一章 宇治川、霧に惑う(一周目)
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「ギ……ギギギ…………」
時空の渦を抜けて降り立ったそこは、正に、幾度とプレイした一章宇治川のその通りの状況だった。
「あなた、お逃げなさい。ここは……私が」
「逃げろなんて! そんなこと言われても……あなたを置いて、逃げられないよ!」
扇を構え、まだこの世界に来たばかりの何も知らない望美を庇うように怨霊と相対する朔と、その後ろで、白龍を守るように初めて手にした剣の重みにふらつきながらも強い瞳で怨霊を見据える望美。
季節は冬、史実の宇治川の戦いは寿永3年の1月に行われたからして、あたりは凍りついた川面からの底冷えするような冷気と瘴気混じりの霧に包まれてどことなく背筋が凍るような嫌な寒気がする。その白と灰色とが斑模様の景色の中に二人凛と立つ神子たちは、片や菖蒲のように厳かに、片や桃のように華やかに。海都が知っているとおりの初邂逅を終えて、共に、今から怨霊と戦おうという瞬間にあった。
ああ、あの美しい二つの花にこれからは自分が並ぶのか。
そう思えばとてつもない気後れがするが、神子としてこの世界に喚ばれたからには背に腹は替えられまい。まだ応龍の手の温もりが柄に残る双剣を握りなおす。
覚悟を決めた。目的は彼女らと違えども、龍神の神子としてその時までは共に。
「ご助力致します。神子様方」
「っ!?」
「誰!?」
朔は、既に怪我を負っている。望美がこの世界のしくみについて、自身が白龍の神子であるということについて知るために、この戦いは避けられない。が、長引かせたところで何か得があるわけでもなし。海都は朔の左隣に駆け寄った。まだ少し、双剣の重みに腕がふらつく。それでも、望美だってここで戦う覚悟を決めたのだから、自分が臆してはいられない。
「……怨霊の足止めは、私が。黒龍の神子様、あなたは、そこのお嬢さんに怨霊について説明を」
「え、ええ」
朔が戸惑いながらも頷いて、きょとんとしている望美に「あなた、怨霊を見るのは初めて?」と問いかけたのを確認してから、海都はだらりと腕ごと投げ出した剣の重さに引っ張られるように身体を倒して加速して、一気に怨霊との距離を詰める。
この世界に飛ばされる前は、舞台観劇ということもあってそれなりに高めのヒールにタイトなロングスカートと、あまり動き回るには向いていない格好をしていたはずだったが。さすがは、天界で妖魔討伐の将として自らも実戦に赴く応龍の見立てか。足下は底がしっかりとした革のブーツになっているし、胸や腕に当ててある最低限の鎧も基本的には革製のものとあって軽く身動きも取りやすい。下の衣がいかにも華流時代劇でよく見るような男物の唐装で、暗めの赤い布地に銀糸で龍が刺繍してあるのは明らかに彼の趣味と思われた。
神子が女だからといって、同じ唐装でも女物を選ばないあたりがいかにも合理的で明快だ。剣を握って戦いに赴くならば、動きやすさは生存率に直結する。海都自身、仕事においては洒落っ気よりも効率重視で服装やメイクを選ぶタチだから、応龍の判断は全く以て完璧と言えた。あと、白龍と同じ感性でミニスカートを選ばれた日には、アラサーに片足突っ込んだ女にあの丈のスカートで走り回る勇気はさすがにもうないぞと羞恥心で死ぬところだったので、それが回避できただけでも御の字だ。
「はぁっ!」
気合裂帛。
宇治川初戦の怨霊は一体、土属性。それくらいは覚えている。と言うよりも、もはや記憶に染み付いている。木剋土、必要なのは木属性だが、八葉で木属性を持つ将臣と九郎はこの時点ではまだ一行に合流しない。さて、自分の持つ属性はどうか。海都は剣を握る手に力を込めた。無双にも遙かとはものは違うが武器に属性を付与することはできるシステムだったから、きっと、この剣にも載せようと思えば属性はのるはず。
