碧棺 左馬刻
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左馬刻さんと最後にお会いしてから一か月が経ちました。
これまではどんなにお仕事が忙しくても、お時間を作って一週間に一回のペースで会いにきてくれた左馬刻さん。それがシブヤから自宅にドライブをしながら送っていただいた日を境に、直接お会いすることも、お電話も、できなくなってしまいました。一度、お電話をして繋がらなかったときに留守電を残したのですが、かけ直しのお電話はまだありません。お仕事がとてもお忙しいのか、それとも何か他に事情がおありなのか…ドライブの最中に左馬刻さんが見せた寂しそうな表情が気がかりですが、私は今、自分にできることに集中しようと気を引き締めます。今日お仕事はお休み。そして理鶯さんの元へ向かう日なのです!私が理鶯さんの元へお邪魔するようになったのは、ちょうど二週間前のこと。入間さんにお願いをして、理鶯さんの野営地に連れて行っていただいたことが始まりです。
自宅のアパートの前で待っていると、車に乗った入間さんがお迎えに来てくださいました。
「入間さん、今日は本当にありがとうございます!せっかくのお休みの日にお願いしてしまってすみません」
「いえ、私もちょうど理鶯に用事がありましたのでお気になさらず」
途中までは車で向かい、理鶯さんの野営地である森の近くの駐車場からは歩きで向かいます。
「それにしても驚きました。まさかみょうじさんが理鶯に会いたいとおっしゃるなんて」
「実は理鶯さんにお願いがありまして…」
「お願いですか?」
「…武術を習いたくて」
「…はい?」
「ぶ、武術を習いたいのです!」
「武術って…要は自分の身を守れるようになりたいと?」
「はい!」
そう言うと入間さんは深く息を吐き出したあと、立ち止まり私を見据えます。
「あなた今度は何に巻き込まれたのです?!あれほど用心しなさいと…」
なんだか麻薬の売買に巻き込まれて以降、入間さんの私に対する態度に少し変化があったように思います。前々からとてもお世話になりっぱなしで、お優しいのは変わらないのですが、なんと言いますか…遠慮が少しなくなったような…例えて言うなら左馬刻さんや理鶯さんに接するときに似ているような。これまでの入間さんは私の前ではとても丁寧な言葉遣いや態度を崩すようなことはなくて、始め左馬刻さんと入間さんのやり取りを見た時に少し驚いたものです。その遠慮のなさにお互いの信頼を垣間見たようで、とても嬉しかったこともよく覚えています。
入間さんが私に対して信頼をしてくださっているのかはわかりませんが、以前より確実にお世話をしていただいているのは確かです。以前はこのように口を酸っぱく私に注意をすることもなかったですから。なんだかドラマや漫画に出てくる典型的なお母さんのようです。
今もなお、お母さんのように危機感を持ちなさいと叱ってくださっている入間さんに、この間の飴村さんからのお話をすべく口を開きます。
「ち、違うのです!んと、その可能性があると言いますか…」
「なるほど…そんな噂が」
「はい…」
みょうじさんから聞いた話を要約すると、一部で左馬刻とみょうじさんが恋人の関係だと噂になっており、みょうじさんが狙われる可能性があること。そしてその話を受け、みょうじさんが左馬刻が不利な状況にならないよう自身を守れる術を持つために理鶯に武術を習おうとしている…ということらしい。
この話を受けて、左馬刻から離れようとするのではなく、自身を強くしようとする彼女はやはり相当変わっているだろう。強くなろうとする術が武術ということもそれに拍車をかけている。
実はこの話は左馬刻から先に聞いている。左馬刻から明け方急な呼び出しがあり、された話がそうだった。飴村乱数から電話があり、こんな噂が流れているらしい、と。
その話を受けてまず疑問に思ったのは、なぜその噂をシブヤが拠点の飴村乱数が把握しているのかということだ。ヨコハマは俺の管轄内であり、そういう黒い噂は管轄を見回っているときや、色んな筋から漏れず入ってくる。それにも拘わらず、今回は俺が掴んでいない情報をシブヤの飴村乱数が掴んでいる。左馬刻も自身の職業柄、組が絡んだ噂には敏感であり、他の組が何か企んでいるような噂なら必ず左馬刻の耳に入ってくる。何より、みょうじさんを危険な目に合わせないよう細心の注意を払っていたはず。左馬刻のみょうじさんへの過保護っぷりは俺も間近で見ていた。
