不絶頂
その日はなんだか、身体がだるくてその上久しぶりにすごく眠くて。先生のところに行こうとして、ふらふらと歩いていたら黒い輪っかの人に回収された。ものすごく噛みそうな名前してる人。と言うか、普通に噛む。インベーダーみたいな、エスカレーターみたいな、なんかすごくやる気に満ちてる感じの響きをしているんだけどちょっとわからない。声が出せない今の私にとっては名前を覚えるのは一苦労だったりする。
最近、やっとアーミャさんはミャじゃなくて、アーミヤさんだということを知った。ネイティブすぎる発音を耳で聞いた音のまま名前と勘違いしてるんだろうなぁ。これってもしかしなくても、私ってばかなりの人の名前というか、コードネームみたいなの間違えて覚えてる気しかしないぞ。そんなことを思いながら、拙くも二歳児レベルくらいになった英語力で聞いてみたら案の定間違っていた。読み書きも大事だけど、口に出すことも大事ってよく言ったものだよなぁと思ってみたり。今は頑張って名前の覚え直し中だ。
ぼんやりとそんなことを思い出していたら、首に熱を測るように手を添えられた。いつもより少し冷たい気がする。そのまま、視線を合わせるように頬に手を添えられる。どうやら何度か名前を呼ばれていたらしい。
『ハルさん、体調が悪いのでしたら早めに知らせていただかないと。あなたが話すことができないのは知っていますが、何かしらのアクションをしていただかないとこちらとしても対処ができません。あなたの担当医療オペレーターに、まだ肌寒い時期に防寒もせずに外出したと聞きました。それが原因でしょう。ドクターたちの元へ連れて行きます』
片手が使えるようにかはわからないけど、片腕で難なく持ち上げられてしまった。なんだかとても悔しい。なんでここの人たちってこんなに力持ちなんだ。私、両手で20キロが限界だぞ。数分後には腕がプルプルするレベルです、はい。
久々に眠いからか、体調が悪いからかはわからないけどテンションがものすごくおかしい。深夜テンションに似てる気がする。自分の身体を支えるように黒い輪っかの人の首に腕を回しつつ、ほぼ力の入らない身体を彼に預けた。
『いつもより体温が高めですね。少し震えていますが、寒気などはありますか?』
ぼんやりしているからか、言葉を聞き取ることができない。とりあえず、この黒い輪っかの人は暖かいので、悪寒を誤魔化すように黒い輪っかの人にくっつく。
すると私が寒いのだとわかったらしい黒い輪っかの人は、何かを断るように私に声をかけると一度私を降ろした。ふらつきもあって立っていられず、その場にしゃがみ込む。視界もなんだかぐるぐる回ってる気がする。ぱさりと肩に何かを掛けられて、ふわりと柔軟剤とインクの匂い、それと微かな火薬の匂い。ゆっくりと瞬くと、私の顔を覗き込む黒い輪っかの人と目が合った気がした。袖に腕を通されて、前を閉められる。ぶかぶかだ。また何かを断ると私の体が浮いたから、抱き上げられたのだと思う。
上着と人の体温で少し暖かくなった気がして、そのまま力を抜いて身を預けた。この人はいつも気にかけてくれるし安心できるから大丈夫だなんて思ったら、じんわりと広がる微睡に逆らわず目を閉じた。
ずし、と力が抜けて少し重くなった腕に、途中で拾ったドクターとロドスの代表の大事な娘が眠ったのをイグゼキュターは察した。少し乱れた呼吸音といつもより高めの体温に、おそらくだが風邪を引いている可能性がある。
この娘は、負傷したり体調が悪かったりすると過度の睡眠を取り、どこでも眠ってしまうとドクターから聞かされていた。見かけたら気にかけてやってほしいとも。ドクターに探して欲しいと頼まれ初めて見つけた時は、包帯が巻かれた小さな体をさらに小さくして物置で身を隠すようにして眠っていた。その痛々しい姿を今でもイグゼキュターは覚えている。
