高麗国


トンカン、トンカン。
絶え間なく音が響く。
金属で金属を叩く音――金槌で釘を打ちつける音だ。
音は、屋根の上から鳴っていた。
そこには黒鋼の姿がある。
朝からずっと、彼はこうして金槌をふるっていた。

「何でっ、俺がっ、人ん家、直さなきゃ、なんねえんだ、よっ!」

愚痴とともに腕を振り下ろされる。
とはいっても基本的に真面目な黒鋼だ。
少しずつではあるものの、着実に仕事は進んでいる。

それを見上げながら、ファイがへらっといつもの笑みを浮かべた。

昨日、彼ら一行が出会った少女――春香。
彼女の家の屋根はいま、見るからに酷い有様だった。
突如として襲ってきた竜巻によって破壊され、青空が広々と覗けるくらいの大きな穴があいている。
黒鋼の作業によって塞がりつつあるそこから、ファイが顔を覗かせる。

「一泊させてもらったんだから、当然でしょー」

「そうそ。それに女の子ためや、文句言わんで働くのが男やで」

同意の声が黒鋼の背後から聞こえた。

「あ? この助平がなに言って…………お前、それはおかしくねえか?」

振り返った黒鋼の顔は、まさに『ぽかん』という擬音が相応しいものだった。
口は半開き、目は見開かれ、おまけに金槌を持った手は宙で止まっている。
とにもかくにも、常の戦士然とした彼の姿からはかけ離れているのは間違いない。

そんな黒鋼の目線の先には。

「何が?」

首を傾げるナナシと、そして彼が担ぐ大量の木材があった。
大量というべきか、多量というべきか。
いささか判断に困るが、しかしそれでも明らかにとんでもない量なのは確かだ。

大の大人が数人がかりでも抱え込めないような太さ。
まさに巨木並み。
そんな木材の束を、ナナシは1人で、しかも軽々と担いでいる。
表情は常と変わらず、どころか、笑って軽口まで叩いているのだから驚きだ。
重そうにしている様子はまったくない。

「何が、じゃねえだろ! 何でその量を1人で持てんだっつってんだよ!」

すっくと立ち上がり、金槌でナナシを指す黒鋼。

「持ってって、とは言ったけど、まさか全部いっぺんに持ってっちゃうとは思わなかったなあ。
すごい量だったんだけど、あれ」

ファイが見上げる穴からは、黒鋼の姿がしっかりと見える。
つまり、その傍にいるナナシもよく見えるというわけで。
そして同時に、ナナシが抱えているとんでもない量の荷物も、同時に目に入るというわけだった。

それを目にし、ファイは、わあ、と感嘆の声を漏らした。
確かにあれはすごい。
さすがに黒鋼だって無理だろう。自分ならなおさらだ、と内心頷く。
少なくとも、自分は持てない。
あんな――自分の体重を優に超えそうな物なんて。
この一行の中で一番ひ弱だという自覚はあるし、それが間違っているとも思わない。

(ていうか、頼んだ分、一纏めにしたんだ)

確かに、効率的ではある。
が、ほかの誰も真似できないだろう。

「あー……」

黒鋼とファイ、2人からの驚愕の眼差しがナナシに突き刺さる。
ナナシの視線がさまよう。
なんだか気まずそうに。
まさかこんな反応をされるとは思わなかった、と言いたげだ。
そして。
「自分、力持ちやねん!」

「ふっざけんな!」

力いっぱい、それも笑顔で言い切るナナシ。
黒鋼が吼えた。

「ひゅー、ナナシすっごーい!」

「いやん、もっと褒めて!」

「調子のんな! ……つーか、てめえんとこの世界は、こんな怪力ばっかりなのか」

ナナシが顔の前で手を振る。

「いやいや、たぶん自分くらいやろ。他にクマ持ち上げられるやつ見たことないし。
あ、ちゃうな、ギンタもけっこう怪力やった気が……」

「誰だ、そいつ」

「ねえ、話長くなりそうだし、ちょっと休憩しようよー」


――――


出かけていた小狼とさくらと春香が帰ってきたのは、日が中頃に差しかかろうという時分だった。
作業も一段落し、腰を下ろして話に花を咲かせているころ、3人は姿を見せた。
ファイが顔を上げ、真っ先に声をかける。

