とある兄妹の話


「そういうわけで、私は我らが父と母の捜索を開始しようと思うんだよ、アス」

「何がどういうわけでそういうわけなのか、さっぱりだっちゃよ」

とある県のとあるカフェ。
平日の昼下がりだというのに混みあった店内。
その奥に、2人はいた。

隅の隅に陣取っているというのに、店中の視線を集める彼らはしかし、一切を無視している。
気づいていないのか、それとも気にしていないのか。
いずれにせよ、その空間だけがまるで切り取られたように、賑やかな店内で明らかに浮いていた。

「今の説明で理解してもらえないとは、嘆かわしいね」

不自然なまでに長い手足。
身に纏う黒いスーツは、手足の長さとあいまって、どこか滑稽ささえ感じさせる。
加えてそれを助長させる銀縁眼鏡。
そんな、ちぐはぐな印象を放つ零崎双識は、いささか大仰な素振りでがくりと肩を落とした。

「嘆きたいのはこっちだっちゃ」

対する男が、はあー、とため息をついた。
テーブルに置かれた麦藁帽子。
日に焼けた肌と、コントラストが眩しい白のランニングシャツ。
牧歌的な雰囲気の男の名は零崎軋識という。

「病院行け。頭の」

前々から大丈夫かとは思っていたが(どことは言わない)、とうとう駄目になったか。
そんな思いを込めて双識を見る軋識。

「零識さんと機織さんが生き返っただあ? んなこと、ありえねえっちゃよ!」

「じゃあ、逆に聞くが、ありえないの根拠はなんだい?」

「根拠も何も、生き物は死んだら生き返らない。この世の常識だっちゃ!」

「ちっちっち。常識に囚われていては、この世を渡っていけないよ、アス」

人差し指を振る双識。

「……っ! マジ死ねっちゃ、この変態……!」

ばあん、と勢いよく音が鳴った。
テーブルに叩きつけられた軋識の拳が、怒りのあまり震える。
客や店員たちの視線が一斉に集まるが、怒り心頭に発する軋識はいささかも気に留めない。

軋識は、ヒクリ、と自分の口元が引きつるのを感じた。
こちらを馬鹿にしているのだろうか、この長兄は。いや、そうに違いない。
どう見ても小ばかにしているとしか思えない、この態度。

(殺していいか? いいよな?)

これでも大事な家賊のはずなのに、殺意を抱いてしまうのはきっとしょうがないことだ。
うちの生意気な、あの末弟だってさんざんっぱら追い掛け回されて、辟易しているのだから。
きっと、こいつが死んだところで、諸手をあげて喜ぶに違いない。

そう自己完結したところで、軋識は、はたと顔を上げた。
瞬間、怒りがみるみる収まるのを感じる。

末弟。

ああ、そういえば。

「なあ、レン。もしも! もしこの話が本当だとしたらっちゃよ……」

「だから、本当だといっているだろう? この零崎双識が二人の気配を間違えるなど、ありえな」

「人識のガキはどうするっちゃか? あの2人の、実の子どもは」

途端、双識の得意げな笑顔が引っ込む。
代わりに浮かんだのは苦悶の表情だ。

「それなんだよ。言うか言わないか、それが問題だ。ああ、アス。君はどうしたらいいと思う?」

「結局無計画じゃねえか!」


――――


「それで、揃って僕のところに来たわけか。ふむ――悪くない」

翌日。
2人は某道某市にいた。
その名も、ピアノバー・クラッシュクラシックという。
経営するのは、家賊の1人である零崎曲識だ。

能力の性質的には、殺し名というよりも、むしろ呪い名な彼だが、れっきとした家賊だ。
だが、やはりというか、彼と並び称される双識や軋識などの例に漏れず、かなりの変人でもあった。
特にそのマイペースさは家賊内でも有名である。

2人から話を聞くなり、いきなり席を立つ曲識。
ぐるぐるとおもむろに歩き回るその身に纏うのは、もはや特徴の1つといってもいい燕尾服。
流れるような黒の長髪をなびかせ、曲識は設置されたピアノに向かう。
悪くない、と一言呟いた次の瞬間には、すでに椅子に腰掛けていた。

そして、演奏が始まる。
滑るように鍵盤の上で指は走り、飛び出すように音が弾む。
店内に音があふれる。
次から次へと生まれる音たちが跳ね返り、渦を巻く。

音の渦にのまれながら、双識も軋識も、またかという表情を浮かべただけで、黙って座っている。
おとなしく待つのは、なにも聴き入っているというわけではない。
彼は、一度演奏を始めると、曲が終わるまでは決してやめないことを、経験から知っているからだ。
誰の言葉も耳に入らなくなるし、頑として椅子から動かない。
だから、何をしても無駄な足掻きというわけで。
待つ以外に選択肢がないのだ。

無我夢中で演奏する曲識を見つめながら、軋識は、さてこの曲はどんな公園由来のタイトルか、
などと、ぼんやり考え事をする。
ふと隣を見ると、双識はすっかり眠りに落ちていた。しかも、目を開けながら。
器用な男である。

