焔は何も語らない
何かが爆ぜる音がする。
芯まで燃え尽きた何かが崩れ落ちる音がする。
それが何から発せられるものなのか、藤田にはもう分からない。
赤々と燃える火柱を何も言わず見上げている男がいる。
高く空へ伸びる炎が路地の暗がりを煌々と照らす。
焦げた匂いが鼻につく。
時折降ってくる火の粉は、藤田の目の前でふっ、と消えた。
「煤さん!」
背後から名を呼ばれた男は、縦横無尽に踊る炎から目を離し、近寄ってくる青年を目に止めて、ゆっくりと首を横に振った。はた、と足を止めた藤田に歩み寄って軽く両の肩を押し、離れるようにと言うかのように熱源から下がらせる。藤田の目に反射する炎は勢い衰えることなく燃え続けている。恐らく全てが灰と化した後でようやくその活動を止めるのだろう。
藤田は未だにこの無口な男との距離感を図りかねている。
大抵の場合行動を共にしている恵比寿や、
「あの……えっと、煤さん?」
そして藤田はなんだかんだである程度の気遣いが出来る青年ではあるが、普段置かれている状況がどちらかというと周りに振り回される事がほとんどの為、多くを語らない男に対してどう接したものか分からない、というのが正直な心情であった。
戸惑っている様子の藤田に、煤は常日頃持ち歩いている小さなメモ帳を取り出し、手慣れた様子で何かを書き付ける。炎によって少しだけ得られた明るさで、差し出されたそれを何とか目を凝らして読むと、危ないから近づきすぎてはいけない、という内容と、
「あ……でも、ボスがあまり長居するなと……」
藤田が煙から預かった言付けを伝えると、煤は未だ燃え続けるそれに向き直り僅かに口を開く。
「…………なら、もういいか。」
その言葉と共に吐き出された煙のような
煤は迂闊に声を発することが出来ない。
それはいつ頃からか、少なくとも煤が魔法を使用することが出来るようになった時に判明して、今でもそれは変わらない。
体質か、或いは何か他に原因があるのかは不明だが、例えば心や藤田が指先から魔法の煙を発生させることが出来るのに対し、煤にはそれが出来ず、煙は全て口から生成される。全身にまんべんなく行き渡って放出される魔法とは違って、1カ所に限定されて発生する魔法は通常のそれより濃度が高い。ただし、煤は上手く制御する事が出来ないらしく、口を開けばとめどなく煙が漏れ出してくる。
今は音さえ発しなければ煙を留めることも出来るようになったが、どうしても声と共に不要な魔法で辺りに被害を及ぼす危険性を考慮すると、必然的に口数は少なくなっていった。
藤田は後部座席に座って移りゆく街灯を眺めながら黙っている。
今日は煤を呼んでくるように言われていただけだったので、恵比寿は今頃屋敷でキクラゲと(恐らく)楽しい時間を過ごしているだろう。となると(当たり前ではあるが)今この場にいるのは藤田と煤の2人だけなのだが。
沈黙が、気まずい。
あの後煤は付近に停めておいた車に藤田を乗せその場を後にした。助手席に座るのも何だか居心地が悪いと後部座席を選んだ藤田だったが、先程ぽそりと呟いた言葉以降、煤は一言も喋る気配がない。勿論煤の体質を考えれば仕方のないことではある。あるのだが。
(……無言でいるのってこんなに気まずかったかなあ……)
ラジオすらかかっていない静かな車内で、やり場のない感情を抱えながらひたすらに流れる景色を眺めるしかなかった。
しばらく車を走らせた後、不意に煤が速度を落とした。
だが、戻るべき屋敷にたどり着いた様子はなく、どうやら道中の小さな出店の横に車を乗り付けたらしい。夜中だというのにまだ店仕舞いをする気はないらしいその店の明かりが暗闇に慣れた目に刺さるようだった。
「……あれ、煤さん、ここって……」
てっきりそのまま屋敷へ戻るものだと思い込んでいた藤田が少し心許なげに訊ねると、煤は身を少し後部座席側に向けて手を伸ばし、帽子の上から藤田の頭を撫でた。
「わ、」
