零章 運命の矢を射る
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ああ、やっぱりお前か。
時空の狭間に引っ張り込まれて意識を失った海都が目を覚ました時、海都の顔を覗き込んでいた長身の男は、やはり、自分が思っていたとおりの"応龍"の姿をしていた。
「葦原海都、だな」
「マジでOROCHIの応龍じゃん……」
目の前で自身の名を呼ぶ男を、完全に無視してまじまじと見る。
薄紫がかった柔らかい布地に金の刺繍が施された中華風の装束の上から銀と金の金属鎧を全身にまとい、青緑地に白く龍が染め抜かれたマントを靡かせる双剣使いの生真面目そうな黒髪ロン毛。海都がゲーム内で幾度と操作した、まごうことなき『無双OROCHI』の応龍である。
まかり間違っても、遙か3の特定のエンドでよく見る黒龍と白龍が交差したあのスチルのような姿では全くない。事前の「私の神子……」の下りが無ければ完全に、遙か世界ではなく無双世界へのトリップだと勘違いしていたことだろう。
海都は今度こそ大袈裟に溜め息を吐いた。もうここには、気にすべき人目はない。目の前でちょっと気まずそうにしている応龍以外には。
「お前には、遠呂智の神子として京へ向かって貰う」
「それはさっき聞いた。私が三人目の神子だってことも分かった。異世界の京に行くのもここまで来ちゃったからには承知してる。それより、何故この世界に無双の応龍 と遠呂智がいるのかを説明して欲しい」
「……? 白龍と黒龍は、俺の力を陰陽二つに分けたものだ。その力の大本たる応龍 がいて何が悪い」
「…………くっそ、天然なのは遙か属の龍神由来か!」
海都の個人的な意見で言えば、OROHIの応龍はなんというか「思い込みの激しい直情型」であり「疑うことを知らないやや堅物」というのが率直な印象だ。それに対して目の前にいる応龍はなんというか、見た目は無双由来100%であるのに対して、中身は割と遙かの白龍(おとなのすがた)に近いな……といった風情であるから、反応に困る。
生真面目そうな青年の姿をしているくせに、困った大型犬みたいな顔で受け答えしないで欲しい。ちょっと可愛いな、なんて、思ってしまったらだめだった。遙かの九郎しかり、この手の男はオタクの本能として世話を焼きたくなるものだ。乙女ゲームに心ときめかせて浮かれていたあの頃から、年を重ねればなおのこと。
「……結局私は、応龍の神子なの、遠呂智の神子なの」
「その二つの呼び名に違いは無い。応龍と遠呂智は、根源を一にする存在だからだ」
「つまり、遠呂智は応龍から生じた貴方の荒魂なのね?」
「先刻そう言った」
話を聞いていなかったのか? と言いたげに、応龍の顔がちょっとだけむすっとした。顔つきの割りにそういう仕草が子どもっぽいのがだめなんだってば、と、海都は完全に自分が、この龍神をかつて遙か3プレイ中に九郎を(恋愛対象というよりは放っておけない子という意味で)猫かわいがりしたのと同じノリで可愛がりたいと思い始めている点について早々に諦める。
他はともかく、この龍神の神子になることが確定している以上、彼とは長い付き合いになるのだ。要らない葛藤は早めに捨てるか諦めるかして精神的に安定しようと思った。そもそも、強面の男の困り顔に海都は存外弱いオタクだった。
「私が知る遠呂智は……天帝の元で妖魔と戦う将仙だった応龍が、妖狐・玉藻前の奸計で騙されて天帝と不和を起こし、天帝があらゆる妖魔を封じるために使っていた神鏡を唆されて壊してしまった結果、神鏡に封じられていた妖魔を全て一身に浴びてしまって闇落ちした姿……という認識だったんだけど」
「大まかな部分は間違っていない。が、いくつか訂正するとしたら、まず、俺を唆したのは玉藻前ではなく、荼枳尼天だということか?」
「荼枳尼……ああ~、なるほどね?」
