もしあの時彼女が起きなければ。
Name change
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
****に怒られて仲直りをした日から数日経った頃。
「わたしのすがた……」
あの時の会話の中身に***は疑問を持っていた。物覚えの悪い頭であっても、なぜだかちょっぴり記憶の端っこに残っていたのだ。
その場でくるりと一回転して、自分の格好を見下ろしてみる。
ひと型の姿になった時の格好だ。手のひらの大きさであっても女の子の姿であっても、とても不思議な衣装になる。
データで構成された仮想のオブジェクトが、上着のように体を覆っている。手にも足にも包帯みたいにぐるぐる巻きになっている。それらは暗い色でぎざぎざとんがっていて、赤い縁取りや模様がある。
それに関して、初めはアーモンドのようで、涙型のような気もしていた。でもしばらく見ている間に目玉の模様に思えてきて、***は少し怖くなっていた。
****と自分以外、他に誰も居ない部屋の中。体をひとと同じくらいの大きさに変化させてから、上着の裾を摘んで首を傾げる。休憩をしていた****が、少し驚いた顔をしている。
「急にどうしたんだい?」
「あの、あのね……この、およふく。しらない、わからない、の。このもよう……ちょ、と、こわい」
「……」
その瞬間、****は笑わなかった。いや、表情の形そのものはいつものように微笑んでいる。静かに光るアイカメラだけが、確かに笑みとは違う種類の何かを宿していた。
「……それはね、君が今の君であるために必要なものなんだよ」
「いまの、わたし?」
「そう。『それ』が、君を『そういうふう』にしている」
「んん?」
ゆったりと言い聞かせられる言葉は、難しくてよく分からなかった。
****にとって、聞いてほしくなかったのかもしれない。言いたくなかったのかもしれない。今の***というのがどういう意味を指すのか、想像も付かなかった。
でも***は、この格好があまり好きではない。ぎざぎざよりも丸っこい方が好きだし、色はもっともっと明るいものが良い。
「およふく、きみのいろのほうがいい」
「僕の?」
「ん。そのいろ、いっぱいすき。おそらのいろ、きれい」
綺麗なものは好き。そしてその空の色は一等好きなものだ。そういう気持ちを伝えたかったのに、****は薄っすらと悲しそうな表情を作ってしまった。
「ごめんね、僕のこれは綺麗ではないんだ」
「どうして?」
「君が知らない間にもたくさん、覚えていられないくらいの同胞を壊してきたからね。汚れてしまっているんだ」
「んー?ん?……そんなことない、だいじょぶ!きれい!」
なんだか悲しい話になってしまった。****にとってはあまり好きではないことだったようだ。
また笑顔でいて欲しいと考えて、励ますための言葉を一生懸命に考える。何かを思い付く前に、****が先に声を上げた。
「ねえ、君は……僕のことを嫌いにならないでいてくれるかな?」
「どうして? ならないよ!とってもすき!」
「……ありがとう」
***の目の前まで歩み寄ってきて、ゆっくり手を伸ばしてくる。両手で頬を優しく撫でられる。
***の知らない何かを思い出して重ね合わせて見ているようだ。
「?」
今みたいに大きい状態の自分は、****より少し小柄なくらいの背丈だ。だから顔も表情もよく把握できるし、****がいつもよりずっと元気そうな雰囲気になる。今みたいに頬を撫でてくれたり、しっかりぎゅっとしてくれたりする。
でも、常にこの姿をしているわけにはいかない。うっかり誰かに見られてしまうかもしれないし、声を聞かれてしまうかもしれない。
他の人に姿を見られてはダメだと、****に言われているのだ。
****はアイカメラを伏せながら、躊躇いがちに口を開いた。
「君は、今とは違う状態の自分とか、昔のこととか……考えることはできるかい?……何か思い出したことは?」
急にそんなことを言ってきた。思い出す?昔のこと?……なんだろう?この前に見せてもらった昔の映像に関係することだろうか?
「いまのわたし、ダメ?」
「いいや、駄目ではないよ。前にも言っただろう?居てくれるだけでいいんだ」
言いたいことを理解しきれないまま、こてんと首を傾げる。
「……でも、」
****の表情にまたじわじわと影が差していく。アイカメラの輝きが薄れて、笑顔もどこかへ沈む。大きな何かが、****の楽しい気持ちを邪魔しているようだ。
その変化について行けないまま、次の言葉を待つ。
「……でも君には、本来の状態できちんと目を覚まして欲しかった」
「きちんと?」
「そう。だって今の君は、」
見詰めてくるアイカメラが、酷く寂しそうな色を写した。悲しくて悲しくて、まるで雨が降る直前の曇天のよう。太陽も見えない、光が届かなくなった暗い空だ。
「……欠落が、あまりにも多い」
「けつら……?」
どういう意味だろう。ダメではないのにダメだなんて、奇妙なことだ。
話が難しいものになっていって、更に首を傾げてしまう。****がまた手を伸ばして、頭をゆっくりと撫でてくる。優しくてとても嬉しい。
「君は、自分の名前を言えるかい?」
「……なまえ」
名前? それはいつも****が呼んでくれてい…て……?……えっと……いつも、何て呼ばれていたかな?
