もしあの時彼女が起きなければ。
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“ナオトを起こしてくれ”
そう願った直後、僕以外に誰も居ないはずのこの部屋の中が瞬時に真っ暗になる。天井の照明、ホログラムモニター、ここにあるあらゆる精密機器達が息絶えたように沈黙した。僕に備わる全てのセンサーも一瞬だけ途切れる。何も見えず、聞こえず、感じられない瞬間。
暗闇と無音に包み込まれ、しかしすぐに全てが復旧した。ダークエルフが効力を発揮した故の余波だった。さながら、現実が闇に蝕まれていくよう。
この部屋―――メンテナンスルームの真ん中に、ナオトは静かに横たわっている。何度再起動を試みても意識が戻る兆しは現れない。たくさんのケーブルに繋がれて停止している姿は、今にも死んでしまいそうに思えて痛ましい。両瞼だけが薄っすら開きかけていて、それが更に僕の中の焦燥感を煽り立てていた。
今だに無反応。大きな変化は見られず、メインシステムが汚染された様子もない。すぐ真横のモニターが表示するバイタルにも異常はなく、動力炉の動作状況とエネルギー反応を淡々と表示している。全ての数値が低い値のままで、休眠とも覚醒ともいえる曖昧な状態を示している。
何も起きなかった?まだ様子を見ておくべきか?しかし、さっき確かに…………、
「……ん、」
小さな、小さな声を拾った。僕は慌てて周りへ視線を巡らせる。今この部屋は人払いをしているのだから、このタイミングで誰かが入ってくることはない。だとすれば、声の主は一人しか居ないはずだ。
「……こ、……ぉ……?」
ぼそぼそと囁く声がする。
「……っ!!」
聞き覚えのあるそれは、ナオトが眠るベッドの反対側から聞こえてきた。―――どうやら、願いは叶えてもらえたのかもしれない。緊張が少しずつ解けていく。
「あぁ……良かっ、た……っ、…良かった……!」
僕は胸の内に蟠るたくさんの感情を呑み込んで、床の上でうずくまっている人影に駆け寄る。しかし姿を視界へ入れて、僅かに体が強張ってしまった。不穏な感覚が過ぎる。
ずっとずっと焦がれていた懐かしい少女がそこに座り込んでいる。透き通るような淡いエネルギーを纏い、背中の細い翅を震わせる姿はまさにサイバーエルフそのものだ。
だけどその体には、闇色と独特の意匠が纏わり付いていた。体中を覆い尽くすような暗い色彩は、知識ある者が見ればダークエルフゆかりのものだと簡単に思い至るだろう。
そんな闇色の中に、確かに彼女の形があった。間違いなく目を開けていて、周囲を見渡している。目を覚ましている……意識が戻っている。
ゆっくり動いた視線がこちらを捉えると、僕が感じた不安はどこかへ吹き飛んでしまった。茫漠としたその目が確かに僕を映し込んでいる。
「……おはよう、ナオト」
また君に会えた。嬉しくて嬉しくて、堪らなく口元が綻んでいくのが解った。
長い時間が過ぎてしまった。世界は壊され修復され、時代は着々と進み、人もレプリロイドも変化した。僕の在り方も様変わりしてしまった。話すことはたくさんある。ありすぎる。
溢れる感情が言語中枢を圧迫し、声帯が勝手に震える。何から言えばいいのか分からない。
「―――あ、」
ナオトが何か言いたそうに口を開いて、それから閉じてしまった。音も無いまま頭部の天辺からノイズが広がっていき、その姿が細かくぶれる。僕は内心で焦ってしまったが、ノイズはすぐに治まった。
その視線は動かないまま、ただじっとこちらを見ている。言葉に詰まってしまって黙り込む。
「きれ、い」
「……?」
「き、きみの、いろ、すき」
揺蕩うような様子に戸惑ってしまう。話し言葉と表現するには妙につっかえ気味でたどたどしい、舌足らずな単語の羅列。
薄ぼんやりとした表情と、光の入らない双眸が僕を見ている。