北条政子に取り憑く前に、天界でとんでもないことやらかしてんねぇ。と海都がぼやば、応龍は意外そうに眉を上げて、知っていたのか、と呟いた。
知っているもなにも、北条政子に荼枳尼天が取り憑いているという点に関しては、遙か3のプレイヤーならまず間違いなく共通認識として持っている大前提の部分だ。泰衡の父親殺しも、景時の裏切りも、銀の廃人化も、元はと言えば全てあの狐のせい。荼枳尼天とのラスボス戦を、何度やったことか。
海都は必ず自分の属性を火でプレイするタイプの神子だったので、金属性である荼枳尼天にはそれほど苦戦しなかった印象だが。木属性でプレイしていた友人が将臣ルートで阿鼻叫喚していたのは(他人事なので)良い思い出だ。
「それと、遠呂智は闇落ちというより……人柱に近いな」
「人柱?」
「神鏡が砕けた以上、封じられていた妖魔は行き所がない。しかし、奴らを野放しにすれば天界が乱れる。そう判断して、俺は魂を二つに分けた。片方はそのまま応龍として、片方を神鏡の代わりに妖魔を封じる器として。結果、妖魔を封じた魂が遠呂智という荒魂に変じたから、封印した」
「その流れの方が正直納得できる~。無双OROCHI2Ultimateも今からでいいからこの設定に変更してよ。今の設定じゃ3以降の話と矛盾してるし」
「何の話だ」
「いや、こっちの話」
不思議そうに首をかしげる応龍を放置して、海都は、初めてOROCHI3をプレイした時を思い出して苦笑した。2Ultimateで応龍が天帝を殺して神鏡を割ったくだりは目撃者不在で迷宮入りしていたはずなのに、何故か3では仙界の住人がみんな口を揃えて「嫌な事件だったね……」という風に話していた上に、ゲームの都合上本来既に遠呂智に変じてしまっていてこの世に存在しないはずの応龍が当たり前のようにストーリー加入するので、初プレイ時にモヤッとしていたのだ。
遠呂智が応龍の闇落ちでなく、神鏡代わりに妖魔の容れ物となった応龍の魂の半分というならば、確かに辻褄も合うしゲームのシナリオにも矛盾しないいい折衷案だろう。公式もこの説を今からでも逆輸入してはくれまいか。が、残念ながらこの世界は遙か世界であるが故に、無双OROCHIは存在しない。
「遠呂智を封印し続けるための重石が、応龍の力。そうして、貴方はその力を更に白龍と黒龍の二つに分割した、という認識であってる?」
「間違いない。鍵は一つより、二つの方がいいだろうと考えた結果だ。実際……平家が黒龍の逆鱗を保持し黒龍が失われている今、鍵が二つでなければどうなっていたことか」
「……黒龍と白龍、双方の力が失われたら、遠呂智は復活してしまうわけね?」
「ああ、神鏡が砕けたのと同じように。その時は、お前の身体を新たな『封印の容れ物』にする」
「……へぇ?」
苦渋の決断を迫られたとでも言いたげな、苦々しい声で応龍は言った。ぐっと寄せられた眉間に影が落ち、ただでさえとっつきづらい生真面目な顔が余計に子ども泣かせの様相を呈する。
しかし、海都はその発言にも顔つきにも、今更驚きさえしなかった。
遠呂智は言ってしまえば無数の妖魔の穢れの塊であり、それを封じ閉じ込めるために鏡や魂という容れ物が必要になるならば、遠呂智の神子の最終的な目的が"遠呂智の再封印"である以上、自分が人柱ないし生け贄の役目も持つのだろうな、というのは何となく話の流れで考えつくことだ。実際、無双OROCHIでは遠呂智復活のために彼の魂を下ろす容れ物として、酒呑童子が人柱(鬼柱?)にされるというシナリオも存在している。
まぁそんなこったろうと思ったよ、と納得しかなく冷静に腕を組んだままの海都を見おろして、逆に慌てたのは応龍の方だった。
頭の中で色々とシナリオ展開や設定の考察を繰り広げるため返事がおざなりな海都のことを、容れ物扱いしたことで機嫌を損ねたらしいと元来の早とちりで一直線に誤解する。