そこの部分だけがすっぽりと抜け落ちていて、初めから何もなかったみたいにまっさらだ。思い出せないまま、問い掛けられた言葉をおうむ返しに口に出し続ける。
頭を撫でる手が、後ろの髪をさらさらと梳いていく。翳った****の表情が、微笑んでいるのに泣きそうな表情に変わっていく。
嬉しくて楽しかったはずの気持ちが、あっという間にしおしおと枯れていく。
「君が会いたがったあの赤いレプリロイド、赤い人の名前は?」
「え?」
頭の中が、凍り付いたみたいに動かなくなる。フリーズしてしまう。あれあれ?いったいどうしたんだろう?
「僕の名前を、覚えている?」
「―――あ、」
とうとうなにも解らなくなって、なにも言えなくなった。伝えたい言葉も気持ちも浮かんでこない。頭の中がしぃんと静まり返って、まるで凪いだ水溜りのよう。揺らめくように、全身にノイズが走り始めたのが見える。
?? エラー。これは深刻なエラーだ。何かがシステムの動作を妨害していて、メモリーへのアクセスが上手くいかない。だから記憶が参照できない。
「ん、? αア、Ah、ぁ、―――¿ 」
音声に雑音が混ざる。認識できない。思考が働かない。言語中枢が機能不全を起こしている。けれども電脳及び生体脳への接続経路が完全に遮断されたわけではない。まだ繫がっている。ならばここに居る自分は何?―――わたしは、わたしの体は、どこ?どこにいる?
「……本当に、本当にごめん」
****の手が、力が抜けたように滑り落ちた。項垂れて、下を向いて、すごくつらそうな顔をしている。
どうしたら良いのか解らない。苦しい顔をしないでほしいのに、そうしようと思えば思うほど、なぜだか悲しませてしまう。
ノイズはまだ纏わり付いている。フリーズした頭が、何もできずに成り行きを傍観している。
「僕は間違っていた。この方法は正しくなかった。エゴだった。こんな状態を望んでいたわけじゃない。だいすきとか閉じ込めたいとか、そんな我儘を言える資格はないって、本当は解っている」
「―――」
「君を、そんなかたちに歪ませたかったんじゃないんだ。……ただ、本当に、僕は君が、目を覚まして、くれる、だけで、」
「―――」
震える声といっしょに、ぽたっと何かがしたたる音がした。磨かれた床の上に、水滴が落ちている。透明で、微かに光を反射している。びっくりしてそれを見下ろす。きらりと光った。
「昔のように、僕を呼んでほしかった、」
「―――、」
これは知っている。涙だ。人間が零すそれを、彼だけが流す。彼が泣いている。どきどきと、変な感じがする。
あぁそうか。いつか彼の中で感じた、悲しそうで謝り続けているあの気持ちは、わたしへ向けたものだったのか。と、突然に理解した。あれは懺悔の声だ。
―――わたし、は、
ごちゃごちゃとした纏まらない意識と、ふわふわと幸せしか感じない花畑の頭。その真ん中に、****の言葉が沁み込んでくる。透明な雫が落ちるのを目の前で見せられた途端、急にすとんと冷静さを取り戻す。
不思議な感覚がした。ついさっきまで何も解らなかったのに、ほどく為の糸口を探し当てた気分だった。
ずっと眠っていたような夢見心地と、微睡みから叩き起こされたような中途半端な覚醒感に呆然としてしまう。頭が冷えたような心地なのに、ずきずきとした疼痛が内側から響き始める。
今まで、わたしは何をしていたんだろう。わたしはどうしてこうなっているの……?
