阪神共和国


「まだ起きないねえ」

「せやなあ」

ファイとナナシが小狼の顔を覗き込む。
少年は未だ寝たまま、起きる気配はない。




出たのは、一軒の建物の前だった。

そこから現れたのは、一組の男女。
2人は彼らを中に入れると、濡れ鼠になった体を拭くために数枚のタオルをよこした。
そしていまに至る。

「とりあえず、自己紹介とかは、この子が起きてからでいいよね?」

ファイはヘラっと笑う。

「いい!」

「ええでー」

笑顔で答えたナナシとモコナとは反対に、黒鋼は、相変わらずの仏頂面でなにも答えない。
だが、ファイは気にしていない様子である。

すでにモコナは、タオル片手に小狼のもとへ行き、彼の体を拭いている。
それを見たファイは、同じように、小狼を拭き始めた。
そうこうする内に小狼が目覚めた。

「君、えーと……」

「小狼です」

「こっちは名前、長いんだ。ファイでいいよ」

名乗ると、ファイは黒鋼の方を向く。

「そっちの黒いのは、なんて呼ぼうか?」

「黒いのじゃねえ! 黒鋼だ!!」

怒鳴ると、今度は、膝の上に乗って遊び始めたモコナに怒り始めた。
短気な黒鋼が怒る姿を、ファイはどこかおもしろそうにすら眺めている。

「自分はナナシいうんや」

ファイの視線が、今度は自分に向いていることに気づいたナナシも名乗る。

すると。

「ふざけてんのか?」

黒鋼が眉間に皺を寄せる。

「ふざけとらんわ。
 自分、記憶喪失でな、拾われたときに付けられたんや。名前がないから『ナナシ』ってな」

「記憶喪失……」

小狼の呟くと、ファイが口を挟んできた。

「じゃあ、あのとき言ってた『探したいモノ』って、記憶のこと?」

せや、とナナシは笑って頷く。

「…………」

小狼は、思わず腕の中のさくらを見た。
彼女の体が氷のように冷たいことに気づき、顔を強張らせる。

そのとき、

「うわっ!!」

突然、ファイが小狼の服に腕を突っ込んだ。
出てきたのは一枚の羽根。不思議な模様が描かれている。

「これ、記憶のカケラだねェ。その子の。の服に引っかかってたんだよ。一つだけ」

「あのとき、飛び散った羽根だ。
 これが――さくらの記憶のカケラ」

ファイの手から離れた羽根が、さくらの体に沈み込むようにして溶け込んでいく。
すると、さくらの体に体温が戻った。
そのことに小狼は安堵する。
ホッと息を吐くと、少しだけ気が楽になった気がする。

「体が……暖かくなった」

「今の羽根がなかったら、ちょっと危なかったねェ」

「オレの服に、偶然引っかかったから……」

「――この世に偶然なんてない」

小狼の言葉を遮るように、ファイが呟く。
なぜか、その言葉を全員が黙って聞いていた。

「……って、あの魔女さんも言ってたでしょ。
 だからね、この羽根も、きっと君が無意識に捕まえたんだよ。――その子を、助けるために」

小狼は、一際強くさくらを抱きしめた。

「……なんてね。よくわかんないんだけど」

不思議な雰囲気を崩すように、へらっと掴み所のない笑顔を浮かべるファイ。



壁際で黙り込んだままその様子を見ていたナナシは小さく笑う。

(なんや、オモシロイやっちゃのォ……)

どうやら、この旅の同行者たちは、とても個性的な面々らしい。
思わず、共に戦ったあの仲間たちを思い出す。彼らも、それぞれ、一癖も二癖もあった。
あまり自分も人のことを言えないが。

「自分も協力したるで」

命に関わらない程度のことならやるよ、と言ったファイに続く。
ついでに、ビッと親指で自分を指して。

「できることあったら言ってェな」


――


「ここは阪神共和国。とってもステキな島国や!」


一息ついたところにやって来た男女は、空汰と嵐と名乗った。

そして今、2人による『阪神共和国』についての講座の真っ最中である。
とは言っても、もっぱら空汰しか喋っていないが。

ナナシは眉に皺を寄せる。

(なんやろ、めっちゃ覚えがあるような気ィするわ……)

説明の節々に、いくつか聞き覚えのある言葉がある。
何故だろう、と思っていると、ファイが手を上げた。

「はい、ファイ君!」

空汰が自分にそっくりな人形でファイを指す。

「この国の人たちは、みんな、空汰さんみたいな喋り方なんですかー?」

「わいの喋り方は特別。これは古語やからな」

歴史の教師だから、古い物がそのままなくなってしまうのが忍びない。
という空汰の言葉を聞いて、ファイが不意にナナシを見る。

「そういえば、ナナシもおんなじ喋り方だよね」

「おんなじー!」

ファイとモコナの言葉に、みんながナナシを見る。

「そういえば、そうやな。ナナシがおったとこも、こういう喋り方やったんか?」

「んー。そんなこと言われてもなァ……」

だが実際、自分の周りに、同じ喋り方の人間はいなかった。
ルベリアにも。メルにも。
もちろん、そのほかにも。

「気づけばこうやったし……」

そう、自然と口から出ていた。
何故かなど、考えたことなんてなかった。
一度も。
まるで呼吸をするために空気を吸って吐くかくかのように。
歩くために量の足を交互に出すかのように。
身に染み付いているものなのだ。