「ナオト……?」
「わたし、……きみ、……すき」
「な、何を、……言って……、?」
話は噛み合わない。思わず薄い肩を掴む。揺さぶりたくなる衝動を何とか堪えて、声を荒らげた。
「しっかりしてくれ! 僕だよ、エックスだ!」
「そら、……あおいろ」
淡々と呟いて、とても緩慢に瞬きが繰り返された。
様子がおかしい。視線はただ合っているだけで、僕を僕だと認識していない。違う。違う。何かを掛け違えている。
起きてるのに。なぜ。これは、
「……ねむ、たい」
「っ!?」
思考が混乱に突き落とされた直後。ナオトの体の力がすっと抜けたのが解った。瞼が閉じられて、髪がこぼれ落ちていく。傾いだ体を咄嗟に抱き留めた。温かさは無く、かと言って冷たくもない。人形のよう。
感情が大きく軋んで、背筋を冷たいものが下りていく。どくどくと動力炉が煩く喚き始める。
せっかく起こしたはずの意識が途切れてしまった。このままではまずい。正しく起動できたのか確認もできていないのに、切っ掛けを逃してしまいかねない。気が動転して、正常な判断力を阻害してくる。どうしよう、どうしようと今更ながら迷いばかりが思考を埋めていく。
ふと、聴覚が小さな吐息を拾った。気が付いてみれば、やたらと人間じみた動作で肩が上下している。ゆっくりとした動きだった。
「……すぅ……」
「…………ね、寝て、る……?」
呼吸なんて必須ではないはずなのに、とても穏やかな寝息を立てている。その仕草は、昔ナオトが休憩中に仮眠を取っていた時の姿と確かに合致していた。かつて何度も見ていて、今は記憶の中だけにある風景。見覚えのあるもの。
「……あぁ……」
深く溜息を吐き出した。意識が途切れて消滅する寸前なのかと思ったけれど、なぜか眠ってしまっただけのようだ。束の間、胸を撫で下ろす。ナオトの体をそっと抱き締め、どうにかこうにか気を取り直した。
最初の段階はクリアできた。問題はここからだ。先程のあの様子では、残念ながら記憶までは呼び起こせていない可能性が高い。もし仮に、彼女の頭の中から全ての記憶が消えてしまっていたとしたら……今はそれを考えたくはなかった。
次に目を覚ました時に、落ち着いて経過観察をしていかなければならない。
「もう少し……もう少しだよ」
ここまで来れば、あとは何とかなるはずだ。彼女の中身をサイバーエルフとして起動させて、それを呼び水にボディを再起動させる。道程は困難かもしれないが、実現してみせる。
不意に、腕の中のナオトの体が空間に溶けるようにほどける。驚く間もなく見慣れた少女の姿は掻き消え、そこには光の粒子を集めた球体が音もなく漂っていた。
中央の光を囲むように二つの細い輪が交差していて、それらがゆっくりと回転している。余剰エネルギーが煌めきながら零れ落ちていて、さながらお伽噺の妖精のよう。小さく輝く儚いそれは、紛れもなくサイバーエルフの姿だった。
その光球を両手でそっと掬い上げる。―――これが彼女の魂……どんな手段を使っても、必ず守り通さなければならない。
僕の部屋へ連れて帰ろう。あの外観ではどうしても悪目立ちをしてしまうから、誰の目からも隠しておかないと。
「んむ……」
呼吸をするように明滅をして、微睡む寝言のような声が聞こえてくる。そこでようやく、強張っていた自分の表情が緩んだ気がした。
すぐ横に寝かされたままのナオトのボディへと視線を向ける。モニターには異常はなく、起きていない、死んでもいない現状が表示され続けている。中身は空っぽだ。
「絶対に元通りにする。だからどうか……許してくれ」
手元で眠る電子妖精と、虚ろな目をして横たわる彼女のボディへ向けて、僕はそう呟いた。
胸の内はまだ、苦しい。
“僕のこと、忘れてしまったかな?”
“……きみ?”
“何か覚えていることはある?”
“……おぼえて?”
