二章 京の花霞(一周目)
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
京の都に、花の盛りが来た。
桜の名所と呼ばれるあちこちで今が見頃の花が咲きこぼれ、久方のわずかな安息の時間に花見の宴と人々が外に出る。となると勿論怨霊沙汰は増えるわけであって、その日、望美と朔は弁慶や譲と連れだって長岡天満宮へと出掛けていった。
(本来は景時遭遇イベントの前哨戦なんだけど……まぁ、景時に私が伝言しちゃったから、タイミングが少しズレたかな)
景時の蔵書の中で優先して読むべきものは粗方読み尽くし、海都は海都でそろそろ、剣の稽古を本格的に行おうかと思っていたタイミングだったというのもある。どうせ、長岡天満宮に出掛けていった面々は夕刻にならないと帰って来ないだろうとあたりをつけて、ふらっと単身、京邸を出て行った。
向かうは、剣の稽古でおなじみ神泉苑。景時が来週頭には京邸に帰って来ると連絡を寄越したからには、これ以上剣の稽古を後ろに回すと、後白河院の雨乞い奉納の準備で神泉苑への出入りが難しくなりかねない。その前に一度、花断ちの練習が広々とできる場所で剣を振っておきたかった。
「万象を感じる……ね。五感を研ぎ澄まして、気の流れと気配を読めってことなんだろうけど。知識として理解していることと、実際に行動に反映できるかは別っていうか」
見るからに直感派で感覚派だろう望美が、リズヴァーンのあの助言で花断ちを覚えたことについて、正直海都は半信半疑と言わざるを得ない。なんだ、五行を感じろって。将来的なステータスからして、元々戦の才覚があったのか。今頃桜花精相手にてんやわんやしているであろう当人を思って、海都は荒い息を吐く。
「筋トレは、読書中も日課にしてたけど……。やっぱ、いざ剣をふるとなると勝手が違いすぎる」
一振りの長剣でさえ扱いが難しいのに、はじめから双剣で花びらを斬ろうとするからいけないのだろうか。しかし、武器が双剣である以上は、双剣での花断ちを覚えないことには意味が無い。
右の剣で花びらを断とうとすれば左手の剣がブレ、左の剣で花びらを断とうとすれば右手に力が入りすぎる。両腕に均等に力を、と頭で考えすぎては足さばきが疎かになり、動線の効率と剣を振る速度に気を取られて重心が思うように制御できない。
(もっとこう、ドタバタした剣の振り方じゃなくて、舞い踊るように流麗に……)
一刻ほど、そうして試行錯誤を繰り返して。ようやく、どれくらいの力をこめればどれくらいの速さで剣が振れるのかを感覚的に操れるようになった頃。はた、と海都は自身の大きな過失に気がついた。
「やらかした……?」
双剣の要、連続攻撃に通じる遙か3の習得スキル「舞」のスキル解放フラグを踏み損ねた。朝、慌ただしく出掛ける準備をしていた望美の荷物からこぼれた舞扇を、何も考えず、彼女の洗濯物の山の上に置いてやったのを思い出す。そうだ、望美が舞扇を持っていたということは、あのイベントはもう終わっている。
(実質的に)知盛を攻略する以上、舞のスキルは欠かせなかったというのに!
「え、舞ってどうやんの……? 分からん分からん分からん、剣道と殺陣は習ったけど、舞はさすがにやってないって……ってか、舞ってそんな一日二日で身につかなくない?」
恐るべし、主人公力。
海都がどれだけ頭をひねって考えてもわからないのに、望美は、舞の習得をあのイベントを踏むだけで終えるのだからこれを主人公力と言わず何とする。裏熊野の知盛との柳花苑も、何だかんだ本当に、一度きり見せてもらっただけである程度把握するのだから身体記憶力が化け物すぎるというもの。
(あれを真似しろって方が無理がある……)
先日九郎もひと月ふた月で花断ちを習得できるかと弁慶に裏で言っていたが、剣の天才である彼がそういうのだから、普通の感覚で考えれば事実そうなのだろう。それを、この一ヶ月で本当に身につけた望美の努力と身体ステータスが桁外れなだけで。
(本来の三草山の戦いは、一月二十日に宇治川の戦いを終えて二十六日に京で宣旨を得た九郎が丹波道を爆走して、二月四日には三草山に到着してるとかいう意味不明スケジュールで動いて起きた。二月四日なんてまだ、こっちの時間の流れじゃ、現地の戦後処理と周辺の怨霊鎮圧で全然宇治に留まってたけど!?)
