口にケーキを納めて、皿の上を綺麗に片付けた後、少し前のめりになり膝に肘をついた。そして組んだ両手に顎を乗せる。恐らく心なりの傾聴の姿勢であった。
「では、俺から話してやろう」
こちらも知らぬ間に皿を空にしていた煙が、脚を組み替えてから、事の成り行きを語り出した。
それは、煙がとある晩餐会に出向いた時の事であった。その晩餐会には本来であれば心も含めて3人で向かう予定だったのだが、先程能井が思い出したとおり、丁度心は風邪をこじらせていたのだ。あの心が風邪か、と煙は思わないでもなかったのだが、まあ休暇だと思え、などとこじつけて能井だけを連れて行ったのだった。
「体調不良を休暇扱いとか、それどうなんだよ煙サン。」
「殺し合いに比べれば部屋で寝込んでいる方がよっぽど休暇らしいだろう。」
そもそも過ぎたことだ、と適当にあしらって、煙は話を続ける。
一大組織のボスともなると、それなりに交友関係も築くことも時には必要だ。とは言え本職が堅気の仕事でない以上、集まってくる中にはあまり真っ当でない仕事をしている者達も一定数はいる。それはあくまで他人の抱える問題であるから、むやみに首を突っ込むような真似はしない。…………自分の『庭』を荒らされなければ、という前提付きだが。さらに煙の中には絶対的掟がある。
『黒い粉』を全面的に否定する事。
何故その掟を守り続ける必要があるのか、その理由を説明するとなると煙の生い立ちから現在までを遡る必要がある為今回は割愛するが、兎にも角にも煙は心の底から黒い粉を忌み嫌っていた。その物質を万人が不要とすればこの世から消滅するはずなのだが、今でもそれがはびこっている現状を踏まえると必然的にその粉を必要としている者もいる訳で。膨大な魔力を持つ煙には無用の長物であるが、生まれ付き魔力の乏しい者達には魔力を(一時的であるにせよ)増幅させるという効力はやはり魅力的というか蠱惑的なのであった。そして、様々な組織の長と呼ばれる者達全員が、煙のように魔力を持て余す者ばかりでは無いのだ。むしろ渇望する者もいる。
話が逸れたが要約すると、今回の晩餐会の参加者に、例の『黒い粉』と関わりのある者がいる。煙にとって、その粉の使用の有無など問題ではない。それを製造するにせよ売買するにせよ、関わりを持っているという事実だけで、自ら出向いて
さて、内心末恐ろしい考えを巡らせる煙を尻目に、能井は会場に用意された料理の数々を制覇するべくせっせと口に料理を運んでいた。勿論仕事中であるから警戒を怠っていない訳ではないが、それはそれとして出された物を頂かないというのは失礼だろう、というのが能井の持論であった。これは自分の体質を利用したいわゆる毒見であり、れっきとした護衛の仕事のひとつである、とは言いながらも、実際どれもこれもなかなかに美味であり、正直仕事は置いておいて単純に手が止まらなかったのである。
そんな中、能井の目にある料理が目に付いた。それは見たところプリンのような形をした物に、生クリームか何かを添えたものだった。しかしながらこのプリン(仮)はどうも通常より色味が白い気がする。牛乳プリンかな、などと思いつつ自分の好奇心に素直に従って迷いなく食す。結果、それはプリンではなくムースだという事が判明した。優しい甘さの余韻を残しつつ、口の中ですぐ溶けて消えたそれはまるで淡雪のよう。ああこれも美味い、とご満悦の能井の目に、そのデザートの簡単な説明書きが映る。その内容に、思わずまじまじと説明が書かれた札を見つめることになった。
「…………デザートなのに。キノコ?」
デザートと、キノコ。煙の周りに居れば飽きるほど身近な存在のキノコと、どれだけあっても損はないデザート。どうしてもその2点が結びつかなかったらしい能井は、取り急ぎそれをもう一つ手に取って煙の元へ舞い戻った。
「なあ煙!これ食ってみろよ!」
ずい、と差し出されたそれを一瞥した煙は、あからさまに訝しげな顔をする。まあそうなるだろうとは能井も予想していた。
