二章 京の花霞(一周目)
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六条堀川の井戸枯れ騒動の翌日、譲の朝食作りを手伝っていた海都を、珍しく早起きの望美が神妙な顔で尋ねてきた。
「海都さん、ちょっと……今いい?」
「? 構いませんけど……」
タイミング的に将臣との夢の話かと思えど、だとすれば話しかけるのは自分ではなく譲のはず。心配そうな顔で味噌汁を掻き回す譲に少し持ち場を離れることを告げ、望美に手を引かれて訪れたのは朝の勤行を終えたばかりの朔の元。ますます意味がわからないと首を傾げた海都を前に、真剣な顔をした望美が放った言葉は、思いのほか海都を動揺させた。
「……昨日、六波羅で不思議な幻を見たの」
「っ!」
朝露に濡れる土のかおりが瑞々しい春の朝。庭先からは咲き乱れる花々のえもいわれぬ甘い香りがただよっていて、鳥の鳴き声と煮炊きの音だけが微かに聞こえるその部屋は、平穏を好む朔のため景時がとびきりの部屋を彼女に与えたのだと類推しても間違いでは無いだろう極楽のように美しい。その神聖な静寂の中に投下された爆弾発言がことのほか海都の顔色を変えたため、望美と朔は一瞬怪訝そうな顔をした。
呂蟒の件で完全に失念していた。そうだ、昨日望美がどこで何のイベントを踏んだのか、確認するのをすっかり忘れていた。
(この時期だったか……)
六波羅で幻を見たということは、間違いなく十六夜ルートに繋がる瞬間的な時間遡行だ。まだ南都を焼き討ちする前の重衡と、焼け落ちる前の平家邸で出会ったということ。
今はまだ、望美にとっては不思議な夢だったな……程度の話だろうが、重衡視点では今生に一度の一目惚れである。あの一瞬が後の、彼の在り方を定めたと言っても過言では無い重大事件なのだ。
「でもね、私が幻を見てた間、朔はなにも見てないって言うんだ。だから、今度は海都さんも一緒に行ってみて、海都さんにもあの幻が見えるか見えないか、確かめて欲しくて」
「白龍にも尋ねたのだけれど、あの子にも詳しいことは分からないそうなの。ね、海都殿は応龍の力を持っているでしょう? もしかしたら私たちより、何かわかるかもしれないわ」
「…………」
重衡との縁は、春日望美特有のものだ。
望美の運命において知盛ルートが開くのは、彼女が知盛に瓜二つの重衡と知らず知らず過去で出会っていたから。銀ルートが開くのは、知盛の死が彼女の胸に突き刺さって抜けない棘になったから。どちらが欠けてもどちらの道も開かれず、しかし、どちらの要素を拾っても実際に恋愛ルートが開かれるのははじめに要素を拾ったのとは逆の相手というのが皮肉か。
(私が六波羅に出向いたところで、何が見えるとも思わないけれど……)
正直なところ、興味はある。
都落ちをするにあたり、栄華を極めた平家の邸に火が放たれて焼け落ちたその跡地が。平家一門が過ごしていた場所が。既にそこに、彼らを示す痕跡は何も残っていないとしても。
「今日は……終日、何も用事がありませんから。もしお二人がよろしければ、六波羅に参ってみましょうか」
「いいんですか!」
「ありがとう、海都殿」
花のように顔をほころばせて、望美が笑った。
彼女のこの包み込む光の如き明るさに惹かれて、遙か3の物語の歯車は回る。中でも銀とリスヴァーン、タイムパラドックスで時系列考察をややこしくする二大巨頭に関しては、もはやたまごが先か鶏が先かのレベルで彼女との出逢いが人生を大きく歪めたと言っても過言では無いだろう。
