とある兄妹の話


「はあ……」

口からこぼれるのは、深いため息。
半ば現実逃避だという自覚はあった。
だが、そうでもしないと、この現状を乗り越えられそうにない。

それほど、現在俺たちが置かれている状況は非現実的で、そして――。
常識というものをどこかに追いやってしまっていると言っても過言ではないものだった。

「ねえ、これって一応私たちの子どもってことになるのかな」

「……さあ?」

返事に窮して適当な言葉を返した俺は、きっと悪くない。
ここで普通に、はいそうですねと言える奴がいたら、俺はそいつの神経を疑う。
いや、それどころか、むしろ尊敬の念すら抱くだろう。

「なーに、その生返事」

むくれている妹を無視して、その手にある雑誌をひょいと奪い去る。
あがる抗議の声は聞こえないふりだ。

開かれているページは京都の連続通り魔事件についてのもの。
はたして、今は何人目だったか。
思いをはせるも、わざわざ確かめるほどの興味もなかった。

「この犯人って確か……」

「そ、零崎人識」

零崎人識。

「戯言シリーズ」の語り部にして主人公たる青年の鏡。
人間失格。
零崎一賊同士の近親相姦によって生まれた血統書つきの零崎。
生粋の殺人鬼。

「やっぱり、私たちの子どもって言ってもおかしくないと思うんだけどなあ」

妹が、頬杖をついて呟く。

「だって、私たちの体、彼の両親の体なんだもん」

「いや、それはそうなんだけどな」

俺たち兄妹は一度死んだ。
道を歩いていたら居眠り運転の車が突っ込んできたという、なんともいえない事故で。
次に目覚めたとき、俺たちは俺たちの物でない体に入っていた。
とうに亡き者となった存在たちの身体の中に。

それはその名も――零崎零識と零崎機織。

究極と呼ばれた殺人鬼。一賊の父にして、零崎人識の実の父親。
絶対と呼ばれた殺人鬼。一賊の母にして、零崎人識の実の母親。

おまけに俺たちが死んだときと同じ年齢まで若返っているときている。
何故かはわからない。
だがわかる。
なぜか自覚だけが確信として俺たちの中にあるのだ。

零崎人識の両親の身体にいる俺たち。
だから、妹がそう言うのもわからなくはないが。

「近親相姦って趣味じゃないんだけどな」

ため息を一つこぼしてウーロン茶を啜る。
グラスの隣に置かれているのは、空になったカレーライスの皿。
これで今日の昼飯は終わりだ。

ここ数日の資金源はたまたま拾った財布だ。
落し物は警察に届けるのが常識? 馬鹿言うな。
まさに文字通りの身一つ状態だった俺たちに、そんなまっとうなことをしている余裕はない。
ご都合主義だろうが何だろうが知ったことか。

もう死ねない。

心の底からあがる声に、突き動かされるように生きている。

「私、兄さんの子どもなら生める気がする」

「なに言ってんのお前」

真顔の妹にドン引きだ。ついでに身体も一緒に引いている。
というか、その体でという意味ならすでに生んでいるだろうに。

「もし今後、そういうつもりでことに及ぼうとか言いだしたら、その瞬間に縁切ってやるからな」

「えー」

なおも不満げな妹に、顔が引きつった。
本気で言っていそうだから、尚のこと恐ろしい。


――――


しかしまあ。
なんだかんだいって、結局は何とかなるだろうと思ったのが間違いだったのだろう。
ただの間違いどころじゃない。大間違いだ。
たいした違いはないように思えるかもしれないが、そこは気持ちの問題。お察しください。
現在進行形で襲ってきている後悔の念は半端じゃない。
どれくらいかと言えば、過去に戻れるならすぐにでも自分で自分を叩きのめしたいくらいである。

はっきり言おう。
俺が甘かった。

だから。

「なあ」

どうしたらいいかわからなくなっても、けっして俺のせいではないと思いたい。

ああ、青い狸のようなネコ型ロボットでもひょっこり出てきてくれないかな。
そんなことを、現実逃避のように考える。

「なあに?」

「なんでこうなった!?」

眼前に広がるのは血の海。
赤、赤、赤。
ひたすら赤く、コンクリートの鈍色を染め上げる。
噎せ返るような鉄の臭い。

そうか、血ってたくさん集まるとこんなに臭いのか。
なんて思うそばから、今度はごろごろと転がる幾つかの肉塊が目に入る。
人の形こそしているものの、それはもはや『人』と呼ぶにはあまりにも相応しくない代物だった。
切り取られた手足からは白い骨が覗き、二つずつある瞳はどろりと濁っている。

誰が見てもわかるだろう。
それらは死体だった。

「お前、よくもまあこんなに殺して……」

「でも兄さんだって殺したじゃん」

「だって俺たちを殺そうとしてくるんだぞ。そりゃやり返すに決まってんだろうが」

「え、私も込み? ちょ、テンションあがる」

「喜ぶな!」

殺そうとしてきた相手に優しくする必要なんてない。
命を奪おうというなら、自分が命を奪われたって文句は言えないだろう。
「撃っていいのは撃たれる覚悟のあるやつだけ」。
なんて、よく言ったものだ。

混乱の止まない頭の中。
どこか冷静な部分がそんなことを考える。

死体の服でナイフの血を拭き取り。

「どうしよう、俺の平穏な生活が……!」

頭を抱える。

「どーすっかなあ、これから」

「さあ……」

履歴書も何もない、怪しさ全開の俺たちを雇ってくれた(それも住み込みで)ところなのに。
僅か一ヶ月で失うことになろうとは、いったい誰が想像しただろうか。
たまたま絡んできた不良たちに、まず妹が唐突にキレて、気づけば死体が一つ。
気づけば、いつの間にやら、俺まで死体を量産していた。
手にしていたナイフはおそらく不良の持っていたものを奪ったのだと思われる。
というか、転がる死体の中に雇い主の夫婦が混じっていることにいま気がついた。

(なんてこった……!)