「あ、あやま、らないで。いいの。しあわせ、だから」
「ああ。今の君は、……幸福ばかりしか感じられないから、」
「ちがう、よ」
今の自分を伝えるべく、上手く働かない言語中枢を必死に動かす。思わず自分のこめかみ辺りに手を当てる。動かない頭が煩わしい。頭が痛い。
気持ちを形作るための言葉がどうしても足りない。口にしなくても伝わってくれればいいのに、現実はそうもいかなくて。
「おこして、くれて、ありがとう」
俯いていた彼の頬に手を当てて、そっと持ち上げた。上がった視線がぶつかり合う。驚きが浮かぶ。思い出した。思い出せた。忘れてはいけない大事な名前を。
「え、えっくす。きみの、なまえは、エックス」
無音の間に、息を呑む声と震える吐息の音。
目前の見開かれたアイカメラの奥で、するりと瞳孔が拡大する。
強く腕を引かれて抱き締められた。痛みを伴うほどに、苦しさを感じさせるほどに。そして、嬉しさを呼び起こすほどに。
「―――!!」
言葉にできないような、吐息のような、声なき慟哭が聞こえた気がする。でもそれに含まれているのは、さっきのような懺悔の感情ではない。
頭が痛い。ノイズが大きくなり、自分の姿を保てなくなっていく。剥がされていた意識が、巻き戻るみたいに本来の形に戻ろうとしている。暗い色と赤い縁取りと目玉模様がひとりでに溶けて、ノイズと一緒に消滅していく。結んでいた紐がほどけるようだ。
「ま、待ってくれ!ナオト、」
行かないで、と聞こえて、抱き締める腕が強くなる。
それでも眼前の青色が霞んで見えなくなって、プツンと視界が途切れて、あっという間に全部が消えて―――
―――体験した一連の出来事がどういうことなのか、やはりわたしには良く分からなかった。ただ、元に戻されたのだとなんとなく解った。
視界が開かれて、全く見慣れない天井を映す。ふと気が付けば、やはり以前のように背中のケーブルを鬱陶しく感じた。
「あ、の、……せ……外し、て……下さ……」
「あっ!?えっ!?ナオトさんっ!?」
たまたま近くに居たひとに話しかけてみても、自分の喉から酷い掠れ声が漏れていく。これでは上手く伝わらない。
それでも瞬きを繰り返すと、前よりも多少は体が動かせることに気付く。身動きが取れなくてあんなに困り果てていたのに。
「―――意識が―――気が付い―――!?」
「急に―――きっかけは―――?」
「至急エックス様に連絡を―――!」
何やら周りがとても騒がしい。ああ良かった、状況が多少は解る。周りにひとが居て、様子を見られていたみたいだ。ここはメンテナンスルームだろうか。
―――今までのことは、夢じゃない……。
体の重さを感じる。ちゃんとしたリアルな感覚がある。
ばかなわたしだったと反省する。一番取り零してはいけないものを落としていた。自分の名前も彼らの名前も忘れてはいけない大事なものだった。……いや、過去形じゃなくて、今も大事だ。たぶんこれから先も。
―――わたしはここに居るよ……。消えてないよ……。
わたしの個体識別信号を発信してみる。彼との話の途中でここへ引っ張られてしまったから、もしかしたらわたしが消滅してしまったと勘違いされているかもしれない。
そう思っている間に、わたしのセンサーがぱっと別の識別信号を拾った。……たぶんここの建物の中、少し離れたところから凄い速さで近付いてくる。ちょっと苦笑をしてしまった。
―――気が付いてもらえたみたい。良かった。
今度こそちゃんと話をしたいと思った。解らない頭のまま難しい話ばかり聞き洩らしてしまっていたから、きっととても焦れったい思いをさせていただろうし。
「エックス様―――」
「―――目を覚まされたようで―――」
色んな声が飛び交う周辺の様子を伺っていると、その間にざわつきが大きくなって、直後に視界の端の方に人影が入り込んだ。
識別信号が近付いてくる。ゆっくりと青いシルエットが見えてくる。
「……ナオト?」
恐る恐る、みたいな小さな囁き声と一緒に顔を覗き込まれる。思い出の中のアーマーとは形が違っているけど、不安そうに揺れているその顔立ちはよく解った。
視線を合わせる。どうにか手を動かして彼の手に触れようとする。ちゃんと意識があるのだと示しておきたいのに上手くいかない。腕が重くてなかなか持ち上がってくれない。
「ちゃ、んと、思、い出した、よ……エックス……」
酷い声色だけど表情は上手く作れただろうか。今度こそ君の言葉に沿って、ちゃんとした返事を言えているはずだ。
中途半端に動いたわたしの手をしっかりと掴まれる。掴まれて、ゆっくり引かれて、頬を寄せられた。周りのざわめきが遠く離れていくような気がした。
「ごめん……本当に、」
「そ、なこと……言わな、いで。心配、かけて、ごめんね……おはよ……」
「うん、……おはよう」
目前の空の色によく似た少年が、柔らかい微笑みを作る。そのアイカメラは濡れていて、泣きそうなほどの嬉しさが浮かんでいた。
……夢のような、冗談みたいな体験だった。まるでフィクションのように、悪い『何か』から魔法を掛けられて、わたしが違うものに変えられたようだった。きらきらふわふわ、青い空と赤い夕焼を追いかけて翔び回る、小さな小さなフェアリー。
何も知らないまま、何も考えられないままの逃避のような時間は終わったのだ。魔法は解けて、あとは