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あちゅむ保育園の話

◇◇◇
序章

昔からお人形遊びが大好きだった。家にあった北欧のお家を模した、木製のドールハウス。父が知り合いから貰ったというそれは、小さい頃の私にとって宝物だった。私は3角の屋根が付いたものより真四角のハウスが好きで、そこに父や母の役を与えた自立するウサギたちを並べて、随分熱狂的に遊んだものだ。
そんな私には兄が3人いる。大層可愛がってくれた兄たちと、そして親戚の信介お兄ちゃん。この3人の兄は、私を過保護に見守ってくれた。私にちょっかいをかける近所の男の子に、度が過ぎた仕返しをしていてよく怒られていた。その3人はお小遣いでよくドールハウスで使う小物を買ってくれた。鍋だったり、包丁だったり。側が北欧なのに、信介お兄ちゃんは畳とか湯のみのミニチュアを買ってきたから、相当文句を言ったのを覚えている。そうしたらお兄ちゃんは困ったような顔で、「でも、ほら、時々日本の文化に触れる家族っちゅうのも、ええやろ。やっぱ」と沢山言い訳していたのも面白いエピソードのひとつだった。
私はこのドールハウスを、私の名前に因んで”ひなのせかい”と呼んでいた。深い意味は無い。ただ、この世界に入れる人達こそ私の世界の全てだった。社交性の欠けらも無い、引っ込み思案でわがままな私を受け入れてくれる、私だけの小さな世界。そんなある日、大事にしていたこの世界に、侵入者が現れた。忘れもしない、高校1年生の夏から秋に差し掛かる頃。丁度春高バレーの期間だったかと思う。私の世界に宮侑が現れたのはそんな時だ。太陽のように眩しい髪色とは裏腹に、妖しく笑うその顔は、まさに妖怪のような不気味さのある男。その人は、高校1年生の私からするとまさに破壊者だった。誰にも侵入を許さない私の、大事なドールハウスを壊した人。土足で家の中に入り、締まりきっていたカーテンを開け、無理やり太陽の光をビカッ!と当てに来た人。だけど、自分の世界に閉じこもってばかりだった私を引っ張りあげた、とても大切な人。

「ぅえ゛ーーん!ぁあーん!あ゛ーん!」
「よしよし、ごめんね、ミルクの時間だよね」

皆に守られたドールハウスから連れ出された私は、今や別のドールハウスに母役として立っている。いや、今丁度、玄関をノックしたところだ。こんこんこん。あなたの世界に入りたいのですが、入れていただけますか。
胸に抱いた、ドールハウスの持ち主。まだ多分、自分1人しかいないあなたの世界。今度は私が、この子の世界に入れてもらう番だ。色んな色のカーテン、玩具、家具たち。たくさん用意するからね。だから、安心してその扉を開いてね。

◇◇◇
第1章
 
ひなのせかい
まま、ぱぱ、いちばんうえのおにいちゃん、にばんめのおにいちゃん、そして、しんせきのしんすけおにいちゃん。やさしくしてくれる、くらすめいとのみんな。

陽菜はそのままでいいよ。昔から、色んな人に言われてきたその言葉。そのままでいいって、どういうことだろう?時々こんなことを考える。出かける時に着る服をママや皆が決めてくれること?ご飯食べる時に、食べきれなくなったら誰かに食べてって言うこと?怖いものから、絶対に誰かが守ってくれること? そっか。だいすきな皆が、そう言ってくれるなら、そうなんだね。
 
――ひなは、このままでいいんだ。みんな、ずっとひなといっしょにいてくれるから。ひとりぼっちじゃない。みんながひなのみかた。うれしい。あんしんする。よかった。じゃあひなも、ずっとこのままでいい。ひなのせかいには、みんなしかいらない。


教室の窓から入る風がするりと頬を撫でていく。わたしは机に頬杖をついたまま くぁ、とあくびを一つ漏らした。カーテンが風に靡いてるのをただ見つめて、あれにくるまってお昼寝をしたら、どんなに気持ちいいだろうかと考えた。ぽかぽかと身体が温かくなるのを想像して、くふふと笑みを零す。

