今夜、パンツを捨てます。
「今夜、キティちゃんのパンツを捨てます!」
番組の企画でのワンシーンが、頭によぎる。
キャラクターがプリントされた下着を、メンバーや司会者に思い切り笑われて、勢いで口走ってしまったのだった。
あんな事言っちゃったけど、本当に捨てられるかな。
思春期の頃から、わたしを包んでくれていたお守りのような存在。
だけど、いつのまにか私は大人になり、
お気に入りの下着も古くなっていたのだった。
それにしても疲れたなー。
収録の帰りのバスに揺られながら、窓にもたれかかって目を閉じる。僅かな揺れが、ゆりかごのように心地よい。
カーテン越しに頭に触れた窓ガラスの冷たさを感じながら、瞼の裏にぼんやりと映し出されたのは…
あれ、私の部屋?
目の前に中学生の頃の私の部屋が広がる。
壁紙も張り替えたばかりで、その空間は眩しい白色。そして無造作に貼られた、大好きな馬や渡辺麻友のポスターに包まれている。
ーあれは、私?
Tシャツに下着姿の、軽装過ぎる自分の姿。いくら自分の部屋だからって…なんて、はしたない格好…
…泣いてるの?そんな姿で…
記憶の中の私はやっぱり、あのキティちゃんのパンツを履いている。
そうだった。悲しい時も、うれしい時も、私はよくあの下着を身につけていた。馬術の大切な試合の日、オーディションの日。練習で叱られて、悔しくて泣いた日。
上質なシルクのものをお母様が買ってくださったりもしたが、私は初めて自分で選んで買った、キティちゃんがプリントされたそれが一番のお気に入りだった。
初めて自分で買った下着。
自分が大人になったと感じる、ちょっと気恥ずかしくも、誇らしい瞬間だった。それからというもの、身につけているだけで、無条件に勇気をもらえる気がしている。
生地が傷まないかと気にしつつも、洗濯した日から乾くのが待ち遠しかった。
「ゆっかー。起きて。着いたよ!」
隣の席に座っていた土生ちゃんに肩を揺すられて、一気に現実に引き戻される。
いつの間にか眠っていたみたい。
メンバーを数名乗せたバスは家の最寄り駅に到着していた。
「お疲れ〜」「また、明日ね」
口々に別れの挨拶をするメンバーに手を振りながら、バスの出口へと向かう。
「お疲れさまー。みんなまた明日ねー。」
駅に着いたことを、お抱えの運転士さんに連絡をした。
どうしても、捨てなきゃだめなんだろうか。
どのくらい、そのことを考えていただろうか。スマートフォンには、「到着しました」といつのまにかメッセージが届いていた。
出口を出ると、いつもの車。
疲れていた私は、へたり込むように乗り込む。
「おかえりなさいませ、お嬢様。」
運転士さんがバックミラー越しに優しく笑いかける。
「今日も朝から収録で、疲れました」
「ふふふ、お嬢様もすっかりトップアイドルでございますね。昔は泣いてばかりだったのに…」
運転士さんとは中学生からのお付き合いで、昔から習い事の帰りに迎えに来てもらったりしている。
もうほとんど家族みたいな存在の彼が、少し茶化すようにそう笑った。
あまり器用なタイプではない私は、バレエや馬術のレッスンの時には良く怒られていた。
今でこそ少し吹っ切れたが、周りより上達の遅い不器用な自分が悔しくて、帰りの車でよく泣いていたことを、彼は知っている。
いつも通り他愛もない会話をしながら、家までの道を進む。
駅前の大きな通りから、右折して入り組んだ小さな道へ…
この辺の通りもいつのまにか、すっかり変わってしまったように感じる。
「えっ、あそこってカフェでしたよね?違うお店になってる…」
「あちらにあったカフェですか?もう、随分前に閉店致しましたが…」
「全然気がつかなかった…」
忙しくて周りを見る余裕がなかったのか、そんなことにも全然気がつかなかった。
閉店してしまったというカフェは、ケーキが最高に美味しくて、大好きだった。
馬術で良い成績をとった時にお母様が連れて行ってくれたり、つらい事や悲しい事があればコッソリひとりでケーキを食べに行っていた。思い出の場所。
最後にケーキ、食べたかったなぁ…
こうして気づかないうちに、色んな事が、少しずつ少しずつ失われて、変わっていくのだろうか。
それが、当たり前で、自然な事なのだろうか?
