一章 宇治川、霧に惑う(一周目)
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一説に、平維盛は入水自殺と言われている。
清盛が嫡子・平重盛の長男として生まれ、光源氏の再来と宮中にはもてはやされた相当の美男子。しかし、父・重盛の病没により若くして後ろ盾を無くし、重盛とは腹違いの兄弟にあたる宗盛や知盛が権勢を握った平家の中で、行き場を無くして孤立した。
「小松内府重盛殿の母親に当たる高階基章 娘御は清盛公の先の正室ではありましたが、継室だった平時子様のような強力な外戚関係をお持ちではなかった。しかも、小松殿の正室で維盛殿の母親にあたる藤原経子様は、鹿ヶ谷の陰謀で平家に楯突いて失脚したとされる藤原成親卿の妹御……。まぁ、小松殿が亡くなられて清盛公の跡継ぎが三男の屋島様 となれば、母親が権力者の娘で清盛公の良き後ろ盾となった彼や新中納言卿からすれば維盛殿は邪魔でしょうし、維盛殿からしても風流事を好む穏やかなご気性ですから、後白河院や源氏との対立で頑なに戦続きの平家の中に居るのは針のむしろでしたでしょうね……。それを考えるとやはり、三位中将様 は異端に近いのでしょうか。身分や性別に囚われず気さくな人柄だったというのは有名ですが、屋島様や新中納言卿が維盛殿を目の敵にした時期も、彼と組んで出陣していましたから。こちらの世界でも、以仁王が挙兵した際は、維盛殿と三位中将様が平家側の大将だったのでしょうか?」
「お前、やけに平家に詳しいな」
「ああ、言っておりませんでしたか。元いた世界で、好きで色々と調べていたので。平家」
「何?」
雪を踏みしめる足が、そろそろかじかんで痛み出す頃。海都は九郎と景時に左右から挟まれるようにして、宇治上神社を目前としていた。
「好き……っていうのは、その」
「源氏物語、九郎殿と景時殿はお好きな女性はおりますか」
「は!?」
「自分が生きるより古い時代の物語や伝記を読んで、ああ、この人は面白いだとか好ましいだとか、そういう物事に対して知りたい調べたいと思うのは自然なことでしょう。私が元いた時代に於いては、源平の合戦は千年もまえの話。私、小松殿が安芸の宮島にお植えになられた松を現地に見に行きましたよ。経正殿がお使いに成られている琵琶……青山でしたか。あれも、飾られているのを見に行きました」
相手がほとんど怨霊とは言え、物見は必須であろうと九郎は言う(ではなぜ三草山では物見を出さないんだとは、未来のことなので言えない)。今は、神社に陣を敷いているという平維盛の陣容を見に行った兵士達の帰還待ちの時間で、背後にどんな意図があるのか知らないが、海都が異世界の住人と知るやいなや興味を丸出しにした景時によって、この世界の平維盛と海都の知る平維盛にどの程度の差があるのか確かめ合っている所だった。
海都としては隠す事でも無いのでさっさと話したが、確かに、源氏に従軍してこれから平家と戦おうという女が「平家好きなんです」などと言い出したら反応に困るのも当然だろう。
「海都……お前、本当に良かったのか」
「何がですか」
九郎は、至極困惑した表情で海都を見た。
寒風に乱れる紫の髪を適当に手ぐしで撫で付けながら、平家が好きだと源氏の大将の前で豪語して憚らない女は飄々としている。おもわず景時に縋るように目を向ければ、景時は景時で、源氏の軍奉行として思う所があるのだろう、神妙な顔でじっと海都のつむじのあたりを凝視していた。あれでは、視線で海都の頭に穴が開きそうだ。
「何故、源氏についた」
