一章 宇治川、霧に惑う(一周目)
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リズヴァーンの案内で海都が橋姫神社に着いた時、ちょうど、四人は九郎・弁慶と合流して一段落ついたといった所だった。
「望美と九郎には、まだ会いませんか」
「そのつもりは、無い」
「わかりました。では、私も先生のことは伏せましょう」
何を思っているのか、リズヴァーンは海都に、どうして自分を知っているのかだとか、何故過去を知っているのかだとか、そういうことは尋ねなかった。
大方、自分と同じ龍の逆鱗で時間遡行を繰り返している奴だろうとでも思われたのかも知れない。まさか、彼らの歴史を本だとかゲームだとか、そういう遊戯として知っているなどと説明できるはずも無いので、海都はそれを誤解させたままにさせておくことにした。
「ではまた、春の京で」
「……ああ」
リズヴァーンが姿を消したのを確認して、神社に足を踏み入れる。遠目にも目立つ桃色の髪やオレンジの髪を目印に境内を歩けば、まずはじめにこちらを見たのは、思った通りに九郎だ。
「そこの者! 何をしている!」
遙か3の中でも将臣と並ぶ正統派のイケメンだな、というのが海都の中での九郎の容貌の認識なのだが、さすがに戦の最中とあってか、ゲーム内グラフィックで見るよりも多少やつれて目の下にくまが浮いている。一つ結びにされた長い髪も満足に湯を浴びられない状況かつ不意に血を浴びる場にあっては手入れに気が回らないらしい、全体的に脂が巻いてふわふわとしたイラストでのイメージは薄く、髪の重さと砂埃や自重に引っ張られるように毛先のはねも控えめだ。外で暴れ回った後の毛足の長い大型犬あたりが、こんな感じだよな、と、場違いな感想が脳裏を過ぎる。
「源九郎殿とお見受け致しますが。お初お目にかかります、私は葦原海都……遠呂智の神子、と自己紹介してご理解いただけるのかどうかはさておき。平等院までお下がりになられるお二人の神子様の代わりに、平家の怨霊を封印し九郎殿の露払いでも引き受けようかと馳せ参じました」
「何……? お前が、遠呂智の神子か?」
遠呂智の神子に関しては、朔が話したのか弁慶が話したのか、ともかく、既に九郎には伝わっているらしい。気が立って多少険のあるくりくりと丸い琥珀色の目が、怪訝そうな光を灯して海都をじろりと見おろした。
ただでさえ白龍の神子が現れたと聞いて内心動揺しているだろうに……九郎は確かに聡明な青年ではあるが、あまり精神的なキャパシティは広い方では無いから、一度にドバドバと情報を落としていいものか不安になる。発言量と内容に気を付けながらの自己紹介をしつつも、必要な部分は抜けが無いように。最低限、遠呂智の神子として従軍の意志を持って参じたことだけは、初手で伝えて置かなければ、優しい青年のことだ、こちらが何を言う前に弁慶引率の平等院組に回されてしまうだろう。
(特に宇治川の九郎は、気を張り詰めてるからなぁ……。鎌倉殿の期待を裏切れるか、って)
彼があまり女を戦場に出すことに関して良い顔をしないのも事前に知っているから、この提案に対してどう反応されるかは正直賭けな部分があった。無論、宇治川からここまで、九郎たちの目には単身怨霊を蹴散らしやって来たのだと(実際にはリズヴァーンがいたのだが)見えるように振る舞っているから、断られたところでゴリ押しで同行するまでなのだが。
と言っても、維盛をどうこうしたり、八尺瓊勾玉の欠片を拾っておいて敦盛をどうこうしようというつもりもない。それは、二周目以降の望美に任せればいい部分で、単純に、春の京で特に見張りや護衛を付けず自分勝手にふらふら出歩くためにも、今ここで九郎にある程度実力があるし源氏を裏切る気もなさそうだと認知させて起きたい程度の魂胆だ。