果たして、肘の下からさっと血でも流れ出ていくように手首を伝って手の平から剣に乗った色は、緑がかった青、木属性を表す色だった。ラスボスに金属性が多い遙か3においてそれが好都合とは言いがたいが、いまあかりはありがたい。青い光をまとった右手の刃を、怨霊が手にするボロボロの刀ごと押し込むように振りかぶる。続けて、ダメ押しとばかりに左手の刀で胴を一閃。鎧を着込んだ骸骨は、その見た目の印象とは裏腹に、手応えという手応えの得に感じられないままザシュッというおなじみの音を立てて切り裂かれた。
が、怨霊は、ただ斬られただけでは終わらない。
「やった……! 倒したよ!」
「いいえ!」
「ギ……ギギギ……」
「ええっ、また出てきたどうして!?」
木属性の剣気に一度は霧消した怨霊が、再度、瘴気をまとって骸骨武者の姿に収束する。
『遠呂智が身に受けた妖魔も、これからお前が相対する怨霊も、瘴気を纏う穢れた存在であることに違いは無い。が、大きな判別の点として、怨霊は瘴気の塊であって実体を持たない者が多いというのが特徴だ……無論、外的な力で補強された、あるいは、高位の怨霊となればその限りではないが。遠呂智の力は妖魔を従属させる。これは、実体を持つ上位の怨霊も含めてだが、実体を持たない下位の怨霊には使えない。理由はわかるか』
『……下位の怨霊は言わば、戦場や骸に残った恨み辛み、悲嘆が瘴気を纏っただけのもの。遠呂智の神威を感じ取り、それに傅き従うほどの知能を持たない…………?』
『本当に、お前は聡くて助かる。いかにも、その通りだ』
これが、中ボスや終盤マップに散見される実体持ちの敵だったなら、力試しとばかりに従属させてみるのも手ではあったが。骸骨武者に従属の力が通用しないことは、時空の狭間を抜ける間に応龍から簡単な手ほどきをうけていた。
とすれば、方法は一つ。倒れ伏していた小さな身体を痛々しげに起こす幼い白龍を、ちらと見遣る。無論、自身の神子をすぐにそれと悟った龍は、桃の花の如き少女に健気な声を投げ掛けた。
「神子! 封じて──あなたの力で!」
「えっ!?」
「あなたが、神子? あなたが、私の対──白龍の神子なの?」
「私? し、知らないよ。そんなこと言われても、なんの話だかさっぱり──」
本当は、自分でも封印しようと思えばできるのだ。
応龍は、白龍と黒龍の大本たる存在。その神子である海都には、白龍由来の封印の力も、黒龍由来の沈静の力も備わっている。だが、今ここでやるべきは、春日望美に自身が白龍の神子であると、怨霊を封印する力を持っていると自覚させること。そこに、海都が手を出す余地はない。
春日望美が白龍の神子としてこの異世界で生きていく決意をするためのきっかけがなければ、遙か3は始まらない。
「封じましょう。あなたが白龍の神子なら、封印の力があるわ。私もあなたを助ける。怨霊の力を鎮めるから」
「そんなこと、言われても……」
(戸惑っても、恐ろしくても、それでも貴女は剣を取る。春日望美、私の知る貴女は、目の前で他の人間が自分の代わりに戦っているのを目にして、平静ではいられないから)
「お願い、黒龍。私に力を……」
朔が目を閉じ、胸の前で腕を組む。瞬間、剣に裂かれ激昂していた骸骨武者の猛攻の手が、不意に緩んだ。
「神子、願って。封印の力を」
「──私は、願う。あの怨霊を封印する力を!」
龍は、神子の願いを受けて力を巡らせる存在。故に、力の大半を失っている幼い白龍では、望美がその願いを口に出して補強してやらなければ、彼女に封印の力を与えるという簡単なことでさえ満足にはしてやれない。
そこからの望美は、早かった。元々考えるよりは行動で示すタイプの活発な気性であるから、一度こうだと決めたらあとは気合いで乗り越えるのみだ。流れるように剣に手を添え、祈るように目を閉じる。自然、海都も瞳を閉じた。敵と刃を交わしている状況でそうすることはあまりにも無防備だと思ったが、彼女たちがやり遂げると知っていたから、躊躇いはない。
「めぐれ、天の声!」
「──響け、地の声!」
「かのものを封ぜよ!」
封印の瞬間は、美しかった。浄化された怨霊の魂が七色の光の粒となって砕け散り、大気に溶け、五行に還っていく。