それがこうして、左馬刻が拠点とするヨコハマではなく、シブヤで情報が漏れだしていて、俺も左馬刻もその情報を掴めていなかったことから察するに、この情報の出所は個人であるという可能性が高い。
まずはこの情報を精査するということでその時は左馬刻と別れ、俺は職場に戻ったのだ。
まさかこの話を受けて彼女が武術を習うなんて発想になるとは考えもつかず、また面倒事に巻き込まれたのかと思いきやそうではないらしい。それがわかり一安心するのと同時に、これは彼女から火貂組に関する情報を聞き出すチャンスではと思いつく。火貂組組長である火貂退紅は中々のやり手であり、情報を滅多に漏らさない。火貂組と彼女は必ず繋がりがある。そこが掴めれば今後何かあったときに火貂組との交渉がだいぶ有利に進められる。
「…みょうじさんはこの状況でも、左馬刻と関わることが恐くはないのですか?」
「こわくない、と言えば嘘になります。左馬刻さんに対してではなく、状況としては…少しこわいです。でも、私が一番こわいと思うのは、今後左馬刻さんに会えなくなることなので…」
「…そもそも左馬刻とはどう知り合ったのです?接点が何も思い浮かびませんが…」
「恥ずかしながら…私借金をしていたのです。返済が遅れてしまっていた時期がありまして、私自身が売りに出されたときに左馬刻さんが助けてくださったのです」
「なるほど。…ところでその金融業者は明らかに違法業者ですね。きちんと解決できたのですか?」
「はい!ありがたいことに左馬刻さんの親父さまのお知り合いの方にお力を貸していただいて」
「(火貂退紅がそこまでしたのか…)その親父さんには会ったのですか?」
「はい!とてもダンディな方でした!」
「ヤクザの組長相手にそんな感想を抱くなんて…あなたは変に肝が据わっているというか…」
「えへへ…私、父がヤクザの組長さんだったみたいで」
「…ほう」
「私自身は父の名前も顔も知らないのですが、母からそう聞いたのです。母から聞く父は、こわいっていうイメージからかけ離れていて…ヤクザだからこわいという訳ではないんだなぁって」
この時には俺の中で一つの可能性が浮かび上がっていた。その可能性は彼女と火貂組の繋がりを考えたときに浮かんだ一つの推測であったが、それが今確信に変わりつつある。
「…ちなみにみょうじさんの父親の組名は知っているのですか?」
「はい、火貂組というそうです」
これで繋がった。彼女はやはり火貂退紅の娘だ。火貂退紅と彼女の年齢を考えるとこの線は微妙かとも思ったが当たっていたらしい。
そしてこの話し方から察するに、彼女は自身の父親が火貂退紅だということを知らないのだろう。左馬刻の所属する組が火貂組だということも。今更どんな顔をして父親だと告げればいいのかわからないだけかもしれないが恐らく、この判断は彼女を想ってのものだろう。家族は最大の弱みだ。火貂退紅の娘ともなれば、どんな輩に狙われるかわからない。しかし、自身が父親だと告げない割にしっかり左馬刻を彼女の傍に置いているのだから、適度な距離で守ろうとする意志を感じる。
「みょうじさん、ちなみにこの噂のこと、左馬刻には話しましたか?」
「いえ、話していません。…ここ二週間ほど連絡がとれていないのです」
「二週間も?」
左馬刻が以前、火貂退紅と電話で話しているのを理鶯含め三人で打ち合わせをしていたときに聞いたことがある。さすがに組の内情を晒すようなことを俺の前でするはずもなく、少し離れたところで電話に応じていた左馬刻だが、途中から火貂退紅となにやら言い合いになったようでそこは割と情報が筒抜けであった。みょうじさんの近況報告というワードと一週間というワードが聞こえてきたので、みょうじさんの近況を一週間ごとに火貂退紅に報告するというのが左馬刻の仕事に追加されたのだろうことは容易に想像ができた。このときから彼女が火貂退紅の娘なのではという推測はしていた。
これを踏まえると、二週間もみょうじさんと左馬刻が会っていないということは、左馬刻が意図的に彼女を避けているということだ。
左馬刻に呼び出された時、別れ際に俺は一つの質問を投げかけた。すると左馬刻は不自然な程の無表情で答えた。
「元々住む世界が違う。それが元に戻るだけだ」