「何だこれは。」
「いいからいいから!」
あろうことか能井は煙の口にそのデザートを有無を言わさず突っ込んだのである。と、ここまでの話を聞いた心は、毒見役がそれで良いのかよ、と言わずにはいられなかった。当時その光景に立ち会っていたならば、すかさず突っ込んでいたであろう。そもそも能井の体質では毒も即座に無害なものにしてしまう気がするので、毒見役として成立しないのではないかと心は思ったが、とりあえずは言わないでおくことにした。
というわけで心が思わず口を挟まずにはいられないような行動をした能井は、煙が僅かに目を見開くのを見逃さなかった。
「…………美味い。」
「だろ!よく分かんねーけど、キノコが入ってるらしいぜ。」
能井は、先程の説明書きに書いてあったキノコの名前は注視しなかったらしい。とりあえずそれがキノコから出来た食べ物である、という事実を伝えるだけで十分だろうと踏んだのである。
「俺はその時、これを作った料理人を是非とも連れ帰ろうと決めたんだ。ああ、ちなみにそのキノコというのがだな。」
煙がそのキノコについてまた語り出しかけたのを心が遮った。
「煙サン、埒があかねぇヨ。先進めてくれ。」
得意分野の話を遮られた煙はどことなく不服そうに見えたが、大人しく話を再開する。
普段このようなパーティー会場に来たときでもシャンパンなどの飲料しか口にしない煙が(強引に口に突っ込まれたとはいえ)キノコ以外の固形物を完食する様を、もしかすると能井は初めて目の当たりにしたかもしれなかった。そもそも煙は味にうるさいから、全部食べちまうなんてよっぽど気に入ったんだな、コレ。と思いながら能井も自分用に持ってきていたデザートを平らげる。
「これを作った奴に
先程呟いた称賛の言葉を最後に黙々とデザートを食した煙が、次に口を開いて言い放った言葉を聞いた能井は(いとことは言え煙は一応上司にあたる男のはずなのだが)、もはや隠そうともせず露骨に面倒くさそうな顔をした。
「ンだよ、いきなり。」
ここで能井がそのような表情をしたのは、そういった考えにたどり着く煙の思考に対する呆れを大いに含んでいたからだが、それとは別に、言葉の裏に潜んでいる意味を理解し、自分が実行した場合の労力も算出したからでる。正直、無駄な仕事が増える。しかしながらこの男、一度言い出したら聞かないのであった。
しょうがねぇな、とぶつくさ言いながら、能井は近くの扉を静かに開けて、バルコニーに身を滑り込ませる。
(つか言い出したテメェで何とかしろよなホント!)
自分は与えられた仕事を遂行するだけだ、などと思考しながら、バルコニーから身を乗り出して下を見た。
能井は先程まで手に持っていた器はバルコニーの手すりに置き去りにしてきた。これから起きるはずの混乱の最中では、食器のひとつやふたつ無くなったなどと言っている場合ではなくなるだろうと考えた為である。
とりあえずバルコニー伝いに壁面を降りていった能井は、ひとつ下の階の様子を伺う。窓があったので蹴り飛ばして割って入った。盛大にガラスの割れる音がしたが、もし見張りか誰かがやってきたところで張り倒せば問題無い。などと大雑把な計画を立てていたが幸いな事に誰もやってくる様子は無かった。よし、と意気込んで扉の隙間から廊下を覗き見た。相変わらず誰もいない。と、ここで単純な問題にぶち当たる。自身の経験上、会食の料理というものは最初に用意されたもので終わりではなく、ある程度の間隔を開けて新たな物が運ばれてくる。とすれば、あのデザートを作った料理人は現在進行形で調理場にいるはずである。既にデザートは出て来ていたが、まだ後片付けとかしてんだろ!と少々楽観的な予測を立てたところまでは良かった。肝心の調理場の場所が分からない。この建物を訪れたのは初めてであるし、そもそも他人の住まいのキッチンにお邪魔する事自体、そう毎回ある訳でもない。ここに何度か足を運んでいたところで調理場の場所を把握するのは不可能だっただろう。となればしらみつぶしに探すのが常套手段のひとつなのだろうが、今はそこまで時間が無いし、何より手間がかかる。そんなまどろっこしいことはやっていられない、と考えた能井が取った方法が、通りすがりの関係者らしき男をとりあえず力業で締め落とすという行為だったのは仕方のない事なのかもしれなかった。