うーーん、と唸りだしたナナシを置いて、話は進む。
ファイなどはさらに新しい質問をしている。
ナナシが思考の渦にはまった原因をつくっておきながらである。

と、黒鋼が居眠りをし始めた。
もとより、彼は話にそれほどの興味を持っていないようだったので、そうそうに飽きたのだろう。

そのとき。

「そこ、寝るなーー!!」

空汰が黒鋼を指差したとたん、パコン、と気持ちのいい音を立てて彼の頭が叩かれた。
慌てて黒鋼が後ろを振り返る。
だがそこは壁。
もちろん、何もない。

突然のことに、黒鋼・ファイ・ナナシは身構え、小狼はさくらをかばう。

「何の気配もなかったぞ!」

何か投げやがったのか、と空汰を問い詰める黒鋼。

「投げたんなら、あの角度からは当たらないでしょ。
 真上から衝撃があったみたいだし?」

ファイも飄々とした態度を崩し、真剣みを帯びた表情を浮かべる。
だが、緊迫した雰囲気の彼らに対し、空汰は平然と答える。

「何って、『くだん』使たに決まっとるやろ」

「くだん?」

聞き覚えのない単語に、一斉に首を傾げる。
空汰はホワイトボードにペンをはしらせた。

――巧断

彼曰く。

「この世界のモンには、必ず巧断が憑くんや」

「あーー、なるほど」

と、字を見て言う黒鋼に対し、ファイは笑ってわからないと言う。
小狼は、なんとか読めるようだ。

「ナナシは?」

「読めるで」

モコナの問いにナナシが答える。
それぞれの反応を見て空汰が得心いったように頷いた。

「黒鋼とナナシと小狼の世界は漢字圏やったんやな。んで、ファイは違うと。
 せやのに、聞いたり喋ったり、言葉は通じるんやから不思議やな」

「自分がおったとこは、漢字はなかったで」

「そうなん? なら不思議やな。なんでナナシは漢字が読めたりわいと同じ喋りかたしたりしてるんやろ……」

思案顔をつくる空汰。
ナナシも首をかしげる。

「んなことはいまはどうでもいいだろ。
 巧断について教えろ。巧断っつうのは、どういう代物なんだ?
『憑く』つったよな。さっき」

黒鋼の問いに答えたのは嵐。
いままで黙っていた彼女が口を開いき、語りだす。

「例え異世界の者だとしても、巧断は憑きます。この世界に来たのならば」

そして、さくらを見る。
彼女の羽根が誰かの手に渡っているとしたら、争いになるかもしれない、と言う。

それは即ち、羽根を取り戻すため、戦わなければいけないということ。

「貴方たちは今、戦う力を失っていますね」

ファイと黒鋼に言う。

「なぜ、そうだと?」

すると空汰が、嵐は元巫女だから霊力が備わっているのだと言う。

確かに、ファイは彼曰く、魔力の元であるイレズミを、黒鋼は刀を侑子に渡した。

「お前はどうなんだよ」

「自分は一応戦えるで。武器はあるしな」

自分が渡したのは、武器ではない。

『エレクトリック・アイ』は、自分が帰るまでボスの座を預けると、ガリアンに渡した。
『ジムノート』もだ。

一度裏切った彼だが、二度と裏切らないという言葉を信じている。
万が一そのようなことが起こっても、その場合は、ドロシーやスタンリーなどの面々に任せてある。
大丈夫だろう。

「オレがあの人に渡したのは、力じゃありません。
 最初から、魔力や武器は、オレにはないから」

小狼が嵐に言う。

「やっぱり、貴方は幸運なのかもしれませんね」

「え?」

「この世界には巧断がある。
 もし争いになっても、巧断がその手立てになる」

「巧断って、争うためのモノなんですか?」

「なんに使うか、どう使うかは、そいつ次第や。
 百聞は一見にしかず。
 巧断がどんなモンなんかは、自分で見て、身で、確かめたらええ」

ニッと笑顔を浮かべる空汰。

「どや、モコナ。
この世界に、さくらちゃんの羽根はありそうか?」

「――ある。まだ、ずっと遠いけど、この国にある」

空汰がしゃがみこみ、目線を小狼に合わせる。

「探すか? 羽根を」

小狼は頷く。
その目は、侑子に見せたものと同じ、決意に溢れた目。

「兄ちゃんらも、同じ意見か?」

空汰が、黒鋼・ファイ・ナナシを見る。

「とりあえず」

「せやな」

「移動したいって言えば、するのかよ。その白いのは」

黒鋼の言葉に、モコナは、首いや体を横に振る。

「しない。
 モコナ、羽根が見つかるまで、ここにいる」

「ありがとう。モコナ」


――


「もう、夜の12時過ぎとる。そろそろ寝んとな。
 部屋、案内するで」

空汰の鶴の一声で、今日はお開きとなった。

「おっと、黒鋼とファイとナナシは同室やで」

その宣言どおり、三人揃って、同じ部屋に案内され、それぞれ布団を敷く。
布団を見たことのないらしいファイが、感嘆とも驚きともつかない声をあげたり表情を見せたり。
そんなファイにナナシが布団の敷き方を教えたり。
なぜか知っているナナシに黒鋼がつっこんだり。

やっと終わったときには、さらに時間は過ぎていた。

「これからよろしくね。なんか、長い付き合いになりそうだし」

「こちらこそ」

ナナシも頷く。
自分の記憶が戻っても、モコナが行く世界を決められない以上は一緒にいることになるだろう。
少なくとも、
さくらの羽根が全て集まるまでは。

ファイの願いは『元いた世界に戻らないこと』のようであるし。

黒鋼を見ると、すでに軽装になり、布団を被っている。
もう寝たのだろうか。

「黒さん?」

「誰が『黒さん』だ! 黒鋼だって言ってんだろ! 何度言わせんだ!」

布団を跳ね除けて黒鋼が怒鳴る。
だがナナシはけらけらと笑って流すのみ。

「あはははは。ナナシは『黒さん』って呼ぶの?」

「そうするわ」

「勝手に決めんなー!!」
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