エトセトラ
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───ヒャハハハ!!クソッタレのアジールが!ざまぁみやがれ!
レプリロイドであるその男は、思考の内側で快哉を叫んだ。
イルミネーションが眩しい夜の繁華街を走り抜けながら、男の表情は愉悦に歪んでいる。集団で騒ぐ者、アルコールに酔った者、電子ドラッグに耽る者。その場所はたくさんの狂乱と喧騒に満ちていて、誰もこちらに意識を向けない。人やレプリロイドの隙間を身軽に通過し、彼は全力疾走を続ける。
───してやったりだぜ!裏の世界でデカいツラして幅利かせてやがるあのセイバー使いに!このオレが!一泡吹かせてやった!
おかしくておかしくて、漏れ出てくる嘲笑が止められない。電脳の中枢では興奮と高揚感が渦巻き、それを押し留めるはずの理性すらも希薄になっていく。
彼の腕には、気を失った人間が抱えられていた。これはあのレプリロイドが飼っていた小娘だ。どんな理由で囲っていたのかは知らないが、これを目前で奪ってやった時のヤツの顔といったら!
オンラインの全スレッドに貼り出してやってもいいくらいの傑作だった。愉快痛快。今メモリーを見返しても、電脳と動力炉と全回路が纏めて震えるほどだ。
───しっかし、コイツはなんなんだ? カウンターハンターの連中もこの女を誰かの人質にしてたのか? ま、そうでなきゃ好き好んで人間なんぞ相手にしねえよな。
ふと小娘へアイカメラを向けた。乱れてはいるものの、人間特有の艷やかな髪と瑞々しい地肌が見える。耳元には小さな飾り物が音もなく揺れていた。確か、ピアスとか何とか呼ばれる物だったか。
こんなアクセサリーを与えるなど、人質にしては丁重に扱われているようにも見える。
なかなか悪くない見た目をしているし、連れ帰って暇潰しに愛でてやろうか……しかし傷がないうちに丸のまま売り払ってしまうか……と考えて、待てよと改める。
足が付く可能性を考慮すると、
新鮮な若い女だ。内臓はもちろん、皮膚や血液、角膜や骨髄諸々に至るまで全てに高い値が付くはずだ。裏社会の人間ならば、移植用臓器などという逸品は言い値で買い取る者がごまんと居る。
───そうすりゃこのオレも、もっともっと良いアーマーを手に入れられるってこった!
懐が潤えば、それだけ自身のカスタマイズに費やせる。最高品質のアーマーパーツと武器を揃え、専用にチューンアップされた戦闘制御プログラムをインストールすれば、裏社会のトップクラスへと仲間入りできるだろう。頭角を現せば、あの有名なイレギュラーであるシグマから見込まれ、仲間にしてもらうことだって夢ではない。
───オレ様はそこいらの量産型レプリロイドとは違うんだからよおッ!!
走る速度は落ちない。今日もフットパーツの調子は最高であるし、メンタルの状態も絶好調だ。全てが男の思うがままに事は運んでいる。
だが、彼は侮っていたのだ。かつて史上最強のイレギュラー・シグマと手を組み、イレギュラーハンターと真っ向から衝突し、それでもなお生き延びることができたあのセイバー使いを。その者がいかに強かで手練手管を用いる性分なのか、思い至っていなかったのだ。
その者とこの娘の関係を知る誰かが、もしも現在の状況を見掛けたとすれば、こう呟くはずだ。
……『あーあ。死ぬわアイツ』と。
男の足取りは軽い。繁華街を横道へ逸れ、自らの拠点として使っているビルを目指す。派手なイルミネーションは遠ざかっていき、人やレプリロイドの気配も徐々に薄まっていく。彼にとっては見慣れた暗い路地裏が続いている。
ここまで来ればひと安心だ。緊張を解き、ようやくスピードを緩めた。その分のリソースを思考に回す。
───本格的に動くのは明日だな。とっとと部屋に戻って……あー、この女はどうすっか。人間は専用の食事が必須なんだよな。エネルギー缶はダメなんだったか……めんどくせえ。しばらく放置してても死にゃしないだろ。つーか、これ生きてるよな?
ざっくばらんに考える。様子を伺おうと、右手で娘の頭を無造作に掴んだその時。
唐突に、なんの前触れもなく、至近距離で赤い光が閃いた。
「あァ?」
何かが駆け抜け、空気が素早く流動する。男の持つセンサーでは何が起きたかを把握しきれない。ぼとっ、と重い物体が落下する音が響く。
「……?」
発生した一連の現象がどういうことであるかを理解する前に、途中で断ち切られた自身の右腕が視界に入り込んだ。
滑らかな断面から赤黒いオイルが噴き出している。わずかに離れた地点には男の右手首が転がっている。
……誰かに斬られた。
───き、き斬られたぁ!? オレの手が、ああ……!?