やがて、とめどなく動いていた曲識の指が止まった。
演奏が終わったらしい。店内は一気に静けさを取り戻す。
ふう、と息をつく曲識に、席を立った軋識が歩み寄る。

「で、曲識。話はわかったっちゃか?」

「ああ、零識さんと機織さんを探すという話だろう?」

「そう! きっといまもどこかで生きているはずさ!」

「いつの間に起きたっちゃか。つーか死んでるっちゃよ」

呆れる軋識をよそに、双識はひたすら曲識に語り続けている。
双識がこんなにも生き生きしているときは、たいていよくないことが起きるときだ。
現に、軋識は双識に巻き込まれてここにいるのだ。
それは曲識も知るところのはず。
にもかかわらず、曲識は一度頷き、2人へと顔を向けた。

「人に頼られるというのも、悪くない」

「バカが1人増えたっちゃ!」

「酷い物言いだな、アス。だが、お前のそういうとこも悪くない」

「問題ないさ、アス。三人寄れば文殊の知恵、というだろう?」

「確かに言うっちゃな、うん」

だが、と軋識は自分を除く2人を見た。
そして。

「明らかに人選ミスだっちゃ……」

頭を抱えるのだった。


――――


某府、某市にある、とある大通りの隅。

足元には、うーん、と悩める人らしい声をあげる妹。
眼下には倒れている女性。
その2人を見つめる俺。
そして、俺たちを避けるようにして――というか実際に避けている――歩く通行人。

なんなんだろう、この状況。
思わず、遠い目をして空を仰いだ。

(嫌な予感しかしない)

さっさととんずらした方がいい。
そう俺の直感が囁いている。
考えるまでもなく、面倒な気配しかしなかった。

「おい」

「ねえ兄さん! この子、もしかしたらもしかするかも!」

「はあ? 人の台詞遮んなよ。もしかするって、なにが?」

「えっ」

「えっ?」

妹が目を丸くしている。
なんでそんなに驚いたような顔をされなければならないんだ。
素直なのは彼女の美点ではあるが、素直すぎるのもまた問題だろう。
実の妹に、変なものを見るような目をされた兄の気持ちを考えてみろ。

世の中には険悪な兄妹仲を築いている者たちもいるだろうが、俺たちの仲はいたって良好なのだ。

「そっかあ……。兄さんはわかんないのかあ。ま、しょうがないよね」

1人で納得している妹をじとっと睨んでみるが、完全に暖簾に腕押し、柳に風だ。
まったく堪えた様子はない。
それどころか、手にしている小さな紙袋を漁っている。
ガサガサ音を立てたかと思うと、嬉しそうにお目当てのものを取り出した。

「ほーら、おいしい鯛焼きですよー」

にっこり笑顔のオプションつきだ。
そして、買ったばかりの暖かい鯛焼きを、倒れている女へと差し出した。

だが反応はない。
というか、ついさっき発見してから、身じろぎ1つしていないのだが、大丈夫なのだろうが。
女だというのも、体の線などからの推測にすぎない。
それとて、全身を覆う黒いコートの上からしかわからないのだから、不確かなものだ。

(つーかあれ、皮黒くないか?)

彼女を見る目が、すぐそばの鯛焼きで止まる。

「おいそれ俺の! あれ? 俺のだよな!?」

「そうだよ、よくわかったね」

「『よくわかったね』。じゃねえだろ!
なんで俺のをそんな見知らぬ他人にやらなきゃならないんだよ! やるなら自分のにしろ!」

妹の手から鯛焼きを奪い取る。

「兄さんのケチ。袖振り合うも他生の縁っていうじゃん」

「誰もやるなって言ってないだろ。やるなら自分のをやれって言ってるんだよ」

「なんでさ!」

「それこっちの台詞!」

「……た」

「ん?」

不意に聞こえた声に、揃って首を傾げる。
発信源を辿って下を見る。

「鯛焼きだあああああー!!」

「うわあああ!」

途端、視界が揺れた。
足が崩れ落ちて、とっさに地面に手をつく。
持っていられなかった鯛焼きが手を離れる。
哀れ、アスファルトの上に転がった。

「ちょ、な」

眼前に広がる女の顔。
大きな目をギラギラと輝かせるその様は、まるで餌を目の前にした猛獣のようだ。

(やばい、食われる!)

やっぱり女だったのか、などと思う間もなく、恐怖に体が凍った。
あまりの迫力に息を呑み、目を塞いだ。
だが、いつまでたっても衝撃らしい衝撃は襲ってこない。
おそるおそる目を開くと、そこにあったのは、

「鯛焼き、鯛焼きだあああ!」

俺の足元に落ちた鯛焼きを一心不乱に頬張る女の姿だった。
必死というほかない勢いで鯛焼きに食らいつく女。
しかも犬食いである。
おまけに言うなら、口は餡子まみれだ。
それをポカンとしながら見つめる俺には目もくれない。

「あ、やっぱり匂宮理澄だ」

言うなり、妹は2個目をを分け与える。

「『あ、やっぱり匂宮理澄だ』、ふん。お前たち、理澄を知っているのか」

ふらっと現れたのは、1人の男。

「あ、人類最悪だ」

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