遠呂智復活のタイミングが分かりきっているとは言え、それまでに、応龍の逆鱗ないしはそれに準ずる器を探すべく努力するということに関しては余念は無い。となれば、基本的に望美の要望や行動に従って動くことになるゲーム本編の合間を縫って、それらに関する情報を単独で集めることになるだろう。時間がありませんでした、自由に動くことを許可して貰えませんでした、では、全く以てお話にならない。
「侮るな。戦場に、女性を出す気はない」
「戦えないならば、の話でしょう。巴御前ほどとは言いませんが、お疑いになるならここで、一合仕合いますか。足手まといにはなりますまい」
仕合った所で、今の力量では九郎には負ける。それ自体は、海都にも分かりきっていた。が、九郎はこういう負けん気の強い押しに弱い。九郎ルートで実証済みだ。
「帯剣しているようには見えないが」
「剣ならば、ここに」
「なっ!?」
「…………」
白龍の神子と同じく、異世界から喚ばれたはずの女が、異様にこの世界の有様と振る舞いに詳しいことについて、弁慶あたりは既に不信感を高じていることだろう。九郎の奥からひっそりと寄越される、探るような視線が痛い。しかし、こういう腹の探り合いにおいてはこと純真な九郎は、多少はったりもきかせてすごんで見せ、ついでに道中引っ込めていた双剣を何も無い手中にぱっと気を凝縮させて取りだしてみせると、分かりやすく目を見張った。
「……遠呂智の神子は、白龍の神子と同じく封印の力を持ちます。平家のちょっかいくらいであれば、お邪魔は致しません」
「わかった、ついてくるといい。──弁慶、そっちの四人はお前に任せる」
「九郎、ちょっと」
こうなると、慌てるのは無論弁慶の方だ。
九郎にせっついた弁慶が、お前は何を考えているのだ、という言葉を口では飲み込んだが目では飲み込みきれなかったという風情で、榛の瞳に疑惑の色を浮かべている。そうだろうとも。彼の情報力がどれほどのものかは海都も詳しくは知らないが、少なくとも、遠呂智の神子に関しては朔と同等以上の知識があるようには思えない。
「海都と言ったな。剣の腕に自信があるのは構わないが、どんな危険があるか分からん。俺のそばから離れるなよ」
「承知いたしました」
平家の陣は、宇治上神社だ。行くぞ。
兵に号令を出すためふいと顔を背けた九郎の背に、夕陽で染め上げたようなオレンジ色の長髪が揺れる。濃い、血の臭いがした。
「……海都さん、本当に、九郎について行かれるのですか?」
「ええ。平家が実際、どのように怨霊を使役しているのか間近で見る良い機会ですから」
弁慶は基本的には温和で人当たりが良く、優しそうな男ではあるが、その実九郎に降りかかる火の粉をどうにか少なくしようと気を揉み策を巡らせている影の苦労人である。いかにもこの世界について何も知りません、白龍の神子って何ですか、という人畜無害と無知が顔にでまくっている望美ならばいざ知らず、単身橋姫神社に乗り込んできて後出しじゃんけんで従軍を承諾させたイレギュラーの神子など信用できるはずも無い。自分が離れている間に、九郎に万が一のことがあれば。そういう(海都目線で言えば)取り越し苦労で、胃が痛いに違いない。
「ですが、戦場は危険ですよ」
「人、怨霊、何を恐れるものぞ。私にとって唯一恐ろしいのは、目覚めたが最後この世全てを貪食 て、自分以外の生命が絶えてもなお破滅を求めて止まない、遠呂智の封印が解けることのみにございますれば」
「…………」
正直な話、それ自体も割とどうでもいい。
遠呂智の再封印は遠呂智の恐ろしさを無双OROCHIで骨身まで叩き込まれたプレイヤーとして確かに重要ではあるが、器の用意さえ調えてしまえば難しくないことも過去のゲーム知識で知っている。ただ、問題はその後。
ここがゲームの世界で無い以上、望美が八葉の誰か、あるいは白龍か朔か銀か泰衡か、ともかくゲーム上のシステムに想定されている誰かと恋愛関係に入るとして。大団円エンドと銀ルートをクリアしなければ攻略自体が許されない知盛は、ほぼ間違いなく望美の恋愛の相手にはならないだろう。つまりは、彼女が意図的に全員との恋愛ルートを攻略して大団円ルートに入ることを選ばない限り、必ず、壇ノ浦で知盛は死ぬ。
