阪神共和国


「お前、仕事だろ。コンサート、どうしたんだよ」

「だってーー! 笙悟君、全然遊んでくれないんだもんー!」

遠く離れたところからプリメーラと言葉を交わしている笙悟を、小狼はジッと見つめる。


――サクラの羽根は強い巧断に取り込まれている


「それに、まだ時間大丈夫だもん! 会場、そこの阪神ドームだし!」

「それにしたって、なに文化財壊してんだよ。知らないぞー、怒られるぞー」

「笙悟君の方こそ、いっつも、アチコチ壊してるじゃない! なによーー!!」

変わらず応酬を続ける二人。
ふと下に目をやると、そこにはその様子を見ながらも涙をこぼしている一団の姿が。

全員が首を傾げる中、ファイが素朴な疑問を口にした。

「みんな、なんで泣いてるの?」

すると、一斉に溢れる思いのたけをぶちまけるファンたち。

「プリメーラちゃんは、あのリーダーが好きなんだ!」

「けど、リーダーは遊んでくれなくって寂しいんだ!」

そして響き渡る「プリメーラちゃーーん!!」という叫び声。
笙悟に嫉妬しないだけマシというものだろう。

「なんで、みんな知ってるの?」

ファイの二度目の質問に、今度はファンたちはバッと手にしていた雑誌を広げて見せた。
そこに載っているのは、みな一様にプリメーラの写真だ。
それと同じく文章が書かれている。
おそらくはインタビュー記事だ。