「あ、おかえりー。どうだった? 聞いて聞いて、ナナシったらね。すごい力持ちなんだよー」

だが。
明るいファイに対して、彼らが笑顔を浮かべることはなく。

「なんかすっごい話盛り上がっちゃったよ。
ずっと2人と言葉が通じてたってことは、そう遠くへは行ってなかったのかな?」

「てめえらが勝手に喋ってただけだろ」

「あー……、それより、なんかあったみたいやな」

ナナシが苦笑する。
揃いも揃って一様に、小狼たちの表情は暗い。
こと春香は酷い。
唇をかみ締め、拳を握り、いまにもこぼれそうな涙を懸命にこらえているのが見てとれる。
小狼もさくらもモコナも、そんな彼女を気遣うように、目をやっていた。

「春香ちゃん、なにがあったん?」

「なんかあったっつーか、なにかある理由なんざ、1つしか思い浮かばねえけどな」

「だね。とりあえず……みんな中に入ろうか」

ファイの促すままに家に入り、話を聞く。
聞くところによれば。
老人と孫娘に暴行を働こうとした領主の息子を、小狼が止め。
それに激昂した息子と争いになり。
最終的に領主の秘術が横槍を入れ、結果、為す術もなく負ける形になった。
と、まあそんな話だった。

「そっか、また領主とかの『風』にやられたんだー」

「ほんっま、クズやな! 絵に描いたみたいな『親の七光り』や!」

「ナナシ怒ってる!」

「そりゃ怒るやろ! 女の子に手ェ上げようなんざ、男の風上にも置けんわ! 死刑や!」

「まあまあ……。死刑はちょっと過激かもしれないけど、ナナシが怒るのも無理ないよ」

いきり立つナナシを宥めつつ、ファイが頷く。

「しかし、なんでそこまでやられて、なんでいまの領主をやっちまわねえんだ?」

黒鋼の言い分は尤もだ。
暗君は国に、民に殺される。
それが世の常。
世界が違えど、そこに国があって治める主君がいるのなら、そう変わらないはずだ。

「やっつけようとした! 何度も、何度も!」

春香の表情に、抑えられない悔しさが滲む。

「でも、領主には指一本触れられないんだ! 
領主が住んでいる城には、秘術が施してあって、誰も近寄れない!」

「なるほどー。それがモコナの感じた、不思議な力かー」

「不思議な力がいっぱいで、羽根の波動、よくわからないの」

モコナの肯定を受けて、ファイが手をあげる。
領主に手出しできないとなると――。

「じゃあさ、あの息子のほうはどうなの? 人質にとっちゃうとかさー」

ギョッとする一同。
突然の苛烈な提案に、さすがに皆驚きを隠せない。
黒鋼なぞは「さらっと黒いこと言いやがった……」と引く始末。

だが、ナナシは冷静に思案顔をつくる。
首を傾けつつ腕を組み、考える。
先は怒り心頭に発したが、これでも1つの集団をまとめる頭だ。
心は熱くても頭は冷静に。

「そりゃ、めっちゃ魅力的な話やけど、アカンやろ。昨日のアレに、今日の話聞いたら……」

なあ? と視線が向けられた先で春香が頷いた。

「ああ、したくてもできない。領主は秘術で町中を見張ってるから、息子になにかしたら……!」

「あー、そっか。昨日とか、今日の小狼くんみたいに」

「秘術で攻撃されるやろな。子供の喧嘩にまでしゃしゃり出てくるんやし」

「はっ、とんだバカ親だぜ」

「んー。ていうかさ、ちょっと引っかかってるんだけど……。
1年前に急に強くなったって言ってたよね、その領主」

ファイの言葉に、春香を除く全員が、ハッとした表情を浮かべる。
それだけで、十分すぎる心当たりだった。
しかして、示されたのは思ったとおりの内容で。

「さくらちゃんの羽根に、関係ないかな」

1年という年月に対し、さくらの記憶の羽根が飛び散ったのはつい最近のこと。
だが、次元という境界の前には、そんな矛盾は意味を成さない。
時間の流れから違っても、なんら不思議ではない。