「……この世界に下りたって、最初にあったのが源氏だったから。それ以上もそれ以下もありません。ですが、一度手を貸すと決めたからには進んで不義理を働くほど性悪でもありませんから、平家が好きなのは本当ですが、討つに手抜きもしませんよ」
実のところ、源氏につかねば知盛の興味を引けないだろうと思ったからだというのは伏せておく。そもそも、望美がゲームのシナリオ通りに一周目を終えて二周目に向かってくれる確証がないのだから、一通りその流れを見張っておくには源氏にいるほうが都合が良い。
途中で平家に翻ろうなど、わざわざ考えもしない。それをやったゲーム内の望美が八葉を自らの手で斬り殺し、挙句の果てに知盛に討たれるBADエンドは好きか嫌いかで言えばとても好きだが、自分で同じ事をやりたいとは思わない。
「鹿ヶ谷の陰謀、か。おおよその顛末は知っているが、俺の上洛前のことだ、詳細は俺にも分からん」
「俺は当時まだ、平家側にいたけれど……うーん、あれは何というか、平家の中でもちょっと、実際に平家打倒の陰謀があったのかどうかって部分に関して意見が分かれてるんだよねぇ」
「後世での研究でも不透明な部分ですが、実際にそれを現場で見ていた方々にさえ分からないなら、もうどうしようにもないでしょう。そう言えば……景時殿、建春門院様が亡くなられた後の除目で藤原定能殿と光能殿が蔵人頭になられた際、新中納言卿っておいくつでいらっしゃいました?」
「……ええと、確か、十六だった、かな?」
やはりか、と、海都は大きな溜め息をついた。
新中納言こと平知盛は、海都の知る歴史では1152年頃に生まれ1168年……16歳の時に、妻である治部卿局を迎え、その翌年には長男・知章が誕生している。活躍が目立ち始めるのは1176年の鹿ヶ谷の陰謀の直前あたりからであり、清盛最愛の子とまで称されたにもかかわらず十代の頃は官位がパッとせず、宮中での活躍がほとんど残っていないことから『知盛は病がちでよく臥せっていたのでは』という説があるほどだ。
史実通りならば、壇ノ浦が起きた1185年には33歳。しかし、遙か3の知盛は設定によれば25歳とのことで、つまりは、史実において経歴に華が無い約8年間を端折られたということになる。景時にも確認をとったのだから間違いない。
やはり、この世界の知盛は1160年生まれということらしい。
「どうしてそんなことを?」
「……私の元いた世界では、新中納言知盛卿は仁平二年のお生まれで、現在三十二歳のはずなんですよ。ですが、今の話を聞く限り、こちらの世界の新中納言卿は永暦元年のお生まれですよね?」
「ああ、うん……」
「歴史にずれがあるのです、この世界。維盛殿も、私が知る歴史ではまだ亡くなられてないはずなんですけれど……」
「ご報告いたします!」
だから、私の記憶をアテにして平家と戦おうとしないでくださいね。と釘を刺そうとしたところで、物見が帰ってきた。
(屋島様、と言って二人が変な顔をしないってことは、この世界にも平宗盛いるんだ……。遙か3だと将臣が重盛成り代わって平家軍取り仕切ってるから一切言及されないし、正直、端折られて居ない人扱いになってるのかと……)
物見の報告は、九郎と景時が聞いて判断するだろうから、自分が聞いても意味が無い。そう見切りを付けて思索に沈む海都は、脳内に描いた年表の知盛の生年を確定させる。
重盛と清盛の没後、本来平家の指揮をとっていたのは清盛の三男・宗盛であり、宗盛のやや後白河院寄りの方策や気弱な指針に噛み付いていた武断派的な立ち位置にいたのが史実の知盛だ。しかし、遙か3の平家は還内府として重盛の役目を負わされた将臣が背負い、知盛は確かに戦となれば目の色を変えるが、家そのものの在り方や政治的な方向性に一々口出しするような性格では無い。