「プリメーラちゃんが公表してるから!」

そう言って、再び彼らは涙を流す。

「あんなにかわええ子に愛されるなんて、幸せモンやなぁ、あのリーダーさん」

「そういうものなんですか?」

小狼の問いに、ナナシは腕を組んでうんうんと頷く。

「そういうモンや」

ナナシの後ろでは、黒鋼がファンの一人から投げ渡された雑誌を黙々と読んでいる。
だがファンの思いも虚しく、彼が目を通しているのは別のページ。
しかもマンガである。

「黒さーん。読み終わったら次貸してえな」

「おー……」

その背中に声をかけるナナシ。
聞こえていないかと思いきや、一応返事は来た。

「ナナシ、興味あるのー?」

「黒さんが熱心に読んでるもんやから、ちょっとなあ……」

そのとき、

「小らーーん!!」

上から声が降ってきた。
全員が驚いて顔を上に向ける。

阪神城の屋根から手を振っているのはモコナだ。

「モコナ! その目!!」

小狼が声を張り上げた。
モコナの目は、めきょっと見開いている。

「ある! 羽根がすぐそばにあるーー!」

「どこに!? 誰が持ってる!?」

「分かんない! でも、さっき、凄く強い波動感じたのー!」

モコナの言葉を聞いて、小狼はしばし考え込む。
どこにあるかは分からない。しかし、ここにいる誰かが持っていることは確か。

「やっぱり、巧断が取り込んでるのかなぁ?」

「そりゃそうやろ」

「しかし……強くなったり、弱くなったりするってなぁ、どういうことだ?」

口々に言う面々。
そして、黒鋼の疑問を解いたのは小狼だった。

「巧断は憑いている人を守るのだと、空汰さんは言っていました。
だから、一番強い力を発するのはその相手を守るため……」

つまり、とファイが声を吐き出す。

「やっぱり、戦ってみないとわからないってことだね」

「俺が余計なこと言っちまったせいで、迷惑かけて悪かったな。シャオラン」

そう声をかけてきたのは笙悟。
小狼はゆっくりと振り返り、その姿を瞳の中に映しこむ。

「けど、気に入ったってのは本当だぜ。
お前、強いだろ。腕っぷしとかじゃなく……ここが」

と、笙悟は自らの右手の親指で、トンと胸を指す。
心臓の場所を。
しかし彼が『ここ』と言うのは、もっと別の――ナニか。

まっすぐ小狼を、好敵手と定めた者を見つめながら言葉を続ける。

「だからお前とやり合ってみたかったんだよ――巧断で」

ニッと笑いながら言った直後、プリメーラから野次が飛ぶ。

「笙悟君の巧断バトルマニアーー! バカーー!」

「バカって言うな! せめてアホって言え!」

「……わかりました」

「……!」

静かに言葉を口にのせ、前へと進み出る。
その傍らには彼の巧断。

炎に包まれた、というより炎そのものである体は紅蓮を迸らせている。
鋭い一角と爪、そして相貌は黄金の輝きを放つ。
それらから成る姿は、凛々しく猛々しい、狼。

「その申し出……受けます」

「お前ら、手ェ出すなよ」

背後の仲間たちにそう告げる笙悟から、己が巧断へと視線を移す小狼。

「夢で答えたように、オレは力がほしい。サクラを、守るために」

その顔に浮かぶのは穏やかな笑顔。

「一緒に、戦ってくれるか?」

狼は、ゆっくりと首を縦に振った。
それが示すのは肯定。

「READY……」

上空に漂う水のエイと、石壁に佇む炎の狼がそれぞれ力を溜め始める。
それらが最大値までいったとき、二度目の掛け声が響き渡った。


「GO!!!」


水の大砲と炎の塊が激突する。


――――


軽やかに地面に降り立った小狼を見て、ファイはヒューと口笛を吹くまねをする。

「かっこいー、小狼君」

「素直が取り柄なだけのバカじゃあねえようだ。
……お前がただのふざけた野郎じゃねえってのも、見抜いてたみてえだしな」

ただの呟きから一転させ、詰問するかのような口調で話す黒鋼。
その眼光は鋭い。
射抜くような視線。

「うん。遺跡発掘が趣味の男の子ってだけじゃないね」

しかし、それをものともしていないかのように、ファイはいつもの笑みを浮かべる。

「……まだ子供だけど、いろいろあったのかもね。彼にも」

フン、と一つこぼし、黒鋼は剣呑な雰囲気を引っ込めてファイとともに戦いを続ける小狼を見る。

頭の後ろの両手を組み、その様子を一歩下がったところから見ているのはナナシだ。

「……」

『にも』ということは、ファイにもなにかあったのだろうか。

ヘラヘラと笑って、肝心なところや深いところには、決して踏み込ませないし踏み込まない。
そして、よく見ていなければそれすら悟らせない。

そんな彼のスタイルは、そこから来ているのだろうか。

こういうことを考えるたびに思う。

自分にもし、彼のような『いろいろ』があったとしても、自分にはそれを思い返す記憶がない。
知る術がない。
記憶の一番初めは、ボロボロな状態でガリアンに拾われたところから。
一体、なにがあって、腹に穴が空くようなことになったのだろうか。

(……ま、それを知るために、こうして旅しとるんやけど)

自分はルベリアのボス『ナナシ』だ。

そう自負しているし、それに満足している。
常にボスとしてあるように努めているのだ。

しかし、ふとしたときに、こうやってガラにもなく考え込んでしまう。
もはや癖のようなものかもしれない。

「みんな、逃げろよー!!」

「……!」

突然の大声に、ナナシの意識は引き戻された。

それを発したのは笙悟だ。
宙に浮かぶエイが開いたその口の、多量の水が収縮を始めている。

ただその動作だけで、なにをするつもりなのかは、すぐに理解できる。

大勢のプリメーラのファンたちは、慌てて避難しだす。
だが、

「SET!…………GO!!」

それよりも速く、津波が襲い来る。
水道の蛇口を、加減せず思いっきり捻ったかのような勢いで溢れかえる。
容赦なく叩きつけられる、水。

「うわあっ!!」

数人。
逃げ遅れた者たちがいた。

今にも呑み込もうと、口を開けて追い迫っている。

だが。そのとき。

「わー、浮いてるー」

「ンだ? ありゃぁ……」

口笛の真似をするファイと、顔をしかめる黒鋼。
遠くにいるファンの集団も口をポカンと開けている。

彼らの目に映っているのは、全くの同じもの。
闇をそのまま閉じ込めたような暗い色をした球体だった。
数えること、一、二、三。
その内に取り込まれているのは、先程逃げ遅れていた男たちだ。