それ以来俺も左馬刻と連絡を取り合っていなかったのだが、彼女の話を聞く限り、アイツはそういう選択をしたらしい。そこまで考えて、俺は呆れてしまった。あの男はこの手のこととなると呆れるほど不器用な男だと再確認した。気持ちはわかるし、左馬刻の性格上絶対にこうするというのは納得がいく。しかし、彼女の今の行動を見ればそれは逆効果だろう。見事にすれ違っている。お互いがお互いのことを想っての行動がこうも真逆になるとは。
「みょうじさん、私から一つ提案があるのですが」
「?」
「武術を習うことも大切だと思いますが、ある種それ以上に大切なのはそういう状況に陥らないこと。回避は最大の防衛術です」
「回避…」
「安心してください。左馬刻から離れろと言いたいのではないのです。あなたがきちんと犯罪や人の悪意への知識を身につければ、それに巻き込まれるのを防げるということです」
「みょうじさん、あなたは悪に対して鈍すぎる、無防備すぎる。それはあなたと、あなたの大切な人を傷つけることに繋がります」
「…はい」
「ですから、私からあなたへ防犯とは何かということに関してお話させていただきましょう。自分を守ることは、あなたを大切に思う人を守ることにも繋がります」
「はい!」
俺は自身の目的のためならば手段は択ばない。目の前の彼女のことも火貂組の弱みを握れるかもしれないと、利用できるかもしれないと思っていただけだ。だが、最近は少し違う。ヨコハマのコンテナヤードでの薬物売買のとき、彼女は拳銃を向けられてもなお、薬物を売人に渡さなかったらしい。彼女のそのあまりの無謀さに左馬刻は怒っていたし、俺もその場は渡すべきだったと思っている。変に売人を刺激して撃たれでもしていたらと思うと左馬刻が怒るのも無理はない。
しかし、彼女のその選択は薬物によって悲しい思いをする人がいないようにというその一心からだろうということは、彼女の人柄から容易く想像がつく。あの場で彼女が薬物を渡していても、結局はしょっぴいた後に回収はできた。結果は変わらない。だが、彼女はきっと今後も、同じような場面に出くわした際、同じ選択をするのだろうと漠然と思ったのだ。そう思ったときに、彼女の存在は今までと少し違う位置になった。簡単に言えば、気に入った、というところだろうか。
「さて、早速理鶯のところに着く前にお話ししましょうか」
「はい!よろしくお願いします!」
そしてそんな彼女に、どうかあの不器用な男の手を握ってやってほしいと柄にもなく思うのだ。
これまではどんなにお仕事が忙しくても、お時間を作って一週間に一回のペースで会いにきてくれた左馬刻さん。それがシブヤから自宅にドライブをしながら送っていただいた日を境に、直接お会いすることも、お電話も、できなくなってしまいました。一度、お電話をして繋がらなかったときに留守電を残したのですが、かけ直しのお電話はまだありません。お仕事がとてもお忙しいのか、それとも何か他に事情がおありなのか…ドライブの最中に左馬刻さんが見せた寂しそうな表情が気がかりですが、私は今、自分にできることに集中しようと気を引き締めます。今日お仕事はお休み。そして理鶯さんの元へ向かう日なのです!私が理鶯さんの元へお邪魔するようになったのは、ちょうど二週間前のこと。入間さんにお願いをして、理鶯さんの野営地に連れて行っていただいたことが始まりです。
自宅のアパートの前で待っていると、車に乗った入間さんがお迎えに来てくださいました。
「入間さん、今日は本当にありがとうございます!せっかくのお休みの日にお願いしてしまってすみません」
「いえ、私もちょうど理鶯に用事がありましたのでお気になさらず」
途中までは車で向かい、理鶯さんの野営地である森の近くの駐車場からは歩きで向かいます。
「それにしても驚きました。まさかみょうじさんが理鶯に会いたいとおっしゃるなんて」
「実は理鶯さんにお願いがありまして…」
「お願いですか?」
「…武術を習いたくて」
「…はい?」
「ぶ、武術を習いたいのです!」
「武術って…要は自分の身を守れるようになりたいと?」
「はい!」
そう言うと入間さんは深く息を吐き出したあと、立ち止まり私を見据えます。
「あなた今度は何に巻き込まれたのです?!あれほど用心しなさいと…」
なんだか麻薬の売買に巻き込まれて以降、入間さんの私に対する態度に少し変化があったように思います。前々からとてもお世話になりっぱなしで、お優しいのは変わらないのですが、なんと言いますか…遠慮が少しなくなったような…例えて言うなら左馬刻さんや理鶯さんに接するときに似ているような。これまでの入間さんは私の前ではとても丁寧な言葉遣いや態度を崩すようなことはなくて、始め左馬刻さんと入間さんのやり取りを見た時に少し驚いたものです。その遠慮のなさにお互いの信頼を垣間見たようで、とても嬉しかったこともよく覚えています。