あの日、抱き上げた体は細くそれでいてどこもかしこも柔らかくて、柄にもなく見守り、保護しなければ簡単に死んでしまうと思うほどだった。人が立ち寄らないところでしか安心して眠ることができないほど、肉体的にも精神的にも弱り切っていた娘を、せめて自分のそばでは安心できるようにと試行錯誤した。その甲斐あってか、娘はイグゼキュターにはかなり無防備な姿を見せるようにまでなった。
保護者的存在である重岳や、気を許しているケルシーとドクター、アーミヤ、4人と同じように伸ばす手からは逃げずに、ロドスのオペレーターたちが言うように猫のように甘える仕草を見せるほどに。もともとこの娘は体調が悪かろうと眠かろうと、小さな抵抗は示したりする。ほぼ無意味ではあるが、動かなかったり避けたり距離を取ったり、反応を示さないだったり、そして特定の人物や一定のラインを超えると逃げたりする。それもあって猫のようだと言われてるの娘は知らないだろう。
しばらく娘を抱えて歩くと医務室に着いた。そこには連絡を入れたからか、ドクターとケルシーが待っていた。その後ろで、娘の担当オペレーターが何人か忙しなく駆け足で点滴などを用意しているのが見える。
『すまない、イグゼキュター。あとはこちらで預かろう』
『いえ、どちらに寝かしましょう?』
普段ならそのまま引き渡していただろう。なぜかその時は引き渡す気にはなれなかった。そんなイグゼキュターの心境を察したのか、ドクターとケルシーは目を合わせて、こちらだと言って娘の医務室へ案内をすることにした。少しだけ、彼の心境の変化が二人にとってはどうやらいい傾向だと思ったようだった。
診察の結果だか、疲労による風邪だそうだ。体質の問題もあり、体に合う薬が今手元に無いらしい。娘の熱からして数日ほど眠り続けるだろうからと、点滴による水分と電解質補給で様子を見るということになった。
『まあ、もともと眠ることが多かったから、いきなり動き出して疲れたんだろうね』
『この子が君を探して歩き回るのが一番の原因だろう。これを機にしっかりと期限を守るといい』
『え、私のせい?たくさん任せるみんなも悪いと思うのだけど』
『それ以外にあるとでも?』
『なんで君は、ハルが関わると少し知能が落ちるんだ?』
まるで父と母の会話のようにも思えた。ゆっくりと二人を見てから娘の方へ目を戻す。薄いカスタード色の肌は熱で赤みを帯びて、呼吸も少し荒い。汗で頬や額に張り付いた髪を手ではらう。
『そうだ、イグゼキュター。お願いがあるんだ』
『私でよければ』
『私はこれからケルシーによって業務室に缶詰になるだろう。だから、ハルのことをよろしく頼んだよ』
そのまま、引き摺られていくように医務室を後にした二人の背を見送る。ドクターに頼まれた以上、彼女がゆっくりと休むには誰も侵入できないように地雷の設置でもするかと立ち上がった瞬間だった。
『い、イグゼキュターさん!?な、何をしようとしているんです!?』
医療オペレーターの一人がギョッとしながら、イグゼキュターの肩を掴む。それに首を傾げてさも当然のように彼女の問いへの答えを返した。
『ハルさんが休息を取れるように、侵入を阻止するための地雷の設置ですが、それが何か?』
『ダメに決まってるでしょう!?もっと違うものはないんですか?ほら、危なくないような…』
『電気柵、でしょうか』
『出禁です』
医療に関わる人間というものは患者の一大事にはどうやら一時的に力が増すらしい。ぽーんっと自分より背の低い女性オペレーターの手によって、イグゼキュターは廊下に投げられた。一体何が悪かったのか、少し考えていたところに同僚であるインサイダーが通りかかり、声をかけられるまであと数分。