突然知らない世界に連れてこられたばかりか、万が一のと気になったら人柱になってくれなど、やはり、いくら気丈そうであっても神仙でもましてや英雄や武者でもない女性に言うべきでは無かった……。思い込みの激しさと思考回路が行動に直結する速さだけは妖狐のお墨付きを貰った(そうして魔王・遠呂智を産んだ)実績有りの龍神は、お手本のように綺麗な角度で頭を下げた。
人間界ではそれが誠意を表す印らしいと、一応それくらいは事前学習していた。
「すまない」
「むしろ、ただの人間が不思議パワーだけで遠呂智封印とか無理な話だからまぁ妥当かなって……え、応龍なんで頭下げてる?」
「?」
ほんの少し、いつもきりりと上がっている眉毛がハの字になって、若干まとっていた覇気がない。上背のある屈強な体躯をできるだけ綺麗に折りたたんで頭を下げる応龍に、遠呂智封印に関する考察の海から戻ってきた海都はぎょっとして飛び退いた。横で大男が勢いよく頭を下げたことにさえ気付かずに、考え事をしていた自分に引いた。
「いや、いきなり喚んで万が一には人柱など、いくら何でも女性に頼むことではない、と……」
「そんなこと!?」
「お前にとっては、そんなことで済む話なのか!?」
まさか自分の神子に「ほんとうにチョロくて感情的で威厳が無くて可愛いな」などと思われているとはつゆ知らず、応龍は意味が分からない、と言う顔で海都に叫んだ。
まぁ、何の知識も心構えも無い人間が同じ話を聞いたならば、不機嫌になるなり泣き出すなり、もっと他のアプローチもあっただろう。しかし、海都はそれなりの年月無双シリーズをプレイし続けている。遙か3も八年前のこととは言え、全クリして全員の協力技も会話文記の選択肢も全て開けた女だ。これしきの話で「私一体どうなっちゃうの~はわわ」と慌てるようなヤワな精神をしていたら、あれらのゲームには到底ついて行けない。
遙か3一周目の確定全滅ENDだとか、無双OROCHI2の司馬昭・竹中半兵衛・馬超以外全員妖蛇に殺された所から始まるオープニングだとか。OROCHI2の開幕は、なまじ真・三國無双6、7で馬岱をこよなく愛したがために馬岱が馬超を生き延びさせるため自分が死ぬことを選んだくだりでかなりのダメージを受けたことも今となっては懐かしい。なお、OROCHI3Ultimateでは一目惚れだったハデスがゴリゴリのラスボスで心を滅多刺しにされた。
海都は、こと二次元に於いては推しないしは好き好んだ作品が苛烈で苦しいオープニングを迎えがちなところがあった。故に、自分がそれに巻き込まれる妄想も一通り済ませてある。まさか本当に神子として異世界に喚ばれる展開は想定していなかったが、まぁ、なってしまったものは仕方が無いと割り切る度胸は無駄にあった。そして、邪推と妄想力も多分にあった。
「いや、人柱が必要なのはあくまで、遠呂智の新しい"器"がないと、妖魔が人間界にも悪影響を及ぼすからだよね……?」
「ああ」
「そうして、遠呂智の器として彼を封印しえるのが今の所応龍の力を内包するものしか思い当たらないから、これ以上応龍の魂が分割できないからには、遠呂智の神子が必要?」
「察しが良いな。そうだ」
「じゃあ、"応龍の逆鱗"がもし、作れたら?」
「……!」
かつて妖魔を封印していた天帝の神鏡と強度、あるいは格が釣り合うものしか遠呂智の器になり得ないとして。応龍の魂、あるいは応龍の神子がそれになり得るならあ、必然、応龍に逆鱗があるならば神子が人柱になる必要はあるまい。海都は、ここまでの応龍の話を聞いてそう推察していた。案の定、応龍がそわっと自分の首元を右手で撫でて「確かに……」と呟く。
龍の逆鱗は龍神の力の源であるから、普通、龍神は自らそれを引っぺがして何かに活用しようとは考えない。が、海都は知っている。白龍の神子……春日望美が介入する遙か3の世界においては、時間遡行とタイムパラドクスの都合で、白龍の逆鱗が最大3枚同時に存在する時間軸があるのだ。なら、応龍の逆鱗も枚数を増やせるに違いない。