「消え……た……?」
そう望美が呟いた後には、ただ、しんと静まりかえった宇治川の地が広がるのみ。は、と押し込めていた呼吸をどうにか痛む肺から絞り出して、海都は手にしていた剣を軽く振った。
元々いた世界では、興味もあって剣道や殺陣を学んでいたが。実物の剣を実際に奮い敵と戦うとなれば、勝手が違う。怨霊相手に刀身に血はつかないと頭では分かっていても、癖付いた血振りはそこまで終えて初めて気を抜けるものだった。そも、あちらでは双剣での殺陣など習っていないので、そこからまず困惑尽くしなのだが。
「これで、あの怨霊はいなくなったの?」
「ええ、怨霊は封印されたわ。あなたも、ありがとう……怪我はない?」
「ご心配には」
実際、好きで好きでたまらなかったゲームのキャラクターたちと相対したら、どんな反応をしようと短い間に色々考えてもみた。望美と同じようにもっと愛想良く、親身に付き合うということも一つの案としては良いのではないかと思ったが、これからのことを考えるとあまり深入りしすぎた時の心理的なダメージが怖くて躊躇った。結局、十六夜記の銀を踏襲した、どことなく他人行儀な風を装ってしまう。
安堵したように息をついた朔の後ろで、白龍の金色のまなこが、じっとこちらをうかがっていた。
「封印できたのは、あなたのおかげね」
「そう……なの? 全然実感無いけど……。私はたいしたことしてないよ。最初にかばってもらったのは、私の方だし。この子にも、助けてもらっちゃって」
「うん、私は神子を助力する」
白龍は、とろけるように可愛らしい笑顔で望美を見上げた。こういう愛想が応龍にもあれば、彼はもう少し取っつきやすいのだろうに、一体あの龍のどこの要素を抽出したら、この可愛らしい白龍が生じるのか不思議でならない。
三人の自己紹介を横に聞きながら、ふと、海都は剣をどうしまおうかと思案した。普通、刀は鞘があるものだし、腰に吊るなり帯に差すなり帯剣にも方法があるものだ。が、応龍から渡された双剣は抜き身であったしこの衣服には、鞘にできるようなものも剣を帯びるための具足も特別見当たらない。
さて、どうしようかと握ったままの双剣を見おろした瞬間、
─神子。
「っあ!? 応龍!?」
「応龍?」
──その剣だが、敵に合わせて任意でお前の霊力を敵の相克に合わせた五行に変換する性質を持つ。それと、その剣は空気中の五行の力の凝縮で形どっているから、手を空けたいときはそう願えば勝手に空気に溶けて消える。逆も又然りだ。
自分は時空の狭間からでられないと宣った龍が、問答無用で脳内会話を仕掛けてきた。これにはさすがに海都も驚いて、うっかり声をあげてしまう。まずい、朔と望美と白龍が今ちょうど、幼い子どもが白龍と名乗ったことについて語り合い、望美が自身の置かれた状況についての疑問を二人に投げ掛けていたところだったのに。
無垢なまなこが三つ、じっと、海都の方を見た。一人は突然黒龍と白龍の根源たる龍神の名を叫んだ女への疑問を、一人は更に耳馴染みのない言葉が増えて困惑した顔で、一人は何もかもを納得ずくだと言わんばかりの透明な眼差しで。こうなれば、愛想笑いで「お気になさらず……」などとごまかせる場合ではない。
後で時空の狭間を再訪したとき、とりあえず応龍を一発殴ろうと心に決めて、海都は「はじめまして」と挨拶を返した。そこで、三人は海都に名前を尋ねていなかったことを思い出したらしい。まずは朔が「あなたの名前は?」と、最も穏便で当たり障りのない質問を投げ掛けてくる。
「葦原海都、異世界より、遠呂智の神子……ああ、どっちで名乗ればいいんだろう。応龍の神子として喚ばれた女です。黒龍の神子様」
「えっ、あなたも神子なの?」
「うん。神子、この人は遠呂智の神子。私や黒龍の大本である、応龍に喚ばれた神子だよ」
「遠呂智……伝承では、黒龍と白龍の双方が失われたときに復活すると言われている、応龍の荒魂ね。私達対の神子を傍観する、白龍と黒龍、いずれかが欠けた時にのみ喚ばれる第三の神子……」
(あ、そういう扱いなんだ?)