目を覚ましたばかりのナオトは、表情も薄くて言葉も覚束ないものだった。手の中に収まるほど小さくなった姿は、消えてしまいそうな不安とずっと撫でていたくなる執心を感じさせてくる。こんな状態にしたのは僕なのに、それでもやはり愛おしいと思ってしまう。重い思慕と暗い罪悪感が募る。
それでも根気よく話し掛け続けているうちに、拙いながらもはっきりとした言葉と表情を浮かべてくれるようになった。意思の疎通がある程度成立できたことは、僥倖ではあった。
「げんき、ない?」
「いいや、問題はないよ」
「げんき、なぁれー!」
「……うん、ありがとう」
ナオトの経過観察は続いている。
イレギュラーハンターとして共に活動していた頃の面影は、もはや欠片も残っていない。自身の状態を本人は認識できてはおらず、自分が初めからサイバーエルフとして造られた存在であると信じ込んでいるようだった。
自らの名前を口にせず、僕の名前も呼んでくれない。それなのに、時折過去の記憶があるかのような挙動をしている。ナオトと呼べば反応する。
「ナオト、君は優しいね。そういうところは昔と変わらない」
「やさしい?いいこと?」
「……。すごく良いことだよ」
「んふふー」
中身の無い、表層をなぞるだけの薄っぺらい会話が続く。想いは正しく伝わらないし、想いがあることにも気付いてもらえない。
過去が混濁し、負の感情を削ぎ落とされ、しかしずっと嬉しそうな顔で僕に付いて回る。実際、最初に見た者が僕であったから、本当に刷り込まれているだけなのかもしれない。無邪気に笑っている様子は微笑ましいが、同時に行き場のない、胸が締め付けられる思いに駆られる。彼女がこんなにも欠落だらけになったのは、僕の独断のせいなのだとまた意識させられる。
けれど、なら……どうすれば良かったんだ?
「やっぱり、むつかしそう。おかお」
「少し、悩み事があってね。大事な子……いや、友達……かな、困ったことになっているんだ」
「おともだち?」
「……そう」
僕と彼女の関係を言い表す適切な言葉は思いつかなかった。こうであって欲しい、こうなりたいという希望があるだけで、まだ実現しているわけではないのだ。それを上手く伝える事もできず、曖昧に濁す。
ふと、僕の眼の前に浮かぶナオトが、首を傾げながら口を開いた。
「んー、うー? ……、たって。こっち」
「う、うん?」
瞬きよりも早く、小さな姿が変化する。僕と同じくらいの背丈、元々のナオトと同じ大きさに変わる。あの闇色に包まれた外見であっても、眼前の表情は明るく輝いている。
「むぎゅー」
「ぅ、あ、」
驚いて足元がよろける。文字通り、むぎゅっと効果音が付きそうな勢いで抱き着かれてしまった。……抱き着くというより、しがみつく、の方が正しいのかもしれない。彼女の纏うエネルギーが、煌めきと共に視界に飛び込む。きらきらしている。綺麗だと思う。揺れた髪が視線の端を掠める。昔のような暖かな温度は感じない。
ナオトが正常な状態であったなら、突然こんな行動はしなかっただろう。もっと言葉を尽くして何かを伝えようとしてきたはずだ。それが出来なくなってしまったから、言語が覚束ないから……だから、抱き着くという単純な行動で自身の気持ちを示そうとしたのだと思った。
乾いた嗤いが込み上げてきて、口元を引き結ぶ。だって、そうさせているのは僕だから。
「いっしょ、いるよ。だいじょうぶ」
「……」
どういう意図で、どういう気持ちで、どういう理由で、趣旨で、心づもりで、今その言葉を口にしたんだ。今の君の心を見たい。考えを知りたい。中身を解りたい。追求したい。問い詰めたい。曝け出したい。暴いてしまいたい。どうして、どうして。……思考の底にわだかまった感情が噴き出してきそうになって、でも押し留めてやり過ごす。
おそらく今のナオト相手にこんな問答をしても答えは返ってこないだろう。やはり、正しく伝わらない。
背に回った手が優しく撫でてくる。抱き締め返す資格は無い。甘んじて受け取りながら、二進も三進もいかない心境を憂う。