男が意識を失う直前に、見事調理場の場所を聞き出した能井は、気絶した男を適当にほっぽりだし、目的地へと急いだ。壁に取り付けられた窓から見える外の景色にはまだ変わった様子は無かったが、直に煙が動き出すはずなので、その前に見つけださなければならない。いくら自分の魔法で何でも治せるとはいえ、まるっきりキノコになってしまっては
今日の晩餐会の対応に追われてほとんどが出払っているのか、常にこのような感じなのかは分からなかったが、思っていたより警備は甘かった。おかげで難なく移動する事が出来ているのでむしろありがたいのは事実だが、少し拍子抜けした気もする。
「まぁ、運も実力の内ってやつか。」
思わず独り言が口からこぼれる程度には余裕を持って移動した能井は、やがてたどり着いた調理場のドアをほんの少しだけ開けて中の様子を伺う。こちらに背を向けて何やら作業している人物がひとり。複数人居れば片っ端からとっつかまえて確認するつもりでいたが、ひとりだけならその手間も無い。ただ、探している人物でない場合はまた面倒な事になるのだが。物音を立てないようにそっと侵入した能井に青年と思われるその人物は気付く様子が無かった。まあ料理人ってそんなに普段から周りを警戒する必要無いか、と思いつつ近付いていく最中、ふと能井の視界に綺麗に並べられた料理が目に入る。恐らく追加で振る舞われる予定のデザートであろうそれらは、残念ながら誰の口にも入ることはないだろう。
(……もったいねェな。)
駄目にしてしまうくらいなら、せめて一つだけでもきちんと胃の中に収めた方が良いよなよし決めた。と思い立った能井がおもむろにそれを口に放り込むまで、この間僅か数秒足らずの事であった。
「うまい!!」
「うわぁ!?」
最早抑えるでもなく率直な感想を述べた能井に全く気付いていなかった青年は、突如響いた高らかな声に大層驚いたのか、一瞬体をこわばらせた際思わず手に持っていた絞り袋を全力で握り締めたらしい。結果、斬新なクリームの飾り付けが施されたケーキが完成した。一般的には失敗作と言う。
「あ、ワリ。」
自身の行動が青年の作業を阻害したのだと察した能井は素直に謝った。
「お……お客様?」
少なくともこの屋敷内で見かけたことの無い人物だと判断したらしい青年は、恐る恐る、といったように言葉を述べた。先程の驚きが尾を引いているらしい。
「いらっしゃいませ……。」
「驚かせちまったな、悪かった。ところであのキノコのムース?だか作ったの、お前か?」
「え、……は、はい。」
全く状況が飲み込めていないのをお構いなしに唐突な質問を投げかける能井に、青年はとりあえず素直に返答する。
「当たりか。よし!じゃあ行くぞ。」
「……えっ、とぉ!?」
基本的に言葉より先に体が動く性分なのか、能井は説明を省きがちであった(同意が云々という以前の問題である)。絞り袋を持っていない方の腕をむんずと掴み、軽々と青年の体を持ち上げる。一瞬宙に浮いた青年の体は能井の肩に担がれる形で収まったのだが、先程までの僅かなやり取りからこの結果になるとは夢にも思わなかったようで青年は目を白黒させている。
「走るから掴まってろヨ。」
片手で青年の体を固定し準備万端といったところの能井を青年は慌てて制止した。
「まっ、待って、ください。どうして?」
理解が追い付いていない状態で何とか形にした問いは、実に多くの疑問をその一言に内包していた。
「あー、そりゃそうなるか。でも────」
能井が一旦言葉を切って、窓のある方向に顔を向ける。
つられて窓の外を見た青年は、ガラス1枚を隔てた向こう、闇の中で蠢く何かが在る事を認識した。