まぁ確かに、遠呂智が復活しそうな場合ということは、白と黒、二つの封印の鍵のいずれかが解けてしまって復活に王手がかかったタイミングでしか喚ばれない、イレギュラーな神子なのだろう。ある意味では、白龍の神子のように近い時代に類似例がない上、遠呂智の封印を最たる使命としている分、好きに動いてもそれほど目くじらを立てられないということか。
「お三方、まずはこの場所を離れた方がいいでしょう。……宇治川の下流、橋姫神社へ向かってください。ここはまた、怨霊がでるかもしれないから」
「でも、あなたは?」
「私は、元々ここには遠呂智の件で調べ物があって来たのです。それが終われば、合流しましょう。さ、お早く」
望美は知るよしも無いが、既にこの時点、リズヴァーンは動いている。彼が望美と顔を合わせるのは宇治川で初対面を果たす場合、有川譲との再会を終えた後だ。その前に、一度、彼と一人で相対してみたかった。そのためには、一刻も早く三人に橋姫神社の方に向かってもらわねばならない。
内心の計画をおくびにもださず、仕事で培った無難な笑顔を貼り付けて、海都は結局手にしたままの剣を振ってみせる。自分は一人でも戦えるのだと示してやらねば、遠呂智の神子もまた封印の力を持つと知る白龍はともかく、朔と望美が納得しないだろう。実際、二人が「わかった」と首を振るまで、思案の時間はたっぷり三十秒を要した。
「わたしたちは、先に橋姫神社へ向かうわ……必ず、後を追ってきてちょうだいね」
「絶対だよ! 待ってるからね!」
「はい、必ず」
あたりを警戒しながら、三人が川の下流へと駆けていく。その背中が随分と遠くなって、そうして見えなくなったあたりで、やっと、海都は貼り付けていた笑顔をやめた。銀ぶって適度に距離を置こうと決めたはいいが、営業スマイルは仕事のときだけにしておきたいのが本音なのだ。
根本的に、しおらしく物腰丁寧な人格にはできていない。そうして、こういうときに言葉を選べる人間でも。
「リズ先生、いますよね?」
「……お前は、何者だ」
ピリ、と、怨霊が浴びせてくるめちゃくちゃな喚きにも似た瘴気とは全く質の異なる、明確な殺気が海都を貫いた。
「貴方が"私のいる運命"にたどり着いたのはこれが初めて、という認識で間違いなさそうですね……。それが確認できれば、十分です。私の説明は省きます。さっきも、聞いていたんでしょう?」
ブゥン、と空間が歪んで、大男が足音ひとつなく目の前に現れる。やはりさっきの三人に比べれば反応が刺々しく、むしろ、この反応が正解だよな……と、安堵する気さえした。
月明りを閉じ込めたような癖のある長い金の髪、北欧の冬の朝のような薄藍の瞳。漆黒の衣服の隙間に同じく黒いシャムシールを隠して、いつでも、こちらが不審な動きをすれば斬りかかってこれるようにと、無防備な直立を保っているように見えてしっかりと警戒を欠かさない。自ルートでの鬼ごっこと最年長でありながら最年少でもあるという過去で多くのプレイヤーの度肝を抜いた、九郎と望美の剣の師匠にして、もう一人の"白龍の逆鱗"の持ち主。鬼の一族の末裔・リズヴァーンが立っていた。
元ゲームでの推しの一人である。正直、めちゃくちゃ馴れ馴れしくいきたかったが、生憎リズヴァーンがプレイヤーに超甘々対応なのはプレイヤーが春日望美のポジションだったからであって、現在、海都は望美とは別存在としてこの世界にいる。つまり、彼からの全肯定甘やかし(自ルート中盤除く)は期待できない。
「遠呂智の神子、と、言ったな」
「いかにも。白龍と黒龍、いずれか片方が欠けた場合、万一双方が欠けて応龍の荒魂である遠呂智が復活し世が滅ぶことがないように、と、遠呂智再封印の要石となるため喚ばれる第三の神子。これまで渡った運命では、私とは会いませんでしたか」
「おまえは……私の何を、知っている」
「貴方が、白龍の逆鱗を保持していること。春日望美がこの戦を生きて乗り切り、平穏無事に元の世界へ帰ることだけを心の底から願っていること。そうして、そのためならばいかな犠牲も、特に、自分自身のことなどどうでもいいと捨て鉢なこと」
それで何度、貴方のルートで時間跳躍したことか。とは、さすがに言わない。言った所で、意味が無い。
数分の、静寂があった。
海都としては確認したいことは済んだので橋姫神社に向かいたいところだったが、生憎、この世界のことはゲーム上のマップでしか知らない。迷子になるくらいなら、リズヴァーンに道案内を頼みたいところだ。が、その当人が何かを考え込んでいてこちらに目をくれないので困った。
