トリップ(ヒプマイ)
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「やっぱりないかぁ…」
そう言って俯く彼女を見て、なんて声を掛けたらいいのかわからなかった。
迷い猫の捜索の依頼中に二郎が女性とぶつかってしまったと三郎から連絡を貰い、急いで病院に向かった。ぶつかってしまった女性は頭を打ち、まだ目が覚めないと聞いたときはさすがに動揺した。色んな悪い想像が頭を巡る。しかし、俺以上に一番不安なのは二郎、そして三郎だ。女性の容体も気になるが、まずは二人のそばにいてやらないと。
教えてもらった病室に行くと、寂雷さんの姿と二郎三郎、そしてベッドで身体を起こしてこちらを見る女性の姿があった。恐らくこの女性が二郎とぶつかってしまった女性だろう。顔色は少し青白く、不安げにこちらを見る姿に胸が痛む。寂雷さんに挨拶をして、弟たちに声を掛ける。二郎の顔色はいつもに比べて少し悪い。わざとではないにしろ、女性に怪我をさせてしまったのだ。責任を感じているのだろう。あとできちんと叱って、そして抱きしめてやらないと。二郎は常に全力だ。今回のことも、依頼を必死にこなそうとしたからこそ。ただ、すぐに熱くなって周りが見えなくなりがちなことはきちんと叱ってやらないと…
まずは女性への謝罪だ。腰を折り曲げて頭を下げる。どんなことを言われても、まずはきちんと謝罪しなければと身構えていたのだが、女性からの返答はあらゆる想像と違い、柔らかいものだった。むしろ、頭を下げられたことにとても焦っていた。
そのことに少し安堵したのも束の間、寂雷さんから女性の容体の説明を受けた俺は、違う意味でとても動揺した。自身の血の気が引いていくのを感じた。「違う世界から来た」なんて説明を受けて、どう反応したらいいかも、今後女性とどう接したらいいかもわからなくなってしまった。
誰もが言葉を失う中、彼女は寂雷さんに一日様子を見て、問題なければ外出してもいいかと問いかけた。寂雷さんが言うには彼女の検査結果自体は問題がないらしい。そこで俺は彼女の付き添いを申し出た。彼女の「違う世界から来た」という発言の真偽はわからないが、お詫びとしてそれぐらいはしたいと思ったのだ。正直、とても信じられる話ではない。しかしどうしても、彼女が嘘を言っているような感じがしなかったのだ。言い方は悪いが、頭を打ってどこかおかしくなってしまったのではという可能性も否定はできないのだが。恐らく寂雷さんも「様子を見たい」という意図があって、先ほど付き添いがあれば外出してもいいという言い方をしたのだろう。俺の提案に頼ってもいいのかと渋る彼女も寂雷さんの後押しに頷いてくれた。
そうと決まれば明日の時間などを決めて早めに病室を出たほうが彼女も気を落ち着けられるだろうと思ったところで、彼女は二郎に声を掛けた。
「私は大丈夫」
そう凛と言う彼女に、俺は何故か「この人は嘘を言っていない」とどこか確信めいたことを思ったのだった。
嫌な予感はしていたのだ。きっと、私の自宅はないのだろうなと、心のどこかでわかっていた。実家があるはずの最寄りの駅の造りも、駅からここまでの道中の景色も、何もかも私が知るものとはちがっていたから。
暫くそこから動けず、じっと実家があるはずの、しかし違う目の前の建物を見ていた私に一郎くんが声を掛ける。ちなみに、呼び方に関しては今朝、病院に一郎くんたちがお迎えに来てくれた際に名前で呼ぶことになったのだ。病院には一郎くんだけでなく、二郎くん三郎くんも来てくれた。そこで私が三人とも同じ苗字で呼び方を迷っていたことに一郎くんが気付いて提案してくれたのだ。
「みょうじさん、他に何か心当たりのある場所はありますか?」
首を振る私に視線を落とす一郎くん。なんて声を掛けたらいいのかわからないのだろう。
本当気を遣わせてしまって申し訳ない…
私はというと、昨日の夜に目いっぱい悪い想像をしておいたお蔭で、次自分が何をすべきかわかっていた。最悪のケースをあらかじめいくつか想定していれば、実際に起こったとしてもやるべきことを見失わずに済むし、多少心を落ち着けることもできる。まぁ、実際自宅がなかったことはやはりショックではあるけれど…