過去の六波羅で重衡と出会うから十六夜があるとも言えるし、十六夜で重衡と出会う運命だから過去の六波羅に呼ばれたとも言える。リズヴァーンが九郎の剣の師匠として望美に接触を図ったからリズヴァーンルートが発生するのに、リズヴァーンルートが発生しなければそもそもリズヴァーンは九郎の剣の師匠にはならない。
(その点、過去の因縁は何も無いのに、戦場での在り方に興味を持ったその一点で望美を特別視した知盛もイレギュラーみたいなもんだよな……)
望美視点では、数多の運命を渡り歩いて両手の指では足りぬほど知盛の死を見続けたからこそ、彼に執着したのだろうに。知盛視点では常に、どの世界線も一発勝負で必ず望美に興味を持つのだからすごい。唯一彼が望美に対して他の運命ほどの執着を見せないのは、それこそ一周目ぐらいだろうか。
いや、他が比べるだけ野暮なレベルというだけで、一周目もそれなりだ。気を抜けばすぐにゲームを引き合いに出して考察とも言えない思考の書き散らしのような世界に没頭しかける海都は、そこで考えるのをやめた。
銀髪兄弟もリズヴァーンも、望美に大概甘くてチョロいということだけはっきりしていればそれでいい。
「そうと決まれば、誰かに供を……」
「えっ、でも今日は、譲くんも弁慶さんも九郎さんも、お昼は京邸にいないって言ってなかった?」
「そうなの? では、日を改めた方がいいのかしら」
「……それには及びません」
もう一人、春日望美に激甘の男を忘れていた。こちらの世界に来る以前から彼女に人生を握られ振り回されている健気な青年・有川譲、彼こそ、望美に頼まれれば自分の都合を押してでも喜んで供を申し出そうな最たる人物ではあるが。まぁ、今回はわざわざ彼を呼ばずとも、海都の方にアテがある。
(望美とのお出かけの機会はまた今度ってことで……ごめんね、譲くん!)
え、と言葉を零す二人を前に、海都はそっと衣の右袖をたくし上げて右腕を見せた。
《呂蟒、ここに》
《承知》
「海都さん、それ……!」
皮膚の裏側を薄い何かが這い回るような感覚には、まだ慣れない。が、それも今に気にならなくなる。海都の右腕を見た望美が息を呑み、朔が微かに「ひっ」と鳴いた。
「怨霊に、帰る場所を奪われてしまったのです。これよりは、源氏の助けとなり共に怨霊を倒すべく戦いたいと言うので、仮の宿に、私の腕を」
昨日、六条堀川の井戸から助け出したばかりの大蟒蛇の処遇について、九郎と海都ははじめ、元いた山に返してやろうという魂胆だったのだ。が、
『何と……我らの住処が、京巴蛇氏の故郷が!』
彼らの育った場所だという山は、昨年の末からこの春までに起きた一連の戦と怨霊の手で、焼け野原になっていた。
『これは……酷いな』
『呂蟒、』
『神子様! 某の妻は、子は、彼らの気配はありますでしょうか!?』
『……呂蟒、ごめん』
枯れ枝と灰とそこから新たに芽吹こうとする若芽の中をかきわけて、海都が見つけた微かな気配は、呂蟒と比べれば幾分も小柄な蛇の髑髏が揃って三つ。最期まで、子を守ろうとしたのだろう。土の中に半分埋もれた子供達の背に覆い被さるようにとぐろを巻いて、呂蟒の妻だという巴蛇の骨は殆ど炭と化していた。
ほんのひとつきの内に、呂蟒は帰る場所をなくした。
「遠呂智の神子は……遠呂智のよりまし。従属させた妖魔を、自身の身体に迎え入れることもできる。はじめは九郎殿が六条堀川に引き取るとおっしゃられたのですが、郎党の皆様が怖がられるので、戦闘に出しやすいように私の腕に……。呂蟒ならば、供も問題なくこなせるでしょう」
「そう……だったの。お慰めになるかは分からないけれど、私も、ご家族の菩提を祈りましょう」