「おまえは、私の目的を阻むつもりか」
「全く? そこは好きにしてください。私はあくまで、遠呂智の再封印が使命ですから。むしろ、白龍の神子と白龍に何か起きると、遠呂智復活が秒読みになるので。どちらかと言えば、協力者として彼女の守護の手伝いをさせて欲しいというのが本音ですかね」
「……わかった」
ただでさえ感情の起伏が少ないのに、顔の半分を布で覆っているせいで余計に何を考えているのか分からない。ゲームではチョロいなと思っていたが、実際に会ってみると結構怖いな、と、海都はリズヴァーンへの認識を多生改める。まぁ、あの純粋培養光属性の九郎が慕うのだし、中身は望美に助けられた過去をひたすら反芻しまくって思春期前に思考にロックがかかった情緒が若干未発達の少年だ。付き合い方さえきちんと考えれば、デレまでは行かずとも多少この態度は緩和されるだろう。
ともかく、今は橋姫神社への道案内が要るのだ。それをリズヴァーンに告げれば、彼は珍しく呆れたような声色で一言、
「先ほどの、必ず後を追うというあの言葉は何だったのだ……?」
と、苦言を呈して海都を先導してくれた。
時空の渦を抜けて降り立ったそこは、正に、幾度とプレイした一章宇治川のその通りの状況だった。
「あなた、お逃げなさい。ここは……私が」
「逃げろなんて! そんなこと言われても……あなたを置いて、逃げられないよ!」
扇を構え、まだこの世界に来たばかりの何も知らない望美を庇うように怨霊と相対する朔と、その後ろで、白龍を守るように初めて手にした剣の重みにふらつきながらも強い瞳で怨霊を見据える望美。
季節は冬、史実の宇治川の戦いは寿永3年の1月に行われたからして、あたりは凍りついた川面からの底冷えするような冷気と瘴気混じりの霧に包まれてどことなく背筋が凍るような嫌な寒気がする。その白と灰色とが斑模様の景色の中に二人凛と立つ神子たちは、片や菖蒲のように厳かに、片や桃のように華やかに。海都が知っているとおりの初邂逅を終えて、共に、今から怨霊と戦おうという瞬間にあった。
ああ、あの美しい二つの花にこれからは自分が並ぶのか。
そう思えばとてつもない気後れがするが、神子としてこの世界に喚ばれたからには背に腹は替えられまい。まだ応龍の手の温もりが柄に残る双剣を握りなおす。
覚悟を決めた。目的は彼女らと違えども、龍神の神子としてその時までは共に。
「ご助力致します。神子様方」
「っ!?」
「誰!?」
朔は、既に怪我を負っている。望美がこの世界のしくみについて、自身が白龍の神子であるということについて知るために、この戦いは避けられない。が、長引かせたところで何か得があるわけでもなし。海都は朔の左隣に駆け寄った。まだ少し、双剣の重みに腕がふらつく。それでも、望美だってここで戦う覚悟を決めたのだから、自分が臆してはいられない。
「……怨霊の足止めは、私が。黒龍の神子様、あなたは、そこのお嬢さんに怨霊について説明を」
「え、ええ」
朔が戸惑いながらも頷いて、きょとんとしている望美に「あなた、怨霊を見るのは初めて?」と問いかけたのを確認してから、海都はだらりと腕ごと投げ出した剣の重さに引っ張られるように身体を倒して加速して、一気に怨霊との距離を詰める。
この世界に飛ばされる前は、舞台観劇ということもあってそれなりに高めのヒールにタイトなロングスカートと、あまり動き回るには向いていない格好をしていたはずだったが。さすがは、天界で妖魔討伐の将として自らも実戦に赴く応龍の見立てか。足下は底がしっかりとした革のブーツになっているし、胸や腕に当ててある最低限の鎧も基本的には革製のものとあって軽く身動きも取りやすい。下の衣がいかにも華流時代劇でよく見るような男物の唐装で、暗めの赤い布地に銀糸で龍が刺繍してあるのは明らかに彼の趣味と思われた。
神子が女だからといって、同じ唐装でも女物を選ばないあたりがいかにも合理的で明快だ。剣を握って戦いに赴くならば、動きやすさは生存率に直結する。海都自身、仕事においては洒落っ気よりも効率重視で服装やメイクを選ぶタチだから、応龍の判断は全く以て完璧と言えた。あと、白龍と同じ感性でミニスカートを選ばれた日には、アラサーに片足突っ込んだ女にあの丈のスカートで走り回る勇気はさすがにもうないぞと羞恥心で死ぬところだったので、それが回避できただけでも御の字だ。
