とある兄妹の話


ああ、と内心で呟く。

視界の端で飛び上がった鳥を追うようにして目線を動かせば、息を呑むような快晴が目に入った。
しかし裏腹に、心模様は思いっきり曇天へと移り変わっている。
まだ雨は降りそうにないが、それだって時間の問題だろう。
移り変わりやすいのは、女心だった気もする。気がするだけかもしれない。

いつだってこうなのだ。ため息をこぼしたい衝動に駆られる。
こっちは必死でブレーキをかけているのに。
なのに、隣のこいつはそんなのお構いなしにアクセルを踏み込んできやがる。
フォローするのはいつも俺。
果たして、それを彼女は理解しているのか。
否ならば、一度殴ってでも言い聞かせたほうがいいのかもしれない。

(却下。こいつの場合、喜ぶだけだ)

さて――。
こういうときは、どうするのが正解なのか。
そう考えながら眼前に目をやる。

男が1人。
狐のお面に和服。痩せ身の高身長。
どう考えても、西東天その人である。

間違いようもない。
というより、こんな特徴を持った人物が他にいてたまるか。
少なくとも、敵に回していいような相手ではないことぐらい、俺にもわかる。
頭の中を彼について漁ってみれば。

ラスボス。
人類最悪の遊び人。
哀川潤の父。

ほら、いいワードが1つも出てこない。

(つーか、こんなのにいきなり「人類最悪だ」とか言うなってえの)

生温い風が頬を撫でていく。
都会のそれはどこか埃臭さい。
その、じめっとした感覚はまるで降下したいまの気分のようで、不快さに眉を顰める。
恐怖はない。
そも、怯えるなどありえないのだ。
こちらを見据え、そしてまた見つめ返す相手に、くっと口元を持ち上げる。

(ただ、こいつを前にしての不安はあるけど)

とりあえず、何か言わなくては。

「えーっと……」

「でっかーい。思ってたよりもうちょっとおっきいね。ね、兄さん」

「うっ」

「確か190は確実って、書いてあった気がするけど。その辺確かだっけ」

「うううっ」

「あ、一応お尋ねしますけど、西東天さんであってますか?」

「もうフォローのしようもねえよ!」

にっこり笑った顔に叫べば、妹は笑顔を崩さないまま首を傾げた。
悪びれた様子など微塵もない。
本当にこいつは、と嘆きたくなる。

「くくくっ、くくくくっ、はははははは!」

笑った。
体を震わせて、狐面の男が笑っている。

「あーっ! 狐さんなんだねっ!」

「あはははははははぐはっ!」

2個目の鯛焼きを食べ終えた女――改め匂宮理澄が西東へタックル。
見事に決まった。
防御すらとれなかった西東は、その場に崩れ落ちた。
うん、痛そうだ。

「すごい! 理澄ちゃんすごいよ!」

「えへへー」

「褒めるな、喜ぶな。……あの、大丈夫ですか?」

「理澄、てめえ……」

片膝をついてゆっくりと上体を持ち上げ、西東が理澄を睨みつけた。
顔は見えない。
だがしかし、お面越しだろうが、十二分に気迫は伝わってくる。
ゆらり。
男が立ち上がった。

「きゃうん!」

理澄の頭をはたいた。

「勝手に迷子になって、勝手に腹すかせて、勝手に行き倒れて、勝手に餌貰いやがって。
さんざんっぱら探し回った挙句、鯛焼き食い散らかしてる貴様を見つけた俺の気持ちがわかるか」

「ありがとうですっ! それとご苦労様……じゃなかった、お疲れ様ですっ!」

「それに加えて、いきなり理不尽にダメージくらわせたことに謝罪はねえのか」

「ごめんないっ! えへへー、狐さん、大好きっ!」

「うるせえ、ボケ。たく、まあいい、さっさと行くぞ」

踵を返す狐面の男。

「お前らもついてこい」

背を向けた男が、顔だけで振り返った。

「えっ」

「えっ」

「『えっ』。ふん。何を心底不思議そうな顔してんだ。
そんな、あからさまに俺のことを知っているやつらを、見逃すはずねえだろ」

そもそも、と続ける。

「うちの馬鹿が餌貰ったからな礼はしてやる。まあ――」

礼っていうのは、こんな上から目線なものだったっけな。
と、考えたとき。

「これも縁だろうさ」

狐面の向こうで男が笑った気がした。


――――


「ならば、ここでお前らに――命題を1つ」

呟くような声が、いやにはっきりと耳に届いた。



半ば強制的に、半ば流されるようにしてやって来たのは、ファミレスだった。
出された水に口をつけながら、視線を前に向ける。
そこの席には、西東天と匂宮理澄が並んで座っていた。

(やっぱりこの2人、目立つな)

店に入ったときから人の目を集めっぱなしだ。
黒コートの女と狐面に和服の男。
単品ならまだしも、合わさると変な相乗効果を生むらしい。
まあ、そうそう見ない組み合わせだから気持ちはわかる。わかる、が。
嘆息しつつ目を閉じる。

(落ち着かない……)