昼休みになり教室を出ると、他のクラスに友だちが居る子たちがお喋りをしに廊下を行き来していた。その間をするりとくぐって、目的の場所へ足を進める。時々すれ違う見知った子たちにいい天気やね、なんて声をかけられるから、うん、今からお昼寝しに行くねん。と言う。あはは、ひなちゃんらしいわ、気ぃつけてね、なんて言ってもらって、うん。と返せば、かわいいー!なんて声が上がる。
 
―大きい声は、ちょっぴり苦手だ。頭がきぃーんとして、何も考えられなくなるから。

それから陽の当たるところに出て、校庭で走り回ってる男の子らの声を聞きながら渡り廊下を歩く。コンクリートだから、廊下と違う音が鳴ってちょっとおもしろい。タタタ、とちょっとだけ小走りしてみたりもする。
―いけない、お兄ちゃんから走ったらあかんで、怪我すんで、って言われたの、忘れてた。ゆっくり歩こう。怒られるの、やだし。

そういえば以前、この時期の体育館はバレー部が昼も練習してるから絶対に近づくな、とクラスメイトから再三忠告を受けていたのだが、陽菜はお昼寝できる場所を探すのに夢中で、そんなことはすっかり忘れて体育館裏に入り込んでしまっていた。

あ、あそこの階段、寝るには丁度ええかも。陽菜のクラスメイトは、小さくてやわこい陽菜のために、お昼寝グッズを持たせてくれていたので、陽菜はその巾着袋の中身をせっせと出して寝床作りに励んでいた。放っておくと寒くても暑くてもところ構わず寝てしまうため、心配したクラスメイトがひなちゃん、お昼寝の時はこれ持ってくんやで。と5点セットを持たせていたのだ。巾着の中身は簡易枕、タオルケット、スカートの中に履くズボン、水分補給のための麦茶、お菓子(ビスケット)の5つだった。

黄色いひよこをあしらった、白地のふかふかした巾着袋。裁縫の得意なクラスメイトが作ってくれたもの。陽菜は、その子が大好きだった。お姉ちゃんみたいに何かと気にかけてくれるし、自分を見て笑う姿は少しだけ自分の母と重なって安心する。

完全に赤ちゃんのように扱われているか陽菜は、それが何も不思議ではなかった。家の中でも父や母、兄たちに蝶よ花よと育てられたいわゆる箱入り娘。世界が自分に刃を向けてくることなど絶対に有り得ないと思っている、それ以外はごく普通の15歳である。

陽菜は、ぽん、と枕をひとたたきして、いよいよ寝る体勢に入った。次の授業まで残り25分。5分前にはクラスメイトから起きるための電話を入れてもらうので、20分は寝れるな、と頭の中で計算をして、うとうとし始めた、そのとき。

バァン!ドン!ポンッポンッコロコロ…

体育館の中から、外に向かって白いボールが飛び出してきた。物凄いスピードと迫力で跳ねるそれは、某配管工事兄弟ゲームに出てくる白いオバケを連想させ、咄嗟に身を丸くして縮こまる。
―あかん、あれはただのボールやのに、昨日遅くまでゲームしてたから神様が怒ってるんや…!お兄ちゃんたちの言うこと、聞かなかったからこうなったんかも…。ちゃんと聞いておけばよかった…。

陽菜は、風に揺られてあっちこっち行こうとするボールが早くどこかへ行くのをじっと耐えていた。

「なんや喧し豚が………」

低く、凍てついた声が聞こえた。
恐る恐る目を開けると、目の前に立ちはだかる2m近い大男。頭は金色に染まっていて、見るからに”ヤンキー”みたいな風貌。こちらを見る目つきが鋭くて、彼は何かに怒っているような気もする。でも、なんでそんな顔を顰めているのか、全然分からない。