「後でな。説明は。」
怒涛の展開に混乱しながらも第六感か何かが働いたのか、危険を察知したらしい青年が絞り袋を作業台の上に放り投げ、片手を前方にかざす。すると、手から放出されたケムリが前方の空間をしばし漂い、やがて薄れていき────その辺りに、突如として別の景色が現れた。
「お?」
予期せぬ行動に驚いたらしい能井を見下ろす形の青年は言う。
「裏口に
要するにこの青年は、唐突に現れた素性も分からぬ部外者に理由も告げられないまま担がれた状態だというのに、なんの躊躇いもなく魔法を使用して脱出経路を示してみせたのである。
「お前、お人好しって言われないか?」
「え?」
「まっ、良いか!じゃあ遠慮なく、っと。」
青年を担いだままその
「うお、すげえ!本当に外だ。」
へーえ、と今し方通り抜けてきた裂け目をしばし眺めた能井は、ふと思い出したように青年を見る。
「何だ。じゃあ担がなくて良かったナ。」
そう言ってまたもや軽々と青年を降ろした。
(しかしまあ、煙のヤローも派手にやったなあ……。)
幸いにも二人の居る裏口付近はまだ煙の魔法の影響が及んでいないようだったが、既に屋敷のそこかしこにはキノコが出現し、成長している真っ最中であった。そろそろ屋根を追い越すほど伸びているものもある。
「なあ。さっきのやつ、他の場所にも繋げるか?」
変わり果てた屋敷の有様に呆然としながら周りを見回していた青年は、能井の問いかけに意識を引き戻されたらしく慌てたように頷いた。
「んじゃ、屋敷の入口に繋いでくれ。」
「え、でも……。」
「大丈夫大丈夫!心配すんなって。」
この事態は煙が引き起こしたものだと知っている能井の考えは確かに妥当ではあるが、そんな事情など知るはずもない青年の戸惑いはもっともであった。しかしながら現状の打開方法が思いつかない以上、従うよりほかないと、青年は再び手をかざす。
同じように繋がれた空間を抜けると、エントランスと思わしき場所に辿り着いた。一面キノコに覆われているせいで、傍から見ればもうどこが入口なのかも判別不能な状態ではあったが。
「一体どうして……ああどうしよう、皆無事かな……。」
今の今まで、能井以外ただの一人も人間を見かけていないという状況に、ようやくパニックになり始めた青年の隣に立つ能井は、青年の肩を叩きさらりと告げた。
「まあ、全滅だろうな。」
何一つ心の準備が出来ていない状態で突き付けられた事実に、争いとは無縁の人生を送ってきたであろう青年の顔はみるみるうちに青白くなっていく。
「あ……、」
青年のか細い震え声を聞いた能井は、やべ、いけね。と先程の発言を少しだけ後悔した。
「オ、オイ泣くな。元気出せよ、オマエは生きてんだから。」
こういった場合のフォローの仕方が全く分からない(普段一緒に居る心とはだいぶかけ離れたタイプであるからして)らしい能井は、何とか思いついた言葉を並べるなどして励まそうと試みた。が、今の青年の心情では全く響かなかったらしく、今や青年の顔は死人のように真っ白だ。
(標的を殺すのは簡単だけど、元気なまま連れてくるってのは、以外と難しいんだナ……。)
さてどうしたものか、と次の言葉を口にしかけた時だった。
「上手くやったようだな。」
「あー!煙!」
この騒ぎを引き起こした張本人が、悠々と歩いてきた。
「テメー、何のんきに歩いてんだヨ。」
一応自身のボスであるという事実を見事に無視して話しかけてくる能井をもはや気にする素振りもなく煙は言う。
「急いでないからな。」
「ちょっとは部下のキモチを考えろってんだ!ったく。」
呆れ顔で腕を組み大きなため息をついた能井と突然現れた煙の様子をそれぞれうかがっていた青年が、煙の顔を見てぽそりと話し出した。
「貴方、は、ええと……煙様、ですね。」
青年の口から煙の名前が出てきたことに素直に驚いたらしい能井は、煙を指差して青年に問う。
「ン?お前、コイツのこと知ってんのか?」
「本日のお客様の一覧に記載されておりましたので……。」
