【にかさに現パロ】愛を叫んでくれ

「今何時?」
「二時だよ。夜の」
「そっかぁ」
 深夜の幹線道路を走らせながら、助手席の彼女がぼんやりとこちらの横顔を眺めているのを感じる。窓の外ではネオンの光が高速で過ぎ去っていき、時折途切れる。正月も過ぎて、ビル街は光を放ち続ける。夜更けに、「会いたい」とメッセージを寄越してきたのは確かに彼女なのだが、何があったのかを話すつもりもないらしく、車内には小さく洋楽が流れるだけだった。
 しばらく経って、都心の明かりが遠く離れ始めた頃、彼女が口を開いた。
「愛って信じる?」
「唐突だねぇ。信じるよ」
「えー、つまんない」
 愛そのものが隣に座っているのだから、詰まるも詰まらないもないだろう。
「信じてないのかい、君は」
「愛じゃないんだよぉ、もっと、重たくって、じゃりじゃりしてて、甘ったるい匂いがして、でも舐めると苦いの」
「何が?」
「私の、愛、に相当するもの」
 うまい返事が頭に浮かばず黙ったままでいると、彼女も口を閉ざした。
 僕は、重たくて、じゃりじゃりしていて、甘ったるい匂いがして、舐めると苦い何かに頭までどっぷりと漬けられて、息をしているらしい。唯一無二の幸福だ、と思いはしても、それを言葉で言い表せる方法がわからない。そういう関係だった。
 大きなカーブを曲がると、彼女がまた呟く。
「人生についてどう思う?」
「幸せだよ。隣に君がいる」
「私はねぇ、青江がいても、ときどき、悲しくて悲しくて仕方なくなってね、なんで青江になれないんだろって泣いて、世界の全部を困らせたくなるときがある」
「僕になりたいのかい」
「なりたいよ、好きだもん」
 好きということと自分もそうなりたいということが何の違和感もなく地続きになっている素朴さが眩しいような気がした。向けられた憧憬に背筋が震える。そしてそれは、僕が彼女に向けているものと、きっと似ている。
「僕が、君になれたら、悲しくて仕方ないときも、一緒にいられる」
「うん」
「僕が君なんだから、君は僕にならなくたっていい」
「いいね」
「でも、僕は君になれないし、君は僕になれない」
「そうだね」
 そうだね、ともう一度繰り返して、彼女は眠たげな声で、しあわせだ、と言うように小声で言った。
「素敵なことだね」
 意味を問い返すのは無粋でしかなかったから、素敵なことだ、と口の中で転がすだけに留めた。同じものになれない、という当然のことを嘆いて、恨んで、感嘆できるのが、人間みたいだと思った。彼女が人間で良かったと思った。
 遠い過去、彼女の手を引いて線を越えようとした夜のことを思い出す。彼女は「ごめんね」としか言わなかった。それきり僕は一歩も動けなかった。こんな星の明るい夜だった。寒い夜だった。北極星が見えていた。今みたいに。
「愛しているって、言ってくれないかい?」
 返事はなかった。静かな呼吸だけが聞こえてくる。耳を澄ませても、車体が風を切る音と、エンジン音、二人分のいのちの音、スピーカーから流れるギター、そればかり。
 オーディオの音量を上げた。ハンドルを握り直す。夜は淡々と更けていく。
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