人工少年は幸福の夢を見る。
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会議の合間の休憩時間、僕は自らの執務室へと足を運んでいた。
窓からの明るい陽射しが差し込む室内で、ナオトはソファに座って携帯端末のホログラムスクリーンを見詰めている。テーブルの上にはペーパーの冊子が置かれ、側には空になったカップがあった。
現在のナオトの行動範囲はこの執務室か、彼女にあてがわれた自室、もしくはメンテナンスルームくらいになる。自由に使っても良いと伝えてあるおかげもあってか、よくここに来て同じ時間を過ごしてくれる。自室よりも窓が大きく、都市の景色を一望できるのがすごく良いと口にしていた。
僕の足音を拾って顔が上がり、柔らかい表情が浮かぶ。
「おかえりー。エックス」
「……うん、ただいま。ナオト」
その笑顔をしっかりと視認して、思考の内側と胸の奥の方がほんのり暖かくなる。ふわふわとした心地良さが沁み渡って、思わず僕の口元も綻んでしまった。……いいな、こういう感じ。ずっと噛み締めていたい。
ポーカーフェイスを作る必要もなく、腹の内を探られることもない。昔のままの懐かしいやり取りを嬉しく思う。
ナオトは端末をテーブルに置いて、その場から立ち上がった。部屋の隅の小さなキッチンスペースに駆け寄っていく。
「時間はある?何か淹れる?」
「ああ。今は休憩中だから……そうだな、コーヒーを貰おうかな」
「はぁい。お客様、お掛けになってお待ち下さいませ~」
カフェのウエイターのような調子で返ってくる返答に、思わず苦笑してしまう。大人しくソファに座って飲み物が用意されるのを待つ。
かちゃかちゃと食器が鳴る。ポットを動かす音、コーヒーの香り、フィルターに湯を流す音。賑やかな会話が交わされるわけでもないのに、沈黙が苦痛に感じない。とてもとても心地良い空間だった。
そんな居心地の良さと彼女の優しさに甘えて、暖かくてふわふわとした刹那的な幸せに浸っている。……どうしても、抜け出したくない。
―――あれは……。
ふとテーブルの上へ視線を向ける。携帯端末のほうは僕が渡した物。そしてその横には冊子が置かれていた。
これはすぐそこの窓から見渡せるビルの群れ……この都市の案内が載ったフリーペーパーだった。マップとともに、主要な公共機関や交通網、商業地区、居住区が記されているパンフレットだ。この本部の一階ロビーにも置いてある、比較的どこにでも手に入るもの。……今は居住区の事について書かれたページが開かれている。
一方で、端末が表示している内容は街の治安に関する情報、戦闘型レプリロイドの募集要項……。
―――もしかすると、ナオトは僕の元を離れて別の所へ行きたいのかもしれない。
こんなものを読んでいるところを目撃してしまったら、考えつくことはそれしかなかった。
もやもやとした感情が湧き上がってくる。それらから視線を逸らした直後に、ナオトがカップを手に戻ってきた。
「お待たせ致しましたー。コーヒーでございます」
「……ありがとう」
硬質な音を立てて眼の前に置かれ、ミルクと砂糖が添えられた。すっと引き下がったナオトがそのまま僕の隣に掛ける。
それを横目で追い掛けてから、カップを取って黒い液体を揺らした。薄い湯気が残る温かな水面に、くすんだ青いメットと赤いクリスタルと、少し不機嫌そうな僕の顔が映る。
重たくて、疲れているような感情が乗った自分のアイカメラがこちらを見詰め返している。言いたいことがあるのにはっきり言えない中途半端な気持ちの切れ端が、自分の表情に無造作に貼り付いている。
ナオトの前でこんな顔をしていては駄目だ。
「……おいしい」
コーヒーを一口飲んでから、カップを戻す。すっきりした苦味とまろやかさが味覚を刺激して、喉元を過ぎていく。小さくため息を付いた。
「良かった。……お疲れさま」
隣のナオトがにこにこと笑いながらそう言う。端末を手に取って、またホログラムスクリーンへ目を向け始めた。
腰掛けた隣同士、少しだけある空間を埋めるように体勢を変えて、体を寄せる。あとほんの数センチで僕の片手が彼女の手に触れてしまう……くらいの隙間を残す。それから、自然な動作でスクリーンを覗き込む。妙に緊張してしまう。
誰かの携帯端末の画面を積極的に覗き見るのはマナー違反だろうけれど、ナオトは特に嫌がる様子もなく、むしろ見えやすいように向きを変えてくれた。
「どういうお仕事があるのかなって思ってね、見てるの」
「……外はまだ駄目だよ。動けるようになったばかりじゃないか」
真っ当な理由を出して、外出は許可出来ないと念を押しておく。ついこの前まで眠っていたのだから、それは当然のことだ。間違いなく事実ではあるが、僕個人としての本音ではない。
「うん、解ってるよー。まだ全快とは言い難いし……体もちょっと重たいからね」
「制御プログラムの最適化がまだなんだろう?それが済んだらまたデータを取らないといけないよ」
「んー、そっか。戦闘の時のやつも必要なんだっけ。まだまだお世話になっちゃいそうだね……うーん」
そう言いながら、ナオトは画面をスクロールしている。頻繁に切り替わるそれを少し離れて眺める。