(私はシステムに、シナリオに縛られない特異点の神子……)
生きてくれとただ願うだけでは生きてくれないあの男を、海の下の都に奪われずに済む道があるならば。それはきっと、この物語に本来存在するべきでは無い、抜け道である自分が鍵になる。
結ばれようとは思わない。
瞳に映ろうなど願わない。
ただ、平家の滅びを単身背負い、波間に沈むあの未来を私が見たくないだけ。他の全員に望美に救われる可能性が用意されているのに、彼にだけは死への道しか用意されていないのが許せないだけ。
「……弁慶殿」
「何でしょう」
「私は、応龍から源平どちらを勝たせろ とも伺っておりません」
「……!」
「ただ、遠呂智が目覚めた暁には、再度封じよとだけ。それを遂げられるならば、私は、どちらでも構わない」
言外に「お前が私を拒絶するなら、平家についてもいいのだぞ」という空気をまとわせる。怨霊を封じ、五行の流れを正しく戻すことが使命である白龍の神子とも、実兄が源氏軍の軍奉行である黒龍の神子とも違って、遠呂智の神子は、使命の上でも政治的な理由の上でも特別源氏に肩入れする必要はないのだと知らせてやれば。
「…………分かりました。くれぐれも、ご無事で」
龍神の神子の力を源氏の切り札として、最終的には対頼朝への九郎の切り札として使いたい弁慶が容れないはずはない。
卑怯な手だとは知りつつも、海都は、その言葉を躊躇わなかった。弁慶は計算高く、目的のためなら手段を選ばない男だ。が、面白い事に、ゲーム内では時折、嘘だろうと思うようなシーンで妙に詰めの甘さや見通しの甘さを見せるときがある。
弁慶は、九郎を人質にされると強くでられない。
「話は済んだのか」
「はい。お時間をいただきました」
まだ何か言いたそうな弁慶を残して九郎の元へ戻ると、既に、出立の準備は済んでいるようだった。
自分からついていくと言い出したからには、足は引っ張れない。九郎が後ろに控えるようにと言うので、大人しく彼のすぐ後ろについて行軍しながら、周囲の気配を探る。ゲームのマップではほんの数歩の距離であろうと、実際は、一度上流に戻って川を渡り、しばらく歩かねばならないのだ。その道中、どこで怨霊が出て来るかは記憶通りにはいくまい。
更に言えば、九郎に同行するということは……海都の八葉におけるリズヴァーンと並ぶ推しにして、頭痛の種・梶原景時との邂逅が待っている。あの、一見すれば気弱で日和見主義の男に見えるくせ、内心では畏怖とも畏敬ともとれる一種妄執に近い強迫観念を持って源頼朝・北条政子夫妻へと忠誠を誓う自覚の無い韜晦を前に、自分は正気でいられるか。海都はそこが不安だった。
ゲームのキャラクターとしては「おいしい」男には間違いないだろう。しかし、現実に同じ世界線上で身近にああいった精神構造の人物がいるというのは、存外恐怖を覚えるものだ。自己評価が低い実力者が精神的に追い詰められて吹っ切れた時の影響力を、海都は無双の徐庶で嫌と言う程知っている。
キャラクタープロフィール上の正式所属軍が蜀軍のくせ、IFルートを踏まなければ魏に所属し、あまつさえ一切の容赦なく敬愛する劉備を擁する蜀軍を追い詰め滅ぼそうとするあたり、徐庶はいつ思い返しても十六夜記の景時を彷彿とさせる。なんなら、最終局面で結局九郎への情がちら見えする分、景時の方がまだ可愛いのかもしれない。いや、朗読劇の景時は全く可愛くなかった。
(そう言えば、そうか……)
春日望美との関係性が希薄なままの運命を進んだ景時は、軍奉行でもヘタレでも無く人の姿をした怪物として完成するのだったか。遠呂智復活は阻止不能としても、あっちの怪物が目覚めるのは正直嫌だ。世間話をするような穏やかな声色で、優しい語り口で、躊躇無くかつての戦友へ引き金を引くあのルートだけは見たくない。京が炎に包まれるのは、平家の差し金だけで十二分に足りている。
(……まずくない?)