「そんなに俺らの練習邪魔したいんか!?ぁあ!?!?」
「ヒッ…………!」

その人に覆い被さるように立ちはだかられてしまい、身動きが取れなくなってしまった。

耳を切り裂くような、大きな声。わたしの耳の後ろに、ミサイルでも打ち込まれたような衝撃。耳と頭がジンジンする。こわい、こわい、たすけて、だれか。おにいちゃん、しんすけおにいちゃん。
はくはく、と呼吸を繰り返してないと、今にも涙が零れそうだった。



身長2m近い大男――宮侑は、いつものように練習を邪魔する女にズバッと言ってやった。そう思って体育館へと歩みを進める。
バレーを始めたての頃は、応援の何もかもが嬉しかった。お前トス上げるんが一等上手いなあ、なんて声を聞いて、より一層練習に打ち込んだものだ。
しかし、高校になって目立てば目立つほど、女からの奇声のような、金切り声のような声援が大半を占めるようになり、酷く不快なものになってしまった。あれらは自分らのプレーをダメにする。集中力を切らしてはいけない競技なのに、何故邪魔なことをするのか。自分らを応援したいのであれば、一切喋らずただ見とけばええやん。声を出すタイミングも分からんと、バレーなんか見に来んな。いつしか、女を見ると腸が煮えくり返るような感覚になっていた。女なんか、皆おんなしや。顔しか見とらん。中身のバレーなんか、もっと見とらん。動物園に来て、きゃー♡あのうさぎさんかわいいーっ♡とかとおんなしや。対象が俺になっただけ。

さっきの女に怒鳴ったおかげで、気分は少しマシになった。しかし、何か妙だ。息を飲むような声が聞こえたあと、何も聞こえない。謝罪とか、言い訳とかないんか?不思議に思って、彼女を振り返る。

ぽた、ぽた……

泣いている。大粒の涙を目からたくさん零している。えぐえぐ、と辛そうな呼吸を繰り返して、制服のシャツをこれでもかとびしゃびしゃに濡らしていた。やばい、さすがに言いすぎたかもしれない。彼女は本当は、冷やかしなんかじゃなくて…そう思うと、流石の自分でもばつが悪かった。

「あの…ごめ、ちょお、言い過ぎ………………」

た。といい切る前に、さく、と地面の草を踏んで、一歩分、彼女に近づいた。

「び、」
「び?」
「びええええええええええええええんっ!!」
「え、え、ええ!?!?」

大絶叫。え、ここ、ホラースポットか何か?こわ、怖すぎる。顔のパーツをこれでもかと中心に寄せ、眉は垂れ下がり、目からは大粒の涙が次から次へと滑り落ちてきている。それを手でごしごしと擦ってしまうから、目の縁がああほら、赤くなってまうで、そんな目擦ったら目ぇ痛くなんで、あかんで、と侑はおろおろとその場でたじろぐ。あんな、とかちょお、とか話しかければかけるほど泣き方がヒートアップしてしまうので、その場に立ちつくすしかなかった。侑は、これを放って練習に戻れるほど冷たい男ではない。

でも流石に泣きすぎちゃう?
「あんな、マジでごめん、泣き止んで、ほんと、」

じり、とまた一歩近づく。
あ、近づいてもうた。そう、思った。

「や………っ!!いややあああああ!!!!!」

かつて、これほど女の子に拒絶されたことはあっただろうか。いつも向こうが適当に近寄ってくるから、近寄らんどころか徹底的に拒絶されたのはこれがはじめてである。なんで?確かに怒鳴りはしたけど、そんな泣くことある?俺そんな悪いことした?

「鬼や……悪魔やぁ…………たす……っ、たすけて、おにいちゃ………しんすけおにいちゃああああああああっっ」

もう勘弁してくれ、俺かていやや、俺の方が泣きそうやわ。俺も叫んだろうかな、助けてサム、言うて。
キーーーンと頭に響く泣き声は、やがてバレー部の練習を止めるに容易かった。体育館の床をキュッキュッと歩く音が、次第に大きくなっていく。その中で一人、走りながら近寄ってくる存在を確かに感じていた。