戦場までの道中を怨霊に邪魔されながらすすむ以上、この世界での行軍は海都の知る史実と比べればの倍以上の時間を要する。夏には熊野に移動することを考えると、少なくとも、六月下旬までには三草山の戦いが起きなければ辻褄が会わない。となれば、実際に行軍が開始するのは五月末から六月上旬……。
残された時間は、長く見積もってもせいぜいが一ヶ月あるかないかと言う所。
「それまでに……舞を覚えて花を断て、と?」
「クッ……。薬師の次は、舞手になるのか?」
完全に、疲労からくる幻聴か、自分の脳内のイマジナリー知盛が喋ったのかと海都は思った。
「舞手になる気はないけど、戦場での身のこなしに使えるなら覚えないと勿体な……え?」
それが、現実に鼓膜を叩いた声であると気付くまでに、たっぷり三十秒。次いで、何故春の京に知盛がいるのかという疑問に、舞台版十六夜記だと回想でそういう設定になっていたな、と思いつくまでに三十秒。
きっかり一分フリーズして、それから、いやいやまさかここで舞台版の設定持って来るとかそんなことあるかよ、と喚く脳内を無理矢理黙らせ振り返り、目の前に呆れ顔の知盛が確かに立っていると気付いたところで。
「どうして……?」
稽古でかいた汗が冷えて、かすかすになった喉から絞り出たのはデジャブを感じる真抜けた疑問。答えはとっくに、自分の中で出ているというのに問いかけたのは、冷静になろうと思ったところですぐ落ち着けるほど、あの夜の夢から時間が経っていなかったから。
「お前は……いつも、それを聞く」
「いやだって、平家は今、福原じゃ」
「……。院内々のお召し、というやつだ。呼ばれたのは兄上だが、ついでに、宇治で負けた維盛を迎えに行ってこいと、従兄弟殿に福原を叩き出されて、な」
「あっ……」
──そうか、宇治で最後は錯乱して撤退する維盛は、春に将臣が上洛したタイミングで平家本隊に回収される流れなのか。
宇治上神社で維盛と戦った際、結局彼は八尺瓊勾玉の欠片を落していった。
八尺瓊勾玉の欠片は、高位の怨霊の存在の安定に必要不可欠なもの。敦盛ルートに介入する気がない上、本当は二周目以降にしか手に入れられないものなのだが、流石に、三種の神器の一つをそのまま放置するのも危なすぎる。そういう兼ね合いもあって、現在、彼が宇治川で失った勾玉の欠片は、海都が持ち歩く合切袋の中だ。
「それ……今、持ってるんだけど。返した方が困らないよね」
「クッ、龍神の神子は源氏についたと聞いたが……。まさか、俺が平家と知らぬわけではあるまい? ──弓月の君」
あの時は、随分と世話になった。と、言葉面だけなら悪役のような言葉を吐いて知盛が笑う。その呼吸の合間に、もういやな痰の絡む咳の音も、肺が今にも壊れそうなぜいぜいという音もしなくなっていて、反射的に耳を澄ましていた海都は無意識に安堵の息を吐いた。
「……良かった」
「?」
「あれから、身体を悪くしてなくて」
「…………ああ、」
病の影は、すっかり知盛の身体から消えている。
月明りと陽の下ではいくらも差があるだろうが、血の気の引いた青白い肌に不自然に頬や首だけ赤みがさして、痩けた頬と光の死んだ落ちくぼんだ眼差しで笑うあの時の知盛は、やはり明らかにおかしかったのだと今更ながら思い知る。
美しい人は、病みやつれた姿も色気があってえも言われぬ姿だとは、紫式部の大ベストセラー『源氏物語』の言だが。実際、枯れかけの花特有の、甘く青臭い濃い匂いが立ちこめるような退廃の雰囲気を纏うあの夜の知盛が、言葉に詰まるほど酷く美しかったのは海都も認めているところではあるとして。やはりこうして、戦場での死の淵への渇仰と狂気を秘めた光をともしながら、狩り以外には気だるく眠たい獣のように、重怠い空気を振りまいている知盛の方が見ていて落ち着くのだ。あるべきものがあるべき場所へ戻った、そういう安心が心を占める。
「何を飲ませたかは知らんが……あれ以来、生来の虚弱が嘘のように頑強だ。波碇の呼び名が、皮肉にならずに済んだ、な」
「ならよかった。飲ませたまではよかったけれど、経過観察できなかったから不安で」
「目の前に、突如、現れ、消えた。あの薬といい、疑う余地はなかったが……遠呂智の神子、か。源氏の中では、白龍の神子を信奉する声が多いと聞くが、よもや、埋伏のつもりでも?」
「まさか。目的の違いってだけ」
ああ、これは話が長くなる。
察した海都は手にしていた剣を霧消させ、できるだけ人目につかない庭の影の、大きな庭石と桜の大木で影になっている場所に知盛を誘った。彼自身、平家への風当たりが強くなっている今の京で顔見知りに会いたくはないのだろう、大人しくついてきて、海都の奥、完全に神泉苑の中央の方からは死角となっている場所に座り込む。