海都は、ふっと身震いした。そうだ、無双と遙かの設定がミックスされている時点で、ここは、自分が知る通りのゲームの世界線ではないかもしれないのだ。場合によっては、派生メディアミックスの記憶が必要になるかもしれないというのに。
まずい、TLがやけに賑わったせいで気になって内容を把握している朗読劇はともかく、ドラマCDの多くは海都が遙か3に手を出すかなり前に販売されていたため殆ど履修できていない。
「気を引き締めていけよ。ここからは、平家の陣が近い。何があるかわからないぞ」
「えっ!? ああ……」
こんなことなら、ゲーム以外の派生作品もきちんと全部履修すべきだった。そんなことを考えた所で後の祭り。茫洋と、機械的に足を進めていた海都はその時、近付く足音を聞き損ねた。
「何者かが来る──伏せろ!」
「っ!?」
剣胼胝の多い大きな手の平が、思い切り海都の頭を押さえ付ける。その勢いに押し込まれるように強制的にしゃがみ込まされた海都は、数秒の後、いや、これ敵じゃないな……。と、雪景色の向こうから近付く人影に咄嗟に詰めた息を吐いた。
「九郎殿……敵ではありません」
「何?」
「軍奉行殿と、その手勢の方々です」
「ふーっ、ここまで来れば、もう……」
「景時!?」
1月のこのクソ寒い時期に、どんな感覚をしているのかむき出しの腹。いや、時期はこの際関係ない。戦場のど真ん中で戦う男の格好として、根本的にどうなんだ。立ち絵で見てもつっこみどころ満載の景時の格好は、実物を目にすると余計に言いたい事が多すぎて困る。
上着に袖が無いのも、全体的に服の布地が冬服とは思えない薄手なのも、そして、額の汗を拭ったその拳の下で、見慣れぬ女を値踏みするように薄暗く光った花緑青の瞳も。
(これで、"俺はダメ"が自己評価なの絶対おかしいって……)
「わわっ! えっ! 九郎!? どうしたんだい、こんなところで」
「どうしたってことはないだろう、平家の陣を包囲するんじゃなかったのか?」
「そのつもりだったけど、あちらもいろいろ歓迎の準備をしてくれてね。だからいったん引き上げ。それで、その子は?」
「はじめまして、梶原景時殿。私は葦原海都──応龍の加護を受けた、遠呂智の神子です」
「…………」
遠呂智が生まれたきっかけは、今、北条政子に取り憑く荼枳尼天の仕業。その話をどこまで知っているのか、形式上はにこやかに海都の握手に答えた景時の目の奥に、剣呑な光があった。
「望美と九郎には、まだ会いませんか」
「そのつもりは、無い」
「わかりました。では、私も先生のことは伏せましょう」
何を思っているのか、リズヴァーンは海都に、どうして自分を知っているのかだとか、何故過去を知っているのかだとか、そういうことは尋ねなかった。
大方、自分と同じ龍の逆鱗で時間遡行を繰り返している奴だろうとでも思われたのかも知れない。まさか、彼らの歴史を本だとかゲームだとか、そういう遊戯として知っているなどと説明できるはずも無いので、海都はそれを誤解させたままにさせておくことにした。
「ではまた、春の京で」
「……ああ」
リズヴァーンが姿を消したのを確認して、神社に足を踏み入れる。遠目にも目立つ桃色の髪やオレンジの髪を目印に境内を歩けば、まずはじめにこちらを見たのは、思った通りに九郎だ。
「そこの者! 何をしている!」
遙か3の中でも将臣と並ぶ正統派のイケメンだな、というのが海都の中での九郎の容貌の認識なのだが、さすがに戦の最中とあってか、ゲーム内グラフィックで見るよりも多少やつれて目の下にくまが浮いている。一つ結びにされた長い髪も満足に湯を浴びられない状況かつ不意に血を浴びる場にあっては手入れに気が回らないらしい、全体的に脂が巻いてふわふわとしたイラストでのイメージは薄く、髪の重さと砂埃や自重に引っ張られるように毛先のはねも控えめだ。外で暴れ回った後の毛足の長い大型犬あたりが、こんな感じだよな、と、場違いな感想が脳裏を過ぎる。