そう言ったそばから、あ、おきゃくさま……と、自身の発言でまたもや精神的ダメージを受けたらしい青年が両手で顔を覆ってしまったので、流石の能井も少しばかり心配したのか、青年の背をさすってやった。
「あ〜あ〜……。」
「どうした。」
「バカッ、言わなくても察しろ!」
煙の背後にそびえ立つ屋敷(だったもの)をびし、と能井が指差したお陰でそれとなく状況を理解したらしい煙は、咳払いをひとつしてから青年の前で歩みを止めた。
「そうか。なら簡潔に問おう。今日のデザートにキノコのムースがあったが、作ったのはお前か?」
「えっ、は、はい。」
場違いとも思われるような質問にどうにか意識を引き戻したらしい青年は、戸惑いつつも返答した。
「ヨシ、俺の所に来い。此処より良い暮らしをさせてやる。」
「え……。」
青年が涙目であったのを励ます意図を持って、煙が肩を叩いたのかは定かではない。恐らく持っていない。
「うんうんそーだそーしろそれがイイ。」
それはともかく、煙の思惑を理解していた能井は、半分は適当に同意しておいた。もう半分は、確かにこの青年が屋敷に来てくれたら美味いものにありつけるかも、という気持ちを込めて同意した。
(ってか、今更だけど、厨房にコイツ残っててよかった〜!)
能井が、割と無計画であったにもかかわらず事がとんとん拍子に進んだ事に若干安堵していたことは、本人以外知る由もない。
目的は果たされたのでもはや此処に留まっている理由は無い、と煙が待たせているであろう車に向かう道中、能井は隣を歩く青年に問いかけた。
「そういや、オマエの名前。まだ聞いてなかったナ。」
今の今まで名前を把握せずに会話が成り立っていたのは少し不思議であったが、青年はようやく名乗る機会を与えられたのであった。
「■■■、です。」
「おう。オレは能井だ。ヨロシク!」
にんまりと笑った能井が差し出した手を握った■■■であったが────
「ち、力、強いですね。」
「そうかなァ?」
僅かな痛みを伴う力強い握手に、その手を見ながら何とも言えない気持ちになったのは言うまでもない。
「……ちょっと待ってくれ、煙サン。もしかしてアンタ、あの人にバラしてないのか?」
あれこれ脱線しながらもようやっと完結した話に対する心の感想は、まずその点に対する突っ込みであった。この上司、あろうことか雇い主その他大勢を(物理的に)一網打尽にした張本人が自分であることを■■■に未だ明かしていないのである。
要するに、■■■は煙の裏の顔に全く気が付いていない。
「仕方ないだろう。■■■はあくまで一般人だ。」
さらに、もっと酷い(?)ことに────■■■は、能井が自分を連れ出したのは煙の指示によるもので、命を救われたのだと盛大に勘違いしているのであった。
「それに、俺が救ったのだと勘違いしてくれているならわざわざそれを訂正する必要もない。」
「なるほど、だから屋敷に住まわせてないんだナ。にしても、いつまで隠し通せるんだか……。」
やれやれと呆れ顔を隠すでもなく、心は溜め息をひとつついてソファにもたれかかった。それから、もうひとつ疑問を投げる。
「で、『粉』の方は結局どうなったんだ?どうせ屋敷に居たヤツ以外にも使ってるヤツ、いたんだろ?」
先程の長話の中で、煙が屋敷ごと壊滅させた事は理解していた心であるが、粉の出所まで辿り着いたのかも一応聞くことにした。とは言え、この男が当事者をみすみす逃すようなヘマはしないだろうとも心は思っており、その予想は当たっていたらしい。勿論一人残らず見つけ出した、と言った煙が、それから、と付け加える。
「ついでに言っておくが、■■■はあのパーティーに合わせて雇われたばかりだったらしい。だから例の粉の話は何も知らなかった。」
「ああそう。でもソレだけで助けんの、煙サンの私利私欲混ざってないか?」
「それがどうかしたか?」
「うーわ、少しも悪びれてねェ。」
「まあいいじゃないですか先輩、ケーキうめえんだし。」