そこの認識を間違えると、一瞬で足下をすくわれる。この世界に宗盛がいると知った所で、本来ならば一ノ谷の撤退戦で死んだはずの敦盛も、一ノ谷の後に熊野に渡って補陀落渡海したはずの維盛も、それが起る前に怨霊になっているのだ。宇治川での戦いを終えて京に戻った暁には、そのあたりの記録がどうなっているのかも早い内に確かめねばならないだろう。
「……どんな相手なんだ? 平維盛というのは」
「戦より、風流事を愛する方だったよ。以前は……だけれど」
「虫けらが数匹、入り込みましたか?」
踏み入った境内は、瘴気に満ちていた。
「平維盛……か?」
「羽虫に名乗る名などありません」
檜皮色のゆるく波打つ髪に紅白の花を挿し、木蘭色の瞳には卑屈が滲んでいる。刺々しい物言いで源氏の軍を迎えた維盛は、取り巻きの怨霊をすがめ見て、嫌味に唇をつり上げた。
戦乱の時代に、文化人としての在り方で生まれてしまった哀れな青年。その美しさをもてはやされ歌や香を褒めそやされた宮中での在り方は遠い過去に置き去りにされ、惰弱だ、武士らしからぬと父・重盛の戦での功績を引き合いに出されて比べられた孤独な時間。よりにもよって、重盛に瓜二つの将臣を怨霊となって狂った清盛が立てたが最後、戦好きの知盛が未来を知る将臣と共に戦場を取り仕切るようになってしまえば余計に、周囲からの心なき悪意の声は骨身に染みただろう。
「平維盛殿とお見受けします」
「……ッひ!?」
海都は、彼が生前どれほど優しい人間であったかを知っている。それが画面の向こうの決められた人格の紡ぐ言葉であったとしても、平維盛は心優しく温和で美しい青年だった。だが、今はどうか。
「有象無象の怨霊ならばまだしも、御身にはお分かりになりますでしょう。私は遠呂智の神子、妖魔を統べる破壊の魔王のよりまし。どうぞ、兵をお引きください」
「あ、あ……」
怨霊は、負の感情の塊だと言う。
維盛がその死の瞬間に背負ったそれは、後悔と、自嘲だろうか。黒龍由来の怨霊の声を聞き分ける力が、彼の瘴気に押さえ付けられこの世に縛り付けられた魂の叫びを響かせている。
──私に、戦いの才覚があれば。
──父上にも劣らない、強さがあれば。
──私が、誰にも侮られぬ武士たれれば。
──御祖父様はきっと、将臣を父上と違えることもなかった!
「お、怨霊たち、片付けなさい!」
実体を持ち自身の思考や感情を有する高位の怨霊である維盛には、海都の姿はどれほど恐ろしく映っただろう。あの白銀の鎧の応龍か、それとも、青銅色の鱗に身を包む遠呂智か。いずれにせよ、真っ当な人間の有様には見えなかったに違いない。
「来るぞ!」
血の気などというものとは無縁だろう怨霊の身でも、彼らには血の気が引くという瞬間があるのだな。と、顔色をさっと青ざめさせて怨霊の群れの後ろに隠れた維盛を眺めて、海都は両手に剣を握った。
(彼は、将臣を恨んでいる訳ではなかった……)
ゲームをプレイするだけでは、知り得なかったことだ。維盛が何より憎んでいたのは、恨んでいたのは、武門の嫡子として華々しい戦果を残す父・重盛の血を引きながら、重盛のようにはあれなかった我が身の弱さ。そうして、死後怨霊となって錯乱した清盛が、その弱さが故に重盛の子である自身より、重盛の面影を持っていた将臣に平家の全てを背負わせたことへの度し難い怒り。
──ただ、共に日々を楽しく過ごす客人であったあの子に、我らへの情が芽生えてしまったあの子に!
──還内府などという名を、平家の命運を、どうして我らは背負わせてしまった!!!