「源九郎殿とお見受け致しますが。お初お目にかかります、私は葦原海都……遠呂智の神子、と自己紹介してご理解いただけるのかどうかはさておき。平等院までお下がりになられるお二人の神子様の代わりに、平家の怨霊を封印し九郎殿の露払いでも引き受けようかと馳せ参じました」
「何……? お前が、遠呂智の神子か?」
遠呂智の神子に関しては、朔が話したのか弁慶が話したのか、ともかく、既に九郎には伝わっているらしい。気が立って多少険のあるくりくりと丸い琥珀色の目が、怪訝そうな光を灯して海都をじろりと見おろした。
ただでさえ白龍の神子が現れたと聞いて内心動揺しているだろうに……九郎は確かに聡明な青年ではあるが、あまり精神的なキャパシティは広い方では無いから、一度にドバドバと情報を落としていいものか不安になる。発言量と内容に気を付けながらの自己紹介をしつつも、必要な部分は抜けが無いように。最低限、遠呂智の神子として従軍の意志を持って参じたことだけは、初手で伝えて置かなければ、優しい青年のことだ、こちらが何を言う前に弁慶引率の平等院組に回されてしまうだろう。
(特に宇治川の九郎は、気を張り詰めてるからなぁ……。鎌倉殿の期待を裏切れるか、って)
彼があまり女を戦場に出すことに関して良い顔をしないのも事前に知っているから、この提案に対してどう反応されるかは正直賭けな部分があった。無論、宇治川からここまで、九郎たちの目には単身怨霊を蹴散らしやって来たのだと(実際にはリズヴァーンがいたのだが)見えるように振る舞っているから、断られたところでゴリ押しで同行するまでなのだが。
と言っても、維盛をどうこうしたり、八尺瓊勾玉の欠片を拾っておいて敦盛をどうこうしようというつもりもない。それは、二周目以降の望美に任せればいい部分で、単純に、春の京で特に見張りや護衛を付けず自分勝手にふらふら出歩くためにも、今ここで九郎にある程度実力があるし源氏を裏切る気もなさそうだと認知させて起きたい程度の魂胆だ。
遠呂智復活のタイミングが分かりきっているとは言え、それまでに、応龍の逆鱗ないしはそれに準ずる器を探すべく努力するということに関しては余念は無い。となれば、基本的に望美の要望や行動に従って動くことになるゲーム本編の合間を縫って、それらに関する情報を単独で集めることになるだろう。時間がありませんでした、自由に動くことを許可して貰えませんでした、では、全く以てお話にならない。
「侮るな。戦場に、女性を出す気はない」
「戦えないならば、の話でしょう。巴御前ほどとは言いませんが、お疑いになるならここで、一合仕合いますか。足手まといにはなりますまい」
仕合った所で、今の力量では九郎には負ける。それ自体は、海都にも分かりきっていた。が、九郎はこういう負けん気の強い押しに弱い。九郎ルートで実証済みだ。
「帯剣しているようには見えないが」
「剣ならば、ここに」
「なっ!?」
「…………」
白龍の神子と同じく、異世界から喚ばれたはずの女が、異様にこの世界の有様と振る舞いに詳しいことについて、弁慶あたりは既に不信感を高じていることだろう。九郎の奥からひっそりと寄越される、探るような視線が痛い。しかし、こういう腹の探り合いにおいてはこと純真な九郎は、多少はったりもきかせてすごんで見せ、ついでに道中引っ込めていた双剣を何も無い手中にぱっと気を凝縮させて取りだしてみせると、分かりやすく目を見張った。
「……遠呂智の神子は、白龍の神子と同じく封印の力を持ちます。平家のちょっかいくらいであれば、お邪魔は致しません」
「わかった、ついてくるといい。──弁慶、そっちの四人はお前に任せる」
「九郎、ちょっと」
こうなると、慌てるのは無論弁慶の方だ。
九郎にせっついた弁慶が、お前は何を考えているのだ、という言葉を口では飲み込んだが目では飲み込みきれなかったという風情で、榛の瞳に疑惑の色を浮かべている。そうだろうとも。彼の情報力がどれほどのものかは海都も詳しくは知らないが、少なくとも、遠呂智の神子に関しては朔と同等以上の知識があるようには思えない。
「海都と言ったな。剣の腕に自信があるのは構わないが、どんな危険があるか分からん。俺のそばから離れるなよ」