突然の出来事に藤田が目を白黒させている内に、煤は運転席から外に出て出店への階段を数段上る。昼間であれば階段を上がって少し奥にある店が商売をしているのだろうが、今はこの出店が間借りしているらしい。とはいえ煤はこの出店が何を販売しているのか知っている訳ではなかった。ただこんな時間に店を構えているのは、深夜だからこそ歩き回る若者狙いの飲食店か、あるいは昼間大っぴらに売買出来ないような
「らっしゃい。甘くてふかふかのあんまんだよ」
喜ばしいことに前者だったため、煤は2個購入する意を示しつつ服のどこかに忍ばせていたはずの小銭を探していた。
その様子を窓から覗こうと試みていた藤田だったが、階段の上で行われているやり取りを見ることは叶わなかった。そうこうしているうちに煤が階段を降りてきて、数分前と同じく運転席に座る。
紙袋を漁った煤がまさか自分に飲食物を渡してくるとは思っていなかった藤田は、差し出されたあんまんを目の前にして、一瞬固まった。
「……ええと、」
てっきり喜んで受け取ってもらえるものだと考えていたらしい煤はわずかに首を傾げた後、手に持っているあんまんを袋に戻し、もうひとつを差し出した。それは普通のあんが苦手なのだろうかと白あん入りを勧めるという煤なりの(謎の)気遣いであった。
「あ、違うんですオレ別に何でも食べますから!」
勘違いを引き起こしたことに気が付き慌てた藤田が早口にまくし立てると、煤はもう一度手に持っているものと袋の中身を入れ替えた。今度こそ差し出したあんまんを手に取った藤田を煤は何故か眺めている。
「な、なんか……すいません。」
謎のいたたまれなさに思わず藤田がこぼすと、顎の辺りを指先で掻いた煤が手早く書いたメモを見せる。冷める前に早く食え、という意味合いの言葉があった。言われるがままにかぶりついたそれはふかふかで優しい甘さだった。
深夜の空腹時に口にする物の美味しさといったら。
柔らかさと温かさと甘さとで満たされたらしい藤田は相変わらず後部座席で流れゆく街灯を眺めながら先程までのやり取りを反芻する。
あんまんを口にしながら、藤田はあることに気が付いた。
最初に煤が差し出したのは、先程自分が食べた普通のあんまんだった。次に袋の中身と入れ替えて別のあんまんが差し出され、何でも食べます、と言った後、最終的に自分に渡されたのは何度も言うが普通のあんまんだった。
「煤さん、それ中身何ですか?」
わずかな好奇心による質問に、煤は、白あん、と書いて回答した。
「白あんの方が好きなんですか。」
そういう日があったって良いだろう……とご丁寧に3点リーダーまで付いたメモ書きを見せた煤は、声こそ上げなかったものの、笑っているように見えた。
この人も、人並みに笑うのだ、と藤田は心に留めておくことにした。
夜も更け、善人悪人問わず大体が眠りにつくころ、ようやく車は屋敷へとたどり着いた。屋敷に灯る明かりも点々としか見受けられない。煤は警備係に顔を見せた後、車を寄せて、本日何度目かの走り書きを行い、そのページを切り離して藤田に渡した。
煙さんももう寝てるだろうから、報告は明日改めてする。と書かれたそれを受け取って、分かりました、と藤田は頷いた。
「今日はありがとうございました。おやすみなさい。」
あんまんのお礼と、別れの挨拶を述べて藤田は車外へ足を着ける。この後煤は車を屋敷に置いて、自らの家へと戻るのだろう。発進の邪魔にならぬようにと回り込んだとき、運転席の窓ガラスが下げられる。煤があんまんの紙袋を指で挟んで持っていた。
「証拠隠滅。」
その言葉と、後から添えられた短い笑い声が紙袋に引火した。みるみるうちに灰と化す紙袋に、もう一言煤は言葉を紡ぐ。
「お休み。」
火が消え、持つ部分も無くなったそれから手を離すと、地面に落ちた燃え滓は粉々に砕け散り、一瞬にして原型を失った。そのまま煤は軽く手を上げ、その場から走り去った。
かくして、仕事帰りに寄り道をして買い食いをした、という事実は2人しか知り得ない秘密となり、藤田は、煤が思ったより接しやすい人物だという事実をこっそりと心の隅に置いておく事にした。
(了)
あとがき
書いた人が藤田君をはちゃめちゃに良い子で可愛いと思っている節がある為、こんな文章になりました。藤田君には美味しいものを沢山食べてほしい。