(……嗚呼、本当に、優しい人)
頭の中に、声が響く。
将臣を決して還内府と呼ばない、お前を平家とは認めないと言い放った青年の、本心が。
「巡れ天の声、響け地の声……」
平家は、愛の一門だ。
死にゆく同門を冷たい骸のまま戦場に置き去りに出来ず、病に散った愛息の死出の旅を素直に見送ってやることもできず、ただ、人目もう一度あの人に会いたいという願いで禁忌の術に手を出した。もうこの世にいない存在の面影だけを負の感情と瘴気と共に無理矢理に留めて、まだ平家は安泰だと仮初めの夢にすがる美しく愚かな愛の一門。
「かのものを封ぜよ!」
そんな一門のただ中で、戦場で死に近付く瞬間が最も生きている気がして楽しいと笑う男が唯一、死んだらそこで終わりだと口にするのはどうしてだろう。
知盛は、何を思って、今の怨霊という悪夢にうかされる平家で戦うのだろう。彼はきっと、死した人々を黒龍の逆鱗で呼び戻すことに意味は無いと、はじめから知っていたはずなのに。
封印の祝詞を舌にのせる。
「何! なんですか今の光は!」
「怨霊が……消し飛んだ!? これが封印なのか」
黒龍の力を持ってしてもただの呻き、叫び、そういった雑音にしかなれない下位の怨霊たちは、たちまちに光の粒となって弾け飛ぶ。
「維盛殿、軍をお退きください。そうでなければ、貴方とも戦わねばなりますまい」
「何ということですか。私の、私の連れて来た怨霊が……」
「……退く気は、ないみたいだね」
退けないだろう。今の平家に、戦えない者の居場所は無い。ただ温かに、あるがままの維盛を受け入れ、その風流事を愛でる気性をよきものとして可愛がった者達は既にこの世にはいないのだから。
彼はただ、脅迫的に強さを求める。
それだけが、武門の嫡孫、重盛が子・維盛の名を再度平家一門に知らしめる方法なのだと信じるが故に。
「私は鎌倉殿が名代・源九郎義経! 貴殿も名乗られよ」
対して、九郎の武人としての何と眩しいことか。
「ふふ、自ら乗り込んできたのですか。よい度胸ですね」
幼い頃から戦しか知らない。血筋の争いと、祖父の代から続く源平との諍いと、そういった柵の中で剣をとり、武士として名をあげていくしか生きる術のなかった九郎はまさしく、今の維盛が喉から手が出るほど欲しい生き様だ。
維盛の目に、羨望とも、嫉妬ともつかぬ炎が浮かぶ。自分がこれに取って代われたら、こんな生き方が出来ていたら、一門の心ない連中は誰も、私を蔑み嘲って笑うことはなかったか。と、声なき声が泣いて叫んで悶え苦しむその痛みが聞こえる。
一瞬、いっそここで封じてやった方が、彼のためなのだろうとそんなことを考えた。
「殿上も許されぬあなた方に、名乗るのも惜しまれる名なれど……。私は三位中将、平維盛。よろしい、九郎義経とその従者たちよ、ここで死になさい」
一ノ谷の後で死んだ自分の知る歴史と、こうして早くから怨霊という第二の仮初めの生を歩むのと。果たして、維盛という男にとってどちらが心安らいだのか。
判断のつかないまま、海都は剣を握りなおした。
清盛が嫡子・平重盛の長男として生まれ、光源氏の再来と宮中にはもてはやされた相当の美男子。しかし、父・重盛の病没により若くして後ろ盾を無くし、重盛とは腹違いの兄弟にあたる宗盛や知盛が権勢を握った平家の中で、行き場を無くして孤立した。
「小松内府重盛殿の母親に当たる
「お前、やけに平家に詳しいな」
「ああ、言っておりませんでしたか。元いた世界で、好きで色々と調べていたので。平家」
「何?」
雪を踏みしめる足が、そろそろかじかんで痛み出す頃。海都は九郎と景時に左右から挟まれるようにして、宇治上神社を目前としていた。
「好き……っていうのは、その」
「源氏物語、九郎殿と景時殿はお好きな女性はおりますか」
「は!?」