その下では、怒涛の勢いで水が流れていった。

今は、球体の姿は見えず、ただ驚いた顔で浮いている男たちがいる

どう考えてもおかしい光景だ。
そして、この世界でそれを可能にする手段はただ一つ。

笙悟は、巧断に乗って空を飛ぶ。
ファイは、巧断の能力で宙を舞う。

となれば、やはりこれも巧断によるものと考えるのが自然と言うものである。

寄せた波が引いていく。
顔を覗かせた地面は、その名残でしとどに濡れている。

後には、ゆっくりと降ろされて座り込み、ついさっきまで自分が置かれていた状況が
わからないと、表情で主張する彼らが残った。

そんな彼らに、

「もう大丈夫やでー」

ズボンのポケットに手を突っ込んだままナナシが言う。

その傍らには、ナニかがいた。

しなやかな、けれども逞しい四本の足と、ユラリと揺れる尾。
体の一面にはしる縞模様と、ところどころに散らばる斑点。
虎と豹が合わさったような姿。
佇むそれは、眩いばかりの輝きを放っていた。
黄とも金色とも思わせる不思議な光を。

その周りに幾つも浮かぶのは、暗い色の球体。

当然のように振舞うナナシと、この存在。
このどちらもが、誰のものによるものかを暗に示していた。

「そいつが、お前の巧断か」

静かに呟かれた黒鋼の言葉に、ナナシはニッと笑う。

「重力の操作ができるみたいや。おまけに、範囲はお好みしだい。……結構便利やろ?」

そのナナシの姿を見て、

「アンタの巧断か!」

「助かったぜ。ありがとな!」

石壁の上に上がってきた、三人の男たちが口々に礼を言う。
それに対し、ナナシは、かまへんよと返すのみ。

「ちょっとした、スペースシャトルごっこやな」

先程の光景を思い起こしたのか、しみじみと呟く。

「スペース……って、なんだ?」

返された問いに、ナナシはうーん……と少しの間悩むと、

「さあ?」

「自分でもわかんねえのかよ!」

あは、とナナシが笑う。
ほんの一瞬、胸に去来した僅かな懐かしさは遠くへ追いやって。

「まあまあ、黒ぴー。この人たちが助かったんだからいいでしょー」

「そうやで、黒さん」

「だーー!! てめえらは、何度言ったらわかんだ! 黒鋼だって言ってんだろうが!」

騒ぐのも束の間。

三人とも、あの津波に呑まれたはずの小狼へと視線を移す。

ナナシが、プリメーラのファンと一緒に小狼を助けなかったのは、
彼の巧断の力ならば大丈夫だろうと考えたからだ。

その証拠に、彼は変わらぬ姿のまま、そこにいた。
囲むような形状をとっている炎が、津波から彼を守ったのだと窺い知れる。

基本的に水は炎をかき消すが、炎の力がそれを上回るとその強弱関係は覆される。
炎は水を蒸発させ、無に返すのだ。

紅蓮の狼と共に、もうもうと立つ水蒸気からなる煙の中に悠然と佇むその姿は、
見るものに、どこか迫力じみたものさえ与える。

「さっすが小狼君だねぇ」

「そうやな」

「……フン」

それぞれが思い思いに呟いたそのとき。
ファイとの戦いでプリメーラが自らの巧断でもってつくった傷に、とうとう耐えかねたのだろう。
阪神城の頂上のボロボロになった部分が、一気に崩れ落ちた。

中には、大きな木材や硬い金属も混じっている。
直撃したらただではすまないだろうことは自明の理だ。

そして、その被害を受けるだろうと予想されるのは、真下にいるモコナと正義とプリメーラだ。
それに気づいた小狼が思わず叫ぶ。

「危ない!!」

だが、今から行動をおこしても間に合わない。

落下物を引き寄せる力に素直に従い、みるみる内に下へと向かう瓦礫たち。
彼らの方が速い。

その場にいる全員が驚き焦る中、正義は、震える体を叱りつけ、怯えるプリメーラを庇う。
その胸にあるのは、憧れるあの少年のように『強く』なりたいという思い。

今が、そうならなきゃいけないときじゃないのか。

「ダメだ! 一人で逃げちゃ! ……守らなきゃ!!」

だから、

「強くなるんだーーー!!!」

悲痛で、必死で、そして強い思いが込められた叫びが響いたとき、誰もが目を疑った。

「あった! 羽根!! この巧断の中!!」

プリメーラの腕の中で叫んだモコナが、見開かれたその目に映すのは、あまりにも巨大な巧断。
阪神城を優に越える巨体から伸びる手で、己が主を守るために包み込む、正義の巧断だった。

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