ああ、なんてあっけない日常の崩壊。
足音すら聞こえなかったではないか!

「怖えな、正直言って」

状況然り、こんな惨状をもたらした俺たち然り。
それは勿論だが、それよりも何よりも――それらに全く動じていないこの心がおそろしい。
だってこんなのまるで――。

「これって、私たちの『体』の影響かな。それとも私たち自身の問題?」

「俺に……聞くなよ」

殺人鬼みたいじゃないか。


―――― 


零崎には、父と母がいた。

『二十人目の地獄』、あるいは『自殺志願』として知られる零崎双識が長兄であるように。
家賊であるからには、そこには必ず父と母がいるものだ。
過去形なのは、もちろん現時点においてすでに故人であるからだ。

「なんてことだい」

ああ、と零崎双識は額に手をあてた。
その様は悲劇の渦中にある主人公か何かを彷彿とさせる。

「墓荒らしなのかな、これは」

あまり似合わない銀縁眼鏡の奥からじいっと見つめているのは、無残な姿となった二つの墓。
寄り添うように並んでいるそれらは零崎の父と母のものだ。
申し訳程度のように置かれている墓石の前には、人一人が入りそうな穴が一つずつあいている。
しかしそれは入ったというよりは『出た』という印象の方が強い。
そんな形をしていた。

久々の墓参りに来た双識は、その穴を目にするなりすぐさま墓を掘り返した。
不謹慎だろうが何だろうが知ったことではない。
わけのわからない焦燥が双識の胸で渦巻いていた。

そして。

「まさか、まさかと思ったのに……。ああ、他の兄弟たちになんといったらいいのか。
いくら長兄といえど、荷が重過ぎる試練だよこれは」

案の定中身はなかった。

「まるでゾンビにでもなってこの世に蘇ったかのようじゃないか!」

がくりと膝をついた姿勢で両手を大げさに広げる。
誰が見ているわけでもないのにそんなことをするところが、彼が変人といわれる所以なのだろう。
もっとも、彼の愛すべき兄弟たちは、変人どころか『変態』と称しているのだが。

「ん? ――ん?」

首を傾げる双識。
膝を払いつつ立ち上がる。
眉間には若干の皺が寄っていた。

「いやあ、なにもこんなときに家賊の気配がしなくてもいいと、私は思うんだがね」

どことなく不機嫌そうな雰囲気。
常ならば喜色満面で探しに向かう双識にしては珍しい反応だった。

と、頬に手を当て考え込むようなポーズをとる。

「いや、まてよ零崎双識。別の見方だってできるだろう? ……そう!」

上げられた顔は輝いていた。

「妹だったら最高じゃないか!」

言うやいなや双識は駆け出していた。


――


「まあ、おこったことはしょうがないとしてだな、妹よ」

「うん、兄さん」

「俺は思うわけだ」

思わせぶりな、真剣な表情をつくって語りだす。
ふらふらと目的地もなく歩きながら。

一見すれば、ただの兄妹の散歩にしか見えないだろう。
だが、妹が握っている血のついたナイフの存在が、そのイメージを払拭していた。
それはもう、物の見事に。
日常から外れた非日常を演出していた。

どれくらい歩いたのか、すでに惨殺現場からはいくらか離れたところまできていた。
先刻まで風にのって届いていた血の臭いもいつからか全くしなくなった。
少なくとも、それくらいは遠くに来ていることは間違いない。

「このまま、またどこかの町やらに行っても同じことを繰り返すだけだと。
仮に自首するために警察に駆け込んでも、そこでさらに死体を量産する羽目になる気もするしな」

「そうだね。だって『本』で双識がそう言ってたもん」

「お前、よく覚えてるな。俺なんか一回一通り読んだだけだから、細かいところまで覚えてねえぞ」

「任せて!」

なにをどう任せたらいいのか全然検討がつかないが、とりあえず頷いておく。
笑顔のオプション付き。
困ったときには笑っとけだ。

「だからな、今後の対応としては――」

「うん」

「できるだけ人と関わらないようにしながら、最終的に定住地をさがそうと思う」

「いいんじゃない? 妥当なところだと思う。もし『零崎一賊』入ったら零崎狩りにあいそうだし」

「あったなあ、そういうのも」




同時刻。

零崎双識は、惨劇の現場に立ち尽くしていた。
その様子は一見するととても落ち着いて見えたが、しかし少なくとも。

「アス、我が目を疑うとはこういうことを言うのかな」

思わずここにいない人間に問いかけてしまうくらいには彼は混乱しているらしい。

「いやこの場合は目ではないね。
第六感というのか、ううん、正しい答えを私自身も知らないからなんとも言えないな」

忘れようもない。
忘れられるはずがない。

すでに姿はないがまだ残っているこの気配は、間違いようもなくあの二人のもの。
零崎零識と零崎機織ものだ。
誰がなんと言おうと、そうであると断言できる。

この零崎双識が、父と母を忘れるはずがないだろう!

目尻に浮かぶ雫を拭う。
知らず知らずのうちに笑みが浮かんでいた。

「ゾンビだろうが知ったことじゃない、とここは言わせてもらうよ。
ふふふ、もし本当にあの二人なら、全力で、それも早急に迎えに行かなければ!」


針金細工のような男が不気味に笑ったとき、とある兄妹は途轍もない悪寒を感じたという。


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いろいろ感覚とかがブっとんでる妹(ブラコン)。
基本常識人だけどどこかおかしい兄。
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