私も、もっと大人っぽい下着を当たり前に身につけるようにならなくては、いけないのだろうか。
そんな思いを巡らせているうちに、車は自宅に到着していた。
「では、お嬢様、今日もお疲れ様でした。」
「ありがとうございました。」
一礼をして、家のドアを開ける。
もう夜の12時を過ぎているからか、家族はみんな寝静まって真っ暗だった。
廊下の電気をつけると愛猫のトムがお出迎えしてくれていた。いつもはそんな事してくれないクセに、何となく気分が浮かないでいる私の様子を察してくれたのかな?
ネコって不思議だ。
「トム、ただいま」
目線を合わせて撫でると、ゴロゴロと喉を鳴らして甘えてきた。
「聞いて、今日はホント疲れた1日だったの」
重たい体を何とか持ち上げて、自分の部屋に向かった。
カバンを降ろして、ベッドに雪崩れこむ。
「あぁ…」
疲れた。体も、心も。
その一言に尽きる。
ベッドに横になって部屋を見渡すと、
さっきバスの中で見た夢とは全く違う景色が広がっていた。
そう、以前は大好きな馬と憧れのアイドル、渡辺麻友ー…「まゆゆさん」のポスターを壁一面に貼っていたけど、高校生の時に友達にバカにされて全て剥がしてしまったのだった。
もっとその前を思い出すと、小学生の時はピンクの壁紙だった。それも中学2年生の時に子供っぽいとからかわれて、お母様にお願いして変えてもらった。
白い壁はシンプルで落ち着くけど、今日は何だかやけに寂しい気持ちになってしまう。
「変わらないものはない、か」
そう。変わらないものはない。いつまでも子供のままではいられないのだ。
人は常に変化し、前に進み続けるものなのだ。
「捨てよう」
ぼんやりと呟いた。
私はベッドから勢いよく飛び上がり、下着が入った引き出しを開けた。
奥の方から例のキティちゃんのパンツを引っ張り出し、目の前に広げる。
やっぱり可愛い。柔らかい綿の感触を指先がなぞる。施されたレースは、可憐とは言えないけれど、少し幼く愛らしい。プリントされたキティちゃんは、少し掠れてしまっているものの、おなじみのあどけない表情でこちらを見ている。
これを、捨てなければ、わたしは前に進めない。
名残惜しい気持ちを振り切り、何も言わずゴミ箱へと投げ捨てた。
ごめん。
ごめんね。ありがとう。本当にありがとう、
…本当に、ごめんなさい。
ゴミ箱に入っているキティちゃんと目が合う。
習い事で怒られてばかりだった日々も、馬術の大会で賞を取った時も…あの収録でバカにされるまでは、大切なライブの時はいつもあのパンツを履いていた。
一緒に沢山の辛い日々を乗り越えてきた。
涙が溢れ出した。
私はみんなの言う通りにしかできないの?
そんな腹立たしさが渦を巻く。
…そもそも、大人になるって何?
前に進むって何なの?
自分が大切にしてきたものを一つ一つ、どこかに捨てたり、無くしてしまう事が大人になるということなのだろうか?
私は、ゴミ箱に手を突っ込んでいた。
はしたないと、お母様に怒られるだろう。
構うものか、私は私の大切にしてきたものを、守りたい。
投げ捨てた下着を拾い上げ、抱きしめた。
捨てることが大人になるなんて、間違っている。私は自分にとって大切なものを大切にしたい。
懐かしい感触がした。
中学生の時、ワクワクした気持ちで初めて自分でこれを買ったあの日。少し毛羽立っている気もしたけど、あの日と同じ、優しい綿の肌触りだ。
「ごめんね」
そして大切に畳み、下着ケースの奥にしまいこんだ。
あのパンツは私の大切なもの。履くとキティちゃんに見守ってもらえている気がして、不思議と力が湧いてくるの。
キティちゃん、お別れするのはもう少し先でもいいよね?
破れてしまって、どうしても履けなくなるまで、もう少し友香のことを見守っていて…。
捨てられない、捨てられないよ。
でも、いいよね?
