拝啓。サイバー空間より××を込めて。
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住処に戻ってきた。
部屋の中に設置した、現実世界からの映像が視界に飛び込む。
気が付かない間に陽は暮れかけていた。都市のビルの群れが夕焼けを反射して、部屋中を真っ赤に染めている。何もかもが強烈な赤い光に包まれていて、そして反対側に長く暗い影を伸ばす。空の青色はもうどこにも見えない。
ずっと何も言わないまま、掴んでいるこどもの手だけが他との繋がりのようだった。遠慮がちにこちらを仰いでくる顔に、気付かない振りをして無視をした。
ずっと羽織っていた外套に触れる。表示された小さいウィンドウを操作すると、それはデータの欠片になって溶けていった。
サーバーの片隅に格納されていった外套は、また新しいものを用意しなければいけないだろう。セイバーによる攻撃に晒され続けてだいぶ耐久性が落ちていたし、フードも斬られてしまった。
「……はあ…」
すぐ後ろの壁にもたれ掛かって、深く息を吐いた。
緩んだ自分の手が、繋いでいた手を離れる。そのまま背を預けてずるずると座り込む。
ようやく、黙ってこちらを伺ってくるナオトと自然に目を合わせることができた。無言のあいだの、数回の瞬き。
小さい頭の上から足先までを走査する。出掛ける前よりもやや乱れた格好と髪、身体の端々に走るほんの少しのノイズ。ヘアピン型のトラッカーが無くなっている。あの施設の連中に外されたのだろう。……入手してすぐ、こうも早くに使う機会が来ようとは思わなかった。
ふと、ナオトの首に巻き付いている異物が目に入る。あの連中に着けられたものであろうそれが首輪のように見えて、どうしても苛立たしい気持ちになった。所有権を主張されているように思えてしまう。
「……なんだよ、そんなものまで着けられて」
「えっ?……わっ」
細いうなじに手を差し込んで、首輪に触れた。小さい肩が怯えたように震える。
この手の物はだいたい操作手順が限られている。機能はほぼ止まっていたようだが、現れたウィンドウを弄くって完全に停止させる。消去のシグナルを叩き込むと、簡単に外れて床に落ちた。割れて崩れて消えていくのを睨み付ける。
「あ、ありがと」
「ん」
とてもとても、厭な気分を引きずり続けている。
「ご、ごめんなさい。かってにはぐれて。こんなことになるなんて、おもわなくて……」
「……そうだね、ボクも思わなかったよ」
キミが何もかも悪い訳では無いと、素直に口に出せれば良かったのに。上手くいかない。
迷子になったら置いていく、なんて言ったのはただの軽口のつもりだった。実際は迷子や誘拐などという生易しいものではなかった。
あの街は安全だと思って油断していたのはボクのミスだ。ナオトの姿が消えてからすぐに位置情報を探し出して、その先がまさかあんな連中の研究施設だったとは、予想できるはずがない。
いざそこへ向かってみれば、待っていたのはおかしな科学者どもと、……例の『親友』もとい、ゼロの戦闘パターンを流用したシミュレーションプログラムだった。(あんなもの、どこで手に入れたのやら)
どちらも自分の思い出したくない部分を刺激してきたし、あの科学者は的確にボクの過去をえぐり抜いていった。
あの男に言われたことはその通りだった。事実だけを述べた言葉が思考の真ん中に突き刺さって、なかなか外れてくれない。傷口から循環液が滲んで、思考に滴り落ちる。ずっと残るそれにじりじりと侵食されて、今現在の自分の気持ちがぼやけていく錯覚に陥る。
過去が追い掛けてくる。纏わりついてくる。青い姿をしていたり、赤い姿をしていたりするそれを振り払いきれない。
造られたばかりの最初の時、何を思って生きていたんだったか。英雄として活動していた頃、本当はどうしたかったんだろう。そんな原初の思いを、記憶の中から洗い出す。
―――『何か』を救いたかった。守りたかった。幸せでいて欲しかった。誰にどう罵られても、それだけは偽りではない本物の気持ちだったはずだ。