「白龍の神子の目的は、怨霊を封じ、穢された龍脈の流れを正常に戻すこと。私の目的は、万一白龍と黒龍が双方斃れた時、封印が解けて世を滅ぼしに暴れ回る応龍の荒魂・遠呂智を再度封印すること。白龍の神子には、源氏について平家と戦う大義がある。わたしはただ、白龍の安否の確認に必要だから彼らに同行するだけ」
「平家と戦う気はない、と?」
「その気だったら、維盛との戦にも同行してないよ」
解せない、という顔で知盛が眉をひそめる。
普通に考えればそうだろう。敵対の意がない相手と、わざわざ刃を向け合う意味は無い。が、
「……これだけ盛大な宴に、加わらないのは勿体ない」
「クッ……あの剣の腕で、か」
知盛は、馬鹿にした笑いを隠さなかった。
完全に見くびられている笑いだったが、その通りなので文句は言えない。書物に埋もれて一ヶ月遅れで剣の稽古を始めた海都は、元の世界での経験があるとは言え、花断ちの件に関してははっきりと望美に遅れをとっている。剣を振るための筋力は調べ物をしながらでもつけられるが、実際の戦場で要求される動きに関しては、ひたすら稽古で身体に覚えさせるしか無い。今の海都には、圧倒的に経験が足りていなかった。
加えると、望美との正式な顔合わせ前からなんだかんだ剣のアドバイスに顔を出してくれるリズヴァーンのような、師匠とも言うべき存在も贅沢を言えば欲しい。海都は、師弟関係に弱いオタクだった。
「正直現状、身近に双剣使いがいないのがかなり痛い。あと、舞の身体さばきを戦場で使えたらもっと思った通りの動きをできるのにな、って思うことが多々ある」
「……そうまでして、なぜ戦場にこだわる」
「いや、知盛が元気そうに戦場で舞ってるの、どうせなら斬り合いの相手 で見たいじゃん」
至極当然の、海都が戦場に出る理由の大前提であり、当たり前にもすぎることを言ったつもりだったのだが。その言葉を受けた知盛が、思っていた数倍意表を突かれた顔で「は?」と真面目にもらしたために、海都は思わず黙り込んだ。
(え……何かおかしいこと言ったか?)
「俺と……斬り合う気か」
「まぁ、究極的には」
「戦場への、恐れは」
「剣を握って人を斬るために戦場に出るのに、自分が斬られるのは怖いなんて、そんな都合のいい泣き言ある?」
「死は」
「斬り合いはしたいけど、あっさり死んで、記憶にも残らない雑魚で終わりたくは無いから、強くならなきゃなって困ってんでしょ」
「…………」
(あれ、そう言えば)
自他共に認める人の顔と名前を覚えない男である知盛が、珍しく、自分のことは"月弓の君"であることも"遠呂智の神子"であることもきちんと覚えて居た。再会してすぐの知盛の言葉を思い出し、今し方、自分が言ったことを踏まえて、海都は時間差で感動した。
知盛ルートの最後の邂逅で完全初対面の望美に「どこかで会っていても俺が覚えていないだけだ」とのたまい、望美からも「この剣を覚えていて」と、はなから顔や名前を覚えて貰う期待をされていない男が、だ。あの夜の出来事がよっぽど印象に焼き付いたらしいが、まぁ、病で心身ともに死にかけていたところに、突然何も無いところから得体の知れない女が現れ、口移しで正体不明の粉を飲まされたとあっては忘れる方が難しいだろう。
それでも忘れられたとあったら、最早それは別の病気を疑う。
「……剣を」
「え、」
そんなことをつらつら思っている内に、黙り込んでいた知盛の中で、何か答えが出たらしい。突然の好戦的な要求に、海都はさすがにたじろいだ。
「剣? 何で、」
「俺と、戦いたいのだろう?」
あの夜、海都が知盛に問われ答えた言葉と同じ言いぐさで、低い声が愉悦に跳ねる。戦の中で舞うときと同じ、剣呑な愉快が若紫の瞳に煌めいていた。
ゾクゾクと、背筋を快感にも似た怖気が走る。
「……見てくれる、の?」
「生憎と、俺の剣は我流だが…………。手習いは、まずは見真似が定石でしょう、神子殿」
「もう、からかわないで!」
クッ、と笑って、知盛は着崩していた金の狩衣の帯に挟む、舞扇を取り出した。それを流れるようにはらりと開き、至近距離で見てもどう動かしたのかすぐには理解しかねる柔らかな動きで幾度か翻して、満足したように扇を閉じた。
大方動作確認というところか、それだけで振るうものの勝手を掴めてしまうのだから、やはりこの男は戦の天才としか言いようがあるまい。
「戦場以外には、小烏は連れていない。片手は扇だが、許せよ?」
「えっ、片方小烏丸だったの!? じゃあもう片方は……平家宝剣となると、抜丸?」
「…………。異世界からいらした割に、神子殿は本当に、我らのことにお詳しい」