私は私の、大切なものを守りたい。
誰に笑われようと、今度は胸を張ってそう言いたいんだ。
もちろんこの下着を身につけて、勇気に溢れた私で…。
番組の企画でのワンシーンが、頭によぎる。
キャラクターがプリントされた下着を、メンバーや司会者に思い切り笑われて、勢いで口走ってしまったのだった。
あんな事言っちゃったけど、本当に捨てられるかな。
思春期の頃から、わたしを包んでくれていたお守りのような存在。
だけど、いつのまにか私は大人になり、
お気に入りの下着も古くなっていたのだった。
それにしても疲れたなー。
収録の帰りのバスに揺られながら、窓にもたれかかって目を閉じる。僅かな揺れが、ゆりかごのように心地よい。
カーテン越しに頭に触れた窓ガラスの冷たさを感じながら、瞼の裏にぼんやりと映し出されたのは…
あれ、私の部屋?
目の前に中学生の頃の私の部屋が広がる。
壁紙も張り替えたばかりで、その空間は眩しい白色。そして無造作に貼られた、大好きな馬や渡辺麻友のポスターに包まれている。
ーあれは、私?
Tシャツに下着姿の、軽装過ぎる自分の姿。いくら自分の部屋だからって…なんて、はしたない格好…
…泣いてるの?そんな姿で…
記憶の中の私はやっぱり、あのキティちゃんのパンツを履いている。
そうだった。悲しい時も、うれしい時も、私はよくあの下着を身につけていた。馬術の大切な試合の日、オーディションの日。練習で叱られて、悔しくて泣いた日。
上質なシルクのものをお母様が買ってくださったりもしたが、私は初めて自分で選んで買った、キティちゃんがプリントされたそれが一番のお気に入りだった。
初めて自分で買った下着。
自分が大人になったと感じる、ちょっと気恥ずかしくも、誇らしい瞬間だった。それからというもの、身につけているだけで、無条件に勇気をもらえる気がしている。
生地が傷まないかと気にしつつも、洗濯した日から乾くのが待ち遠しかった。
「ゆっかー。起きて。着いたよ!」
隣の席に座っていた土生ちゃんに肩を揺すられて、一気に現実に引き戻される。
いつの間にか眠っていたみたい。
メンバーを数名乗せたバスは家の最寄り駅に到着していた。
「お疲れ〜」「また、明日ね」
口々に別れの挨拶をするメンバーに手を振りながら、バスの出口へと向かう。
「お疲れさまー。みんなまた明日ねー。」
駅に着いたことを、お抱えの運転士さんに連絡をした。
どうしても、捨てなきゃだめなんだろうか。
どのくらい、そのことを考えていただろうか。スマートフォンには、「到着しました」といつのまにかメッセージが届いていた。
出口を出ると、いつもの車。
疲れていた私は、へたり込むように乗り込む。
「おかえりなさいませ、お嬢様。」
運転士さんがバックミラー越しに優しく笑いかける。
「今日も朝から収録で、疲れました」
「ふふふ、お嬢様もすっかりトップアイドルでございますね。昔は泣いてばかりだったのに…」
運転士さんとは中学生からのお付き合いで、昔から習い事の帰りに迎えに来てもらったりしている。
もうほとんど家族みたいな存在の彼が、少し茶化すようにそう笑った。
あまり器用なタイプではない私は、バレエや馬術のレッスンの時には良く怒られていた。
今でこそ少し吹っ切れたが、周りより上達の遅い不器用な自分が悔しくて、帰りの車でよく泣いていたことを、彼は知っている。
いつも通り他愛もない会話をしながら、家までの道を進む。
駅前の大きな通りから、右折して入り組んだ小さな道へ…
この辺の通りもいつのまにか、すっかり変わってしまったように感じる。
「えっ、あそこってカフェでしたよね?違うお店になってる…」
「あちらにあったカフェですか?もう、随分前に閉店致しましたが…」
「全然気がつかなかった…」
忙しくて周りを見る余裕がなかったのか、そんなことにも全然気がつかなかった。
閉店してしまったというカフェは、ケーキが最高に美味しくて、大好きだった。
馬術で良い成績をとった時にお母様が連れて行ってくれたり、つらい事や悲しい事があればコッソリひとりでケーキを食べに行っていた。思い出の場所。
最後にケーキ、食べたかったなぁ…
こうして気づかないうちに、色んな事が、少しずつ少しずつ失われて、変わっていくのだろうか。
それが、当たり前で、自然な事なのだろうか?
