【にかさに】星の色に呼ばれて
これで何回目だろうか、とぼんやりと思いながら、私はまた初期刀を選ぶのだった。ぱっと花弁が舞って、古びた布をかぶった美しい青年が現れる。
前回は歌仙で、それなりに楽しかったが、まあ、一年ほどで本丸襲撃に遭ってしまったのは残念だった。歌仙と青江の仲が良くて、私も交えて酒盛りをしたものだ。彼らと見る星はほんとうに美しかった。前々回は、あの刀を選ぶのは初めてではなかった割には上手くやれなかった。結局、見習いに乗っ取られて、私は一振りだけを供にして追い出されたような気がする。梅がちらほらと咲き始めた山奥で出くわした遡行軍に斬られて死んだはずだが、あまり記憶がない。むしろ、その直前こちらを振り向いた青江の表情の方が、ずっと、ずっと鮮明に思い出せる。
チュートリアル、と呼ばれる通過儀礼と、血みどろで帰ってくる初期刀の手入れ、鍛刀、と、覚えのある作業を淡々と繰り返す。審神者の経験があるのか、と初期刀が怪訝そうな顔をするので、ああうんそんな感じ、と曖昧に返事をして、一仕事を終えたこんのすけを見送った。
今度も始まりはソメイヨシノの綺麗な夕方だった。山も空も本丸も燃えるように滲んでいる。毎回、私はこの季節のこの時間に巻き戻されていた。もう春にはうんざりだ、始まるのも終わるのもいつも春だ。とはいえ、私が愛していようが憎んでいようが季節は容赦なく本丸に居座るので、障子を閉めて反抗するのが精々だった。風で吹き込んでいた桜が畳の上で少し舞う。
鍛刀も出陣もしなければあの刀と出会うこともないし、彼を苦しませて悲しませることもないということは知っていたが、まだ顕現もしていない刀のために職務を放棄するのは正解ではないような気がして、前回までと同じように淡々と仕事を進めた。彼以外にも刀剣男士は存在するし、彼らは戦うために顕現している。それ以上に重要なことなんて、存在しないでしょう?
彼は、脇差を鍛刀し始めてから四振り目で来た。鍛刀部屋に光が満ちた瞬間、ああこれは彼だと思った。はらはらと桜を散らせながら、これまでと同じように彼は私の前に現れた。光の名残で翡翠に透ける髪がしゃらしゃらと流れる。彼はちょっと眉を上げて私を見て、また何でもないような顔に戻って挨拶を述べた。これまでと同じように、驚くほど模範的なにっかり青江だった。
少し様子がおかしいと思ったのは、夏が終わってからだった。青江が目を合わせなくなった。顔もあまり合わせなくなった。編成の都合で遠征に出してばかりいたのが不満だったのかと思って出陣させてもみたが、誉の報告もごく簡素で、すぐに自室へ戻ってしまう。彼が何に引っかかっているのか、さっぱりわからなかった。こういう避け方をする刀ではないはずだし、ここまで嫌われてしまうようなことをした心当たりもなかった。私の存在そのものが気に入らないにしても、前回まではわりと、いや、とても親しくしていたのだから、今回の青江だけが私を苦手にするのはあまり自然なこととも思えなかった。
寒さも深まってきた頃、刀装が全て特上で完成するという奇妙な行事が始まった。ほんの出来心、この青江が金色の刀装を見て何を言うのか知りたいという些細な出来心で近侍に青江を指名した。
ゆっくりと執務室に入ってくる青江の顔には、きちんと微笑が備わっている。それがどことなく不気味なものに思われて背筋がぞくりとする、が、彼の靴下が白いのが目に入って落ち着いた。少なくとも目の前の彼は地べたに足がついた人間だった。
で、僕は何をするのかな。
刀装を作るの、今回は銃兵で。
それ、僕じゃないと駄目なやつかな。
まあ、誰でもいいけど、青江なら経験豊富そうじゃない。
じゃあご期待に応えないと、だねぇ。
違和感を感じたのは、一つは彼が随分と用心しながら話している様子だったこと、もう一つは彼の顔色が妙に白かったことだった。彼が特に何も言わないので、私も何も気にしていない風にして刀装部屋に資材を運ぶ。向こうにも積んであるから大した量でもない。彼の男性的な指を見、その指先が綺麗なのを見、短く切り揃えられた爪を見、そこで視線を前に戻した。角を曲がればもう着く。