「はぁっ!」
気合裂帛。
宇治川初戦の怨霊は一体、土属性。それくらいは覚えている。と言うよりも、もはや記憶に染み付いている。木剋土、必要なのは木属性だが、八葉で木属性を持つ将臣と九郎はこの時点ではまだ一行に合流しない。さて、自分の持つ属性はどうか。海都は剣を握る手に力を込めた。無双にも遙かとはものは違うが武器に属性を付与することはできるシステムだったから、きっと、この剣にも載せようと思えば属性はのるはず。
果たして、肘の下からさっと血でも流れ出ていくように手首を伝って手の平から剣に乗った色は、緑がかった青、木属性を表す色だった。ラスボスに金属性が多い遙か3においてそれが好都合とは言いがたいが、いまあかりはありがたい。青い光をまとった右手の刃を、怨霊が手にするボロボロの刀ごと押し込むように振りかぶる。続けて、ダメ押しとばかりに左手の刀で胴を一閃。鎧を着込んだ骸骨は、その見た目の印象とは裏腹に、手応えという手応えの得に感じられないままザシュッというおなじみの音を立てて切り裂かれた。
が、怨霊は、ただ斬られただけでは終わらない。
「やった……! 倒したよ!」
「いいえ!」
「ギ……ギギギ……」
「ええっ、また出てきたどうして!?」
木属性の剣気に一度は霧消した怨霊が、再度、瘴気をまとって骸骨武者の姿に収束する。
『遠呂智が身に受けた妖魔も、これからお前が相対する怨霊も、瘴気を纏う穢れた存在であることに違いは無い。が、大きな判別の点として、怨霊は瘴気の塊であって実体を持たない者が多いというのが特徴だ……無論、外的な力で補強された、あるいは、高位の怨霊となればその限りではないが。遠呂智の力は妖魔を従属させる。これは、実体を持つ上位の怨霊も含めてだが、実体を持たない下位の怨霊には使えない。理由はわかるか』
『……下位の怨霊は言わば、戦場や骸に残った恨み辛み、悲嘆が瘴気を纏っただけのもの。遠呂智の神威を感じ取り、それに傅き従うほどの知能を持たない…………?』
『本当に、お前は聡くて助かる。いかにも、その通りだ』
これが、中ボスや終盤マップに散見される実体持ちの敵だったなら、力試しとばかりに従属させてみるのも手ではあったが。骸骨武者に従属の力が通用しないことは、時空の狭間を抜ける間に応龍から簡単な手ほどきをうけていた。
とすれば、方法は一つ。倒れ伏していた小さな身体を痛々しげに起こす幼い白龍を、ちらと見遣る。無論、自身の神子をすぐにそれと悟った龍は、桃の花の如き少女に健気な声を投げ掛けた。
「神子! 封じて──あなたの力で!」
「えっ!?」
「あなたが、神子? あなたが、私の対──白龍の神子なの?」
「私? し、知らないよ。そんなこと言われても、なんの話だかさっぱり──」
本当は、自分でも封印しようと思えばできるのだ。
応龍は、白龍と黒龍の大本たる存在。その神子である海都には、白龍由来の封印の力も、黒龍由来の沈静の力も備わっている。だが、今ここでやるべきは、春日望美に自身が白龍の神子であると、怨霊を封印する力を持っていると自覚させること。そこに、海都が手を出す余地はない。
春日望美が白龍の神子としてこの異世界で生きていく決意をするためのきっかけがなければ、遙か3は始まらない。
「封じましょう。あなたが白龍の神子なら、封印の力があるわ。私もあなたを助ける。怨霊の力を鎮めるから」
「そんなこと、言われても……」
(戸惑っても、恐ろしくても、それでも貴女は剣を取る。春日望美、私の知る貴女は、目の前で他の人間が自分の代わりに戦っているのを目にして、平静ではいられないから)
「お願い、黒龍。私に力を……」
朔が目を閉じ、胸の前で腕を組む。瞬間、剣に裂かれ激昂していた骸骨武者の猛攻の手が、不意に緩んだ。
「神子、願って。封印の力を」
「──私は、願う。あの怨霊を封印する力を!」
龍は、神子の願いを受けて力を巡らせる存在。故に、力の大半を失っている幼い白龍では、望美がその願いを口に出して補強してやらなければ、彼女に封印の力を与えるという簡単なことでさえ満足にはしてやれない。
そこからの望美は、早かった。元々考えるよりは行動で示すタイプの活発な気性であるから、一度こうだと決めたらあとは気合いで乗り越えるのみだ。流れるように剣に手を添え、祈るように目を閉じる。自然、海都も瞳を閉じた。敵と刃を交わしている状況でそうすることはあまりにも無防備だと思ったが、彼女たちがやり遂げると知っていたから、躊躇いはない。