入間さんが私に対して信頼をしてくださっているのかはわかりませんが、以前より確実にお世話をしていただいているのは確かです。以前はこのように口を酸っぱく私に注意をすることもなかったですから。なんだかドラマや漫画に出てくる典型的なお母さんのようです。
今もなお、お母さんのように危機感を持ちなさいと叱ってくださっている入間さんに、この間の飴村さんからのお話をすべく口を開きます。
「ち、違うのです!んと、その可能性があると言いますか…」
「なるほど…そんな噂が」
「はい…」
みょうじさんから聞いた話を要約すると、一部で左馬刻とみょうじさんが恋人の関係だと噂になっており、みょうじさんが狙われる可能性があること。そしてその話を受け、みょうじさんが左馬刻が不利な状況にならないよう自身を守れる術を持つために理鶯に武術を習おうとしている…ということらしい。
この話を受けて、左馬刻から離れようとするのではなく、自身を強くしようとする彼女はやはり相当変わっているだろう。強くなろうとする術が武術ということもそれに拍車をかけている。
実はこの話は左馬刻から先に聞いている。左馬刻から明け方急な呼び出しがあり、された話がそうだった。飴村乱数から電話があり、こんな噂が流れているらしい、と。
その話を受けてまず疑問に思ったのは、なぜその噂をシブヤが拠点の飴村乱数が把握しているのかということだ。ヨコハマは俺の管轄内であり、そういう黒い噂は管轄を見回っているときや、色んな筋から漏れず入ってくる。それにも拘わらず、今回は俺が掴んでいない情報をシブヤの飴村乱数が掴んでいる。左馬刻も自身の職業柄、組が絡んだ噂には敏感であり、他の組が何か企んでいるような噂なら必ず左馬刻の耳に入ってくる。何より、みょうじさんを危険な目に合わせないよう細心の注意を払っていたはず。左馬刻のみょうじさんへの過保護っぷりは俺も間近で見ていた。
それがこうして、左馬刻が拠点とするヨコハマではなく、シブヤで情報が漏れだしていて、俺も左馬刻もその情報を掴めていなかったことから察するに、この情報の出所は個人であるという可能性が高い。
まずはこの情報を精査するということでその時は左馬刻と別れ、俺は職場に戻ったのだ。
まさかこの話を受けて彼女が武術を習うなんて発想になるとは考えもつかず、また面倒事に巻き込まれたのかと思いきやそうではないらしい。それがわかり一安心するのと同時に、これは彼女から火貂組に関する情報を聞き出すチャンスではと思いつく。火貂組組長である火貂退紅は中々のやり手であり、情報を滅多に漏らさない。火貂組と彼女は必ず繋がりがある。そこが掴めれば今後何かあったときに火貂組との交渉がだいぶ有利に進められる。
「…みょうじさんはこの状況でも、左馬刻と関わることが恐くはないのですか?」
「こわくない、と言えば嘘になります。左馬刻さんに対してではなく、状況としては…少しこわいです。でも、私が一番こわいと思うのは、今後左馬刻さんに会えなくなることなので…」
「…そもそも左馬刻とはどう知り合ったのです?接点が何も思い浮かびませんが…」
「恥ずかしながら…私借金をしていたのです。返済が遅れてしまっていた時期がありまして、私自身が売りに出されたときに左馬刻さんが助けてくださったのです」
「なるほど。…ところでその金融業者は明らかに違法業者ですね。きちんと解決できたのですか?」
「はい!ありがたいことに左馬刻さんの親父さまのお知り合いの方にお力を貸していただいて」
「(火貂退紅がそこまでしたのか…)その親父さんには会ったのですか?」
「はい!とてもダンディな方でした!」
「ヤクザの組長相手にそんな感想を抱くなんて…あなたは変に肝が据わっているというか…」
「えへへ…私、父がヤクザの組長さんだったみたいで」
「…ほう」
「私自身は父の名前も顔も知らないのですが、母からそう聞いたのです。母から聞く父は、こわいっていうイメージからかけ離れていて…ヤクザだからこわいという訳ではないんだなぁって」
この時には俺の中で一つの可能性が浮かび上がっていた。その可能性は彼女と火貂組の繋がりを考えたときに浮かんだ一つの推測であったが、それが今確信に変わりつつある。