いざ刀装を作る段になって、青江はやはり気が進まないようだった。嫌なのかと聞けばそうではないと言う。霊力の調子が悪いのかと聞けばそうでもないと言う。じゃあ作ろうと言うと返事もしないで自分の手を見る。
「どうすればいいの、私」
「いいんじゃないかな」
「え?」
「いいんじゃないかな、何もしなくても」
「え」
「夢かも現実かも、もうわからないからねぇ」
彼はおもむろに刀装を作り始めた。特上になるとわかっているのに張り詰めた思いで待つ。彼の息が聞こえて、風の音が聞こえて、そういえば今日は北風が強かった、私の鼓動は数えられるほどに強く打っていた。いつもより長く感じた。
彼が手を下ろすと、そこにあるのは金色の玉ではなかった。ちょうど刀装と同じ大きさ、同じ形の、夜空の詰まったような色合いの球体であった。光の具合で紫にも青にも緑にも、難しい名前を持っているのであろういろいろの色にも変わる。球の中には無数の小さな光が浮かんでいて、奥の方には天の河よろしく白い靄がかかっている。中は透けているのに、向こう側はただの闇が続いていて、見えない。吸い込まれるような気がした。
手を伸ばして触ろうとした瞬間、球から夜の色が溢れて、私と青江を飲み込んだ。
あっという間に、星空に放り出される。
「何これ、浮いてる?」
「浮いているねぇ、無重力っていうのかな」
「……静かだね」
「静かだねぇ」
「誰もいないね」
「いないね」
「夢なのかな」
「そうだね、そうかもしれない」
「広いんだね、向こうは」
「君」
「青江?」
「たぶん君も知ってるんだろう? もうすぐ、君はまた死ぬ」
「…………は?」
「僕もね、考えたんだ。僕が先に折れればいいんじゃないか、とか、早く君のところから出ていけばいいんじゃないか、とか。せっかく今回は覚えていたからここで決着をつけたかったんだけどね、時間切れかな。また、終わる」
「あの、ちょっと待って」
「気味が悪いね、君も悪いよ。ずっと覚えていて、ずっと知ってたならやりようがあっただろうに、何もしないんだからねぇ」
「待ってってば」
「それともあれかな、そういう趣味だったとか。君、毎回僕が苦しむのを見て楽しんでたのかな」
「ねえ、何も知らないよ、私」
「……え?」
「私、また死ぬの?」
「でも、覚えているんだろ」
「知らないんだってば。どうして繰り返してるの、どうしていつもうまくいかないの、どうして、青江ともっと話したいって思うたびに、終わっちゃうの。青江は、何を知ってるの!」
彼の胸ぐらを掴んでみる、彼は抵抗もなくこちらに引き寄せられる。もう、彼の目には何の感情も表れていない。
「青江、今は、全部覚えてるの?」
「……ああ」
「全部知ってるの?」
「全部ではないけれどね。見当はついてる」
「じゃあ教えて。青江が悲しいなら、もう、終わりにしたい」
彼は、私の後ろの星々を見ながら、どこか自嘲するような調子で言う。
「笑ってくれると嬉しいんだけどね」
「うん」
「人の身を得て少しすると、君のこと、どう思ってるのかわからなくなる」
「うん」
「他の刀に聞いたり、文献に当たったりして、これの正体がわかったと思うとすぐに、終わりが来る」
「終わり?」
「そう、終わりだ。君は死んでしまうし、僕もその後に折れる。毎回だよ、毎回。刀が人間をそういうふうに思ってしまうことへの罰かな、それにしてもひどい話だねぇ」
「違う、罰じゃない」
「そうかな」
「いけないことでも何でもないでしょ、心があるんだから」
「じゃあ、なんで僕だけ忘れて、また、繰り返さないといけないんだい」
「わからないけど、ほら、知らなきゃよかったとか、思ったりしない?」
「……ああ」
「だから、知っちゃう前に戻ってるんだよ、きっと。ただ」
「ただ?」
「私は、知ってしまっても、いいと思っている」
彼の目を見た。