「自分が生きるより古い時代の物語や伝記を読んで、ああ、この人は面白いだとか好ましいだとか、そういう物事に対して知りたい調べたいと思うのは自然なことでしょう。私が元いた時代に於いては、源平の合戦は千年もまえの話。私、小松殿が安芸の宮島にお植えになられた松を現地に見に行きましたよ。経正殿がお使いに成られている琵琶……青山でしたか。あれも、飾られているのを見に行きました」
相手がほとんど怨霊とは言え、物見は必須であろうと九郎は言う(ではなぜ三草山では物見を出さないんだとは、未来のことなので言えない)。今は、神社に陣を敷いているという平維盛の陣容を見に行った兵士達の帰還待ちの時間で、背後にどんな意図があるのか知らないが、海都が異世界の住人と知るやいなや興味を丸出しにした景時によって、この世界の平維盛と海都の知る平維盛にどの程度の差があるのか確かめ合っている所だった。
海都としては隠す事でも無いのでさっさと話したが、確かに、源氏に従軍してこれから平家と戦おうという女が「平家好きなんです」などと言い出したら反応に困るのも当然だろう。
「海都……お前、本当に良かったのか」
「何がですか」
九郎は、至極困惑した表情で海都を見た。
寒風に乱れる紫の髪を適当に手ぐしで撫で付けながら、平家が好きだと源氏の大将の前で豪語して憚らない女は飄々としている。おもわず景時に縋るように目を向ければ、景時は景時で、源氏の軍奉行として思う所があるのだろう、神妙な顔でじっと海都のつむじのあたりを凝視していた。あれでは、視線で海都の頭に穴が開きそうだ。
「何故、源氏についた」
「……この世界に下りたって、最初にあったのが源氏だったから。それ以上もそれ以下もありません。ですが、一度手を貸すと決めたからには進んで不義理を働くほど性悪でもありませんから、平家が好きなのは本当ですが、討つに手抜きもしませんよ」
実のところ、源氏につかねば知盛の興味を引けないだろうと思ったからだというのは伏せておく。そもそも、望美がゲームのシナリオ通りに一周目を終えて二周目に向かってくれる確証がないのだから、一通りその流れを見張っておくには源氏にいるほうが都合が良い。
途中で平家に翻ろうなど、わざわざ考えもしない。それをやったゲーム内の望美が八葉を自らの手で斬り殺し、挙句の果てに知盛に討たれるBADエンドは好きか嫌いかで言えばとても好きだが、自分で同じ事をやりたいとは思わない。
「鹿ヶ谷の陰謀、か。おおよその顛末は知っているが、俺の上洛前のことだ、詳細は俺にも分からん」
「俺は当時まだ、平家側にいたけれど……うーん、あれは何というか、平家の中でもちょっと、実際に平家打倒の陰謀があったのかどうかって部分に関して意見が分かれてるんだよねぇ」
「後世での研究でも不透明な部分ですが、実際にそれを現場で見ていた方々にさえ分からないなら、もうどうしようにもないでしょう。そう言えば……景時殿、建春門院様が亡くなられた後の除目で藤原定能殿と光能殿が蔵人頭になられた際、新中納言卿っておいくつでいらっしゃいました?」
「……ええと、確か、十六だった、かな?」
やはりか、と、海都は大きな溜め息をついた。
新中納言こと平知盛は、海都の知る歴史では1152年頃に生まれ1168年……16歳の時に、妻である治部卿局を迎え、その翌年には長男・知章が誕生している。活躍が目立ち始めるのは1176年の鹿ヶ谷の陰謀の直前あたりからであり、清盛最愛の子とまで称されたにもかかわらず十代の頃は官位がパッとせず、宮中での活躍がほとんど残っていないことから『知盛は病がちでよく臥せっていたのでは』という説があるほどだ。
史実通りならば、壇ノ浦が起きた1185年には33歳。しかし、遙か3の知盛は設定によれば25歳とのことで、つまりは、史実において経歴に華が無い約8年間を端折られたということになる。景時にも確認をとったのだから間違いない。