『何か』が世界なのか、人間達だったのか、レプリロイド達だったのか……ただ一つの個だったのか、そこまでを考える余裕はなかった。でもこれは、オリジナルのエックスとは無関係の、ボクの本心だったはずだ。
だから、何もかも全てが終わってしまった今、守りたいものを自分だけで守れたことは、本当に嬉しかった。
過去を暴かれて、事実を突き付けられても、それでもまだ。
「……良かった」
何を言うべきか迷っているような、そんな表情をしているナオトに触れた。顔を見るのが少し恥ずかしく感じた気がして、引き寄せて抱き締める。ぬるい温度が心地良い。
「……キミが消えてしまうかと思った。間に合って良かった」
身体が小さくても、本人の一部分だけであっても、ちゃんと生きていてここに居る。
「うん。あの、……たすけにきてくれて、うれしかったよ。ありがとう」
小さい手が背中に回って、柔らかい声が近くで聞こえる。舌足らずなのに、しっかりとした意志のある口調だった。
──正直なところ、能天気に笑っている小さなナオトは奇妙だと思っていた。子供にしては比較的大人しくて、大した我儘も言わず、鬱陶しい行動もせず、にこにこと上機嫌にボクに付いてくる。雛鳥の刷り込みのよう。
その様子は、今までの厭な記憶や負の感情を感じ取る感覚そのものをまるごと何処かに落としてきてしまったように思えた。
縮んだからそうなったのか、そうなったから縮んだのか。きらきらふわふわと笑っているプラスの感情の眩しい集合体。
そういうものに対して、居なくなって欲しくない、消えて欲しくない、ここに居て欲しい、と思うのは……行き過ぎた願いのように思えて。
だから、この願いは思考の奥に仕舞い込んでしまおう。暗くて重たいこの感情は、口に出すべきではない。暗さはこの子の眩しさを打ち消してしまうかもしれないし、重みで圧し潰してしまうかもしれない。
自分の我儘よりも、言ってしまわないければいけないことがあった。今度こそ、目を逸らしたままでいたくない。
「ナオト」
「なあに?」
「ボクは……キミが探していた相手では、ないと思う」
ずっと飲み込み続けていた言葉を、ついに吐き出した。自分に言い聞かせるようにゆっくりと、震えてしまわないように気持ちを抑え込む。吐き出す言葉の代わりに感情を飲み込む。抱き締める力が強くなってしまう。
初めてこの子に遭遇したとき、この子は『エックスを探していた』と言っていた。
「キミが探していたのは、オリジナルのエックスだろう?
ボクは……コピーのほう、なんだよ」
人違い。そう、そういうものだ。外見“だけ”が同じ、名前の無い青いレプリロイドを、この子はずっと誤認している。
探すのなら、帰るのなら。その相手は偽物のところではなく、本物のところであるべきだ。そう自分に言い聞かせる。
「キミは、本物のところに帰らないといけないんだ。だから、」
「あの!あのね!」
ナオトが遮った。反射的に緩んだ腕の中から抜け出して、目と鼻の先で見詰め返される。今度はこちらが両肩を掴まれる。
部屋中の夕陽の昏い赤が急に弱くなったような、そんな妙な錯覚を起こす。
「……、」
思っていた以上に強い意志が込められた瞳に撃ち抜かれて、逸らすことができない。ナオトとこんなに近くで目を合わせたのは、初めてだった気がする。
「たしかに、ナオトは、えっくすをさがしてた。
あのね、えっくすはね、いまは、ふたりいるの」
「……ふた、り」
緩やかに崩されて、しみ込んでくる。
「あおくて、にじいろのほう!あおくて、あかいほう!どっちも、えっくすなんだよ」
「どっち、も……」
「だから、そういうふうに、いわないで……そんなかおしないで、いいんだよ」
眩しいのに逸らせない。息を呑む。纏わりついてくる過去の影が、ずっと開きっぱなしの傷口の痛みが、淡い声音に包まれる。胸の辺りに滲む、柔らかい心地は、一体なんだろう。
何も言えないままでいると、今度はナオトのほうが黙って俯いた。少し考え込むように顔を伏せたあと、こちらに向けられた表情は、子供のものには思えなかった。それは、元々の彼女が持っている眼差しと同じものだった。
