エトセトラ
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朝七時、セットした目覚まし時計が鳴るよりも早い時間の出来事だった。
『おはようございます、ナオトさん。朝ですよ』
上品で柔らかい声が聞こえて、私は目を覚ました。
心地良い眠気に負けて、今はとりあえず寝たふりをしてしまう。ゴソゴソと寝返りを打ってから布団をしっかりと被り直す。
目を薄く開けると、部屋の中の風景が飛び込んでくる。カーテンの掛かった窓が見える。気に入って買った水玉模様の布地が透けて、柔らかい朝の日差しが薄暗い部屋の中をとてもイイ塩梅に照らしていた。
ふわふわした頭の中で今日の予定を思い出す。
今日は休日。学校もバイトもお休みの日。お父さんもお母さんも朝から仕事のはずだから、早くに起きるのは正直億劫で、どれだけ寝ていても大丈夫だ。
そのはずなのに、聞こえてくる声は楽しそうに起床を促してくる。
『ふふ、起きていますよね? 寝たふりをしても解りますよ』
「……」
『今日は休日ですからね、怠惰な睡眠欲に負けてしまうのも仕方のないことでしょう。人間の三大欲求のひとつともなれば、それはそれは耐え難いものなのかもしれません……とはいえ私はヒトではありませんから、その心境をシミュレートすることしかできないのが残念ですね。ぜひヒトであるナオトさんに教えて頂きたいものです』
「……」
声はまだまだ語りかけてくる。話すことそのものが楽しそうだ。と、いうか私が相手をしなくても一人で延々と喋っていそう。
『……そうそう。メールボックスに素敵なダイレクトメールが入っていますよ。期間限定セール、クラウドストレージサービスのお知らせだそうです』
「……」
『一番大きいストレージの20%OFFクーポン付き。これに申し込んでデータを移動させれば、このパソコンの中身もだいぶすっきりしそうです。私がお邪魔していますから少々手狭ですし、物が多いとなにかと動きづらいですからね。早々に購入して、ここの片付けをしてしまいましょう……では早速ナオトさんが日頃使っているクレジットのナンバーを、』
「ちょちょちょ、ちょっと待ってぇぇえ!!?」
なんということをしてくれているのでしょう。勝手に変なサービスに申し込まないで欲しい。それは親のクレジットだしいつの間にそんな情報を手に入れているの!?
私は思わず布団を跳ね除けて、ベッドから飛び起きてしまった。
向かう先は机の上のパソコン。その二七インチモニターに大画面表示にされている、人っぽい姿。
ちょっと小柄でエキゾチックな雰囲気の外見。正直、男性なのか女性なのかいまだに解らない。全部が中性的で上品だ。
三日月型をした桃色の謎オブジェクトが動きに合わせてふよふよしている。褐色の肌に、金色、黒色、白。バランス良く配色された不思議なデザインの人型アバターが、上機嫌に微笑んで私を見た。
『おはようございます、ナオトさん』
「ななな、何をしているんですか!?セレナードさん!? あああ、ひとのクレジット勝手に使わないでくださいぃ!!」
『あれはちょっとしたジョークですよ。ユーモアセンスというものです。家主相手にそんなことはしませんよ』
「ほ、本当ですか……!?」
『ふふ、慌てん坊さんですね。信じてください。……私とあなたの仲じゃないですか』
「あのですね、私達って出会ってひと月くらいしか経ってないんですよ!? 今はまだ信頼構築の段階では……?」
『あらあら。出逢って、だなんてそんな……運命的で詩的、素敵な表現ですね……』
「ひとの話聞いてます!?」
…………。ああ言えばこう言う。凄まじい存在だ。
このひとの名前はセレナード、というらしい。高性能な対話型AIだ。……たぶん、恐らく。とにかく最近流行りのやつだと思う。
というのも、私がこのひとみたいなAIを他に見たことがないから解らない。
2026年の現代において、科学技術の進歩は目覚ましいもの。パソコン、タブレット、スマホ、AI技術、スマートデバイス、VR、スマートウォッチ……うんたらかんたら。色々。他にもたくさんあるけれど、きっとそういう最先端技術のひとつ。