「あなたも大変だったんだね。今度、奥さんとこどもたちのお墓参りに行かせてね」
海都の右腕に巻き付く大蛇の刺青の姿でおさまっている呂蟒は、二人の言葉に静かに涙を零して、一言、かたじけない、と呟いた。本人の要望もあるので夢路を経由して応龍に人型をとるための稽古をつけてもらっているようだが、さすがに昨日の今日だ。そう簡単には身につかない。
一先ずは、このまま海都の腕に添う形で今日一日の供をすることになった。
「鞍馬の件、九郎殿に言付けを頼みましたから、近いうちに景時殿が京邸へお戻りになるかと」
「本当? 良かったぁ……」
結局ほとんど譲に任せてしまった朝餉を食べながら、今日の予定を詰めていく。案の定、自分の予定を変えてでも供についてこようとした譲は、他意の無い望美の「だめだよ、前から日程調整してたんでしょ?」という言葉に撃沈し、何となく彼が望美へ寄せる感情に勘付いているらしい朔が気の毒そうに笑っていた。
「御味御汁が本当に美味しい……一家に一人譲殿…………」
「何言ってるんですか海都さん。これくらい、たいしたことありませんよ」
「そのたいしたことない自炊がですね、社会人になると酷く億劫になる瞬間が来るんですよ……」
炊事洗濯なんでもござれ、平安末期の食材も調味料も限定された状態で、日々バリエーション豊かな料理を(場合によっては本来この時代には存在しないものまで)作る譲は、今や京邸に欠かせない存在となっている。彼がいなければ、この京での食事がどれほど味気ないものになっていたかなど、考えるだけでも恐ろしい。
(この手料理を毎日食べて生きてきた後で、一人三年前の京に放り出された将臣本当にやばいな……)
ふわふわのだし巻き卵をおかずに玄米を頬張りながら、恐らく今は、京の視察に来るため福原からの道中にいるであろう将臣を思う。ああ、彼は平家について自身の居場所を手に入れたけれど、その代わりにこの譲のだし巻き卵を失ったのだ。なんて勿体ない。
そう言えば、平家の料理上手は誰なのだろう?
(清盛は……武家の棟梁が料理するイメージがないから論外。維盛は生前なら、案外一度ハマれば凝りそうな気はする。経正は割と現パロなら料理上手なのかなって気はするけど……知盛と重衡はなぁ。あれで案外、知盛は必要に迫られれば家事きちんと自分でできそうな雰囲気があるけど、重衡はどうも美人のお姉さんのところでヒモやってる変な偏見が……)
「あ、」
「?」
その時、海都の背筋に走ったのは、悪寒だった。
「海都さん!?」
「あっ、すみません。つい考え事に気を取られて……」
指の隙間から転がり落ちた箸が、床を転がっていく。茶碗を手にしているときでなくて良かったと安堵しつつ、しかし、確かに感じた違和感が海都の心臓を銅鑼でも鳴らすようにめちゃくちゃに叩いた。朔が拾い手渡してくれた箸を受け取る指の震えを、どうにか殺して平静を装う。
気を抜くと、うっかり叫び出しそうな狂乱が海都の脳内を暴れ回った。
遠くに、雀が鳴いている。
(──何故、一周目で十六夜イベントが?)
六波羅で在りし日の重衡と会う。確かに、重要なイベントだ。だが、今じゃない。
踏む回数が少なく必要とされる場面もあまりないので「そういうイベントがあった」という印象ばかり強く残って、それがいつ、どんな条件で起きうるのかを失念していた。あれは本来一周目では起らない 。
一周目の運命は、平泉にたどり着く前に潰えるから。
重衡が、銀になることさえなく源氏が一方的に負けるから。
(私が存在することで、何かしらのシナリオの変質はあると思っていたけど……いきなりこんなに変わることある?)