「めぐれ、天の声!」
「──響け、地の声!」
「かのものを封ぜよ!」
封印の瞬間は、美しかった。浄化された怨霊の魂が七色の光の粒となって砕け散り、大気に溶け、五行に還っていく。
「消え……た……?」
そう望美が呟いた後には、ただ、しんと静まりかえった宇治川の地が広がるのみ。は、と押し込めていた呼吸をどうにか痛む肺から絞り出して、海都は手にしていた剣を軽く振った。
元々いた世界では、興味もあって剣道や殺陣を学んでいたが。実物の剣を実際に奮い敵と戦うとなれば、勝手が違う。怨霊相手に刀身に血はつかないと頭では分かっていても、癖付いた血振りはそこまで終えて初めて気を抜けるものだった。そも、あちらでは双剣での殺陣など習っていないので、そこからまず困惑尽くしなのだが。
「これで、あの怨霊はいなくなったの?」
「ええ、怨霊は封印されたわ。あなたも、ありがとう……怪我はない?」
「ご心配には」
実際、好きで好きでたまらなかったゲームのキャラクターたちと相対したら、どんな反応をしようと短い間に色々考えてもみた。望美と同じようにもっと愛想良く、親身に付き合うということも一つの案としては良いのではないかと思ったが、これからのことを考えるとあまり深入りしすぎた時の心理的なダメージが怖くて躊躇った。結局、十六夜記の銀を踏襲した、どことなく他人行儀な風を装ってしまう。
安堵したように息をついた朔の後ろで、白龍の金色のまなこが、じっとこちらをうかがっていた。
「封印できたのは、あなたのおかげね」
「そう……なの? 全然実感無いけど……。私はたいしたことしてないよ。最初にかばってもらったのは、私の方だし。この子にも、助けてもらっちゃって」
「うん、私は神子を助力する」
白龍は、とろけるように可愛らしい笑顔で望美を見上げた。こういう愛想が応龍にもあれば、彼はもう少し取っつきやすいのだろうに、一体あの龍のどこの要素を抽出したら、この可愛らしい白龍が生じるのか不思議でならない。
三人の自己紹介を横に聞きながら、ふと、海都は剣をどうしまおうかと思案した。普通、刀は鞘があるものだし、腰に吊るなり帯に差すなり帯剣にも方法があるものだ。が、応龍から渡された双剣は抜き身であったしこの衣服には、鞘にできるようなものも剣を帯びるための具足も特別見当たらない。
さて、どうしようかと握ったままの双剣を見おろした瞬間、
─神子。
「っあ!? 応龍!?」
「応龍?」
──その剣だが、敵に合わせて任意でお前の霊力を敵の相克に合わせた五行に変換する性質を持つ。それと、その剣は空気中の五行の力の凝縮で形どっているから、手を空けたいときはそう願えば勝手に空気に溶けて消える。逆も又然りだ。
自分は時空の狭間からでられないと宣った龍が、問答無用で脳内会話を仕掛けてきた。これにはさすがに海都も驚いて、うっかり声をあげてしまう。まずい、朔と望美と白龍が今ちょうど、幼い子どもが白龍と名乗ったことについて語り合い、望美が自身の置かれた状況についての疑問を二人に投げ掛けていたところだったのに。
無垢なまなこが三つ、じっと、海都の方を見た。一人は突然黒龍と白龍の根源たる龍神の名を叫んだ女への疑問を、一人は更に耳馴染みのない言葉が増えて困惑した顔で、一人は何もかもを納得ずくだと言わんばかりの透明な眼差しで。こうなれば、愛想笑いで「お気になさらず……」などとごまかせる場合ではない。
後で時空の狭間を再訪したとき、とりあえず応龍を一発殴ろうと心に決めて、海都は「はじめまして」と挨拶を返した。そこで、三人は海都に名前を尋ねていなかったことを思い出したらしい。まずは朔が「あなたの名前は?」と、最も穏便で当たり障りのない質問を投げ掛けてくる。
「葦原海都、異世界より、遠呂智の神子……ああ、どっちで名乗ればいいんだろう。応龍の神子として喚ばれた女です。黒龍の神子様」
「えっ、あなたも神子なの?」
「うん。神子、この人は遠呂智の神子。私や黒龍の大本である、応龍に喚ばれた神子だよ」
「遠呂智……伝承では、黒龍と白龍の双方が失われたときに復活すると言われている、応龍の荒魂ね。私達対の神子を傍観する、白龍と黒龍、いずれかが欠けた時にのみ喚ばれる第三の神子……」
(あ、そういう扱いなんだ?)