「だが、俺のこれを使うわけには……」
「白龍と黒龍が和合して応龍になるなら、逆鱗も、白龍の逆鱗と黒龍の逆鱗を和合させれば応龍の逆鱗になり得ない?」
「……可能性は、ある」
「なら、話は早い。先に言うけれど……私がどんなに手を尽しても、遠呂智は必ず一度復活する。これはもう、避けられない運命。ただし、それと同時に応龍の逆鱗を手に入れられる機会が必ず私の手元に巡ってくる。だから、もし、私が応龍の逆鱗を手に入れて遠呂智をそこに再封印できた暁には……」
「再封印さえ成されれば、あとは、お前の人生だ。逆鱗を使って元の世界に帰るもよし、白龍の神子と黒龍の神子の傍にあるもよし。俺は、そこから先のお前の行動を制限はしない」
「よし、交渉成立」
京は必ず、一度炎に包まれる。
一周目の世界において、黒龍の逆鱗は清盛が持つ一枚、白龍の逆鱗は白龍の喉元の一枚とリズヴァーンが隠し持つ一枚の計二枚。あれだけはきっと、どう足掻いても避けられないこの物語におけるお約束なのだから、ならば、京に炎が包まれたタイミングでどうにかして黒龍の逆鱗と白龍の逆鱗と双方この手に入れるしかない。白龍が逆鱗を望美に渡し、彼女が時空跳躍したが最後、確実に遠呂智の封印は解けてしまうのだから。
(リズ先生は五条大橋で維盛が死んだ旨を話してくれるから、その前後に先生を探して白龍の逆鱗は確保できる。問題は、清盛の持つ黒龍の逆鱗……)
ああ、キャラクター が死ぬことを前提に攻略法を立てるの、いかにもゲームプレイヤーじみててちょっとこの場では嫌だな。だが、自分の命がかかっていると思えば背に腹は替えられないし、そもそも、京が火に巻かれるあの始まりがなければ、遙かなる時空の中で3は成立しない。
(……本当に?)
自分は、何も知らずにこの世界へ喚ばれる春日望美とは決定的に違う。あの一周目で皆が死に絶えると分かっていて、それでも、自分可愛さにあるいは遠呂智の再封印のためならばと、都合の良い理由を付けて煙に撒こうとしているのではないか。
ふと、海都の胸にそんな翳りが差す。
いくら自分にゲームとしての知識があっても、ここから先、彼らは画面上のキャラクターではなく本物の生きる人間だ。果たして、自分はそれを正面から受け止めてなお、"ゲームと同じように"この世界を見ることができるのか?
「──餞別だ」
再度黙りこくって思考の海に沈みかけた海都に何を思ったか、応龍が差し出したのは、手にしていた彼の武器、無双OROCHI内では藍双龍剣と銘打たれていた双剣だった。
「黒龍と白龍に力を分割した以上、俺は、時空の狭間の外には出られない。だが、心と力はいつでもお前と共にある。白龍に通じる封印と浄化の力、黒龍に通じる沈静と治癒の力。そして、遠呂智に通じる妖魔従属の力と、俺に通じるこの双剣。……海都、俺の神子。くれぐれも、無茶はするなよ」
「……ありがとう、応龍」
龍神としての力なのだろう、自分の身の丈に合わせていた大ぶりな双剣を小柄な海都の手に収まるサイズへと縮めて、応龍から手渡された一対の剣はしっかりと手に馴染みながらもずしりと重い。今後の身の振り方をどうするにせよ、まず真っ先に必要なのは筋トレと剣の稽古だな、とどうにか意識を切り替えて、海都は真っ直ぐに応龍の目を見た。
遠呂智の右目に通じる、浅緑の瞳孔が縦に長いいかにも龍といった瞳。望美の白龍のように常に自分の傍らにいてくれるわけではなくとも、きっと、この龍は一時たりとも自分のことを蔑ろにはしないだろう。無双の応龍は、そういうひたむきさのある神仙だった。
ならば、どんな結果になろうとも、自分も自分の手の内でできることを成すだけだ。
「いってきます」
「辛くなったらいつでも時空の狭間に来ると良い。行ってこい、神子」
ぐにゃりと、異世界の京へと繋がる空間の歪みが現れる。その先に、スチルとしてならいくらも見慣れた雪景色の川が見えて、ああ、本当に遙かの世界に来てしまったのだと今更過ぎる実感が湧いた。