やはり、この世界の知盛は1160年生まれということらしい。
「どうしてそんなことを?」
「……私の元いた世界では、新中納言知盛卿は仁平二年のお生まれで、現在三十二歳のはずなんですよ。ですが、今の話を聞く限り、こちらの世界の新中納言卿は永暦元年のお生まれですよね?」
「ああ、うん……」
「歴史にずれがあるのです、この世界。維盛殿も、私が知る歴史ではまだ亡くなられてないはずなんですけれど……」
「ご報告いたします!」
だから、私の記憶をアテにして平家と戦おうとしないでくださいね。と釘を刺そうとしたところで、物見が帰ってきた。
(屋島様、と言って二人が変な顔をしないってことは、この世界にも平宗盛いるんだ……。遙か3だと将臣が重盛成り代わって平家軍取り仕切ってるから一切言及されないし、正直、端折られて居ない人扱いになってるのかと……)
物見の報告は、九郎と景時が聞いて判断するだろうから、自分が聞いても意味が無い。そう見切りを付けて思索に沈む海都は、脳内に描いた年表の知盛の生年を確定させる。
重盛と清盛の没後、本来平家の指揮をとっていたのは清盛の三男・宗盛であり、宗盛のやや後白河院寄りの方策や気弱な指針に噛み付いていた武断派的な立ち位置にいたのが史実の知盛だ。しかし、遙か3の平家は還内府として重盛の役目を負わされた将臣が背負い、知盛は確かに戦となれば目の色を変えるが、家そのものの在り方や政治的な方向性に一々口出しするような性格では無い。
そこの認識を間違えると、一瞬で足下をすくわれる。この世界に宗盛がいると知った所で、本来ならば一ノ谷の撤退戦で死んだはずの敦盛も、一ノ谷の後に熊野に渡って補陀落渡海したはずの維盛も、それが起る前に怨霊になっているのだ。宇治川での戦いを終えて京に戻った暁には、そのあたりの記録がどうなっているのかも早い内に確かめねばならないだろう。
「……どんな相手なんだ? 平維盛というのは」
「戦より、風流事を愛する方だったよ。以前は……だけれど」
「虫けらが数匹、入り込みましたか?」
踏み入った境内は、瘴気に満ちていた。
「平維盛……か?」
「羽虫に名乗る名などありません」
檜皮色のゆるく波打つ髪に紅白の花を挿し、木蘭色の瞳には卑屈が滲んでいる。刺々しい物言いで源氏の軍を迎えた維盛は、取り巻きの怨霊をすがめ見て、嫌味に唇をつり上げた。
戦乱の時代に、文化人としての在り方で生まれてしまった哀れな青年。その美しさをもてはやされ歌や香を褒めそやされた宮中での在り方は遠い過去に置き去りにされ、惰弱だ、武士らしからぬと父・重盛の戦での功績を引き合いに出されて比べられた孤独な時間。よりにもよって、重盛に瓜二つの将臣を怨霊となって狂った清盛が立てたが最後、戦好きの知盛が未来を知る将臣と共に戦場を取り仕切るようになってしまえば余計に、周囲からの心なき悪意の声は骨身に染みただろう。
「平維盛殿とお見受けします」
「……ッひ!?」
海都は、彼が生前どれほど優しい人間であったかを知っている。それが画面の向こうの決められた人格の紡ぐ言葉であったとしても、平維盛は心優しく温和で美しい青年だった。だが、今はどうか。
「有象無象の怨霊ならばまだしも、御身にはお分かりになりますでしょう。私は遠呂智の神子、妖魔を統べる破壊の魔王のよりまし。どうぞ、兵をお引きください」
「あ、あ……」
怨霊は、負の感情の塊だと言う。
維盛がその死の瞬間に背負ったそれは、後悔と、自嘲だろうか。黒龍由来の怨霊の声を聞き分ける力が、彼の瘴気に押さえ付けられこの世に縛り付けられた魂の叫びを響かせている。
──私に、戦いの才覚があれば。
──父上にも劣らない、強さがあれば。
──私が、誰にも侮られぬ武士たれれば。
──御祖父様はきっと、将臣を父上と違えることもなかった!