また沈黙が降りてきた。先程のものとは違っていて、心地良さは感じられない。もやもやとした感情がまた湧いてくる。何かを考え込む眼前の横顔を見詰めながら、またカップを持ち上げる。黒い水面の僕が僅かに焦った顔をしていた。
なぜ焦ってしまうかなんて、そんな理由は解っている。……どこかへ行って欲しくないとか、こっちを見ていて欲しいとか、そんな駄々を捏ねているみたいな感情のせいだ。
半分程を一気に飲み干す。胸の内が緊張で重たくなる。なんと言い表わせば良いのか判らない。
恐る恐る、と言わざるを得ない口調で、心中を細々と吐露する。
「そ、の……ナオトは……」
「なあに?」
きょとんとした目がこちらを見る。その双眸に僕が映っているだけで、少し気持ちが和らぐ。
「…………ここで暮らすのは、嫌かな?」
持って回った言い方をしてしまって、視線を逸してしまう。『ここで』というべきか、『僕と』と言うべきかをとても迷って、やはり無難な方を選んでしまった。意気地無し。
「んん?……あ、もしかしてこれ?」
指差す先をたどる。開いたパンフレットには一般市民向けの居住区の話が記されている。
ナオトは慌てた様子で片手をぱたぱたと振った。
「丁寧に扱って貰えてるんだから、嫌なことなんて何もないよ!本当だよ!」
「……なら、良いんだ」
「あ、これはね、……えっと、外に興味がないわけではないから……」
何だか気まずい空気になってしまった。ナオトも困った顔をして、少し難しそうに言葉を濁す。
僕の迷いはあまり伝わっていない気がする。それで良いような、良くないような。手持ち無沙汰にカップを揺らす。
「今の時代がどういう感じになってるのかも知っておかないといけないでしょう?」
「それは、そうだけど……」
視線を落とす。煮え切らない表情が黒い水面に映っている。
「それに、わたし個人を贔屓にするのは、きみの体裁としては不味くないのかなって思ってて。きみが裏で悪く言われたり、わたしの存在が弱点にされたりとかしたら嫌だし。……こっちが寝ている間にすごい立場になってるじゃない。雲の上の人だよ!」
「―――」
雲の上。そうか、やはり彼女にはそう見えてしまうのかと、少し寂しく思う。あまりそんなふうに感じて欲しくはなかった。遠い存在だなんて思って欲しくない。
『そんなことは問題にさせない』『ここに居てくれ』どちらを言おうか考えて、結局どちらも言えずに飲み込んだ。
ナオトの言いたいことは解るけれど、僕は僕で譲りたくない気持ちがある。……まだ、それをはっきりと口にできる段階ではない。現状はとにかく先に、彼女の懸念している部分を解消してしまわなければならないだろうと考える。
「そんなに離れているとは、……僕は思わないよ」
コーヒーに視線を落としたまま、僕はゆっくりと手を伸ばす。ナオトの温かい指先に触れ、そっと重ねる。
本当はもっと違う形で引き留めたい。しっかりとした気持ちで伝えたい。
けれども、今の僕の地位相応に自由は無くなる。その現実を上手く伝える言葉はまだ思い付けなかった。
ネオアルカディアの統治者……これは僕が選択した道だ。これからの先、未来まで―――あるいは僕が壊れるまで―――隣に居て、同じ道を共に歩んでくれと伝えたとして、彼女はどんな反応をするんだろう。
おそらく拒絶はされない。でもそれは彼女が優しいからだ。時代に取り残された者であり、他に頼る宛もない。だから尚更今まで通り、僕の願いのまま本当に『付き合って』くれるだろう。
だがこれは望む結果ではないし、命令したのと大して変わらない。そして、良くも悪くも全てを『命令』すれば片付いてしまう立場に居る僕にとって、それは本当に嫌なことだった。命令して従わせるのでは、心まで動かすことはできないのだから。
だからつい、曖昧な形で引き留める台詞を口に出してしまう。今のように。
コーヒーを飲み干して、カップをテーブルへ戻した。初めは美味しいと感じたはずなのに、今となってはよく分からないまま中身は空になってしまった。嗜好品は貴重なのに、勿体ないことをしてしまったなと思う。
ナオトの横顔を盗み見ると、やはりまだ難しそうに何かを考え込んでいた。でも重ねた手は拒まれることなく、今だに彼女の温度を感じさせてくる。音もなく動いた温かい指が微かに僕の指先を撫でた。
「ね、エックスは……。えと…………、あの、」
ナオトは視線を逸して前を向いたまま、もごもごと言う。口元が少し動いて、しかし止まってしまった。歯切れの悪い言葉の真意が解らなくて疑問符を浮かべる。
「ん?なんだい?」
「うん…………な、んでもない」
薄っすらと、彼女の頬に朱が差していたのは見間違いではなかったと思う。……少し驚いてしまった。
また、二人で何ともなしに黙り込んでしまう。重なった手が、温かなその手が、僕の手を緩く握ったのが解った。その反応にまた驚く。
―――あぁ……やっぱりもう少し、……いや、今よりももっと、僕の本音を晒してもいいのかもしれない。
窓からの陽光に照らされるナオトの横顔を見詰めながら、静かにそう思った。
ぐずぐずと胸の内で、思考の中で燻るものがある。長い間ずっと消えなかったそれの正体を、僕は承知しているのだから。
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