阪神共和国


「羽根はあの巧断の中って……。アレにかよっ!?」

黒鋼が、半ば呆然と叫ぶ。
その叫びは彼以外の面々の心中を少なからず代弁していた。
なぜなら、彼らは皆、大なり小なり驚きをあらわにしているのだから。

「なるほど、巧断を人探しに使ってもモコナが反応しないわけだ」

得心いった風のファイ。

「巧断は憑いた相手を守る。一番強い力を発揮するのは、守るべき相手が危機に陥ったとき。
前にモコナが羽根の波動を感じたときも、正義君は危ない目にあってた」

視線の先には、未だ驚きに包まれている正義を両手に抱える巨大な巧断。

「今も、崩れる城から彼を守ろうとしている」

「にしてもデカ過ぎやろ。あれはそうとうな相手やで」

その隣で、ナナシが苦笑を浮かべた。
ファイが頷く。

「そう簡単には、いかないだろうね。けど――」

すいと彼が見やった小狼は傍らに自らの巧断を従え、悠然と、立ち向かおうとしている。
自分の何倍もある大きさの敵。
恐ろしくないわけがないだろう。だが。

「そんなこと、気にしてない。……って、感じやな」

ファイは、ふわりと微笑んだ。

地響きのような轟音を響かせながら周囲に破壊行為を繰り返す正義の巧断。
手段は口に収束したエネルギーを発射する光線だ。
威力は高く、直撃した物があっけなく吹き飛ばされている。
その様子から、まともに喰らえばただではすまないことは想像に難くない。

「ぼ、僕はもう大丈夫だから! 元に戻って!」

しかも、現在進行形で暴走している。主である正義の言葉さえ届いていない。

「どうなってんだ? あの巧断」

今まで立っていた石壁から小狼の近くへと降り立った。
黒鋼の片手にはプリメーラのファンから貸されたままの雑誌が握られている。

「羽根の力が大きすぎるんだなぁ。正義君、あの巧断を制御しきれてない」

「みたいやなあ」

額に手をかざしてナナシが頷く。

「止まれー!!」

正義の、悲痛な叫びが響き渡った。
しかし、彼は叫ぶことこそできても、その言葉を現実に変えることができない。
涙がこぼれた。

「……どうする気だ?」

黒鋼が小狼に並んだ。

「さくらの羽根を、取り戻します」

小狼は確かな足取りで歩みを進める。

「あのデカイのとどう戦うつもりだ。下手したら死ぬぞ」

「死にません」

黒鋼の言葉は、まさに正鵠を射た指摘。
けれど振り向いた彼は、怯んだ様子もなくまっすぐ黒鋼を見据える。

「まだやらなきゃいけないことがあるのに、死んだりしません」

そこにあるのは、必ず目的を成し遂げるという強い意思。
瞬間、黒鋼と小狼の視線が交わる。

「んん! ここは黒ぴーが何とかするから行っといで」

「そうや、行ってきい。黒さんが何とかしてくれるわ」

「……って、俺かよ! ふざけんな、この金髪へらへらコンビ!」

開かれた黒鋼の口は、当初の目的とは違いファイとナナシに食って掛かることに使われた。

「行ってきます」

笑顔一つを残して、小狼は炎の獣に掴まり飛び立つ。
向かうは目標。巨大な巧断。さくらの羽根。

「小狼君は強いねぇ。――色んな意味で」

恐れなど微塵も見せず、ただ突き進む少年。

「彼にどうして炎の巧断が憑いたのか、分かる気がする」

その胸の内に内包するのは、静かに、だが猛々しく燃え盛る熱い想いなのだろうか。

「いろいろと熱いもんなあ、小狼は」

「そうだねぇ」

炎を身に纏い、街灯の上から正義の巧断の胸へと突っ込んでいった小狼。
自らの危険も顧みていないような行動だ。
なるほど、ただ大人しく礼儀正しいだけの少年にはそんなこと、不可能だろう。

「……って、笑ってる場合かよ。このままここいたら、巻き添えくらうかも知れねえぞ」

あちらでは、強い衝撃と向こうからの抵抗からか、はたまた小狼の巧断の能力からの影響からか、
正義の巧断のから火が噴出していた。

黒鋼の言い分ももっともだ。


――――


「頑張ってるねぇ、小狼君も、正義君も」

三人が移動しやって来たのは、高い鉄製の柵がついた場所。
先に避難していた笙悟とプリメーラの姿もある。

「ここで見てるだけっちゅうのが、ちょっと歯がゆいなあ」

「なに言ってんだ。こいつは、あの小僧の目的、やるべきことだろうが」

そっけない黒鋼の物言いにナナシは笑む。

真っ直ぐさも、ひたむきさも、あの少年――ギンタを思わせる。
いや、それよりも、もっと近い人物がいたような――。
誰だろうか。一人の少女を守るため、炎と共にただ突き進む少年。