もしかすると、遠呂智の神子という存在は自分で思っていたより数倍厄介なのかもしれない。
そんなことを考えながら、海都は、朝餉の最後の一口を無理やり口に押し込んだ。
「海都さん、ちょっと……今いい?」
「? 構いませんけど……」
タイミング的に将臣との夢の話かと思えど、だとすれば話しかけるのは自分ではなく譲のはず。心配そうな顔で味噌汁を掻き回す譲に少し持ち場を離れることを告げ、望美に手を引かれて訪れたのは朝の勤行を終えたばかりの朔の元。ますます意味がわからないと首を傾げた海都を前に、真剣な顔をした望美が放った言葉は、思いのほか海都を動揺させた。
「……昨日、六波羅で不思議な幻を見たの」
「っ!」
朝露に濡れる土のかおりが瑞々しい春の朝。庭先からは咲き乱れる花々のえもいわれぬ甘い香りがただよっていて、鳥の鳴き声と煮炊きの音だけが微かに聞こえるその部屋は、平穏を好む朔のため景時がとびきりの部屋を彼女に与えたのだと類推しても間違いでは無いだろう極楽のように美しい。その神聖な静寂の中に投下された爆弾発言がことのほか海都の顔色を変えたため、望美と朔は一瞬怪訝そうな顔をした。
呂蟒の件で完全に失念していた。そうだ、昨日望美がどこで何のイベントを踏んだのか、確認するのをすっかり忘れていた。
(この時期だったか……)
六波羅で幻を見たということは、間違いなく十六夜ルートに繋がる瞬間的な時間遡行だ。まだ南都を焼き討ちする前の重衡と、焼け落ちる前の平家邸で出会ったということ。
今はまだ、望美にとっては不思議な夢だったな……程度の話だろうが、重衡視点では今生に一度の一目惚れである。あの一瞬が後の、彼の在り方を定めたと言っても過言では無い重大事件なのだ。
「でもね、私が幻を見てた間、朔はなにも見てないって言うんだ。だから、今度は海都さんも一緒に行ってみて、海都さんにもあの幻が見えるか見えないか、確かめて欲しくて」
「白龍にも尋ねたのだけれど、あの子にも詳しいことは分からないそうなの。ね、海都殿は応龍の力を持っているでしょう? もしかしたら私たちより、何かわかるかもしれないわ」
「…………」
重衡との縁は、春日望美特有のものだ。
望美の運命において知盛ルートが開くのは、彼女が知盛に瓜二つの重衡と知らず知らず過去で出会っていたから。銀ルートが開くのは、知盛の死が彼女の胸に突き刺さって抜けない棘になったから。どちらが欠けてもどちらの道も開かれず、しかし、どちらの要素を拾っても実際に恋愛ルートが開かれるのははじめに要素を拾ったのとは逆の相手というのが皮肉か。
(私が六波羅に出向いたところで、何が見えるとも思わないけれど……)
正直なところ、興味はある。
都落ちをするにあたり、栄華を極めた平家の邸に火が放たれて焼け落ちたその跡地が。平家一門が過ごしていた場所が。既にそこに、彼らを示す痕跡は何も残っていないとしても。
「今日は……終日、何も用事がありませんから。もしお二人がよろしければ、六波羅に参ってみましょうか」
「いいんですか!」
「ありがとう、海都殿」
花のように顔をほころばせて、望美が笑った。
彼女のこの包み込む光の如き明るさに惹かれて、遙か3の物語の歯車は回る。中でも銀とリスヴァーン、タイムパラドックスで時系列考察をややこしくする二大巨頭に関しては、もはやたまごが先か鶏が先かのレベルで彼女との出逢いが人生を大きく歪めたと言っても過言では無いだろう。
過去の六波羅で重衡と出会うから十六夜があるとも言えるし、十六夜で重衡と出会う運命だから過去の六波羅に呼ばれたとも言える。リズヴァーンが九郎の剣の師匠として望美に接触を図ったからリズヴァーンルートが発生するのに、リズヴァーンルートが発生しなければそもそもリズヴァーンは九郎の剣の師匠にはならない。