周囲から突き刺さる視線の数々。
なんとも居心地が悪い。
しかし、と隣を見る。

「やっぱりたまにはがっつりいくのもいいよね」

妹は大盛り――というよりオニ盛というべきなのか、あれは――のパフェの攻略に勤しんでいた。
喜色満面である。
やはり、周囲の目などまったく意に介していないようだ。

「あれ? さっき鯛焼き……そうか人にやっちゃったんだっけか」

「食事中に喋るんじゃねえ」

「あ、はい、すみません」

厳格な声がとんできた。

西東が不機嫌そうな顔を向けていた。
僅かに眉間によった皺が、如実に苛立ちを表している。
狐面を外した顔は男らしい凛々しさがあって、鋭い目つきと相まって、いらない迫力が出ている。
そんな彼は、前に置かれている、和風おろしハンバーグを箸で切り分けているところだった。

「理澄を見ろ、黙って食ってるだろ」

「……食べることに専念するしか、ないんじゃなくて?」

パスタを犬食いしている理澄が見えた。
無理やりにもほどがある。
なんでもうちょっと食べやすそうなものを選ばなかったのか。
口の周りがソースまみれである。

「まあ、普段あまりこういったもんは口にしないが、たまにはこういう下手物も悪くないな」

「…………そうですか」

そして苦笑。
それしか返せなかった。

(ゲテモノはさすがにあんまりだと思う……)

流れのまま、黙って自分のハンバーグを片付けることにする。
そういえば、妹も昼食がまだだったはずだが、まさか、あんな大量の甘味ですませるつもりなのか。
でもまあ、あいつのことだから十分にあり得る。
内心で頷きながら肉を頬張った。
『お礼』らしく、俺と妹の分は西東のおごりだ。
他人の金で食う飯は本当に上手い。

「さて」

全員が食事を終えたところで、西東が口を開いた。
再びつけられた狐の顔が、俺たちを見据える。

「単刀直入に聞こうか。お前らは、何者だ?
……陳腐な台詞だが、気にするな。これ以上、この質問に相応しい言葉を、俺は知らん」

返事はない。
それどころか、誰も、何一つ口にしない。
黙って肩をすくめたのは俺で、だんまりを決め込んだのが妹だ。

口元が浅く弧を描く。

何者か?

そんなこと――。

「そんなこと、俺の方が知りたいですよ」

「……ほう?」

浮かべた満面の笑顔。
帰ってきたのは、呻きのような声一つ。
怪訝そうな、関心を覚えたような、少し愉快そうな、そんな声色。
テーブルに頬杖をつき、視線を落とす。

「ええそうなんですよ。今現在、そうとう理解に苦しむ現状の真っ只中でして。
おまけにそれが、滅茶苦茶現実離れしてるというか、人間離れしてるというか、そんな具合で……」

カラン、とコップの中で氷が鳴る。

「否が応でも、自分探ししたくなるんですよね。
だから、最近思うんですよ――俺って何なんだろう、って」

「お兄さんたち、大変なんだねっ!」

「うん、まあ……大変なんだよ」

理澄が笑っている。
きっと、よくわからずに言っているんだろう。
西東がその頭をはたいた。

「きゃうん!」

「いまは俺が話してんだ。お前は黙ってろ」

「ううう……。怒られちゃったんだよ」

「ふん。……よし、聞かせろ。その現状ってやつをな」

え、と男を見る。
だが相手は黙して語らず。ただ狐がこちらをじっと見据えてくるのみ。
まるで先の状況が逆転したかのようだ。
それにしても。

(話す。話す、ねえ……)

再びテーブルに目を落として思案する。
非現実的だからといって、彼は一笑に付したりはしないだろう。
この西東天は、そんな、ありきたりな人間性なんて持っていない。
しかし、それは話すという決断を促す要因にはなり得ない。

兄さん、聞こえてきた声に隣を振り返る。
肩を震わせて笑っている妹と目が合った。
そして妹はサムズアップ。

「兄さんの好きにすればいいよ!」

「…………そうかい」

「うん!」

「うん、……うん、そうか。そうだな」

清々しいまでの断言と、ここまで全力の後押し。
さすがに、それもそうかという気持ちになって。

「よし」

背筋を伸ばして、両手は膝の上へ。
西東へと向き直る。

「じゃあ、話しますよ」

「『話しますよ』。ふん。前置きなんぞいらん。さっさと話せ」

「はいはい。……そうだな。俺たちが目を覚ましたのは、なんと地面の中だったんですよ」




そして。

「くくくくっ……!! はは、あはははは!!」

西東天は笑っていた。
腹を抱え、大きく伏せて、机を叩き、笑っていた。
哄笑というよりも、大笑というよりも控えめに。
だが、傍から見てもわかるくらい盛大に。

そんな彼の姿をドン引きしながら、俺はお茶でのどを潤していた。
話の最中に飲む暇さえくれなかったのだ、この男は。
もっとこっちを労わるべきだ、と内心でこぼす。

(ま、そんなの期待するだけ無駄だと思うけど)