彼の目を見たのが初めてだったことに気づいた。
前回は歌仙で、それなりに楽しかったが、まあ、一年ほどで本丸襲撃に遭ってしまったのは残念だった。歌仙と青江の仲が良くて、私も交えて酒盛りをしたものだ。彼らと見る星はほんとうに美しかった。前々回は、あの刀を選ぶのは初めてではなかった割には上手くやれなかった。結局、見習いに乗っ取られて、私は一振りだけを供にして追い出されたような気がする。梅がちらほらと咲き始めた山奥で出くわした遡行軍に斬られて死んだはずだが、あまり記憶がない。むしろ、その直前こちらを振り向いた青江の表情の方が、ずっと、ずっと鮮明に思い出せる。
チュートリアル、と呼ばれる通過儀礼と、血みどろで帰ってくる初期刀の手入れ、鍛刀、と、覚えのある作業を淡々と繰り返す。審神者の経験があるのか、と初期刀が怪訝そうな顔をするので、ああうんそんな感じ、と曖昧に返事をして、一仕事を終えたこんのすけを見送った。
今度も始まりはソメイヨシノの綺麗な夕方だった。山も空も本丸も燃えるように滲んでいる。毎回、私はこの季節のこの時間に巻き戻されていた。もう春にはうんざりだ、始まるのも終わるのもいつも春だ。とはいえ、私が愛していようが憎んでいようが季節は容赦なく本丸に居座るので、障子を閉めて反抗するのが精々だった。風で吹き込んでいた桜が畳の上で少し舞う。
鍛刀も出陣もしなければあの刀と出会うこともないし、彼を苦しませて悲しませることもないということは知っていたが、まだ顕現もしていない刀のために職務を放棄するのは正解ではないような気がして、前回までと同じように淡々と仕事を進めた。彼以外にも刀剣男士は存在するし、彼らは戦うために顕現している。それ以上に重要なことなんて、存在しないでしょう?
彼は、脇差を鍛刀し始めてから四振り目で来た。鍛刀部屋に光が満ちた瞬間、ああこれは彼だと思った。はらはらと桜を散らせながら、これまでと同じように彼は私の前に現れた。光の名残で翡翠に透ける髪がしゃらしゃらと流れる。彼はちょっと眉を上げて私を見て、また何でもないような顔に戻って挨拶を述べた。これまでと同じように、驚くほど模範的なにっかり青江だった。
少し様子がおかしいと思ったのは、夏が終わってからだった。青江が目を合わせなくなった。顔もあまり合わせなくなった。編成の都合で遠征に出してばかりいたのが不満だったのかと思って出陣させてもみたが、誉の報告もごく簡素で、すぐに自室へ戻ってしまう。彼が何に引っかかっているのか、さっぱりわからなかった。こういう避け方をする刀ではないはずだし、ここまで嫌われてしまうようなことをした心当たりもなかった。私の存在そのものが気に入らないにしても、前回まではわりと、いや、とても親しくしていたのだから、今回の青江だけが私を苦手にするのはあまり自然なこととも思えなかった。
寒さも深まってきた頃、刀装が全て特上で完成するという奇妙な行事が始まった。ほんの出来心、この青江が金色の刀装を見て何を言うのか知りたいという些細な出来心で近侍に青江を指名した。
ゆっくりと執務室に入ってくる青江の顔には、きちんと微笑が備わっている。それがどことなく不気味なものに思われて背筋がぞくりとする、が、彼の靴下が白いのが目に入って落ち着いた。少なくとも目の前の彼は地べたに足がついた人間だった。
で、僕は何をするのかな。
刀装を作るの、今回は銃兵で。
それ、僕じゃないと駄目なやつかな。
まあ、誰でもいいけど、青江なら経験豊富そうじゃない。
じゃあご期待に応えないと、だねぇ。
違和感を感じたのは、一つは彼が随分と用心しながら話している様子だったこと、もう一つは彼の顔色が妙に白かったことだった。彼が特に何も言わないので、私も何も気にしていない風にして刀装部屋に資材を運ぶ。向こうにも積んであるから大した量でもない。彼の男性的な指を見、その指先が綺麗なのを見、短く切り揃えられた爪を見、そこで視線を前に戻した。角を曲がればもう着く。