攻撃を受けたことを認識して数秒後。男が驚愕の悲鳴を上げるよりも一瞬早く、近くの暗がりからゆっくりとレプリロイドが姿を表した。
「いやはや、驚きましたよ。私から彼女を奪い、あまつさえここまで逃げおおせるとは」
長身痩躯のボディとスマートな印象を与えるアーマー、片手には使い込まれたセイバーの柄。そしてその反対の腕には、気を失ったままの小娘がしっかりと抱えられていた。
「あ、アジール……!?」
男の腕を切り落とし、それに気を取られた隙に人質を奪還する。そんな早業を、このレプリロイド・アジールはやってのけたのだ。
───せっかくの人質が……。動きがはえーんだよこのクソッタレソードマンが!!
細められた赤いアイカメラを、男は憎悪を込めて睨み返した。
アジールの動きに最大限警戒しつつ、右腕へのオイル供給を停止させて痛覚を遮断する。キャリブレーターによって、腕を失くしたゆえに狂ったバランスが再調整される。もっと質の良いプログラムを手に入れられれば、こんなセルフチェックなど一瞬で終わってしまうというのに。
手元を抑えて後ずさる。全てが完了するまでの時間稼ぎに、男は声を荒らげた。
「てめぇ、いつの間に追い付いてやがった!?」
「教える意味がありませんね。貴方のその……あまりにも短絡的で愚鈍な思考プロセスでは、正解へ至ることも不可能でしょう」
小娘を抱えるアジールの手が静かに動く。髪から耳、首元にかけてを柔らかく撫でる。ピアスが揺れ、紫色の光を鈍く反射する。
それはあまりにも余裕過ぎる動きだった。警戒すらされていない。どう考えても完全に侮られている。舐められている。男の電脳の中で、爆発的に苛立ちが広がっていく。
怒りの赴くまま、男は銃器を取り出した。アウトローならば大体は持っているような、掃いて捨てるほど出回っている安価なサブマシンガンだった。
残弾の量は充分だ。換えのエネルギーパックはまだまだある。セーフティの解除すらも手間に感じながら、スライドを引き銃口をアジールへ向ける。
「フン、そうかよそうかよ。……てめぇはここで死ぬ。その後アーマーパーツ引っこ抜いてから、売るなり使うなりしてやる。頭をカチ割って経験値データごと戦闘プログラムを貰っちまうのも良いかもなあ? そうすりゃオレも凄腕セイバー使いになれるか? ヒャハハッ!」
「…………」
無言だった。挑発に乗らないとは、張り合いが無いことだ。内心で舌打ちをしながらトリガーに指を添える。何も返してこないのなら、本当に蜂の巣にしてやるまでだ。
バババババッ、と立て続けにエネルギー弾がバラ撒かれた。重い銃声が響き渡る。オレンジの閃光が点滅し、周囲の暗さを断続的に照らし出す。
一方のアジールは小娘を抱えたまま、瞬時に後方へと距離を取った。サブマシンガンの射程圏外へ素早く退避する。
建物の壁際まで飛び退いたかと思えば、ゆっくりとした手付きで娘を横たえていた。一体何なんだ。そのコワレモノでも扱うような動作は!余裕ぶりやがって!