煙と心の応酬を適当になだめにかかった能井の言葉に、心も粉についての話を切り上げる。
「俺は、■■■が魔法の力を借りずに自分の腕一つでこれだけのものを作り上げるのが気に入っているんだ。」
「まあそれは反論しねぇ。」
心もその点は異論の余地が無かった。事実、長話の前に平らげたケーキは言わずもがな美味しかった。
「それに、アイツも喜んでいたんだぞ。」
「と言うと?」
煙が■■■を連れ帰ってから少し後のこと。
当初、■■■は煙の屋敷の専属料理人の一人として、屋敷には魔法を使って直通で向かい、それ以外の時間は基本的に街で暮らす、という話になっていた。
そうなると街に■■■の新しい住まいが必要である。部下に命じてそれなりの土地と家を選定させていた時に、一応本人の希望も聞いてやるか、と煙が■■■に新居に対する希望を尋ねたことがあった。
住むところまで準備してもらっているのに、希望なんてとんでもない!と最初のうちは遠慮していた■■■であったが、会話の最後の方にぽつり、と独り言のように口にした。
「あ……でも、僕、将来的にはお店とかで、もっと沢山の方にお菓子を食べていただけたら嬉しいなあ……。」
そう言ってからすぐに、何でもないです、聞かなかった事にしてください!と慌てたように発言を撤回した■■■であったが、それならそれで構わん、と煙は住居兼店舗として家を建ててやる事にしたのであった。
「店を構えたところで、■■■が俺の料理人であることには変わらんからな。」
「ついでにあの人にごまかしも利くからか?」
「人聞きの悪い事を言うな、心。」
「今更ダロ。」
と、ここまでで一通り■■■についての情報を手に入れた心は、一番最初の問題に立ち返り、煙に問いかける。
「じゃあ、それも?」
「勿論、キノコをふんだんに使用したケーキだ。特注のな。」
結局のところ、煙の偏食は一切解消されていないのだ、との結論に至った心は、何だかなァ、と内心ひとりごちながらクッキーを口にした。
ほろりと崩れるような食感のクッキーは、なにはともあれあいも変わらず美味しかった。
「……って話だ。」
「へー。」
「ナガイ。」
取り立てて急ぎの用事もない、朗らかな昼下り。
■■■の持ち込んだ菓子類をつまみながら、■■■について若人二人に語った心であったが、どうやら恵比寿は途中で飽きてしまったらしい。とは言っても、心は心で暇つぶしがてら何となく話をしてみただけだったので、聞いていない事に対して別に咎める理由も無いのであった。
「何か、凄い巻き込まれ方でしたね、その人。」
「そうだな。運が良いンだか、悪いンだか……。生き延びたとはいえ、拾ったのがよりにもよってあの人だもんなァ。」
心は口にこそしなかったものの、■■■の境遇について少しだけ同情した。今までごく普通の生活を送っていた一般人の■■■が、なんの因果か裏社会の顔役に拾われる羽目になるとは夢にも思うまい。当の本人はそれらの事実に気付く素振りもないのが不幸中の幸いであると言えるかもしれない。
「あれ、そういえばこの前……。」
と、藤田が何かを思い出したのか話し出す。
「街に降りたときに、たまたまその店の前を通りかかったんです。そしたら丁度看板を出してて、新作の……マリ……なんとか?だ、って。貰いました。」
なんと藤田は運良く、一人フライングで新商品を口にしていたらしかった。それを聞いた女性陣二人からは(特に恵比寿からは)羨みやら何やら、それに類する言葉が飛んできたのは、まあ言うまでもなく。
「ずりーぞ藤田。良いな、オレも食べたいそれ!」
「フジタノクセニ。」
「えぇ……。」
食べ物の恨みは恐ろしい、だっけ?と思いつつ、3人による無益なやり取りを傍観しながら、心は大きなあくびをした。
(了)
あとがき
藤田君が貰った新商品のマリ何とか=マリトッツォです。書いた人は食べたことが無いのですが、きっと美味しいんだろうなあと想像したところ、美味しそうだったことをここに報告しておきます(その報告いる?)