ていうか今この子、しんすけおにいちゃん言わんかった?………いやまさかな。
「こんなとこで何してんねん、侑」

うわ、なんか今一番聞きたない声が聞こえた気ぃするわ。嘘であってくれ。と思えば思うが、多分予想は当たっている。だって、目の前の女の子があからさまにあっ!って顔をした。ちょっと嬉しそう。そしてそのまま律儀に俺から充分に距離を取りつつ大回りして、その声の主、北信介の腕の中に飛び込んだ。

「もう一度聞く。ここでなにしとんねん。あつむ」

さっきよりもゆっくりな声で、確かに聞こえる大きな声で、俺に言い放った。背筋がピシ、と凍りついたのが嫌でも分かる。北さんは、俺から目を離さずに腕の中でえぐえぐと泣いている女の子の頭を撫でて落ち着かせている。

「……部活の邪魔しにきた女子やと思いました」
「邪魔しに来た奴やったんか?」
「イエ……」
「決めつけたんやな?」
「ハイ……」
「ちゃんと謝り」
「ハイ……え、」
「侑の勘違いで怒鳴りつけたんやろ、で、この有様やん」

怖かったよ、とスンスン泣きつく女の子は、たしかにカタカタと震えている。その子からしたら、俺はいきなり怒鳴りつけてきた上級生。さぞ怖かっただろう。でも、近づくだけで癇癪を起こすのに、どうやって謝れというのか。俺がこの子に金輪際近づかん。それでええやん。

「謝り。ええな?」
「う………ハイ………」

今はそんな空気じゃないから部活戻れって言われて、北さんはどこかに電話をかけてた。チラ、とその子を見ると、北さんの腕の中でホッとしたように笑っていた。自分が近づくとぎゃんぎゃん泣くくせに。自分が悪いのに、なぜだか面白くなかった。

◇◇◇
第2章
 
【謝罪チャレンジ1日目】

次の日、その子の教室に行ってみた。
秒で謝ったる。で、もう二度と近づかん。こんなもんな、ちゃっちゃとやればええんや。ちゃっちゃと。
ガラ、と教室のドアを開けると、無数の目がこちらを凝視している。ちょっと怯えてるような気もする。

「なあ、佐々木陽菜って子、おる?」

なんや、教室がざわざわし始めた。
「あの人、昨日の…」「ひなちゃん怒鳴ったっていう…」という声がちらほら聞こえ、もう噂になっているのか、とげんなりした。まあでも直接俺に意見を言えるやつなんておらんか、なんて高を括っていると。

「あの、もしかして、2年の宮侑先輩ですか??」

1人の男子生徒が近寄ってきた。

「おん、せやけど」
「もしかして昨日のアレですか?」
「なんや、アレって…」
「だったらいい情報があります。ひなちゃんはたけのこ派です」
「は?」
「たけのこなら間違い無いです!」

〇ケモントレーナーか?目が合ったら話しかけて来よって…。まあでも、たしかに手ぶらだしなんか買いに行くか。彼女の好物だというお菓子を購買で用意し、もう一度ドアに手をかける。
男女数人に囲まれている彼女のところまでズカズカ足を進め、少しだけ距離をとってお菓子を差し出した。
「これ、昨日の詫び……」
「ヒッ……ぁう、や、やだあ………!!」
「は?」
「せんぱいこわいいいい!!やだ!!やだああああ!!!こんといてくださいいいいいい!!!」

顔を真っ赤にしながら、筆箱、クッション、ぬいぐるみ、色んなものをぽてぽてと投げつけられる。教科書とか辞書を投げてこられないだけマシか。思ったより攻撃力の低いそれに呆然としながらも、クラスメイトに今日はちょっとご機嫌ななめなので、と教室を追い出されてしまう。なんやねん、ご機嫌ななめって。赤ちゃんか。