もしかしたらvチューバーとかいうアレで、3Dアバターの向こう側に誰か人間が居て、何かのドッキリ企画に巻き込まれているのかも……と思ったことがある。でも、ネットの接続を切ってみたのにこのひとは何の問題もなく起動しっ放しで、今みたいな会話のやり取りもスムーズにしていた。……ということは、中には誰も居ない。そうなると、やっぱり対話型AIなのだと思う。
『あぁ、先ほどのダイレクトメールですが、ウイルスが添付されていました。デリートしておきましたのでご安心を』
「へ?……はぁ、ありがとうございます。もぅ、マジで申し込んじゃうかと思いましたよ」
ウイルス駆除? そういうのってパソコンのセキュリティソフトが自動でやってくれるものだと思っていたんだけど、最新型はそういうこともしてくれるらしい。頼もしいと言えば頼もしい。
『ふふ。本当にほんの冗談ですよ。リンク先がフィッシングサイトへ誘導されるタイプでしたから……フリというものです』
口元に人差し指を当てて、茶目っ気たっぷりにウインクをされた。上品で綺麗なひとがやると、とってもサマになる。
そんな感想を思い浮かべつつ、またお礼を言ってから私は仕方なく起床することにした。この勢いだと二度寝は許してくれなさそう。厳しい。
彼?彼女?と出会ったのは一ヶ月くらい前のとある日。
なんだか解らないけれど、スタンバイ状態にしていた私のパソコンが急におかしくなった。原因不明の熱暴走とブラックアウトを繰り返し、対策をしてみたもののにっちもさっちも行かなくなってクリーンインストール。OSを入れ直し、アプデをしてようやく動くようになり、ほっとひと息。さてネットの再設定も済んだし退避していたストレージの中身を戻して……と、した時。
パソコンの中に居たのだ。このひとが。
“……ここはどこでしょう? あなたは何者ですか”
本人にも、どうして私のパソコンに繋がってしまったのかは解らない様子だった。
あのときは随分と警戒した表情をしていたのに、今となってはなんだかすごく寛いでいる。
「……不思議だなあ……」
用意した簡単な朝食を目の前にして、私はとても小さく呟いた。マグカップに注いだカフェオレを飲みながら、パソコンの画面をぼーっと見つめる。
なんというか、多忙な日々を送っていた仕事人が、自由気ままなバカンスをゲットできた!ラッキー!と喜んでいるかのように見える。
だって今だって、パソコンのVRコンテンツ(私が趣味でインストールしてたやつ)の中で、お洒落なテーブルに掛けてティーカップを傾けている。
すごい。どんなPCソフトにも互換性があるんだなぁ。……というかそんなVRアイテム、買った記憶ないんだけど……。
「……AIが、仮想空間で紅茶飲んでる……。お、美味しいですか?」
『残念ながら、これには味覚情報の設定まではされていません。そこまでの技術はないようですね』
「な、なんでわざわざ飲むモーションを……?」
『気分転換です。真似事でもなかなか楽しいですよ?』
優雅な微笑みと共に、真っ白なカップが揺らされる。まるで、仮想空間で実際に紅茶を飲んだことがあるかのような物言い。……最近の対話型AIってすごい。やっぱり技術の進歩は目覚ましい。
手元のカフェオレをごくごくと飲む。朝食のトーストをかじりながら、画面の中のセレナードさんを眺める。……本当に大変な美人さんだ。とっても緻密で丁寧で、きれいな作りの3Dモデリングだと、このひとを見て思う。動作ひとつ取ってもそう。何かもがあまりにも自然すぎて、本当に人格を持っているみたい。
こんなに高性能だと、私の想像も付かないくらいそれはそれは複雑怪奇なプログラムで構成されているんだろう。そもそも、このひとのデータ容量って……。
というか、セレナードさんについて前から調べてはいるのだけど、情報なんてちっとも出てこない。
どこのメーカーの製品なのかも解らないなんて、そんなことある?