(誰、やったっけ……)

「取ってくださーい!!」

「……っ!」

沈みかけたナナシの思考は、突然の叫びによって引き上げられた。
遠く、ここではないどこかを見ていた目を、小狼に合わせた。

握りしめられたそれは、眩い輝きを放っている。
巨大化していた正義の巧断が、風船がしぼむように見る見る小さくなっていく。

そこで、ナナシは現在の状況を理解した。

「やったみたいだねぇ、小狼君」

「けど、このままやったら、ヤバイんとちゃう?」

不安そうにナナシが呟く。
見れば、先刻の炎が燃え広がり、辺りを包み込みかけている。
放っておけば火事は免れないだろう。

そのとき、頼もしい声が聞こえた。

「俺に任しとけ」

サムズアップする笙悟の背後には、大きなエイが浮かんでいた。
優美な長い尾を揺らしながら、小狼たちの真上に移動すると、すぐに雨を降らせ始める。
無数の雨粒により火が鎮められたのを見て、笙悟は満足そうに笑う。

「とりあえず、火事になるのは防げたかな」

小狼は、輝くそれをそっと抱きしめ、泣きそうな笑顔とともに見つめた。

「さくらの羽根、さくらの記憶……一つ、取り戻した……」

そして。

「おい!?」

脱兎の勢いで走り出した。
黒鋼が目を見開く。

「おい、小僧――!!」

もはや周りが見えていないのだろう、小狼は一心不乱に駆けていく。
そんな彼の後ろ姿を見送ったのち、ファイとナナシは顔を見合わせて苦笑した。


――――


「……あなた、だあれ?」

目覚めたさくらが、開口一番には放った言葉。
ただ一言。
されどその一言が、絶対零度の氷となって小狼の胸に突き刺さる。

瞬間、彼の心に溢れかえったさまざまな感情を押し隠し、彼は笑う。

「オレは小狼。あなたは桜姫です」

優しく語る小狼。

「どうか落ち着いて聞いてください。あなたは、他の世界のお姫様なんです」

「他の……世界?」

「今、あなたは記憶を失っていて、その記憶を集めるために異世界を旅しているんです」

問うさくらに、小狼は答えを与える。

「……一人で?」

「いいえ、一緒に旅している人がいます」

「……あなたも、一緒なの?」

それに小狼が頷くと、さくらは彼の顔を覗きこんだ。
その瞳に浮かぶのは、純粋な疑問。

「…………知らない人なのに?」

小狼の顔が悲しみに揺らぐ。しかしそれも一瞬で、すぐに笑顔に取って代わられた。
大切な人に、余計な不安を覚えさせたくないという思いからなのか。

「サクラ姫、初めまして。ファイ・D・フローライトと申します」

再度小狼が口を開く前に、ファイが前に進み出た。そして、軽く彼の肩を叩く。
それが意味するところを汲み取り、さくらに気づかれることなく小狼はそっと部屋を後にした。

全員が自己紹介をすませたのち、モコナと握手をしているさくらを横目に、ファイが呟いた。

「泣くかと思った。あのとき」

覗き見る窓の外には、豪雨の中立ち尽くす小狼の姿。

「サクラちゃんは、小狼君の本当に大切な人みたいだから。
だからこそ、『だれ?』って聞かれたとき、泣くかと思った」

空は心を移す鏡。

まさにそのとおりだと思わせるように、暗雲立ち込める空が泣いていた。
大きな水の粒が、降っても降ってもまだ足りないというように落ちてくる。

「今は……泣いてるのかな?」

「泣かずにはおれんやろ?」

それが象徴するのは、顔を俯かせ僅かに肩を震わせている少年の心の内か。

「……さあな。けど、泣きたくなきゃ、強くなるしかねえ。何があっても泣かずにすむようにな」

「うん。でも……」

言葉は雨音が掻き消してくれる。
涙は雨粒が流し隠してくれる。

だから、泣けばいい。
今はただ、心のままに。

「泣きたいときに泣ける強さも、あると思うよ」

少年の傍らに寄り添うのは、赤い獣と金色の獣、青き竜と翡翠の巨鳥だった。

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