まぁ確かに、遠呂智が復活しそうな場合ということは、白と黒、二つの封印の鍵のいずれかが解けてしまって復活に王手がかかったタイミングでしか喚ばれない、イレギュラーな神子なのだろう。ある意味では、白龍の神子のように近い時代に類似例がない上、遠呂智の封印を最たる使命としている分、好きに動いてもそれほど目くじらを立てられないということか。
「お三方、まずはこの場所を離れた方がいいでしょう。……宇治川の下流、橋姫神社へ向かってください。ここはまた、怨霊がでるかもしれないから」
「でも、あなたは?」
「私は、元々ここには遠呂智の件で調べ物があって来たのです。それが終われば、合流しましょう。さ、お早く」
望美は知るよしも無いが、既にこの時点、リズヴァーンは動いている。彼が望美と顔を合わせるのは宇治川で初対面を果たす場合、有川譲との再会を終えた後だ。その前に、一度、彼と一人で相対してみたかった。そのためには、一刻も早く三人に橋姫神社の方に向かってもらわねばならない。
内心の計画をおくびにもださず、仕事で培った無難な笑顔を貼り付けて、海都は結局手にしたままの剣を振ってみせる。自分は一人でも戦えるのだと示してやらねば、遠呂智の神子もまた封印の力を持つと知る白龍はともかく、朔と望美が納得しないだろう。実際、二人が「わかった」と首を振るまで、思案の時間はたっぷり三十秒を要した。
「わたしたちは、先に橋姫神社へ向かうわ……必ず、後を追ってきてちょうだいね」
「絶対だよ! 待ってるからね!」
「はい、必ず」
あたりを警戒しながら、三人が川の下流へと駆けていく。その背中が随分と遠くなって、そうして見えなくなったあたりで、やっと、海都は貼り付けていた笑顔をやめた。銀ぶって適度に距離を置こうと決めたはいいが、営業スマイルは仕事のときだけにしておきたいのが本音なのだ。
根本的に、しおらしく物腰丁寧な人格にはできていない。そうして、こういうときに言葉を選べる人間でも。
「リズ先生、いますよね?」
「……お前は、何者だ」
ピリ、と、怨霊が浴びせてくるめちゃくちゃな喚きにも似た瘴気とは全く質の異なる、明確な殺気が海都を貫いた。
「貴方が"私のいる運命"にたどり着いたのはこれが初めて、という認識で間違いなさそうですね……。それが確認できれば、十分です。私の説明は省きます。さっきも、聞いていたんでしょう?」
ブゥン、と空間が歪んで、大男が足音ひとつなく目の前に現れる。やはりさっきの三人に比べれば反応が刺々しく、むしろ、この反応が正解だよな……と、安堵する気さえした。
月明りを閉じ込めたような癖のある長い金の髪、北欧の冬の朝のような薄藍の瞳。漆黒の衣服の隙間に同じく黒いシャムシールを隠して、いつでも、こちらが不審な動きをすれば斬りかかってこれるようにと、無防備な直立を保っているように見えてしっかりと警戒を欠かさない。自ルートでの鬼ごっこと最年長でありながら最年少でもあるという過去で多くのプレイヤーの度肝を抜いた、九郎と望美の剣の師匠にして、もう一人の"白龍の逆鱗"の持ち主。鬼の一族の末裔・リズヴァーンが立っていた。
元ゲームでの推しの一人である。正直、めちゃくちゃ馴れ馴れしくいきたかったが、生憎リズヴァーンがプレイヤーに超甘々対応なのはプレイヤーが春日望美のポジションだったからであって、現在、海都は望美とは別存在としてこの世界にいる。つまり、彼からの全肯定甘やかし(自ルート中盤除く)は期待できない。
「遠呂智の神子、と、言ったな」
「いかにも。白龍と黒龍、いずれか片方が欠けた場合、万一双方が欠けて応龍の荒魂である遠呂智が復活し世が滅ぶことがないように、と、遠呂智再封印の要石となるため喚ばれる第三の神子。これまで渡った運命では、私とは会いませんでしたか」
「おまえは……私の何を、知っている」
「貴方が、白龍の逆鱗を保持していること。春日望美がこの戦を生きて乗り切り、平穏無事に元の世界へ帰ることだけを心の底から願っていること。そうして、そのためならばいかな犠牲も、特に、自分自身のことなどどうでもいいと捨て鉢なこと」
それで何度、貴方のルートで時間跳躍したことか。とは、さすがに言わない。言った所で、意味が無い。
数分の、静寂があった。
海都としては確認したいことは済んだので橋姫神社に向かいたいところだったが、生憎、この世界のことはゲーム上のマップでしか知らない。迷子になるくらいなら、リズヴァーンに道案内を頼みたいところだ。が、その当人が何かを考え込んでいてこちらに目をくれないので困った。
「おまえは、私の目的を阻むつもりか」
「全く? そこは好きにしてください。私はあくまで、遠呂智の再封印が使命ですから。むしろ、白龍の神子と白龍に何か起きると、遠呂智復活が秒読みになるので。どちらかと言えば、協力者として彼女の守護の手伝いをさせて欲しいというのが本音ですかね」
「……わかった」
ただでさえ感情の起伏が少ないのに、顔の半分を布で覆っているせいで余計に何を考えているのか分からない。ゲームではチョロいなと思っていたが、実際に会ってみると結構怖いな、と、海都はリズヴァーンへの認識を多生改める。まぁ、あの純粋培養光属性の九郎が慕うのだし、中身は望美に助けられた過去をひたすら反芻しまくって思春期前に思考にロックがかかった情緒が若干未発達の少年だ。付き合い方さえきちんと考えれば、デレまでは行かずとも多少この態度は緩和されるだろう。
ともかく、今は橋姫神社への道案内が要るのだ。それをリズヴァーンに告げれば、彼は珍しく呆れたような声色で一言、
「先ほどの、必ず後を追うというあの言葉は何だったのだ……?」
と、苦言を呈して海都を先導してくれた。