ならば、自分は。
(遠呂智の再封印ができたら……知盛に、会ってみたいな)
この世界には本物の、銀髪紫目のあの知盛がいる。そう考えたら何故だか、少しだけ、良く分からない涙が零れた。
時空の狭間に引っ張り込まれて意識を失った海都が目を覚ました時、海都の顔を覗き込んでいた長身の男は、やはり、自分が思っていたとおりの"応龍"の姿をしていた。
「葦原海都、だな」
「マジでOROCHIの応龍じゃん……」
目の前で自身の名を呼ぶ男を、完全に無視してまじまじと見る。
薄紫がかった柔らかい布地に金の刺繍が施された中華風の装束の上から銀と金の金属鎧を全身にまとい、青緑地に白く龍が染め抜かれたマントを靡かせる双剣使いの生真面目そうな黒髪ロン毛。海都がゲーム内で幾度と操作した、まごうことなき『無双OROCHI』の応龍である。
まかり間違っても、遙か3の特定のエンドでよく見る黒龍と白龍が交差したあのスチルのような姿では全くない。事前の「私の神子……」の下りが無ければ完全に、遙か世界ではなく無双世界へのトリップだと勘違いしていたことだろう。
海都は今度こそ大袈裟に溜め息を吐いた。もうここには、気にすべき人目はない。目の前でちょっと気まずそうにしている応龍以外には。
「お前には、遠呂智の神子として京へ向かって貰う」
「それはさっき聞いた。私が三人目の神子だってことも分かった。異世界の京に行くのもここまで来ちゃったからには承知してる。それより、何故この世界に
「……? 白龍と黒龍は、俺の力を陰陽二つに分けたものだ。その力の大本たる
「…………くっそ、天然なのは遙か属の龍神由来か!」
海都の個人的な意見で言えば、OROHIの応龍はなんというか「思い込みの激しい直情型」であり「疑うことを知らないやや堅物」というのが率直な印象だ。それに対して目の前にいる応龍はなんというか、見た目は無双由来100%であるのに対して、中身は割と遙かの白龍(おとなのすがた)に近いな……といった風情であるから、反応に困る。
生真面目そうな青年の姿をしているくせに、困った大型犬みたいな顔で受け答えしないで欲しい。ちょっと可愛いな、なんて、思ってしまったらだめだった。遙かの九郎しかり、この手の男はオタクの本能として世話を焼きたくなるものだ。乙女ゲームに心ときめかせて浮かれていたあの頃から、年を重ねればなおのこと。
「……結局私は、応龍の神子なの、遠呂智の神子なの」
「その二つの呼び名に違いは無い。応龍と遠呂智は、根源を一にする存在だからだ」
「つまり、遠呂智は応龍から生じた貴方の荒魂なのね?」
「先刻そう言った」
話を聞いていなかったのか? と言いたげに、応龍の顔がちょっとだけむすっとした。顔つきの割りにそういう仕草が子どもっぽいのがだめなんだってば、と、海都は完全に自分が、この龍神をかつて遙か3プレイ中に九郎を(恋愛対象というよりは放っておけない子という意味で)猫かわいがりしたのと同じノリで可愛がりたいと思い始めている点について早々に諦める。
他はともかく、この龍神の神子になることが確定している以上、彼とは長い付き合いになるのだ。要らない葛藤は早めに捨てるか諦めるかして精神的に安定しようと思った。そもそも、強面の男の困り顔に海都は存外弱いオタクだった。
「私が知る遠呂智は……天帝の元で妖魔と戦う将仙だった応龍が、妖狐・玉藻前の奸計で騙されて天帝と不和を起こし、天帝があらゆる妖魔を封じるために使っていた神鏡を唆されて壊してしまった結果、神鏡に封じられていた妖魔を全て一身に浴びてしまって闇落ちした姿……という認識だったんだけど」
「大まかな部分は間違っていない。が、いくつか訂正するとしたら、まず、俺を唆したのは玉藻前ではなく、荼枳尼天だということか?」
「荼枳尼……ああ~、なるほどね?」