いざ刀装を作る段になって、青江はやはり気が進まないようだった。嫌なのかと聞けばそうではないと言う。霊力の調子が悪いのかと聞けばそうでもないと言う。じゃあ作ろうと言うと返事もしないで自分の手を見る。
「どうすればいいの、私」
「いいんじゃないかな」
「え?」
「いいんじゃないかな、何もしなくても」
「え」
「夢かも現実かも、もうわからないからねぇ」
彼はおもむろに刀装を作り始めた。特上になるとわかっているのに張り詰めた思いで待つ。彼の息が聞こえて、風の音が聞こえて、そういえば今日は北風が強かった、私の鼓動は数えられるほどに強く打っていた。いつもより長く感じた。
彼が手を下ろすと、そこにあるのは金色の玉ではなかった。ちょうど刀装と同じ大きさ、同じ形の、夜空の詰まったような色合いの球体であった。光の具合で紫にも青にも緑にも、難しい名前を持っているのであろういろいろの色にも変わる。球の中には無数の小さな光が浮かんでいて、奥の方には天の河よろしく白い靄がかかっている。中は透けているのに、向こう側はただの闇が続いていて、見えない。吸い込まれるような気がした。
手を伸ばして触ろうとした瞬間、球から夜の色が溢れて、私と青江を飲み込んだ。
あっという間に、星空に放り出される。
「何これ、浮いてる?」
「浮いているねぇ、無重力っていうのかな」
「……静かだね」
「静かだねぇ」
「誰もいないね」
「いないね」
「夢なのかな」
「そうだね、そうかもしれない」
「広いんだね、向こうは」
「君」
「青江?」
「たぶん君も知ってるんだろう? もうすぐ、君はまた死ぬ」
「…………は?」
「僕もね、考えたんだ。僕が先に折れればいいんじゃないか、とか、早く君のところから出ていけばいいんじゃないか、とか。せっかく今回は覚えていたからここで決着をつけたかったんだけどね、時間切れかな。また、終わる」
「あの、ちょっと待って」
「気味が悪いね、君も悪いよ。ずっと覚えていて、ずっと知ってたならやりようがあっただろうに、何もしないんだからねぇ」
「待ってってば」
「それともあれかな、そういう趣味だったとか。君、毎回僕が苦しむのを見て楽しんでたのかな」
「ねえ、何も知らないよ、私」
「……え?」
「私、また死ぬの?」
「でも、覚えているんだろ」
「知らないんだってば。どうして繰り返してるの、どうしていつもうまくいかないの、どうして、青江ともっと話したいって思うたびに、終わっちゃうの。青江は、何を知ってるの!」
彼の胸ぐらを掴んでみる、彼は抵抗もなくこちらに引き寄せられる。もう、彼の目には何の感情も表れていない。
「青江、今は、全部覚えてるの?」
「……ああ」
「全部知ってるの?」
「全部ではないけれどね。見当はついてる」
「じゃあ教えて。青江が悲しいなら、もう、終わりにしたい」
彼は、私の後ろの星々を見ながら、どこか自嘲するような調子で言う。
「笑ってくれると嬉しいんだけどね」
「うん」
「人の身を得て少しすると、君のこと、どう思ってるのかわからなくなる」
「うん」
「他の刀に聞いたり、文献に当たったりして、これの正体がわかったと思うとすぐに、終わりが来る」
「終わり?」
「そう、終わりだ。君は死んでしまうし、僕もその後に折れる。毎回だよ、毎回。刀が人間をそういうふうに思ってしまうことへの罰かな、それにしてもひどい話だねぇ」
「違う、罰じゃない」
「そうかな」
「いけないことでも何でもないでしょ、心があるんだから」
「じゃあ、なんで僕だけ忘れて、また、繰り返さないといけないんだい」
「わからないけど、ほら、知らなきゃよかったとか、思ったりしない?」
「……ああ」
「だから、知っちゃう前に戻ってるんだよ、きっと。ただ」
「ただ?」
「私は、知ってしまっても、いいと思っている」
彼の目を見た。
彼の目を見たのが初めてだったことに気づいた。
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