嫌味なほどに丁寧で優雅な仕草を見せ付けられ、思考は更に昂ぶっていく。
「チッ……バカにしやがる……!!」
男は銃をしっかりと抱え込み、安定したバランスを取る体勢を作った。その間にアジールはこちらへ向かってくる。再びトリガーを引く。銃声が反響する。
「ッ!」
気合いの吐息。直後、ばしん!と鋭く弾くような妙な音が聞こえ始めた。ヤツの周りを赤い軌跡が走るたび、それは聞こえてくる。初めは少しずつ、やがて絶え間なく。連なった音はまるで電撃のよう。
射出された弾丸がボディを穿つよりも速く、アジールは自らのセイバーでそれをはじき飛ばしていた。ぶつかり合ったエネルギーが相殺され、弾は力無く霧散していく。
「はあぁぁ!? おいてめっ、ふざっけんなよ!?」
たかがセイバーひとつでサブマシンガンの掃射を防ぐなど、そんな曲芸などされてたまるか。
男は慌てて後ずさった。否、まだまだ残弾はある。少しでもスキを作らせれば、アーマーに風穴を開けてやれば。まだヤツを倒す手段はある。
後退し、位置を変え、時には動き回りながら弾幕を浴びせる。だがその度にアジールは、ことごとくを完璧な精度で防いで見せた。
あの澄ました表情で、一部の狂いもなくセイバーを操作している。ならば無防備な小娘を先に肉片にしてやろう……そうして銃口を向けても、すぐさま射線にヤツが割り込んでくる。やはり結果は同じ。弾丸が、一発も命中していない。
「この茶番、まだ続けるおつもりですか?」
心底詰まらないとでも言いたげな、冷ややかな声だけがはっきりと届く。
やがてエネルギー残量が残り僅かになった時、男の苛立ちは最高潮に達していた。
「ああああああ!!!!クソッ、クソが!!死ねえ!!殺す!!殺す!!今すぐ鉄屑にしてやる!!舐めやがって!!」
「ハァ。……勝てぬ相手を前に殺気立つのは仕方ありませんが、強い言葉を連呼するのはあまりお勧めできませんね……。脆弱、虚勢に見えますよ」
その冷静さは、絶対的な強者の持つものだった。それが更に、男の中のプライドを引っ掻き回し、薄い紙のように斬り裂いていく。荒ぶった感情に思考を圧迫され、いつの間にかトリガーから指が離れていることにも気が付かない。
「うるっっっっせえんだよ!!スカしたツラで見下しやがって!!そのお綺麗な言葉遣いにも反吐が出るわ!!今日こそてめぇをブチ壊して地面舐めさせて、ついでにそこの女を傷物にして売っ払って―――」
「……✕✕✕✕」
「っ…………は……?」
男は驚愕して身を強張らせた。なにせ、澄ました笑みともったいぶったお上品な口調をデフォルトとするこのアジールが、酷く口汚い罵り言葉を吐き出したのだ。
ぞわり。センサーでは感知しきれない何かが、男の感覚器官を駆け上がった。神経回路を刺激するシグナルが、目前のレプリロイドからの逃亡を推奨している。
───? な、なんだ?ヤツの雰囲気が……?
「ふむ。五月蝿い小物一匹、見逃してやってもよいと思っていましたが……いささか度が過ぎるようだ」
警鐘が鳴り響くような、そんな幻聴が聞こえた気がした。
息を呑む。こちらを潰そうとするかのような強い威圧に囚われ、指一本動かせない。
「貴方の命運は今確定しました。……愛おしい彼女の為にも、生かしておくことはできませんね」
言い切った直後、空気が重く変化した。威圧が殺気に取って代わり、全てが男へと集中する。
アジールがフットパーツを強く踏み込む。アスファルトにヒビが拡がる。
そうしたかと思えば、あっという間に距離が詰められた。対処もままならない状態で急接近される。あまりにも速い。俊敏、俊足という表現が生易しく感じるほどの瞬発力。落ちていたはずの塵や小石までもが衝撃で瞬時に舞い上がる。
圧倒的な能力の差を見せ付けられ、男は愕然とする他ない。
───ウソだろ!?
赤いセイバーの輝きが、歴戦の剣士たるイレギュラーの顔を凄惨に照らし出す。
男を射貫くアイカメラの奥底。静かに煮詰まった憤怒と、重たく底知れぬ何かの感情が拡がっている。狂おしいほどの激情、蕩けるほどの暗闇。この男には理解できないもの。
恐怖と畏怖が、男の電脳を蹂躙していく。脚がもつれ、逃げるための動作が疎かになる。
───な、なんだコイツ……!? こんなやべぇ
そこまで思考した直後、セイバーの刃が男を貫いた。胸元をエネルギーの塊が突き破り、オイルが派手に噴き出す。びしゃっと飛散する音が聴覚に届く。
動力炉が損傷した。アーマーは容易に貫かれた。
視界が真っ赤に染まり、無数のエラー表示に覆われる。ノイズが激しく吹き荒れる。あらゆる感覚が遠くなる。立っているのか?倒れたのか?それすらも判らなくなる。
───は、? なん、どうなっ、て、?