北条政子に取り憑く前に、天界でとんでもないことやらかしてんねぇ。と海都がぼやば、応龍は意外そうに眉を上げて、知っていたのか、と呟いた。
知っているもなにも、北条政子に荼枳尼天が取り憑いているという点に関しては、遙か3のプレイヤーならまず間違いなく共通認識として持っている大前提の部分だ。泰衡の父親殺しも、景時の裏切りも、銀の廃人化も、元はと言えば全てあの狐のせい。荼枳尼天とのラスボス戦を、何度やったことか。
海都は必ず自分の属性を火でプレイするタイプの神子だったので、金属性である荼枳尼天にはそれほど苦戦しなかった印象だが。木属性でプレイしていた友人が将臣ルートで阿鼻叫喚していたのは(他人事なので)良い思い出だ。
「それと、遠呂智は闇落ちというより……人柱に近いな」
「人柱?」
「神鏡が砕けた以上、封じられていた妖魔は行き所がない。しかし、奴らを野放しにすれば天界が乱れる。そう判断して、俺は魂を二つに分けた。片方はそのまま応龍として、片方を神鏡の代わりに妖魔を封じる器として。結果、妖魔を封じた魂が遠呂智という荒魂に変じたから、封印した」
「その流れの方が正直納得できる~。無双OROCHI2Ultimateも今からでいいからこの設定に変更してよ。今の設定じゃ3以降の話と矛盾してるし」
「何の話だ」
「いや、こっちの話」
不思議そうに首をかしげる応龍を放置して、海都は、初めてOROCHI3をプレイした時を思い出して苦笑した。2Ultimateで応龍が天帝を殺して神鏡を割ったくだりは目撃者不在で迷宮入りしていたはずなのに、何故か3では仙界の住人がみんな口を揃えて「嫌な事件だったね……」という風に話していた上に、ゲームの都合上本来既に遠呂智に変じてしまっていてこの世に存在しないはずの応龍が当たり前のようにストーリー加入するので、初プレイ時にモヤッとしていたのだ。
遠呂智が応龍の闇落ちでなく、神鏡代わりに妖魔の容れ物となった応龍の魂の半分というならば、確かに辻褄も合うしゲームのシナリオにも矛盾しないいい折衷案だろう。公式もこの説を今からでも逆輸入してはくれまいか。が、残念ながらこの世界は遙か世界であるが故に、無双OROCHIは存在しない。
「遠呂智を封印し続けるための重石が、応龍の力。そうして、貴方はその力を更に白龍と黒龍の二つに分割した、という認識であってる?」
「間違いない。鍵は一つより、二つの方がいいだろうと考えた結果だ。実際……平家が黒龍の逆鱗を保持し黒龍が失われている今、鍵が二つでなければどうなっていたことか」
「……黒龍と白龍、双方の力が失われたら、遠呂智は復活してしまうわけね?」
「ああ、神鏡が砕けたのと同じように。その時は、お前の身体を新たな『封印の容れ物』にする」
「……へぇ?」
苦渋の決断を迫られたとでも言いたげな、苦々しい声で応龍は言った。ぐっと寄せられた眉間に影が落ち、ただでさえとっつきづらい生真面目な顔が余計に子ども泣かせの様相を呈する。
しかし、海都はその発言にも顔つきにも、今更驚きさえしなかった。
遠呂智は言ってしまえば無数の妖魔の穢れの塊であり、それを封じ閉じ込めるために鏡や魂という容れ物が必要になるならば、遠呂智の神子の最終的な目的が"遠呂智の再封印"である以上、自分が人柱ないし生け贄の役目も持つのだろうな、というのは何となく話の流れで考えつくことだ。実際、無双OROCHIでは遠呂智復活のために彼の魂を下ろす容れ物として、酒呑童子が人柱(鬼柱?)にされるというシナリオも存在している。
まぁそんなこったろうと思ったよ、と納得しかなく冷静に腕を組んだままの海都を見おろして、逆に慌てたのは応龍の方だった。
頭の中で色々とシナリオ展開や設定の考察を繰り広げるため返事がおざなりな海都のことを、容れ物扱いしたことで機嫌を損ねたらしいと元来の早とちりで一直線に誤解する。