八つ時を過ぎて、神泉苑を訪れていた人々の多くは、夕餉の時間が近付いていると帰りはじめた。これなら多少、庭の端で剣を交わしていてもこちらを気にする者はおるまい。それでもまだできるだけ物陰になりそうな開けた場所を探して、知盛がすら、と刀を抜く。
独特の色気が漂う、おおよそ誰にも真似出来ない独特の所作に目眩がしそうだ。舞台版遙かで初めて知盛を見た時、これほど美しい剣さばきでは見とれているうちに殺される者も多かろう、と頓珍漢なことを考えたものだが。実際、海都はその数秒をぼうっと見ていた。
鍔を人差し指と中指で挟むようにして刀を鞘から引き上げ、そのままくるりと刀身を回しての抜刀。海都が知る限り、太刀はどんなに軽いものでもギリギリ1kgを切るくらいの重さはあるはずなのに。たった二本の指で、重さを感じさせずそれをする男にどきりと胸が高鳴った。
知盛は、金属性の男だ。もしかすると、刀剣類とは同属性故に、力が共鳴しあって他者より扱いに幅が出るのかもしれない。
「先刻見ていて思ったが……撃ち込む時、直線的に間合いを詰めるのはやめておけ」
「それは、私が未熟だから? それとも、双剣の特性として?」
「後者、だな」
「分かった」
「…………撃ち込んでこい」
「はぁっ!」
一見、無防備にも見える脱力。全くこちらを相手にする気のなさそうな笑み、本当にこの状態の彼に剣を向けていいのかと不安になるほどの、今にも船を漕ぎそうなほど眠気のただよう怠惰の雰囲気。しかし、それこそが知盛の圧倒的な強者の証と知る海都は、遠慮も手加減もなく剣を振りかぶった。そもそも、今の海都の実力程度では、本気でも彼の足元にも及ばない。
「まだ、硬い。双剣の強みは、左右の攻防一体……円を描くように動け。腋を閉めろ、胴への攻撃をそれで防ぐ気か? ……反応が遅い」
「っ、まだまだ!」
「足りんなァ」
知盛は、驚くほど場をよく見ている。海都の動きをつぶさに観察し、確実にこれは防げると思う手は刀で、これは防げん避けられんと踏んだ手は扇を使った。最悪、知盛との手合わせだ、傷の一つや二つは授業料……と考えていた海都は、その手厚い優しさにぎょっとする。
今も、腕の上げすぎでがら空きになった胴をぱすりと軽く撫でたのは、紫の地に金が散らされた高そうな舞扇。それだけの気配りをする余裕を保ちながら、足はこれくらい開け、姿勢を正せ、よそ見をするなと指摘がこんこん湧き出てくる。
「チッ、今の入ったと思ったのに」
「クッ……俺に一太刀浴びせるには、まだまだ、だな。手首の力を抜け、それではすぐに筋を痛め……抜きすぎだ。剣を取り落とし、無手がいいと言うなら、止めんが」
「……あ、」
バランスを崩して倒れそうになれば甲斐甲斐しく手を引き、自分の剣で危うく自分を傷付けそうになれば、すかさず刀で防いでくれる。おそらく、自分の刀からこちらの剣へ伝わる衝撃まで加味して刀を振っている。海都が腕を痛めないように、必要以上に体を強ばらせないように、かなり加減して斬りこんでくれているのを、時間とともに感じ取れるようになった。
「……神子殿の細腕では、力押しには向かん。……緩急の波を、身体で、感じとれ」
「、ふっ!」
「今の、は、悪くない」
片手に太刀、片手に扇、リーチも軽さも全く違うそれらに混乱する様子もなく、淡々と、知盛は指摘を繰り返す。知盛の言葉を受けるにつれ、その指摘に身体を慣すにつれ、海都は、剣を握る手が楽になっていることに気がついた。
(こんなに、変わるんだ)
まるで、目には見えない微細なずれに動作の重い機械の歪みを、ひとつひとつ修理していくように。振りかぶられる太刀を受け止めるので一杯だった思考に、余裕が生まれる。当ててみろとかざされる扇に、刃をどう向ければいいのか迷わなくなる。
(嗚呼……、愉しい)
知盛が、剣を振る速度を上げた。
彼の剣撃は気だるく見えて存外早く、とうに目では追いつけない。が、扇と太刀が風を切る音、彼の衣に焚きしめられた香の体を動かしたことによるゆらぎ、ピリピリと肌を淡く刺す心地好い殺気の波。その全てを全身で感じ取って、次に知盛はどう動くか、それを迎えるにはどう動けば良いか、本能が戦いを覚えていく。
舞うように、閨のように、互いの呼吸の音を傍近くで感じながら、誘われるままに刃を交わす。誘い込むように足で地を蹴る。こんなに楽しいものが、心躍ることが、果たして二十五年の人生で何度あったか。
パチパチと、思考と視界が白く弾ける。無駄な考えや思い煩いを全て投げ捨てて、ただ、熱に浮かされるまま。間近で笑んだこの美しい顔を、刃越しにずっと、眺めていたい。
「──そこまでだ。お前ら、いつまでやってやがる」