待って、これ、思ったより長期戦になるんか……?そんなことを頭の片隅で考えながら、2年の教室へとおめおめ帰還することになる。

【2日目】

俺は毎日毎日何をしてるんやろ。こんなことしてる場合か?溜息をつきながら、何故かクマのぬいぐるみを片手に1年の教室の前に来ていた。これは、昨日の放課後佐々木陽菜のクラスメイト(強引にLimeのIDを交換させられた)から提供された情報に、ひなちゃんはぬいぐるみが好きなのでそれで機嫌をとってくださいと言われたので、帰りに適当な雑貨屋で買ったやつだ。なんやねん、俺稲荷崎のセッターやぞ。なんで俺がこんなん…。
いや、ちゃんと最後まで筋は通さなあかん。俺はやると決めたら最後までやる男や。

ガラ、と教室を開ける。昨日と違って、教室にいるクラスメイトは俺と彼女の様子を緊張しながらも見守ってるみたいだ。顔をクマのぬいぐるみで隠して、そっと近づいた。

「わあ……!!クマさんや……!!」

キラキラした声が聞こえる。よし、もうちょいや。

「こんにちは、ぼくクマさん」
「クマさん…!!お名前はなんですか??」
「あ゛ーー…えー…あ、あちゅむくんや」
「あちゅむくん!!」
「あちゅむくんからお願いがあんねんけど」
「はい!!なんですか!!」

そこでクマを顔からどけて、俺と彼女の目が合う。

「この前のこと、謝り…」
「あああああああああっ!!いやや、クマさんじゃ……っないやああんんっ!!」

カーテンの後ろへと隠れてしまう。
今日も失敗。はあ。がっくり項垂れてると、クラスの子が肩にぽん、と手を置いて慰めてくれる。

「あちゅむ先生。がんばです」

とりあえずこいつにクマを託してその日もなんの収穫を得ることもなく、とぼとぼと2年の教室に帰る羽目になる。


【3日目】

今日こそ間違えんようにせんと。今日は購買で入手困難なプリンを買ってきた。これもクラスメイトからの(以下略)
俺の顔、見るの怖いと思うし、念の為屋台で売ってるようなお面を付けてきた。ぷり〇ゅあの。今日は謝罪うんぬんではなくこの身長と髪色に慣れてもらおう、作戦や。

クラスの皆に見守られながら、ひなちゃんの前まで近づく。小声であちゅむ先生や、よう見るとひなちゃん保育園児みたいやな、とか聞こえる。やかましいねん。

「ひなちゃ〜ん、ぷり〇ゅあが来たで」
「わ!わぁ!きゅあせくしーちゃんや!!」
「せや、この世の不義理はゆるしまへんで!胸元から香る愛のサンクチュアリ!!キュアセクシー!」
「わああ!!!すごい!!」

決めポーズをしてやると、きゃっきゃ、と物凄く喜んでくれる。……よかった。この調子で段々慣れていってもらおう。

「今日はな〜ひなちゃんにプリン買ってきたで〜」
「ぷりん!!!」
「食うか?」
「はい!!」
「はい、どおぞ〜落とさんようにな」
「はむ、ん!おいし〜です!」
「もおひと口いるか?」
「はい!はむ、ん〜♡!」

まるで雛に餌をやってる感覚。
こうも素直に喜んでくれると、毒気も抜けるというもの。本来の目的も忘れて、俺はひたすらプリンを与えまくった。ちいちゃなお口にするりとプリンが吸い込まれていく様は、なんともかぁいらしい。娘とか息子ができたらこんなんしてあげたい。
そして徐々に解けていくお面の紐にも気づかず、その時は急にやってきた。

ポロッ

「あ」

教室のどこからか、そんな声が聞こえた。急にクリアになる視界、お面の落ちる音、ひなちゃんの泣き出しそうな顔。

「あ、あ゛あ゛あ゛あ゛!!や、いや、いやや、もお、怒られたくないいい゛い゛!!わたし、悪いこと、なぁんもしてへんのに゛!!」

言いながらプリンをもくもくと食べている。もしかして口と頭は別々なんかな。あともうちょいやったのに、今日も失敗。

――いや、今日も、この子を怖がらせてもうた。そりゃそうや。第一印象最悪やもん。俺はまず、この子のマイナスまで下がった好感度を0にするとこから始めなあかん。
えぐえぐと苦しそうに泣く女の子から、一歩、距離をとった。