突然知らない世界に連れてこられたばかりか、万が一のと気になったら人柱になってくれなど、やはり、いくら気丈そうであっても神仙でもましてや英雄や武者でもない女性に言うべきでは無かった……。思い込みの激しさと思考回路が行動に直結する速さだけは妖狐のお墨付きを貰った(そうして魔王・遠呂智を産んだ)実績有りの龍神は、お手本のように綺麗な角度で頭を下げた。
人間界ではそれが誠意を表す印らしいと、一応それくらいは事前学習していた。
「すまない」
「むしろ、ただの人間が不思議パワーだけで遠呂智封印とか無理な話だからまぁ妥当かなって……え、応龍なんで頭下げてる?」
「?」
ほんの少し、いつもきりりと上がっている眉毛がハの字になって、若干まとっていた覇気がない。上背のある屈強な体躯をできるだけ綺麗に折りたたんで頭を下げる応龍に、遠呂智封印に関する考察の海から戻ってきた海都はぎょっとして飛び退いた。横で大男が勢いよく頭を下げたことにさえ気付かずに、考え事をしていた自分に引いた。
「いや、いきなり喚んで万が一には人柱など、いくら何でも女性に頼むことではない、と……」
「そんなこと!?」
「お前にとっては、そんなことで済む話なのか!?」
まさか自分の神子に「ほんとうにチョロくて感情的で威厳が無くて可愛いな」などと思われているとはつゆ知らず、応龍は意味が分からない、と言う顔で海都に叫んだ。
まぁ、何の知識も心構えも無い人間が同じ話を聞いたならば、不機嫌になるなり泣き出すなり、もっと他のアプローチもあっただろう。しかし、海都はそれなりの年月無双シリーズをプレイし続けている。遙か3も八年前のこととは言え、全クリして全員の協力技も会話文記の選択肢も全て開けた女だ。これしきの話で「私一体どうなっちゃうの~はわわ」と慌てるようなヤワな精神をしていたら、あれらのゲームには到底ついて行けない。
遙か3一周目の確定全滅ENDだとか、無双OROCHI2の司馬昭・竹中半兵衛・馬超以外全員妖蛇に殺された所から始まるオープニングだとか。OROCHI2の開幕は、なまじ真・三國無双6、7で馬岱をこよなく愛したがために馬岱が馬超を生き延びさせるため自分が死ぬことを選んだくだりでかなりのダメージを受けたことも今となっては懐かしい。なお、OROCHI3Ultimateでは一目惚れだったハデスがゴリゴリのラスボスで心を滅多刺しにされた。
海都は、こと二次元に於いては推しないしは好き好んだ作品が苛烈で苦しいオープニングを迎えがちなところがあった。故に、自分がそれに巻き込まれる妄想も一通り済ませてある。まさか本当に神子として異世界に喚ばれる展開は想定していなかったが、まぁ、なってしまったものは仕方が無いと割り切る度胸は無駄にあった。そして、邪推と妄想力も多分にあった。
「いや、人柱が必要なのはあくまで、遠呂智の新しい"器"がないと、妖魔が人間界にも悪影響を及ぼすからだよね……?」
「ああ」
「そうして、遠呂智の器として彼を封印しえるのが今の所応龍の力を内包するものしか思い当たらないから、これ以上応龍の魂が分割できないからには、遠呂智の神子が必要?」
「察しが良いな。そうだ」
「じゃあ、"応龍の逆鱗"がもし、作れたら?」
「……!」
かつて妖魔を封印していた天帝の神鏡と強度、あるいは格が釣り合うものしか遠呂智の器になり得ないとして。応龍の魂、あるいは応龍の神子がそれになり得るならあ、必然、応龍に逆鱗があるならば神子が人柱になる必要はあるまい。海都は、ここまでの応龍の話を聞いてそう推察していた。案の定、応龍がそわっと自分の首元を右手で撫でて「確かに……」と呟く。
龍の逆鱗は龍神の力の源であるから、普通、龍神は自らそれを引っぺがして何かに活用しようとは考えない。が、海都は知っている。白龍の神子……春日望美が介入する遙か3の世界においては、時間遡行とタイムパラドクスの都合で、白龍の逆鱗が最大3枚同時に存在する時間軸があるのだ。なら、応龍の逆鱗も枚数を増やせるに違いない。