「うーん……あ、あれ? あれぇ……????」
『? どうしました?』
キラリとしたオニキスの瞳が、仮想の世界から私を見詰めている。その視線の中には、面白そうなものを観察する好奇心が感じられた。私みたいな一般人を、全く違う立ち位置から俯瞰するような。人とAIという差ではなくて、もっと異なった存在の差というか……。なんとなくそういうオーラというか雰囲気を感じてしまった。
パソコン関係やITのことについて、特別に詳しいわけじゃないけれど、少なくともド素人というわけではない……と自負している。そんな私の中にも、このひとの雰囲気は引っ掛かるものがあった。
「そ、そもそもおかしくないですか……!? このパソコンの容量バカ食いです! セレナードさん、あなた一体何TBあるんですか? メーカーも解らないのに……やり取りは本物の人間みたいですよっ。本当にプログラムの存在なんですか……!?」
自分の中にある常識で予想して、なぁなぁで済ませていたけれど。ちょっぴりどころかかなり常識の範疇を超えている気がする。
画面……正しくはモニター付属のカメラへ、全力で疑いの目を向けてみる。相手にとっての“眼”はこれだろう。ちなみに“耳”は同じく付属のマイクだ。
セレナードさんはティーカップを置いて一息ついた後、すっと表情を引き締めた。リラックスした様子と楽しげな好奇心が鳴りを潜める。何から言うべきか、と冷静に考えを纏めているようだった。
『そうですね。以前も言いましたが、私はこの時代の人々が言う『対話型AI』ではないのですよ。……ネットナビと呼ばれる存在です』
「あ、そこは少しだけ……前に聞いたような?」
『はい。この時代よりも、技術が発達した未来から私は来たのです。……確か、こういった詳細はお話していなかったかもしれませんね』
「み、みらい?」
『ええ。……どうしてこの時代に流れ着いたのかは定かではありませんが―――』
―――あの日、拠点としていたネットのエリア内に襲撃者が現れました。これでも“裏の王”と呼ばれていますからね、この程度は日常茶飯事です。
相手は案の定フォルテ……顔見知りのナビでしたが、思ったよりも大きな戦闘になってしまいまして。いつも通り私が優勢だったのですけれど。
イライラしていたのでしょうか? 彼、それはそれはもう駄々っ子のように大暴れで……あ、もしかするとロックマンに負けた直後だったのかもしれませんね。ちょっとマントもいつもよりぼろぼろというか、ダメージ感多めだったような。……だからといって八つ当たりで私のところに来られても結果は見えていますが……。さすがに困惑してしまいました。
すぐに迎撃完了であっけない……と思いきや、フォルテの最後の一撃でエリア一帯が崩落し、不意を突かれる形で情けなくも巻き込まれてしまいまして―――、
『気が付けば、ナオトさんのパソコンの中に転送されていたのです。このように』
「このように」
………………………………この、ように?
……………………。
…………コノヨウニ。
「なる、ほどぉ……。えー、と……そういう設定でしたかぁ……ホント、最新型AIってロールプレイもお手の物なんですね。ゲームのあらすじかと思いました」
『………』
未来から来ましたってところも含めて、もうちょい設定は削ってシンプルにしたほうが解りやすいような……盛り過ぎでは……?と思ってしまった。
戦闘っていうのは、具体的にどういう……?セレナードさん細っこいけどステゴロできるのかな……。
あとウラノオウってなんだろ?ろっく?ふぉるて?うんんん?このひとみたいにすごい最新型AIが他にも居るってこと?
アニメや漫画でよくあるように、どっかの研究所や大企業から勝手に抜け出してきたハイスペAIってこともあるのかな……!?
こうなると、製造元がやっぱり気になる。こんなに手の込んだAIだから、きっととんでもない社外秘だ。
天に任された京都の老舗メーカーか……遊びとステーションな青い家電メーカーか……。それくらいしか思い付けない。もしかしたら、かじったリンゴマークの海外メーカーかもしれない。なるほどなるほど!そういうことかも!