だが、そんな話を聞いてしまえばいてもたってもいられない人物が1人。
小狼だ。
もとより、彼の目的はさくらの羽根を集めることなのだから当然のこと。
弾かれたように立ち上がると。

「確かめてきます。領主のもとに羽根があるのか」

「待って!」

その腕を、さくらが掴む。

「小狼くん、怪我してるのに……」

「平気です」

「でも……」

小狼はそっと笑った。
それはさくらを安心させようとする、心からの笑顔。

「大丈夫です。羽根がもしあったら、取り戻してきます」

「小狼くん……」

姫を思う少年の気持ちも、彼を思う姫の気持ちも本物だ。
お互いを心から案じ、大切に思っている。

2人の様子を傍から見つつ、ナナシは内心首をかしげた。
たまに感じる、この引っかかるようなものはなんだろうかと。

(ギンタとスノウちゃん見てたときもこんな感じやったけど)

むむ、と考えに沈む。

(アレか!? お姫様と男の子っちゅーのがキーワードなんかな? きっとそうや!)

浮かんできた答えに、手のひらを拳で打ったとき。

「侑子に聞いてみよう!」

モコナの元気な声が耳朶を打ち、現実へと意識を引き戻した。

「あらモコナ、どうしたの?」

モコナの額の赤い水晶から光が放たれ、人の姿が映し出される。
その姿は、あの次元の魔女。

「おー。ほんま、生きとるÄRMみたいやなー。バッボよりずっとかわええけど」

ナナシが拍手を送り。

「しゃべったー!!」

春香が怯え。

「ほんとにモコナは便利だねー」

「便利にもほどがあるだろ!」

そんなやりとりの後、侑子に事の次第を説明する。
話を聞くなり、得心いったように彼女は頷いた。

「なるほど。その秘術とやらを破って城に入りたいと……」

「そうなんですー」

「お願いしまーす!」

「てめえは黙ってろ。女と見るとへらへらしやがって!」

「えー、黒さんたら、ほんまケチやな」

「誰がケチだ!!」

やいのやいのと途端に騒ぎ始める黒鋼とナナシ。
それを見て小狼とさくら、春香がおろおろしている。
侑子が視線をよこす。

「2人とも黙りなさい。話が進まないわ。
……だいたい、あたしに頼まなくても、ファイは魔法、使えるでしょう?」

「あなたに魔力のもと、渡しちゃいましたしー」

「あたしが対価として貰った刺青は、『魔力を抑えるための魔法の元』。
あなたの魔力そのものではないわ」

侑子の目がすっと細まる。
ファイの笑顔は変わらない。
だが、どこか貼り付けたようなその表情のまま、

「まあ、でも、あれがないと魔法は使わないって決めてるんで」

ファイは言葉を続ける。
そんな彼を、黒鋼も、ナナシも、小狼もただ黙って見ていた。
たとえ、いまの応酬の中に何が秘められていようとも。
いま聞くようなことではないし、詮索すべきことでもない。
彼が語らない以上は。
誰か何か言うまでもなく、皆がわかっていることだった。

「いいわ。城の秘術が破れるものを送りましょう。ただし、対価を貰うわよ」

そして、ファイの『魔法具』だという杖を、対価として送り。
代わりに手に入ったのは、

「これが、秘術を破るもの……」

黒く渦を巻く玉。
小狼は、強く、強く、それを握り締めた。
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