かろうじて働いていた男のアイカメラが、眼前のイレギュラーの姿を捉えた。
腹の立つ面構え。しかしあの澄ました薄い笑みではなく、凍て付いた無表情を作っている。
そんな顔をする理由を考える間も無く、アジールは片手のセイバーを大きく振り被り、男の頭部を狙って一直線に、
ぶつん。
……。
………………。
この男の敗因は、選ぶ人質を間違えたことだ。
レプリロイドであるこの男にとっては、人間など取るに足らない存在だ。人から作られた機械とはいえ、脆弱な生物などどうでもよいもの。機械にとってはただのタンパク質。ただの肉塊。そのように位置付けていた。
しかし、そうは思っていない者は確実に居る。己の認識はあまりにも極端で稚拙なものだと、男は気が付いていなかった。他者へ対する考えの至らなさが決め手となった。
胸に風穴を開けたボディと両断された頭部が、赤いオイルに塗れている。
物言わぬ鉄屑と化したレプリロイドを一瞥して、アジールは身を翻した。コレにもう用はない。
横たえていた彼女の元へと駆け寄る。ほつれた髪を軽く梳き乱れた衣服を整えていると、小さな呻き声が聞こえてきた。
「名無しさん、ご無事ですか」
「う……? アジール、さん……?」
両の目蓋が開き、ぼんやりとした眼差しがこちらへ向けられる。瞳の中には、拭い切れない疲労の色が見える。
認知機能は問題なく、バイタルは安定しているようだ。見たところ大きな外傷はなし。手荒く扱われていた様子を見るに、後々痣などにならなければ良いのだが。
アジトへ連れ帰って隅々までボディチェックをせねばならないが、とりあえず無事に取り戻すことができた。アジールはようやく、深く長く溜め息を吐き出す。
「あの者の暴挙によく耐えましたね。さぁ、帰りましょう。シャワーと温かい食事を準備しています。……バイオレンとサーゲスも心配していましたよ」
出来るだけ穏やかに声を掛けながら、彼女――名無しの体を助け起こした。
小さな人間の体は怯えて強張り、すっかり冷え切っている。失神していたことを考えると、あの男の行動は名無しの精神状態に相当の負荷を掛けていたのだろう。
今回の件は己の失態だ。名すら知らぬ、取るに足らない三下に一杯食わされてしまった。二人きりでの外出中であった為に気が緩んでいた、などと言い訳をするつもりはない。
彼女が身に付けているトラッカー付きピアスが無ければ、これほどスムーズな救出は困難だっただろう。より深刻な、取り返しの付かない状況へ陥っていた可能性もある。
アジールにとって、自らの行動原理に深く食い込み、今や必要不可欠とさえ感じている彼女―――それを目の前で奪われるなど、全くもって度し難い失態だ。
「あ、あの、アジールさん……さ、さっきの、レプリロイドは……?」
名無しの表情は硬く、声はまだ震えていた。不安げな声色からは攫われた恐怖がにじみ出ている。
あの男、もう少し苦痛を与えながら斬ってやるべきだったか。と、行き場を失った怒りがふつふつと沸き上がってくる。
アジールは己の額に手を当て、再度深く息を吐いた。怒りと後悔を一旦鎮める。今優先すべきは猛省ではない。
名無しの頭……男が不躾に掴んでいた場所をそっと静かに撫でる。強張った頬に、傷を付けぬよう慎重に触れる。
「無力化しました。もう襲っては来ませんのでご安心を」
「……良かった。……ありがとうございます」
安堵の言葉と溜め息、ふわりと浮かぶ淡い笑み。名無しの片手が持ち上がり、頬に添えられていたアジールの手に触れてくる。彼女の全身から、緊張と不安が少しずつ溶けていくのが感じられた。
様子が落ち着いてきた頃合いで、アジールはその体をゆっくりと丁寧に抱え上げた。
「少し眠ると良い。お疲れでしょう。……後のことはお任せ下さい」
「すみません、……よろしくお願いします」
先刻よりもいくらか回復した顔色で、腕の中の名無しは再び微笑んだ。
それを見ているだけで、金属とプログラムとあらゆる人工物で構成されたアジールの内側の、判別不可能な箇所がほぐされていく。この満ち足りた感覚は何物にも代えがたいものだ。
我々のような戦闘用レプリロイドが触れれば、たやすく壊れてしまう。小さくか弱く、なんと愛おしいことか。
同じレプリロイド、同類のイレギュラーであっても、あの男の未熟な思考プロセスでは永遠に理解できぬ感情であっただろう。……特に理解してもらおうとも思わないが。
そんなことを淡々と思考しながら、アジールは名無しを伴って帰路についたのだった。
(終わり)
※Cyan様、またもやレイアさんをお貸し頂きありがとうございました!(鯵さん無双シーン書いてて楽しかったー!)
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