「お、怨霊たち、片付けなさい!」
実体を持ち自身の思考や感情を有する高位の怨霊である維盛には、海都の姿はどれほど恐ろしく映っただろう。あの白銀の鎧の応龍か、それとも、青銅色の鱗に身を包む遠呂智か。いずれにせよ、真っ当な人間の有様には見えなかったに違いない。
「来るぞ!」
血の気などというものとは無縁だろう怨霊の身でも、彼らには血の気が引くという瞬間があるのだな。と、顔色をさっと青ざめさせて怨霊の群れの後ろに隠れた維盛を眺めて、海都は両手に剣を握った。
(彼は、将臣を恨んでいる訳ではなかった……)
ゲームをプレイするだけでは、知り得なかったことだ。維盛が何より憎んでいたのは、恨んでいたのは、武門の嫡子として華々しい戦果を残す父・重盛の血を引きながら、重盛のようにはあれなかった我が身の弱さ。そうして、死後怨霊となって錯乱した清盛が、その弱さが故に重盛の子である自身より、重盛の面影を持っていた将臣に平家の全てを背負わせたことへの度し難い怒り。
──ただ、共に日々を楽しく過ごす客人であったあの子に、我らへの情が芽生えてしまったあの子に!
──還内府などという名を、平家の命運を、どうして我らは背負わせてしまった!!!
(……嗚呼、本当に、優しい人)
頭の中に、声が響く。
将臣を決して還内府と呼ばない、お前を平家とは認めないと言い放った青年の、本心が。
「巡れ天の声、響け地の声……」
平家は、愛の一門だ。
死にゆく同門を冷たい骸のまま戦場に置き去りに出来ず、病に散った愛息の死出の旅を素直に見送ってやることもできず、ただ、人目もう一度あの人に会いたいという願いで禁忌の術に手を出した。もうこの世にいない存在の面影だけを負の感情と瘴気と共に無理矢理に留めて、まだ平家は安泰だと仮初めの夢にすがる美しく愚かな愛の一門。
「かのものを封ぜよ!」
そんな一門のただ中で、戦場で死に近付く瞬間が最も生きている気がして楽しいと笑う男が唯一、死んだらそこで終わりだと口にするのはどうしてだろう。
知盛は、何を思って、今の怨霊という悪夢にうかされる平家で戦うのだろう。彼はきっと、死した人々を黒龍の逆鱗で呼び戻すことに意味は無いと、はじめから知っていたはずなのに。
封印の祝詞を舌にのせる。
「何! なんですか今の光は!」
「怨霊が……消し飛んだ!? これが封印なのか」
黒龍の力を持ってしてもただの呻き、叫び、そういった雑音にしかなれない下位の怨霊たちは、たちまちに光の粒となって弾け飛ぶ。
「維盛殿、軍をお退きください。そうでなければ、貴方とも戦わねばなりますまい」
「何ということですか。私の、私の連れて来た怨霊が……」
「……退く気は、ないみたいだね」
退けないだろう。今の平家に、戦えない者の居場所は無い。ただ温かに、あるがままの維盛を受け入れ、その風流事を愛でる気性をよきものとして可愛がった者達は既にこの世にはいないのだから。
彼はただ、脅迫的に強さを求める。
それだけが、武門の嫡孫、重盛が子・維盛の名を再度平家一門に知らしめる方法なのだと信じるが故に。
「私は鎌倉殿が名代・源九郎義経! 貴殿も名乗られよ」
対して、九郎の武人としての何と眩しいことか。
「ふふ、自ら乗り込んできたのですか。よい度胸ですね」
幼い頃から戦しか知らない。血筋の争いと、祖父の代から続く源平との諍いと、そういった柵の中で剣をとり、武士として名をあげていくしか生きる術のなかった九郎はまさしく、今の維盛が喉から手が出るほど欲しい生き様だ。
維盛の目に、羨望とも、嫉妬ともつかぬ炎が浮かぶ。自分がこれに取って代われたら、こんな生き方が出来ていたら、一門の心ない連中は誰も、私を蔑み嘲って笑うことはなかったか。と、声なき声が泣いて叫んで悶え苦しむその痛みが聞こえる。
一瞬、いっそここで封じてやった方が、彼のためなのだろうとそんなことを考えた。
「殿上も許されぬあなた方に、名乗るのも惜しまれる名なれど……。私は三位中将、平維盛。よろしい、九郎義経とその従者たちよ、ここで死になさい」
一ノ谷の後で死んだ自分の知る歴史と、こうして早くから怨霊という第二の仮初めの生を歩むのと。果たして、維盛という男にとってどちらが心安らいだのか。
判断のつかないまま、海都は剣を握りなおした。