私はウンウンと一人で頷く。
「大丈夫です!なんとなく解りました。……最先端技術で作られていて、未公表でトップシークレットの存在だから、ただの一般ユーザーには詳しいお話が出来ないってことですね!」
『……』
言いたくても言えない企業秘密の存在だから、こんなゲームみたいな説明しかできないのかも。
そうであれば私もあえて踏み込んだりはしない。そうこうしているうちに、どうせ新情報が発表されるだろうから。
私のパソコンに来てしまった?繋がってしまった?のは偶然とはいえ、フラゲは他のユーザーから嫌われるし、企業から訴えられたりするかもしれない。これ以上詮索はせず、騒がずに大人しくしておくのが一番良いと思う。
『んん、なかなか……この複雑な事情を解ってもらう、というのは難しいものですね……』
「いえいえ、そんなことないです!」
困った顔で笑いながら、呟く声が届く。大変に説明しづらい状況だということだけは理解できたので、たぶん問題ないはず。
とりあえず話を合わせてみることにする。
「未来から来た(設定)ということは、セレナードさんにとってこの世界は過去ってことですよね」
『え、ええ。そうなりますね』
ちょっと微妙な表情をしたセレナードさんが、律儀に相槌を打ってくれる。
「現代というか……現実の街とか人混みとか、私のような普通の人間の生活とか、もしかしてあんまり見たことないのかなって思いまして」
『そうですね。このパソコンからでも情報は得られますが、元の時代でも、人間達の営みはそれほど身近ではありませんでした』
多忙でしたから。と苦笑しながら付け加えられた。
なるほどなるほど、と腑に落ちる。やっぱり、込み入った身の上だからこそ、バカンスだラッキー!というノリで今を寛いでいるのだろう。しがらみと責任から解き放たれたみたいに。
となれば、私にできるのはそのバカンスをもっと楽しんでもらうことくらい。そして今日は、おあつらえ向きにお休みの日なのだった。
「どうでしょう。せっかくですから、これから外出してみませんか?」
『外出?といいますと……』
私の突然の提案に、セレナードさんは少し驚いたみたいだった。
確かパソコンのソフトとスマホアプリは同期できたはずで、スマホのカメラを使えばセレナードさんも外の様子が見られる。
ずっとこのパソコンとネットの世界だけに留まっているというのは退屈かもしれない。人っぽいAIであるならなおさら。
「カメラ越しでも、ネットに転がってる情報を見るだけよりは臨場感あるはずです。どうですか?興味ありません?」
最近の人達は、スマホを片手に生きているようなもの。気軽に通話するし、気軽に写真だっていっぱい撮る。ネットに共有する。街並みも空の様子も、立ち寄ったお店の食べ物も、記録に残す。
だから、私がスマホを持ち歩いて街案内していたってみんな気にも留めない。喋っている相手がAIだなんて解るはずもない。
「パソコンの外に一緒に行きましょうよ!現実の世界です!」
『……外、ですか』
セレナードさんは、ちょっと複雑そうな顔をして視線を逸らす。それからしばらくして、ふっと目元を緩めて柔らかく私を見詰め返してきた。ほころんで弧を描く唇はすごく優しくて、嬉しそうで。
『ナオトさんのそういう部分には、少し……助けられている気がします……。ええ、ぜひ、連れて行ってください』
また少し、私の中で引っ掛かるものが感じられた。このひとから垣間見える好奇心の中の何か。見守られているような、慈愛のような何か。そんな感情を持てるくらい、それほどまでに高性能なAIなんて、現代であり得るの?
また疑問が通り過ぎて、でもそれ以上は触れないことにした。
未来から来た存在、企業秘密の最新型AI、どちらであってもあんまり重要には感じなかった。私にとって無害であり、気楽な話し相手になってくれるなら仮想空間の同居人も悪くない。技術の進歩、スゴイです!
「では決まりです!さっさと片付けて支度しましょう!」
私はにっこりと笑顔を向けながら、さてどのルートで観光案内しようかな……と考え始めた。
…………。そしてその後。
「でもですね、結局スマホにシームレスに移動できたってのはどういう仕組みなんですかぁ!? まるで
『っ、ふふふ。本当に、ナオトさんは楽しい方ですね……!』
外出直前。とっても楽しそうないたずらっぽい微笑みを目の前にして、本当に謎は深まるばかりなのであった。
(終わり)
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