「だが、俺のこれを使うわけには……」
「白龍と黒龍が和合して応龍になるなら、逆鱗も、白龍の逆鱗と黒龍の逆鱗を和合させれば応龍の逆鱗になり得ない?」
「……可能性は、ある」
「なら、話は早い。先に言うけれど……私がどんなに手を尽しても、遠呂智は必ず一度復活する。これはもう、避けられない運命。ただし、それと同時に応龍の逆鱗を手に入れられる機会が必ず私の手元に巡ってくる。だから、もし、私が応龍の逆鱗を手に入れて遠呂智をそこに再封印できた暁には……」
「再封印さえ成されれば、あとは、お前の人生だ。逆鱗を使って元の世界に帰るもよし、白龍の神子と黒龍の神子の傍にあるもよし。俺は、そこから先のお前の行動を制限はしない」
「よし、交渉成立」
京は必ず、一度炎に包まれる。
一周目の世界において、黒龍の逆鱗は清盛が持つ一枚、白龍の逆鱗は白龍の喉元の一枚とリズヴァーンが隠し持つ一枚の計二枚。あれだけはきっと、どう足掻いても避けられないこの物語におけるお約束なのだから、ならば、京に炎が包まれたタイミングでどうにかして黒龍の逆鱗と白龍の逆鱗と双方この手に入れるしかない。白龍が逆鱗を望美に渡し、彼女が時空跳躍したが最後、確実に遠呂智の封印は解けてしまうのだから。
(リズ先生は五条大橋で維盛が死んだ旨を話してくれるから、その前後に先生を探して白龍の逆鱗は確保できる。問題は、清盛の持つ黒龍の逆鱗……)
ああ、
(……本当に?)
自分は、何も知らずにこの世界へ喚ばれる春日望美とは決定的に違う。あの一周目で皆が死に絶えると分かっていて、それでも、自分可愛さにあるいは遠呂智の再封印のためならばと、都合の良い理由を付けて煙に撒こうとしているのではないか。
ふと、海都の胸にそんな翳りが差す。
いくら自分にゲームとしての知識があっても、ここから先、彼らは画面上のキャラクターではなく本物の生きる人間だ。果たして、自分はそれを正面から受け止めてなお、"ゲームと同じように"この世界を見ることができるのか?
「──餞別だ」
再度黙りこくって思考の海に沈みかけた海都に何を思ったか、応龍が差し出したのは、手にしていた彼の武器、無双OROCHI内では藍双龍剣と銘打たれていた双剣だった。
「黒龍と白龍に力を分割した以上、俺は、時空の狭間の外には出られない。だが、心と力はいつでもお前と共にある。白龍に通じる封印と浄化の力、黒龍に通じる沈静と治癒の力。そして、遠呂智に通じる妖魔従属の力と、俺に通じるこの双剣。……海都、俺の神子。くれぐれも、無茶はするなよ」
「……ありがとう、応龍」
龍神としての力なのだろう、自分の身の丈に合わせていた大ぶりな双剣を小柄な海都の手に収まるサイズへと縮めて、応龍から手渡された一対の剣はしっかりと手に馴染みながらもずしりと重い。今後の身の振り方をどうするにせよ、まず真っ先に必要なのは筋トレと剣の稽古だな、とどうにか意識を切り替えて、海都は真っ直ぐに応龍の目を見た。
遠呂智の右目に通じる、浅緑の瞳孔が縦に長いいかにも龍といった瞳。望美の白龍のように常に自分の傍らにいてくれるわけではなくとも、きっと、この龍は一時たりとも自分のことを蔑ろにはしないだろう。無双の応龍は、そういうひたむきさのある神仙だった。
ならば、どんな結果になろうとも、自分も自分の手の内でできることを成すだけだ。
「いってきます」
「辛くなったらいつでも時空の狭間に来ると良い。行ってこい、神子」
ぐにゃりと、異世界の京へと繋がる空間の歪みが現れる。その先に、スチルとしてならいくらも見慣れた雪景色の川が見えて、ああ、本当に遙かの世界に来てしまったのだと今更過ぎる実感が湧いた。
ならば、自分は。
(遠呂智の再封印ができたら……知盛に、会ってみたいな)
この世界には本物の、銀髪紫目のあの知盛がいる。そう考えたら何故だか、少しだけ、良く分からない涙が零れた。