「承知いたしました」
平家の陣は、宇治上神社だ。行くぞ。
兵に号令を出すためふいと顔を背けた九郎の背に、夕陽で染め上げたようなオレンジ色の長髪が揺れる。濃い、血の臭いがした。
「……海都さん、本当に、九郎について行かれるのですか?」
「ええ。平家が実際、どのように怨霊を使役しているのか間近で見る良い機会ですから」
弁慶は基本的には温和で人当たりが良く、優しそうな男ではあるが、その実九郎に降りかかる火の粉をどうにか少なくしようと気を揉み策を巡らせている影の苦労人である。いかにもこの世界について何も知りません、白龍の神子って何ですか、という人畜無害と無知が顔にでまくっている望美ならばいざ知らず、単身橋姫神社に乗り込んできて後出しじゃんけんで従軍を承諾させたイレギュラーの神子など信用できるはずも無い。自分が離れている間に、九郎に万が一のことがあれば。そういう(海都目線で言えば)取り越し苦労で、胃が痛いに違いない。
「ですが、戦場は危険ですよ」
「人、怨霊、何を恐れるものぞ。私にとって唯一恐ろしいのは、目覚めたが最後この世全てを
「…………」
正直な話、それ自体も割とどうでもいい。
遠呂智の再封印は遠呂智の恐ろしさを無双OROCHIで骨身まで叩き込まれたプレイヤーとして確かに重要ではあるが、器の用意さえ調えてしまえば難しくないことも過去のゲーム知識で知っている。ただ、問題はその後。
ここがゲームの世界で無い以上、望美が八葉の誰か、あるいは白龍か朔か銀か泰衡か、ともかくゲーム上のシステムに想定されている誰かと恋愛関係に入るとして。大団円エンドと銀ルートをクリアしなければ攻略自体が許されない知盛は、ほぼ間違いなく望美の恋愛の相手にはならないだろう。つまりは、彼女が意図的に全員との恋愛ルートを攻略して大団円ルートに入ることを選ばない限り、必ず、壇ノ浦で知盛は死ぬ。
(私はシステムに、シナリオに縛られない特異点の神子……)
生きてくれとただ願うだけでは生きてくれないあの男を、海の下の都に奪われずに済む道があるならば。それはきっと、この物語に本来存在するべきでは無い、抜け道である自分が鍵になる。
結ばれようとは思わない。
瞳に映ろうなど願わない。
ただ、平家の滅びを単身背負い、波間に沈むあの未来を私が見たくないだけ。他の全員に望美に救われる可能性が用意されているのに、彼にだけは死への道しか用意されていないのが許せないだけ。
「……弁慶殿」
「何でしょう」
「私は、応龍から源平
「……!」
「ただ、遠呂智が目覚めた暁には、再度封じよとだけ。それを遂げられるならば、私は、どちらでも構わない」
言外に「お前が私を拒絶するなら、平家についてもいいのだぞ」という空気をまとわせる。怨霊を封じ、五行の流れを正しく戻すことが使命である白龍の神子とも、実兄が源氏軍の軍奉行である黒龍の神子とも違って、遠呂智の神子は、使命の上でも政治的な理由の上でも特別源氏に肩入れする必要はないのだと知らせてやれば。
「…………分かりました。くれぐれも、ご無事で」
龍神の神子の力を源氏の切り札として、最終的には対頼朝への九郎の切り札として使いたい弁慶が容れないはずはない。
卑怯な手だとは知りつつも、海都は、その言葉を躊躇わなかった。弁慶は計算高く、目的のためなら手段を選ばない男だ。が、面白い事に、ゲーム内では時折、嘘だろうと思うようなシーンで妙に詰めの甘さや見通しの甘さを見せるときがある。
弁慶は、九郎を人質にされると強くでられない。
「話は済んだのか」
「はい。お時間をいただきました」
まだ何か言いたそうな弁慶を残して九郎の元へ戻ると、既に、出立の準備は済んでいるようだった。
自分からついていくと言い出したからには、足は引っ張れない。九郎が後ろに控えるようにと言うので、大人しく彼のすぐ後ろについて行軍しながら、周囲の気配を探る。ゲームのマップではほんの数歩の距離であろうと、実際は、一度上流に戻って川を渡り、しばらく歩かねばならないのだ。その道中、どこで怨霊が出て来るかは記憶通りにはいくまい。