だが、時間はやがて尽きる。宴は必ず終わる。
どれほどの間、剣を交わしていただろう。
永遠にも続くかのように思われた剣舞は、針に糸を通すように、完璧に剣と太刀の合間を縫って差し込まれた大剣によって遮られた。
(ま、この流れなら来ちゃうよねぇ…………)
瑠璃色の髪に映える紅の陣羽織、聞き間違えるはずのない三木眞一郎の声帯。遠くない未来に京を焼く張本人、今は還内府を名乗る有川将臣が、射抜くような目をして二人の間に立ちはだかった。
桜の名所と呼ばれるあちこちで今が見頃の花が咲きこぼれ、久方のわずかな安息の時間に花見の宴と人々が外に出る。となると勿論怨霊沙汰は増えるわけであって、その日、望美と朔は弁慶や譲と連れだって長岡天満宮へと出掛けていった。
(本来は景時遭遇イベントの前哨戦なんだけど……まぁ、景時に私が伝言しちゃったから、タイミングが少しズレたかな)
景時の蔵書の中で優先して読むべきものは粗方読み尽くし、海都は海都でそろそろ、剣の稽古を本格的に行おうかと思っていたタイミングだったというのもある。どうせ、長岡天満宮に出掛けていった面々は夕刻にならないと帰って来ないだろうとあたりをつけて、ふらっと単身、京邸を出て行った。
向かうは、剣の稽古でおなじみ神泉苑。景時が来週頭には京邸に帰って来ると連絡を寄越したからには、これ以上剣の稽古を後ろに回すと、後白河院の雨乞い奉納の準備で神泉苑への出入りが難しくなりかねない。その前に一度、花断ちの練習が広々とできる場所で剣を振っておきたかった。
「万象を感じる……ね。五感を研ぎ澄まして、気の流れと気配を読めってことなんだろうけど。知識として理解していることと、実際に行動に反映できるかは別っていうか」
見るからに直感派で感覚派だろう望美が、リズヴァーンのあの助言で花断ちを覚えたことについて、正直海都は半信半疑と言わざるを得ない。なんだ、五行を感じろって。将来的なステータスからして、元々戦の才覚があったのか。今頃桜花精相手にてんやわんやしているであろう当人を思って、海都は荒い息を吐く。
「筋トレは、読書中も日課にしてたけど……。やっぱ、いざ剣をふるとなると勝手が違いすぎる」
一振りの長剣でさえ扱いが難しいのに、はじめから双剣で花びらを斬ろうとするからいけないのだろうか。しかし、武器が双剣である以上は、双剣での花断ちを覚えないことには意味が無い。
右の剣で花びらを断とうとすれば左手の剣がブレ、左の剣で花びらを断とうとすれば右手に力が入りすぎる。両腕に均等に力を、と頭で考えすぎては足さばきが疎かになり、動線の効率と剣を振る速度に気を取られて重心が思うように制御できない。
(もっとこう、ドタバタした剣の振り方じゃなくて、舞い踊るように流麗に……)
一刻ほど、そうして試行錯誤を繰り返して。ようやく、どれくらいの力をこめればどれくらいの速さで剣が振れるのかを感覚的に操れるようになった頃。はた、と海都は自身の大きな過失に気がついた。
「やらかした……?」
双剣の要、連続攻撃に通じる遙か3の習得スキル「舞」のスキル解放フラグを踏み損ねた。朝、慌ただしく出掛ける準備をしていた望美の荷物からこぼれた舞扇を、何も考えず、彼女の洗濯物の山の上に置いてやったのを思い出す。そうだ、望美が舞扇を持っていたということは、あのイベントはもう終わっている。
(実質的に)知盛を攻略する以上、舞のスキルは欠かせなかったというのに!
「え、舞ってどうやんの……? 分からん分からん分からん、剣道と殺陣は習ったけど、舞はさすがにやってないって……ってか、舞ってそんな一日二日で身につかなくない?」
恐るべし、主人公力。
海都がどれだけ頭をひねって考えてもわからないのに、望美は、舞の習得をあのイベントを踏むだけで終えるのだからこれを主人公力と言わず何とする。裏熊野の知盛との柳花苑も、何だかんだ本当に、一度きり見せてもらっただけである程度把握するのだから身体記憶力が化け物すぎるというもの。
(あれを真似しろって方が無理がある……)
先日九郎もひと月ふた月で花断ちを習得できるかと弁慶に裏で言っていたが、剣の天才である彼がそういうのだから、普通の感覚で考えれば事実そうなのだろう。それを、この一ヶ月で本当に身につけた望美の努力と身体ステータスが桁外れなだけで。
(本来の三草山の戦いは、一月二十日に宇治川の戦いを終えて二十六日に京で宣旨を得た九郎が丹波道を爆走して、二月四日には三草山に到着してるとかいう意味不明スケジュールで動いて起きた。二月四日なんてまだ、こっちの時間の流れじゃ、現地の戦後処理と周辺の怨霊鎮圧で全然宇治に留まってたけど!?)