男はいまだに、くっくっく、と肩を揺らしていた。
それを愉快そうに見ている妹も同様に。

「兄さん見て、この人笑いすぎ」

「お前も人のこと言えないけどな。……で、どうですか。ご感想は」

「『ご感想は』。ふん。簡単に言ってくれる。くくっ、大笑いしなかっただけでも拍手ものだぞ」

そう言って彼はテーブルを叩いた。
ばあん、と再度鳴った轟音にやはり店中の視線が集まった。
しかし相も変わらず男は、意に介した様子もなく捲くし立てる。
その隣で、話の途中から飽きて眠っている理澄など目に入っていないようだ。

「なんだこの巡り合わせは! まさに奇縁! 突飛に過ぎる!
零崎人識ではなく、やつに関わるものの、その最たるものに出会うとは!
それもやつを探している最中に!! これを『縁』と言わずしてどうする!!?」

「…………あの、他のお客さんの迷惑なんですけど」

「何でこんなにうるさいのに理澄ちゃん起きないんだろう」

「はははっ」

全力でスルーした俺と、おそらくは自然体で無視した妹。
だが、西東はそんな反応すら愉快だといいたげに笑っている。
けどまあ、はっきり言って。
異常にテンション高く笑っている、狐のお面に死に装束のような白い和服の男など怖いだけだ。

(あーあ、やっぱり話すんじゃなかった)

早くも後悔にかられていると、西東が呟くような調子で言った。

「先ほど言っていたな。自分は何なのか、と」

「え、ええ、まあ」

すっと、俺たちに突きつけられる人差し指。

「ならば、ここでお前らに――命題を1つ」

命題。

「兄さん、命題ってどういう意味? 私、数学苦手なんだよね」

「いや、数学の話じゃないから」

というか、この流れでいきなり数学を持ち出してくるわけないだろう。

「命題、意味。真偽のはっきりしている文のこと。解決しなければならない問題のこと」

「そう、その通りだ。さらに言うなら、この場合においての正解は後者だな」

「後者……」

「自分たちが何者か。何故その零崎人識の両親の体にいるのか。それを探ってみろ。
くく……、それがきっと、いや、間違いなく『物語』をいい具合にかき回すだろうさ」

一瞬、呼吸が止まった。
何度も瞬きを繰り返しながら、ゆっくりと瞼を閉じる。

命題――命題か。
それはきっと、この男に言われずとも、いずれぶち当たっていた課題だ。
しかし、こんなところで示されるとは思いもしなかった。

なんとも不思議な話だと思う。
死んだと思ったら他人の体で生きている。
それも、若返った殺人鬼の体で。
目を逸らすことのできない、異常な事実。

だが、突きつけてきたのは決して俺たちのためなんかではない。

「…………自分の道楽に、そこまで人を巻き込みますか。この性悪」

「俺は人類最悪の遊び人だぜ? お前らだって知ってんだろ?」

そう言う間でさえ、穴が開きそうなほど西東が俺を見ている。
居心地の悪さに身じろぎする。
けれど西東は目を逸らさなかった。いっそ恐ろしいほど。
だから、俺も、負けじと睨み返す。

すると、やはり楽しそうにのどを鳴らす。
この男はどれだけ笑えば気が済むのだろうと、軽くため息をこぼしつつ。

「まだ何か言いたそうですね」

「まあな。一般人らしいお前らに問いたい。その零崎人識を始め、《零崎一賊》をどう思う?
『殺人鬼』たる連中に、嫌悪感やら、そういう類の感情はあるか?」

「ないですね。かけらも」

「かけらもか」

「ええ。この《体》の彼らを始め、彼ら一賊のそれは、『そういうもの』なんだから、仕方ないでしょう?
それに、一族郎党皆殺しには、共感もできる」

「…………」

「誰か残ってれば、どうしても怨恨は残るんだから、だったら殲滅が一番いいに決まってるし」

思い返すのは、最初に殺した不良の集団。
絡んできたのは向こうが先だが、最初に殺したのは妹で、一緒に殺したのは俺。
だからこそ。
彼らのうち、誰か1人でも残っていたら復讐だ仇討ちだと襲ってきた可能性は無きにしも非ず。
やっぱり、皆殺しにしたのは正解だった。
そこまで思い、内心で頷いた。

「だいたい――切りつけておいて、穏便にすむわけないじゃないですか」

「まあ、兄さんに何かするやつは、私が全部やっつけるよ。
手加減する必要なんかないよね。だって、全部敵だもん」

任せて! と笑う妹。

「殺しなんかしたことありません。みたいな顔をしてよくまあそんな風に、綺麗に笑うな。
人は見かけによらない、ってのはまさにこのことか」

満足そうな、得心いったような声色で男が言い、頷く。
狐面が目を細めたような気がした。

「そこで聞くが、どうだお前ら。俺はこれから京都に行くが……一緒に来るか?」

ちなみに拒否は認めん。

俺たちはそっと顔を見合わせて頷いた。
一発で意見が合ったらしい。
同時に口を開く。

「それって聞くとはいいませんよね」

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