「あのね……“わたし”も、きみにきいてほしいことがあるの。たぶん、そのためにここにいるの」
「……うん」
かろうじて声帯から返答を絞り出す。
「ずっとまえから“わたし”は、きみにね、あやまらなきゃ、いけなくて。
きみのこと、うそつきだなんていって、ごめんなさい。きみのきもちに、みないふりをしてしまって、ごめんなさい」
「…………っ」
驚きと、少しの暖かさ。こういうものは経験したことがない。
これはもしかして擬似記憶とか、あるいは何かの錯覚とかそういうものなのか。人間的に言うところの、夢や幻でも見ているんだろうか。
ボクはいつもの部屋の中に独りだけで居て、外はもう暗くなっていて、気がついたら眠ってしまっている。もしかしたら初めから小さいナオトと出会ってなんかいない、そんな中で見ている都合のいい夢のよう──なのにその存在は、どうしようもなく眼の前に実在している。
真剣な瞳が、またボクを見る。呆けた自分の表情が微かに映っている。
「いつかぜったい、ほんとうの“わたし”がきみにあやまりにくるから、そのときは、はなしをきいてほしい。……ゆるさなくても、いいから。はなしをしたら、もうきみのちかくにいかないようにするから。これいじょう、ふかいなきもちにさせないようにするから……」
今までの記憶は、こんなふうになっても全て持っていたのか。彼女は本当に、眩しい。とっくの昔に許しているのに、そんなことで悩んでいてくれたらしい。
ボクもキミも、面倒くさいところで似ている部分があるのかもしれない。なんて言ったら、オリジナルからクレームが来そうだ。
「だから、それまでまっていて」
真っ直ぐな言葉はすとんと落ちてくる。
追い縋ってくる青色の過去も、あの男から付けられた思考の中の傷口も、自分の暗くて重たい感情も、消すなんてことはできないだろう。
でもそれらの煩わしいものたちは、眩しくて淡い言葉のおかげで鳴りを潜めていった。
邪魔をしてくる騒がしいノイズが引いて、思考がクリアになる。軽くなる。ようやく冷静になれた気がする。
…………たぶんもう、大丈夫だ。そう思うことができて、ゆっくりと、でもしっかり頷いて見せた。
「解った、良いよ。代わりに条件がある」
「うん!なんでもいって!」
ナオトがそこまで言うのなら、言ってくれるのなら。少しくらいは我儘を通しても許されるかもしれない。自分の本心の一欠片を見せても良いかもしれない。
にこりと笑顔を作った。今度は上手く笑えているだろうか。前よりはずっとずっと素直に、自分の気持ちに偽り無く、口角が持ち上がっていく。
「キミを人質にする」
一瞬の無言。それから、眼前の幼い顔が間の抜けたものに変わっていく。
「ぇ………………はぇ??ひ、ひとじち??」
ナオトの今までの大人びた表情が一瞬でどこかへ飛んでいった。ここ最近で見慣れてきた、子供じみたそれに戻っていくのがおかしくて、また笑ってしまう。最後にこういう気持ちで笑ったのはいつだったっけ。
「別に問題無いだろ。あちらのナオトがボクに会いに来るっていうのなら、それまでこっちのナオトを預かっておくよ」
「いいかた……ひどい……。まじめなはなし、してたのに」
「さっきの首輪、消さずに再利用すればよかったかな」
「ヒェッ……や、やめて」
慌てる様子がなんだか面白くて、つい冗談を言ってやりたくなってしまった。また自然と忍び笑いがもれてしまう。
また何かからかってやろうと口を開きかけた時、ナオトがハッとして動きを止めた。
「あっ……そ、そうだ!」
言い忘れてた、と慌てた声を上げる。なんとなく少し焦るような様が伺えて、ボクは首を傾げる。まだ何か言いたい事があるのだろうか。
「あ、あの、かがくしゃ?みたいなひとに、へんなことされたときなんだけど……」
小さい頭がきょろきょろと辺りを見回した。部屋の中には自分達以外に誰もいないのに、何かを探るようだった。
それから、潜められる声。
「むこうのえっくすが、きづいたかも」
「………………は?」
どういうことだ。……オリジナルに察知された?この遠距離で?あいつは現実世界に居るんだろう?