戦場までの道中を怨霊に邪魔されながらすすむ以上、この世界での行軍は海都の知る史実と比べればの倍以上の時間を要する。夏には熊野に移動することを考えると、少なくとも、六月下旬までには三草山の戦いが起きなければ辻褄が会わない。となれば、実際に行軍が開始するのは五月末から六月上旬……。
残された時間は、長く見積もってもせいぜいが一ヶ月あるかないかと言う所。
「それまでに……舞を覚えて花を断て、と?」
「クッ……。薬師の次は、舞手になるのか?」
完全に、疲労からくる幻聴か、自分の脳内のイマジナリー知盛が喋ったのかと海都は思った。
「舞手になる気はないけど、戦場での身のこなしに使えるなら覚えないと勿体な……え?」
それが、現実に鼓膜を叩いた声であると気付くまでに、たっぷり三十秒。次いで、何故春の京に知盛がいるのかという疑問に、舞台版十六夜記だと回想でそういう設定になっていたな、と思いつくまでに三十秒。
きっかり一分フリーズして、それから、いやいやまさかここで舞台版の設定持って来るとかそんなことあるかよ、と喚く脳内を無理矢理黙らせ振り返り、目の前に呆れ顔の知盛が確かに立っていると気付いたところで。
「どうして……?」
稽古でかいた汗が冷えて、かすかすになった喉から絞り出たのはデジャブを感じる真抜けた疑問。答えはとっくに、自分の中で出ているというのに問いかけたのは、冷静になろうと思ったところですぐ落ち着けるほど、あの夜の夢から時間が経っていなかったから。
「お前は……いつも、それを聞く」
「いやだって、平家は今、福原じゃ」
「……。院内々のお召し、というやつだ。呼ばれたのは兄上だが、ついでに、宇治で負けた維盛を迎えに行ってこいと、従兄弟殿に福原を叩き出されて、な」
「あっ……」
──そうか、宇治で最後は錯乱して撤退する維盛は、春に将臣が上洛したタイミングで平家本隊に回収される流れなのか。
宇治上神社で維盛と戦った際、結局彼は八尺瓊勾玉の欠片を落していった。
八尺瓊勾玉の欠片は、高位の怨霊の存在の安定に必要不可欠なもの。敦盛ルートに介入する気がない上、本当は二周目以降にしか手に入れられないものなのだが、流石に、三種の神器の一つをそのまま放置するのも危なすぎる。そういう兼ね合いもあって、現在、彼が宇治川で失った勾玉の欠片は、海都が持ち歩く合切袋の中だ。
「それ……今、持ってるんだけど。返した方が困らないよね」
「クッ、龍神の神子は源氏についたと聞いたが……。まさか、俺が平家と知らぬわけではあるまい? ──弓月の君」
あの時は、随分と世話になった。と、言葉面だけなら悪役のような言葉を吐いて知盛が笑う。その呼吸の合間に、もういやな痰の絡む咳の音も、肺が今にも壊れそうなぜいぜいという音もしなくなっていて、反射的に耳を澄ましていた海都は無意識に安堵の息を吐いた。
「……良かった」
「?」
「あれから、身体を悪くしてなくて」
「…………ああ、」
病の影は、すっかり知盛の身体から消えている。
月明りと陽の下ではいくらも差があるだろうが、血の気の引いた青白い肌に不自然に頬や首だけ赤みがさして、痩けた頬と光の死んだ落ちくぼんだ眼差しで笑うあの時の知盛は、やはり明らかにおかしかったのだと今更ながら思い知る。
美しい人は、病みやつれた姿も色気があってえも言われぬ姿だとは、紫式部の大ベストセラー『源氏物語』の言だが。実際、枯れかけの花特有の、甘く青臭い濃い匂いが立ちこめるような退廃の雰囲気を纏うあの夜の知盛が、言葉に詰まるほど酷く美しかったのは海都も認めているところではあるとして。やはりこうして、戦場での死の淵への渇仰と狂気を秘めた光をともしながら、狩り以外には気だるく眠たい獣のように、重怠い空気を振りまいている知盛の方が見ていて落ち着くのだ。あるべきものがあるべき場所へ戻った、そういう安心が心を占める。
「何を飲ませたかは知らんが……あれ以来、生来の虚弱が嘘のように頑強だ。波碇の呼び名が、皮肉にならずに済んだ、な」
「ならよかった。飲ませたまではよかったけれど、経過観察できなかったから不安で」
「目の前に、突如、現れ、消えた。あの薬といい、疑う余地はなかったが……遠呂智の神子、か。源氏の中では、白龍の神子を信奉する声が多いと聞くが、よもや、埋伏のつもりでも?」
「まさか。目的の違いってだけ」
ああ、これは話が長くなる。
察した海都は手にしていた剣を霧消させ、できるだけ人目につかない庭の影の、大きな庭石と桜の大木で影になっている場所に知盛を誘った。彼自身、平家への風当たりが強くなっている今の京で顔見知りに会いたくはないのだろう、大人しくついてきて、海都の奥、完全に神泉苑の中央の方からは死角となっている場所に座り込む。