私も、もっと大人っぽい下着を当たり前に身につけるようにならなくては、いけないのだろうか。
そんな思いを巡らせているうちに、車は自宅に到着していた。
「では、お嬢様、今日もお疲れ様でした。」
「ありがとうございました。」
一礼をして、家のドアを開ける。
もう夜の12時を過ぎているからか、家族はみんな寝静まって真っ暗だった。
廊下の電気をつけると愛猫のトムがお出迎えしてくれていた。いつもはそんな事してくれないクセに、何となく気分が浮かないでいる私の様子を察してくれたのかな?
ネコって不思議だ。
「トム、ただいま」
目線を合わせて撫でると、ゴロゴロと喉を鳴らして甘えてきた。
「聞いて、今日はホント疲れた1日だったの」
重たい体を何とか持ち上げて、自分の部屋に向かった。
カバンを降ろして、ベッドに雪崩れこむ。
「あぁ…」
疲れた。体も、心も。
その一言に尽きる。
ベッドに横になって部屋を見渡すと、
さっきバスの中で見た夢とは全く違う景色が広がっていた。
そう、以前は大好きな馬と憧れのアイドル、渡辺麻友ー…「まゆゆさん」のポスターを壁一面に貼っていたけど、高校生の時に友達にバカにされて全て剥がしてしまったのだった。
もっとその前を思い出すと、小学生の時はピンクの壁紙だった。それも中学2年生の時に子供っぽいとからかわれて、お母様にお願いして変えてもらった。
白い壁はシンプルで落ち着くけど、今日は何だかやけに寂しい気持ちになってしまう。
「変わらないものはない、か」
そう。変わらないものはない。いつまでも子供のままではいられないのだ。
人は常に変化し、前に進み続けるものなのだ。
「捨てよう」
ぼんやりと呟いた。
私はベッドから勢いよく飛び上がり、下着が入った引き出しを開けた。
奥の方から例のキティちゃんのパンツを引っ張り出し、目の前に広げる。
やっぱり可愛い。柔らかい綿の感触を指先がなぞる。施されたレースは、可憐とは言えないけれど、少し幼く愛らしい。プリントされたキティちゃんは、少し掠れてしまっているものの、おなじみのあどけない表情でこちらを見ている。
これを、捨てなければ、わたしは前に進めない。
名残惜しい気持ちを振り切り、何も言わずゴミ箱へと投げ捨てた。
ごめん。
ごめんね。ありがとう。本当にありがとう、
…本当に、ごめんなさい。
ゴミ箱に入っているキティちゃんと目が合う。
習い事で怒られてばかりだった日々も、馬術の大会で賞を取った時も…あの収録でバカにされるまでは、大切なライブの時はいつもあのパンツを履いていた。
一緒に沢山の辛い日々を乗り越えてきた。
涙が溢れ出した。
私はみんなの言う通りにしかできないの?
そんな腹立たしさが渦を巻く。
…そもそも、大人になるって何?
前に進むって何なの?
自分が大切にしてきたものを一つ一つ、どこかに捨てたり、無くしてしまう事が大人になるということなのだろうか?
私は、ゴミ箱に手を突っ込んでいた。
はしたないと、お母様に怒られるだろう。
構うものか、私は私の大切にしてきたものを、守りたい。
投げ捨てた下着を拾い上げ、抱きしめた。
捨てることが大人になるなんて、間違っている。私は自分にとって大切なものを大切にしたい。
懐かしい感触がした。
中学生の時、ワクワクした気持ちで初めて自分でこれを買ったあの日。少し毛羽立っている気もしたけど、あの日と同じ、優しい綿の肌触りだ。
「ごめんね」
そして大切に畳み、下着ケースの奥にしまいこんだ。
あのパンツは私の大切なもの。履くとキティちゃんに見守ってもらえている気がして、不思議と力が湧いてくるの。
キティちゃん、お別れするのはもう少し先でもいいよね?
破れてしまって、どうしても履けなくなるまで、もう少し友香のことを見守っていて…。
捨てられない、捨てられないよ。
でも、いいよね?
私は私の、大切なものを守りたい。
誰に笑われようと、今度は胸を張ってそう言いたいんだ。
もちろんこの下着を身につけて、勇気に溢れた私で…。
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