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裸一貫



目が覚めると私の見慣れた部屋とか、電車の中とかではなかった。眼鏡をかけてないからボヤけた視界で横になったまま、周りを見渡す。病院の部屋のような、どちらかというと学校とかの保健室のようにも感じる。左腕から伸びる管はどこからどう見ても点滴のようだ。私の荷物もベットの横にあるテーブルに置かれていた。手を動かそうとして、手に痛みが走る。そういえば、ガラスで切ったんだっけと思いながら、左手を上げると包帯が巻かれていた。夢じゃなかった。
ぼんやりとしていたらプシューという空気が抜けるような音がして、音がした方を見ると女の人と顔を隠している人が私の方へ歩いてきた。

『目が覚めたようだね。気分はどうだい?』

女性のようにも男性のようにも聞こえる声は、目が覚める前は何語かもわからなかったけど英語のようだった。会話なんてできるレベルじゃない私の英語力ではなんて言っているのかわからず、黙っていると首を傾げられた。緑色の服を着ている女性は覆面をしている人を見る。

『耳が聞こえない、というわけじゃないだろう?』
『そうだろうね。この子は音にちゃんと反応していたから、耳が聞こえない訳じゃないと思う。話すことができないのかもしれない』
『確か、彼女の荷物に炎国の言葉が使われていたものがなかったか?顔つきも極東の人間に似ている』
『確かに。それでアプローチをしてみるか』

ネイティブすぎて何を言ってるか全くわからず、少しくらい勉強しとけばよかったなぁとポタポタと落ちる点滴を眺めてた。すると、女性の方が私の体を起こし、点滴を外してくれた。そのままバインダーを渡されて、それを顔の前に持ってくるとそこに書いてあったのは中国語だった。私の知っている漢字とは違い、こう、簡略化された漢字。ただ、名字と書かれているから私の名前を聞いているのだろう。ペンを取り、私の名前、というか良くゲームとかで使っている名前を書く。全くわからない中で、本名を書く勇気は、ない。

『チィン、というのか?』

私が思っていた発音とは違い、首を振ってアルファベットではると書くと驚いたような声が上がった。言葉がわからないと思われていたんだと思うんだけど、いきなりアルファベットを使われたら驚くよな、なんて。だからと言って英語で喋られても全くわからない訳で。英語はあまり喋れないけど簡単な言葉ならなんとかわかると言おうとした時だった。

「っ、ーーー、」

私の喉からは息を吐く音しかしなかった。思わず、目を見開いた。二人がどんな顔をしてるかなんて、眼鏡をかけていない私には全くわからない。声が、出ない。はくはくと口は動くのに声が全く出ない。ヒュッと喉が鳴る。呼吸が、どんどん浅くなって、ひっ、ひっと息が上がる。

『っ落ち着け、ゆっくり息をするんだ』

私の肩を抱いて背中を撫でてくる手に、どうしていいかわからなくて。言葉もわからない、喋れないのに、は、はっとどんどん呼吸が荒くなってきて、目の前がどんどんぼやける。

『私の声が聞こえるかな?焦るな。ゆっくり、ゆっくりだ』

決して焦らず、私の背中を撫でながら落ち着いた声が聞こえるけど、そんなの聞いている余裕なんてなくて。意味も全くわからない。体を小さく丸めてなんとか呼吸を落ち着かせようとするけど、息を吐き出すことができない。なんで、どうして、普通に喋れたのに、ポロポロと落ちる涙はシーツを濡らす。ぜぇ、ひゅうっという私の呼吸音が他人事のように聞こえた。
すると、ぱさりと私に布が掛けられた。そして、何かが私を包み込むように引き寄せる。ゆっくりと私の頭を撫でてきた。何かが私の視界に入る。黒い尻尾、のようなもの。気を失う時に見たのもこれなのだろうか。

『聞こえるか?』

きゃん、ゆー、ひあ、みー?とゆっくり言われて、知ってる音と意味にやっと思考がクリアになった気がする。布だと思ったのは、助けられた時に私に掛けられた服だった。とくり、とくり、とゆっくり脈打つ音に、反射的にその音に合わせるようになんとか息をする。それでも、乱れた呼吸がすぐに戻るわけがない。

『私の呼吸に合わせるんだ、できるな?』

何を言っているかわからないけど、ゆっくり聞こえてくる呼吸音に、なんとか呼吸を合わせていく。落ち着いた頃には周りの音がちゃんと聞こえた。服は掛けられたままだけど。そう言えば、私の服も着ていたものではなく、病人が着るような服だった。顔を上げると、縦に線が入った赤い目と視線が合う。ゆるりと細められた目に、ぱちくりと瞬く。

『いいかな?』

ゆっくりと発せられた柔らかな声色に、その方を見るとさっきの緑色の服を着た女の人が私の方を見ていた。今の言葉の意味はなんとなくわかる。大丈夫か?というか、いいかな?と聞いているんだろう。こくりと頷く。覆面の人は私の後ろにいる人を見るように顔を動かした。

『いきなり呼んですまない、重岳』
『なに、博士の頼みだ。礼には及ばないよ』
『彼女を助けたのは君だったから、落ち着くと思ってね。安定してよかった』

二人の会話を聞きながら、何話してるんだろうとぼんやりと思った。女の人は私の手を取った。すると、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

『私はケルシー。医者だ』

声は出ずとも、はくはくと彼女の名前をなぞる。ペンで紙に彼女の名前を書いてみる。けし、と書くと、その下に彼女が名前を書いて、け、る、しーと一音づつ声を出す。けるしー、けるしー、と何度も転がした。

『よろしく、ハル』

あ、今のはわかる。最後のミーしか分からなかったけど、よろしくと言っているんだと思う。繋いでいた手を握り返すと、驚いたような顔をしたけど、緩やかに目を細めて優しげに口角を上げていた。


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