「白龍の神子の目的は、怨霊を封じ、穢された龍脈の流れを正常に戻すこと。私の目的は、万一白龍と黒龍が双方斃れた時、封印が解けて世を滅ぼしに暴れ回る応龍の荒魂・遠呂智を再度封印すること。白龍の神子には、源氏について平家と戦う大義がある。わたしはただ、白龍の安否の確認に必要だから彼らに同行するだけ」
「平家と戦う気はない、と?」
「その気だったら、維盛との戦にも同行してないよ」
解せない、という顔で知盛が眉をひそめる。
普通に考えればそうだろう。敵対の意がない相手と、わざわざ刃を向け合う意味は無い。が、
「……これだけ盛大な宴に、加わらないのは勿体ない」
「クッ……あの剣の腕で、か」
知盛は、馬鹿にした笑いを隠さなかった。
完全に見くびられている笑いだったが、その通りなので文句は言えない。書物に埋もれて一ヶ月遅れで剣の稽古を始めた海都は、元の世界での経験があるとは言え、花断ちの件に関してははっきりと望美に遅れをとっている。剣を振るための筋力は調べ物をしながらでもつけられるが、実際の戦場で要求される動きに関しては、ひたすら稽古で身体に覚えさせるしか無い。今の海都には、圧倒的に経験が足りていなかった。
加えると、望美との正式な顔合わせ前からなんだかんだ剣のアドバイスに顔を出してくれるリズヴァーンのような、師匠とも言うべき存在も贅沢を言えば欲しい。海都は、師弟関係に弱いオタクだった。
「正直現状、身近に双剣使いがいないのがかなり痛い。あと、舞の身体さばきを戦場で使えたらもっと思った通りの動きをできるのにな、って思うことが多々ある」
「……そうまでして、なぜ戦場にこだわる」
「いや、知盛が元気そうに戦場で舞ってるの、どうせなら
至極当然の、海都が戦場に出る理由の大前提であり、当たり前にもすぎることを言ったつもりだったのだが。その言葉を受けた知盛が、思っていた数倍意表を突かれた顔で「は?」と真面目にもらしたために、海都は思わず黙り込んだ。
(え……何かおかしいこと言ったか?)
「俺と……斬り合う気か」
「まぁ、究極的には」
「戦場への、恐れは」
「剣を握って人を斬るために戦場に出るのに、自分が斬られるのは怖いなんて、そんな都合のいい泣き言ある?」
「死は」
「斬り合いはしたいけど、あっさり死んで、記憶にも残らない雑魚で終わりたくは無いから、強くならなきゃなって困ってんでしょ」
「…………」
(あれ、そう言えば)
自他共に認める人の顔と名前を覚えない男である知盛が、珍しく、自分のことは"月弓の君"であることも"遠呂智の神子"であることもきちんと覚えて居た。再会してすぐの知盛の言葉を思い出し、今し方、自分が言ったことを踏まえて、海都は時間差で感動した。
知盛ルートの最後の邂逅で完全初対面の望美に「どこかで会っていても俺が覚えていないだけだ」とのたまい、望美からも「この剣を覚えていて」と、はなから顔や名前を覚えて貰う期待をされていない男が、だ。あの夜の出来事がよっぽど印象に焼き付いたらしいが、まぁ、病で心身ともに死にかけていたところに、突然何も無いところから得体の知れない女が現れ、口移しで正体不明の粉を飲まされたとあっては忘れる方が難しいだろう。
それでも忘れられたとあったら、最早それは別の病気を疑う。
「……剣を」
「え、」
そんなことをつらつら思っている内に、黙り込んでいた知盛の中で、何か答えが出たらしい。突然の好戦的な要求に、海都はさすがにたじろいだ。
「剣? 何で、」
「俺と、戦いたいのだろう?」
あの夜、海都が知盛に問われ答えた言葉と同じ言いぐさで、低い声が愉悦に跳ねる。戦の中で舞うときと同じ、剣呑な愉快が若紫の瞳に煌めいていた。
ゾクゾクと、背筋を快感にも似た怖気が走る。
「……見てくれる、の?」
「生憎と、俺の剣は我流だが…………。手習いは、まずは見真似が定石でしょう、神子殿」
「もう、からかわないで!」
クッ、と笑って、知盛は着崩していた金の狩衣の帯に挟む、舞扇を取り出した。それを流れるようにはらりと開き、至近距離で見てもどう動かしたのかすぐには理解しかねる柔らかな動きで幾度か翻して、満足したように扇を閉じた。
大方動作確認というところか、それだけで振るうものの勝手を掴めてしまうのだから、やはりこの男は戦の天才としか言いようがあるまい。
「戦場以外には、小烏は連れていない。片手は扇だが、許せよ?」
「えっ、片方小烏丸だったの!? じゃあもう片方は……平家宝剣となると、抜丸?」
「…………。異世界からいらした割に、神子殿は本当に、我らのことにお詳しい」
八つ時を過ぎて、神泉苑を訪れていた人々の多くは、夕餉の時間が近付いていると帰りはじめた。これなら多少、庭の端で剣を交わしていてもこちらを気にする者はおるまい。それでもまだできるだけ物陰になりそうな開けた場所を探して、知盛がすら、と刀を抜く。