「怒ってへんよ。ひなちゃん、なぁんも悪いことしとらんやろ」
「う゛ん゛」
「大丈夫、怖くないで、怖くない」
「う゛っう゛っ、」

ひぐ、ひぐ、と浅い呼吸を繰り返している。長いまつ毛が涙に濡れ、きらきらと光っていて綺麗だ。
ほっぺたは焼けたおもちのようにまっかっかで、口角がへの字になってるからぽってり膨らんでみえる。ああ、やわこいんやろな。1回触ってみたいわ。

「ひなちゃん、ごめんな。また明日くるな」
「ひぐ、ひっ、うう、」

泣いていて聞こえてないかもしれない。でも、なんとかこの子の中から、俺という恐怖をなくしてあげたい。あわよくば、俺と認識して笑ってるところを見てみたい。昨日よりかはマシな足取りで、自分の教室へと戻った。

【4日目】

今日はなんの小細工もなしにお菓子だけ持ってきた。まるで自分のクラスかのようにドアを開けて、一直線にひなちゃんの机に向かう。今日も、何歩か離れた距離に。

「ぁ、う゛……っ、や……やだぁ……っ」

俺の姿を見ると、やはり泣いてしまう。
目線を合わせるようにしゃがみこんで、机の上にお菓子を置いてあげた。

「ひなちゃん、ごめんな。また、明日くるな」

ぽたぽたと流れる涙を拭いてやりたかったが、今の俺にはそれすら許されない。焦ったらあかん。ちょっとずつ。着実に彼女の形成する輪の中に入れてもらえるように。


部活終わり、宮侑は書店を訪れていた。普段本など絶対に読まない侑だが、この日は何としてでも手に入れなければならない本があった。
「すいません、育児書ってどの辺にあります?」
「育児書でございますね、ご案内します」

店員さんに連れてこられたのは、絵本や玩具、出産や妊娠に関する本、そして育児本。頭の良い子に育てるには、いや、これじゃない。お腹の子と話そう。これでもない。6ヶ月から始める離乳食、全然ちゃう。隅から隅まで本を眺めていく。その途中、小さい女の子が足にぶつかった。

「ヒ、おか、おかあさああああん!!!」
「ゆあちゃん、お兄ちゃんにぶつかっちゃったん?お兄さん、ごめんなさいね、ほらゆあちゃんも謝り」
「ごべ、ご、め、んな、しゃ、いっ」

あの子みたいや。お洋服をこれでもかというくらいぎゅうと掴んで、ぽろぽろと涙を流している。大丈夫や、怒ってないで。と言ってあげると、ホッとしたように笑っていた。

「あの、すんません、1個聞きたいことがあるんですけど、」
「?はい、なんでしょう」
「その、子どもを怖がらせない方法って、なにか、あるんですか」
「んー、そやねえ、なるべく目線を合わせてあげて、それから、自分はあなたにとって不快なことをしない人間です、っていうのを時間をかけて分かってもらうしかないんかなあ…。あとは、よく笑ってあげたり。子どもってね、大人の顔をよく見てるから、怒ってるな、とか不安がってるな、っていうのはよく分かっちゃうもんなんよ」
「なるほど…………ありがとうございます」
「いいえ。頑張ってくださいね」

子連れの女性と別れ、目的の育児書を探す。ああ、見つけた。泣いている子どもに、お母さんが寄り添っているイラストの本。これで、何か変わるやろか。いや、変えてみせる。そう意気込んで会計を済ませ、早く読みたい衝動を抑えて寄り道をせずさっさと家に帰った。

静かな部屋に、ただひたすらページがめくれる音が響いている。子どもは一度怖がったら、その恐怖はしつこく継続されるらしい。たとえぱピーマンを食べないともったいないお化けがでる、というのもピーマンもお化けも過剰に怖がらせてしまい、関連するものはなんでも怖がってしまって、返って逆効果らしい。