「…ちなみにみょうじさんの父親の組名は知っているのですか?」
「はい、火貂組というそうです」
これで繋がった。彼女はやはり火貂退紅の娘だ。火貂退紅と彼女の年齢を考えるとこの線は微妙かとも思ったが当たっていたらしい。
そしてこの話し方から察するに、彼女は自身の父親が火貂退紅だということを知らないのだろう。左馬刻の所属する組が火貂組だということも。今更どんな顔をして父親だと告げればいいのかわからないだけかもしれないが恐らく、この判断は彼女を想ってのものだろう。家族は最大の弱みだ。火貂退紅の娘ともなれば、どんな輩に狙われるかわからない。しかし、自身が父親だと告げない割にしっかり左馬刻を彼女の傍に置いているのだから、適度な距離で守ろうとする意志を感じる。
「みょうじさん、ちなみにこの噂のこと、左馬刻には話しましたか?」
「いえ、話していません。…ここ二週間ほど連絡がとれていないのです」
「二週間も?」
左馬刻が以前、火貂退紅と電話で話しているのを理鶯含め三人で打ち合わせをしていたときに聞いたことがある。さすがに組の内情を晒すようなことを俺の前でするはずもなく、少し離れたところで電話に応じていた左馬刻だが、途中から火貂退紅となにやら言い合いになったようでそこは割と情報が筒抜けであった。みょうじさんの近況報告というワードと一週間というワードが聞こえてきたので、みょうじさんの近況を一週間ごとに火貂退紅に報告するというのが左馬刻の仕事に追加されたのだろうことは容易に想像ができた。このときから彼女が火貂退紅の娘なのではという推測はしていた。
これを踏まえると、二週間もみょうじさんと左馬刻が会っていないということは、左馬刻が意図的に彼女を避けているということだ。
左馬刻に呼び出された時、別れ際に俺は一つの質問を投げかけた。すると左馬刻は不自然な程の無表情で答えた。
「元々住む世界が違う。それが元に戻るだけだ」
それ以来俺も左馬刻と連絡を取り合っていなかったのだが、彼女の話を聞く限り、アイツはそういう選択をしたらしい。そこまで考えて、俺は呆れてしまった。あの男はこの手のこととなると呆れるほど不器用な男だと再確認した。気持ちはわかるし、左馬刻の性格上絶対にこうするというのは納得がいく。しかし、彼女の今の行動を見ればそれは逆効果だろう。見事にすれ違っている。お互いがお互いのことを想っての行動がこうも真逆になるとは。
「みょうじさん、私から一つ提案があるのですが」
「?」
「武術を習うことも大切だと思いますが、ある種それ以上に大切なのはそういう状況に陥らないこと。回避は最大の防衛術です」
「回避…」
「安心してください。左馬刻から離れろと言いたいのではないのです。あなたがきちんと犯罪や人の悪意への知識を身につければ、それに巻き込まれるのを防げるということです」
「みょうじさん、あなたは悪に対して鈍すぎる、無防備すぎる。それはあなたと、あなたの大切な人を傷つけることに繋がります」
「…はい」
「ですから、私からあなたへ防犯とは何かということに関してお話させていただきましょう。自分を守ることは、あなたを大切に思う人を守ることにも繋がります」
「はい!」
俺は自身の目的のためならば手段は択ばない。目の前の彼女のことも火貂組の弱みを握れるかもしれないと、利用できるかもしれないと思っていただけだ。だが、最近は少し違う。ヨコハマのコンテナヤードでの薬物売買のとき、彼女は拳銃を向けられてもなお、薬物を売人に渡さなかったらしい。彼女のそのあまりの無謀さに左馬刻は怒っていたし、俺もその場は渡すべきだったと思っている。変に売人を刺激して撃たれでもしていたらと思うと左馬刻が怒るのも無理はない。
しかし、彼女のその選択は薬物によって悲しい思いをする人がいないようにというその一心からだろうということは、彼女の人柄から容易く想像がつく。あの場で彼女が薬物を渡していても、結局はしょっぴいた後に回収はできた。結果は変わらない。だが、彼女はきっと今後も、同じような場面に出くわした際、同じ選択をするのだろうと漠然と思ったのだ。そう思ったときに、彼女の存在は今までと少し違う位置になった。簡単に言えば、気に入った、というところだろうか。
「さて、早速理鶯のところに着く前にお話ししましょうか」
「はい!よろしくお願いします!」
そしてそんな彼女に、どうかあの不器用な男の手を握ってやってほしいと柄にもなく思うのだ。