(その点、過去の因縁は何も無いのに、戦場での在り方に興味を持ったその一点で望美を特別視した知盛もイレギュラーみたいなもんだよな……)
望美視点では、数多の運命を渡り歩いて両手の指では足りぬほど知盛の死を見続けたからこそ、彼に執着したのだろうに。知盛視点では常に、どの世界線も一発勝負で必ず望美に興味を持つのだからすごい。唯一彼が望美に対して他の運命ほどの執着を見せないのは、それこそ一周目ぐらいだろうか。
いや、他が比べるだけ野暮なレベルというだけで、一周目もそれなりだ。気を抜けばすぐにゲームを引き合いに出して考察とも言えない思考の書き散らしのような世界に没頭しかける海都は、そこで考えるのをやめた。
銀髪兄弟もリズヴァーンも、望美に大概甘くてチョロいということだけはっきりしていればそれでいい。
「そうと決まれば、誰かに供を……」
「えっ、でも今日は、譲くんも弁慶さんも九郎さんも、お昼は京邸にいないって言ってなかった?」
「そうなの? では、日を改めた方がいいのかしら」
「……それには及びません」
もう一人、春日望美に激甘の男を忘れていた。こちらの世界に来る以前から彼女に人生を握られ振り回されている健気な青年・有川譲、彼こそ、望美に頼まれれば自分の都合を押してでも喜んで供を申し出そうな最たる人物ではあるが。まぁ、今回はわざわざ彼を呼ばずとも、海都の方にアテがある。
(望美とのお出かけの機会はまた今度ってことで……ごめんね、譲くん!)
え、と言葉を零す二人を前に、海都はそっと衣の右袖をたくし上げて右腕を見せた。
《呂蟒、ここに》
《承知》
「海都さん、それ……!」
皮膚の裏側を薄い何かが這い回るような感覚には、まだ慣れない。が、それも今に気にならなくなる。海都の右腕を見た望美が息を呑み、朔が微かに「ひっ」と鳴いた。
「怨霊に、帰る場所を奪われてしまったのです。これよりは、源氏の助けとなり共に怨霊を倒すべく戦いたいと言うので、仮の宿に、私の腕を」
昨日、六条堀川の井戸から助け出したばかりの大蟒蛇の処遇について、九郎と海都ははじめ、元いた山に返してやろうという魂胆だったのだ。が、
『何と……我らの住処が、京巴蛇氏の故郷が!』
彼らの育った場所だという山は、昨年の末からこの春までに起きた一連の戦と怨霊の手で、焼け野原になっていた。
『これは……酷いな』
『呂蟒、』
『神子様! 某の妻は、子は、彼らの気配はありますでしょうか!?』
『……呂蟒、ごめん』
枯れ枝と灰とそこから新たに芽吹こうとする若芽の中をかきわけて、海都が見つけた微かな気配は、呂蟒と比べれば幾分も小柄な蛇の髑髏が揃って三つ。最期まで、子を守ろうとしたのだろう。土の中に半分埋もれた子供達の背に覆い被さるようにとぐろを巻いて、呂蟒の妻だという巴蛇の骨は殆ど炭と化していた。
ほんのひとつきの内に、呂蟒は帰る場所をなくした。
「遠呂智の神子は……遠呂智のよりまし。従属させた妖魔を、自身の身体に迎え入れることもできる。はじめは九郎殿が六条堀川に引き取るとおっしゃられたのですが、郎党の皆様が怖がられるので、戦闘に出しやすいように私の腕に……。呂蟒ならば、供も問題なくこなせるでしょう」
「そう……だったの。お慰めになるかは分からないけれど、私も、ご家族の菩提を祈りましょう」
「あなたも大変だったんだね。今度、奥さんとこどもたちのお墓参りに行かせてね」