「一郎くん、この銀行ってこっちの世界でもあるのかな?」
そう言って財布から銀行のカードを見せる。元の世界で使っていた口座のものだ。
「ありますよ、駅にもATMあったと思います」
「え、全然気づいてなかった」
周りの風景が知っているものとだいぶ違ったことによる動揺で、周りを見ているようで見えていなかったのだろう。
駅まで歩いて戻ってATMに寄らせてもらうと、持っていたカードはきちんと使うことができた。とりあえず残高を確認しておく。
「これからどうします?」
「んー、とりあえず…ご飯でも食べようかな」
「「「え」」」
まさかそんな呑気な答えが返ってくると思っていなかったのだろう、三人とも口をそろえて同じリアクションを返してくれた。
「口座を確認したらこっちに来る前と同じだけの金額があったし…家を借りたり、最低限必要なものを揃えても残りの金額で半年は収入なしでも生活できると思う」
半年もあれば色んな情報も探れるし、仕事も見付けられるだろう。
「とりあえず当面のお金はなんとかなるし、あそこのファミレスでご飯でも食べながら、ゆっくりこれからのこと考えようと思う。だから、ここでお別れしよう」
一郎くんたちも、寂雷さんも、看護婦さんたちも、とても優しく接してくれた。みんないい人たちだと思う。それでも、考えれば考えるほどよくわからない状況に、初めましての人たちばかり。正直気が休まらなくてキツイのだ。
私は誰かといるだけで心が消耗していく。どんなに仲の良い人たちといてもそうなのだ。自分ひとりになる時間がないと私は何もできなくなる。頭がボーっとして、考えることも行動することも放棄したくなってしまう。気質…とでも言えばいいのか…昔からそうなのである。
この違う世界に来たという状況に、実家が存在しなかった現実。これだけの情報を処理するのに少し時間をおきたい。一人になりたい。
二郎くんはそれでも、こんな状況の私を一人にするのは気が引けるようだった。
「二郎くん、もう十分だよ。元々お互い様なんだし」
「でも、それじゃ俺の気が済まねぇ…」
そう言って俯く二郎くん。
「…二郎くん、私が困った状況にあるのは“違う世界から来た”ことによって起きている訳で、“二郎くんとぶつかって頭を打った”ことによって起きている訳じゃないよ」
「でもよ…」
「ごめんね、“違う世界から来た”なんて…頭を打った後に言われたら責任感じちゃうよね…でも、どうかお願い。元々二郎くんが責任を感じることじゃないの。もう十分だよ」
固く拳を握る二郎くんの気持ちが少しでも軽くなるといいのだけれど…
すると一郎くんが二郎くんの背中を優しく叩いた後、私に向けて何かを差し出す。
「みょうじさん、これ俺らが経営してる萬屋の名刺です」
「萬屋って…すごい、何でも屋さんってことだよね?」
「はい、依頼してくれれば何でもやりますよ」
そう言って爽やかに笑う一郎くん。一郎くん器用そうだもんなぁ…容量が少ない私には絶対できない職業だ。
「今日はこれで帰りますけど、家探しとか引っ越しとか、買い出しでもなんでも手伝うんで」
「ありがとう」
私が名刺を受取って大事に財布にしまっていると、三郎くんが声を掛けてきた。
「みょうじさん、今日はどこに泊まるんですか?」
「どこかビジネスホテルにでも泊まろうかなと思ってる」
駅の近くにそれらしき建物も見えているし。
「なら、ここのホテルがお勧めです。料金も他より安くて施設も清潔そうだし、パソコンもネットも使えます」
「そうだネット!使えないからどうしようかと思ってたんだった」
私の元の世界からのスマホは操作できるのだが、ネットが繋がらず困っていたのだ。三郎くんさっきからスマホで何かしてると思ったら、どうやらホテルを調べてくれていたらしい。
「本当にありがとう」
「いえ、寂雷さんには俺から連絡しておきます。みょうじさんはゆっくり休んでください」
そう言って駅の改札の中へ進んでいく三人を見送る。
ふぅと一息つく。
まずは腹ごしらえ、そしてホテルに行ってゆっくり休もう。
本当は役所に行くまでこなしたかったけれど、今日はゆっくりして、明日朝から動くことにしよう。明日の結果次第で、私の今後の生活が決まると言ってもいい。
私に“戸籍”があるのかどうか、だ。