独特の色気が漂う、おおよそ誰にも真似出来ない独特の所作に目眩がしそうだ。舞台版遙かで初めて知盛を見た時、これほど美しい剣さばきでは見とれているうちに殺される者も多かろう、と頓珍漢なことを考えたものだが。実際、海都はその数秒をぼうっと見ていた。
鍔を人差し指と中指で挟むようにして刀を鞘から引き上げ、そのままくるりと刀身を回しての抜刀。海都が知る限り、太刀はどんなに軽いものでもギリギリ1kgを切るくらいの重さはあるはずなのに。たった二本の指で、重さを感じさせずそれをする男にどきりと胸が高鳴った。
知盛は、金属性の男だ。もしかすると、刀剣類とは同属性故に、力が共鳴しあって他者より扱いに幅が出るのかもしれない。
「先刻見ていて思ったが……撃ち込む時、直線的に間合いを詰めるのはやめておけ」
「それは、私が未熟だから? それとも、双剣の特性として?」
「後者、だな」
「分かった」
「…………撃ち込んでこい」
「はぁっ!」
一見、無防備にも見える脱力。全くこちらを相手にする気のなさそうな笑み、本当にこの状態の彼に剣を向けていいのかと不安になるほどの、今にも船を漕ぎそうなほど眠気のただよう怠惰の雰囲気。しかし、それこそが知盛の圧倒的な強者の証と知る海都は、遠慮も手加減もなく剣を振りかぶった。そもそも、今の海都の実力程度では、本気でも彼の足元にも及ばない。
「まだ、硬い。双剣の強みは、左右の攻防一体……円を描くように動け。腋を閉めろ、胴への攻撃をそれで防ぐ気か? ……反応が遅い」
「っ、まだまだ!」
「足りんなァ」
知盛は、驚くほど場をよく見ている。海都の動きをつぶさに観察し、確実にこれは防げると思う手は刀で、これは防げん避けられんと踏んだ手は扇を使った。最悪、知盛との手合わせだ、傷の一つや二つは授業料……と考えていた海都は、その手厚い優しさにぎょっとする。
今も、腕の上げすぎでがら空きになった胴をぱすりと軽く撫でたのは、紫の地に金が散らされた高そうな舞扇。それだけの気配りをする余裕を保ちながら、足はこれくらい開け、姿勢を正せ、よそ見をするなと指摘がこんこん湧き出てくる。
「チッ、今の入ったと思ったのに」
「クッ……俺に一太刀浴びせるには、まだまだ、だな。手首の力を抜け、それではすぐに筋を痛め……抜きすぎだ。剣を取り落とし、無手がいいと言うなら、止めんが」
「……あ、」
バランスを崩して倒れそうになれば甲斐甲斐しく手を引き、自分の剣で危うく自分を傷付けそうになれば、すかさず刀で防いでくれる。おそらく、自分の刀からこちらの剣へ伝わる衝撃まで加味して刀を振っている。海都が腕を痛めないように、必要以上に体を強ばらせないように、かなり加減して斬りこんでくれているのを、時間とともに感じ取れるようになった。
「……神子殿の細腕では、力押しには向かん。……緩急の波を、身体で、感じとれ」
「、ふっ!」
「今の、は、悪くない」
片手に太刀、片手に扇、リーチも軽さも全く違うそれらに混乱する様子もなく、淡々と、知盛は指摘を繰り返す。知盛の言葉を受けるにつれ、その指摘に身体を慣すにつれ、海都は、剣を握る手が楽になっていることに気がついた。
(こんなに、変わるんだ)
まるで、目には見えない微細なずれに動作の重い機械の歪みを、ひとつひとつ修理していくように。振りかぶられる太刀を受け止めるので一杯だった思考に、余裕が生まれる。当ててみろとかざされる扇に、刃をどう向ければいいのか迷わなくなる。
(嗚呼……、愉しい)
知盛が、剣を振る速度を上げた。
彼の剣撃は気だるく見えて存外早く、とうに目では追いつけない。が、扇と太刀が風を切る音、彼の衣に焚きしめられた香の体を動かしたことによるゆらぎ、ピリピリと肌を淡く刺す心地好い殺気の波。その全てを全身で感じ取って、次に知盛はどう動くか、それを迎えるにはどう動けば良いか、本能が戦いを覚えていく。
舞うように、閨のように、互いの呼吸の音を傍近くで感じながら、誘われるままに刃を交わす。誘い込むように足で地を蹴る。こんなに楽しいものが、心躍ることが、果たして二十五年の人生で何度あったか。
パチパチと、思考と視界が白く弾ける。無駄な考えや思い煩いを全て投げ捨てて、ただ、熱に浮かされるまま。間近で笑んだこの美しい顔を、刃越しにずっと、眺めていたい。
「──そこまでだ。お前ら、いつまでやってやがる」
だが、時間はやがて尽きる。宴は必ず終わる。
どれほどの間、剣を交わしていただろう。
永遠にも続くかのように思われた剣舞は、針に糸を通すように、完璧に剣と太刀の合間を縫って差し込まれた大剣によって遮られた。
(ま、この流れなら来ちゃうよねぇ…………)
瑠璃色の髪に映える紅の陣羽織、聞き間違えるはずのない三木眞一郎の声帯。遠くない未来に京を焼く張本人、今は還内府を名乗る有川将臣が、射抜くような目をして二人の間に立ちはだかった。
5/5ページ