海都の右腕に巻き付く大蛇の刺青の姿でおさまっている呂蟒は、二人の言葉に静かに涙を零して、一言、かたじけない、と呟いた。本人の要望もあるので夢路を経由して応龍に人型をとるための稽古をつけてもらっているようだが、さすがに昨日の今日だ。そう簡単には身につかない。
一先ずは、このまま海都の腕に添う形で今日一日の供をすることになった。
「鞍馬の件、九郎殿に言付けを頼みましたから、近いうちに景時殿が京邸へお戻りになるかと」
「本当? 良かったぁ……」
結局ほとんど譲に任せてしまった朝餉を食べながら、今日の予定を詰めていく。案の定、自分の予定を変えてでも供についてこようとした譲は、他意の無い望美の「だめだよ、前から日程調整してたんでしょ?」という言葉に撃沈し、何となく彼が望美へ寄せる感情に勘付いているらしい朔が気の毒そうに笑っていた。
「御味御汁が本当に美味しい……一家に一人譲殿…………」
「何言ってるんですか海都さん。これくらい、たいしたことありませんよ」
「そのたいしたことない自炊がですね、社会人になると酷く億劫になる瞬間が来るんですよ……」
炊事洗濯なんでもござれ、平安末期の食材も調味料も限定された状態で、日々バリエーション豊かな料理を(場合によっては本来この時代には存在しないものまで)作る譲は、今や京邸に欠かせない存在となっている。彼がいなければ、この京での食事がどれほど味気ないものになっていたかなど、考えるだけでも恐ろしい。
(この手料理を毎日食べて生きてきた後で、一人三年前の京に放り出された将臣本当にやばいな……)
ふわふわのだし巻き卵をおかずに玄米を頬張りながら、恐らく今は、京の視察に来るため福原からの道中にいるであろう将臣を思う。ああ、彼は平家について自身の居場所を手に入れたけれど、その代わりにこの譲のだし巻き卵を失ったのだ。なんて勿体ない。
そう言えば、平家の料理上手は誰なのだろう?
(清盛は……武家の棟梁が料理するイメージがないから論外。維盛は生前なら、案外一度ハマれば凝りそうな気はする。経正は割と現パロなら料理上手なのかなって気はするけど……知盛と重衡はなぁ。あれで案外、知盛は必要に迫られれば家事きちんと自分でできそうな雰囲気があるけど、重衡はどうも美人のお姉さんのところでヒモやってる変な偏見が……)
「あ、」
「?」
その時、海都の背筋に走ったのは、悪寒だった。
「海都さん!?」
「あっ、すみません。つい考え事に気を取られて……」
指の隙間から転がり落ちた箸が、床を転がっていく。茶碗を手にしているときでなくて良かったと安堵しつつ、しかし、確かに感じた違和感が海都の心臓を銅鑼でも鳴らすようにめちゃくちゃに叩いた。朔が拾い手渡してくれた箸を受け取る指の震えを、どうにか殺して平静を装う。
気を抜くと、うっかり叫び出しそうな狂乱が海都の脳内を暴れ回った。
遠くに、雀が鳴いている。
(──何故、一周目で十六夜イベントが?)
六波羅で在りし日の重衡と会う。確かに、重要なイベントだ。だが、今じゃない。
踏む回数が少なく必要とされる場面もあまりないので「そういうイベントがあった」という印象ばかり強く残って、それがいつ、どんな条件で起きうるのかを失念していた。あれは本来
一周目の運命は、平泉にたどり着く前に潰えるから。
重衡が、銀になることさえなく源氏が一方的に負けるから。
(私が存在することで、何かしらのシナリオの変質はあると思っていたけど……いきなりこんなに変わることある?)
もしかすると、遠呂智の神子という存在は自分で思っていたより数倍厄介なのかもしれない。
そんなことを考えながら、海都は、朝餉の最後の一口を無理やり口に押し込んだ。