更に言えば、九郎に同行するということは……海都の八葉におけるリズヴァーンと並ぶ推しにして、頭痛の種・梶原景時との邂逅が待っている。あの、一見すれば気弱で日和見主義の男に見えるくせ、内心では畏怖とも畏敬ともとれる一種妄執に近い強迫観念を持って源頼朝・北条政子夫妻へと忠誠を誓う自覚の無い韜晦を前に、自分は正気でいられるか。海都はそこが不安だった。
ゲームのキャラクターとしては「おいしい」男には間違いないだろう。しかし、現実に同じ世界線上で身近にああいった精神構造の人物がいるというのは、存外恐怖を覚えるものだ。自己評価が低い実力者が精神的に追い詰められて吹っ切れた時の影響力を、海都は無双の徐庶で嫌と言う程知っている。
キャラクタープロフィール上の正式所属軍が蜀軍のくせ、IFルートを踏まなければ魏に所属し、あまつさえ一切の容赦なく敬愛する劉備を擁する蜀軍を追い詰め滅ぼそうとするあたり、徐庶はいつ思い返しても十六夜記の景時を彷彿とさせる。なんなら、最終局面で結局九郎への情がちら見えする分、景時の方がまだ可愛いのかもしれない。いや、朗読劇の景時は全く可愛くなかった。
(そう言えば、そうか……)
春日望美との関係性が希薄なままの運命を進んだ景時は、軍奉行でもヘタレでも無く人の姿をした怪物として完成するのだったか。遠呂智復活は阻止不能としても、あっちの怪物が目覚めるのは正直嫌だ。世間話をするような穏やかな声色で、優しい語り口で、躊躇無くかつての戦友へ引き金を引くあのルートだけは見たくない。京が炎に包まれるのは、平家の差し金だけで十二分に足りている。
(……まずくない?)
海都は、ふっと身震いした。そうだ、無双と遙かの設定がミックスされている時点で、ここは、自分が知る通りのゲームの世界線ではないかもしれないのだ。場合によっては、派生メディアミックスの記憶が必要になるかもしれないというのに。
まずい、TLがやけに賑わったせいで気になって内容を把握している朗読劇はともかく、ドラマCDの多くは海都が遙か3に手を出すかなり前に販売されていたため殆ど履修できていない。
「気を引き締めていけよ。ここからは、平家の陣が近い。何があるかわからないぞ」
「えっ!? ああ……」
こんなことなら、ゲーム以外の派生作品もきちんと全部履修すべきだった。そんなことを考えた所で後の祭り。茫洋と、機械的に足を進めていた海都はその時、近付く足音を聞き損ねた。
「何者かが来る──伏せろ!」
「っ!?」
剣胼胝の多い大きな手の平が、思い切り海都の頭を押さえ付ける。その勢いに押し込まれるように強制的にしゃがみ込まされた海都は、数秒の後、いや、これ敵じゃないな……。と、雪景色の向こうから近付く人影に咄嗟に詰めた息を吐いた。
「九郎殿……敵ではありません」
「何?」
「軍奉行殿と、その手勢の方々です」
「ふーっ、ここまで来れば、もう……」
「景時!?」
1月のこのクソ寒い時期に、どんな感覚をしているのかむき出しの腹。いや、時期はこの際関係ない。戦場のど真ん中で戦う男の格好として、根本的にどうなんだ。立ち絵で見てもつっこみどころ満載の景時の格好は、実物を目にすると余計に言いたい事が多すぎて困る。
上着に袖が無いのも、全体的に服の布地が冬服とは思えない薄手なのも、そして、額の汗を拭ったその拳の下で、見慣れぬ女を値踏みするように薄暗く光った花緑青の瞳も。
(これで、"俺はダメ"が自己評価なの絶対おかしいって……)
「わわっ! えっ! 九郎!? どうしたんだい、こんなところで」
「どうしたってことはないだろう、平家の陣を包囲するんじゃなかったのか?」
「そのつもりだったけど、あちらもいろいろ歓迎の準備をしてくれてね。だからいったん引き上げ。それで、その子は?」
「はじめまして、梶原景時殿。私は葦原海都──応龍の加護を受けた、遠呂智の神子です」
「…………」
遠呂智が生まれたきっかけは、今、北条政子に取り憑く荼枳尼天の仕業。その話をどこまで知っているのか、形式上はにこやかに海都の握手に答えた景時の目の奥に、剣呑な光があった。