「やられたえいきょう?が、あっちの“わたし”にまでとどいて……。そのときにえっくすと、めがあって。そこに、ぜろもいて、ふたりが“わたし”をみてあせってた」
「…………うっっわぁ」
嘘だろ。この騒ぎがバレた? ということは、オリジナルがこちらに乗り込んでくる可能性が出来たってことじゃないか。それにゼロも付いてくるか? やめてくれ。
余計なことをしてくれたあの科学者連中は、もう少し痛め付けてやれば良かったかもしれない。もう既に時遅しだが。
ああ、そうだ。そういえばボク達の戦闘中、調子に乗ったあの男が、ナオト相手に色々と問題発言を繰り返していたな。こちらには聞こえていないと思っていたのだろうけど。
後であのボイスデータをメモリーから引っ張り出して、あの街のセキュリティに送付してやろう。憂さ晴らし?嫌がらせ?うん、そうだよ。
そんなことを逃避気味に考えつつ、深々とため息を付く……ああ、本当に何度目だろう。
今まで何かとオリジナルを引き合いに出していたが、やはり会いたくない気持ちは変えられなかった。以前に……最後にあいつと対面した時、煽りに煽って言いたい放題をしてしまったから、今更どんな顔をして会えばいいのか解らない。後ろめたい気持ちがずっと燻っている。
それに、この子を会わせたくない。あいつに回収される予感しかしない。もし大きいほうのナオトとこちらのナオトが出会ったら……統合されて、こちらのほうは消えてしまうんじゃないか……そんな予感が通り過ぎる。
こんなことになってしまったのなら仕方がない。だったらもういっそのこと、
「……逃げるか」
「ええ!?に、にげ……?」
「キミも一緒に来るんだよ。人質なんだし、簡単にオリジナルには渡してやらないからね」
「ま、またそういうこという!」
「…………なにか勘違いしていないかい?ナオト」
目を細めて笑いながら、後ずさる細い両腕を掴んだ。逃げられないように、しっかりとにじり寄る。距離を詰める。低く囁く。
「ボクは悪いレプリロイドなんだけど」
驚いて焦る表情は、やっぱりかわいいと思った。
「わ、わるいふりしてるだけでしょ」
「どうかな。キミみたいな子供を連れ回してるし」
「ナオトはこどもじゃないよ!」
「あ。あと、言っておくけど幼女趣味ではないよ」
「きゅうになんで!?きみより、ずっとおねーさんだよ!?おねーさんなの!!」
「反論があるならさっさと元のサイズに戻りなよ。ボクもそっちのほうが良い」
戻れるのか知らないけど。
「わ、わかった!がんばる……ぐ、ぐたいてきに、どうすればいいのかな!?」
「さあ?」
「さっきから、またてきとーなこといってるでしょ!」
「ふ、そうだよ。ふふ、あははっ」
「もぉー!」
あぁ、楽しいな。こんな、どうしようもなく馬鹿で中身のない、楽しい会話が交わせるときが来るなんて、あの頃は思ってもみなかった。あたたかい。
この子に遭遇したのは、確かに面倒事の始まりだった。でもいつの間にか、面倒事の一言で終わらせてしまうだけの話ではなくなっていた。
大きな流れの中に埋もれて失くしていた、自分だけのものを拾い上げたような──そういう、ありふれた幸運な話だ。
考え込んで話し込んでいる間に、赤かった部屋は日没あとの薄暗く淡い紫色に満ちていた。夕焼けはすっかり見えなくなって、沢山のビルが光を灯す。始まったばかりの夜と、その合間を幾筋ものサーチライトが駆け抜けていく。
それらに照らされながら、ボクは嘘の無い、微笑みのかたちを作った。
「―――さて、この世界は広いからね。どこへ逃げようか」