前途多難やな、ほんまはこんなんしてる場合とちゃうし、多分北さんもここまでは望んでいないと思う。これは完全に俺のエゴや。

そろそろ寝な、明日の部活に響くわ。こんなんサムにバレたら笑われるどころじゃ済まん。絶対隠しとこ。そんな気持ちで机の隅っこに本を追いやった。まだ来ぬ片割れになんか言われる前にとベッドに潜り込んだ。

………………

【14日目】

あれから2週間、今日も日課のように陽菜ちゃんのクラスへ行く。
「ひなちゃんこんにちわぁ」
「ひ……っみ、みや、せんぱい…こん…に…ちわ」

見た?今挨拶されてんけど。めちゃくちゃ怯えながら頑張って挨拶しとる。びくびく震えながらも、ちゃんと挨拶せな、宮先輩に失礼でしょう?とクラスメイトから言われたことを真面目に受け止めているのもかわいい。

「今日はなあ、クッキー持ってきたで」
「!!くっきー…!」

あかん、もう、目がぱぁあ!って輝き出しとる。

「おん、昨日な、頑張って作ったんや」
そういって紙袋から丁寧に包んだクッキーを出す。こういう細々とした作業は嫌いやない、むしろ得意だ。
「み、みや先輩が、作ったんですか…?」
おめめを一層大きく開けた。あかん、なんやその顔。はぁ、かわいい。ぎこちない敬語。この子敬語苦手なんやな。
「あ、もしかして手作り嫌いやった?」
「そ、そ、そんなことは、ない、でしゅ……」
噛んどるし。でも、ここまで会話のラリー続いたの初めてちゃうか?シールを丁寧に剥がし、中からクッキーを1枚出した。俺のその手を、じ、っと目で追ってくる。陽菜ちゃんの口元まで持っていき、口先にちょん、とクッキーを当てた。するとおずおず、といった感じでほんの少し、彼女の唇が開いたので、むにゅ、と中に入れてやると。
「ぁ、む。む、む!!!!」
「うまいか?」
「ん!ん!」
きらきらと輝く目で、全てを物語っていた。
「ははっ、喜んでくれてうれしいわ」
口を開けて、もくもくと咀嚼して飲み込む。時折口の周りに着いた食べかすを今日に舌で掬う様を見て、上手に食べれてえらいな、なんて。頭を撫でたい衝動に駆られる。
クッキーを食べ終わると、彼女との関係はまたリセットされる。彼女はあくまでクッキーが食べたかったのであって、俺と話したいわけでは無かった。さて、そろそろ教室戻るか

「ひなちゃん、宮先輩になんて言うんだっけ?」
1人のクラスメイトが、陽菜ちゃんにそう諭す。
「ぁ、う、その、…………あの、えっと、」
紡がれるであろう言葉を、ただじっと待ち続けた。――――もう来ないでください?話したくないです?
彼女に言われるのであればなんでも受け取るつもりだけど、諦めるつもりは無い。
その薄い唇が開かれるのを、じっと待つ。沸騰寸前のヤカンを見ている時のように。不安そうに揺れる目が、俺と合うまで。

「くっきー、ありがとう、ござい、ました…」
「!!!こんなん、いつでも作ったるよ」
思ったよりも上ずってしまう声に、羞恥心が肩をくすぐる。それでも彼女から発せられた言葉は、一つ一つが小さな花びらみたいでそれを俺に降り注いでくれる。
「おいしかったです、、」
「そか、よかった」

よかった。
安心したように自分の口元が緩んだのがわかる。俺、怖かったんか、この子に、拒絶されるのが。
姿を見ただけでも泣いていたあの子が、クラスメイトに促されていたとはいえ挨拶や会話もするし、お礼も言う。あかん、嬉しい。
よかったら全部食ってな、と机に置くと、またぺこりと会釈をしてくれる。

感動のあまり、全身がわなわなと震え立っている。佐々木陽菜が、自分の意思で俺に何かをしてくれた、初めての日。この日を、「ひなちゃん、侑にちょっと心を開いた日」とする。テスト出します。メモしておくように。

明日は何をもっていこうか。何を話そうか。ルンルンな足取りで2年教室に戻る侑の姿を、片割れの治はゾッとしながら見ていたという_____
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