もしあの時彼女が起きなければ。
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夜になってしまった。
静かな部屋の中は薄暗くて、窓の外の街明かりが入り込んでくる。
隅っこに置かれた小さなサイバーエルフ用ケージの中で、***は膝を抱えて顔を伏せていた。
ケージの中にはふかふかの大きなマットが敷かれていて、それに体を預けて眠るのが大好きだ。けれども、今はそれを楽しむ気分には全くなれない。
明るい気持ちが無くなって、胸の奥がずっしり重たい感覚でいっぱいになっている。なんとなく、サイバーエルフ特有のきらきらも弱くなっている気がする。
****をとても怒らせてしまった。見たことのないくらいの険しい顔と、聞いたこともない鋭い口調を思い出す。***が言い付けを破って外に出て、危ない目に遭ってしまったせいだ。
―――おてつだい……。
部屋を抜け出して、襲われそうになって、しかもあの赤いレプリロイドも見つけられなかった。さらには怒らせてしまったし、これではお手伝いなんて夢のまた夢だ。
あれから陽は落ちてしまったけれど、****はまだ帰ってこない。『頭を冷やしてくる』と言って出て行ったっきりで、今は何をしているんだろうと不安になる。***のことが嫌になって、もう顔も見たくないと思われているのだろうか。
―――きらいに、なった? いらないこ?
悪い子は要らないと言われてしまうかもしれない。
喋るだけで何もできないどころか余計な心配をかけさせるものなんて、きっと****には必要無い。だって外の世界には****のお陰で笑顔になるひとがたくさん居た。自分が知っているよりも、****はいっぱいのひと達に囲まれている。みんなが仲良しに見えた。
初めにそれを見たときに空っぽだと感じた笑顔も、たぶん***の気の所為なのだろう。見間違いとか、思い違いとか、そういうやつだ。
悪い方へ悪い方へ。もんもんとした気持ちが止まってくれなくて、悲しくなる。
―――ここに、居ちゃダメ?
もし、どこか別のところに行くようにと言われたら、どうすれば良いだろう。ケージに入れられたまま鍵をかけられて、知らない場所に放って置かれてしまったら。
捨てないで欲しい。それがダメなら、スリープモードにしたまま二度と起きないようにして、どこかの適当なサーバーの奥へ仕舞い込んで欲しい。それでもダメならいっそのこと、データの欠片も残さずに消―――
「……起きてるかな?」
「!!」
間近で声が聞こえてきて、ばっと顔を上げた。ケージを覗き込む****の姿が視界に飛び込んでくる。いつ部屋に入ってきたのか全く気が付けなかった。
良かった。帰ってきてくれた。安堵で頭がいっぱいになって、言葉が出てこなくなる。鼻と目の奥がつんと痛んで、色んな気持ちが溢れ出てきそうになった。
慌てて立ち上がる。すぐに謝らないといけない。部屋を抜け出した理由を話して、怒るのをやめてもらわなければ。
「お、おか、えり」
「うん、ただいま」
ケージから飛び立って、****の傍らに近づく。俯いて、どきどきしながら口を開く。
「あ、あ……あの、わたし、」
「あ、ちょっと待って。……こっちで話そう」
****は***を連れて大きな机のところまで移動して、イスへ腰掛けた。机の上のライトが点く。暗い部屋の中で、その場所だけが柔らかく照らされる。それからソファに置かれていたクッションをその膝の上に乗せて、手招きをしてきた。
「さっきのこと、説明してくれるかい?」
「……ん」
誘われるまま、緊張しながらもその膝上に降り立った。もじもじと体を動かして、****と向き合う。視線を合わせる。
何から言えば良いのだろう。とにかく、自分が考えていたことと、迷惑をかけて謝りたい気持ちを言わなければならない。できれば、捨てないでいて欲しいことも。
***はなんとか全部を伝えようと、出来事の経緯を話し始めた。静かな部屋の中に、舌足らずな声が響く。
****のお仕事がどんなものなのか疑問だったこと。忙しそうな****に、楽になってほしかったこと。今どうしているか、端末を見れば解るかもしれないと覗いた時に、怖い女の子のレプリロイドと、赤くて金髪のレプリロイドの映像データを見たこと。どちらかが起きてくれれば、****のお仕事を手伝ってくれて、楽になるのではないかと思ったこと。……そう考えて、この端末の回線から外へ出て、赤いレプリロイドを起こしに行ったこと。
思考と会話が下手な***の説明を、****はゆっくりと頷きながら聞いてくれた。たまに、怪訝そうに目を眇めることがあったけれど、怒られることも睨まれることももう無かった。
たどたどしくも全部を話し終えた時、****はとても複雑そうな表情で何かを考え込んでいた。
「なるほど、君はそう考えたんだね。……そういう方向で思い切りが良かったとは、想定外だったな」
「もう、きみの、やくそく、やぶらない。……ご、ごめんなさい」
「僕の方こそ、驚いて怒鳴ってしまってごめん。あの研究所での騒ぎは誤作動ということで処理できたし、君もこうして無事だったんだから、それで良いんだ」
***にとって大きく見える片手が伸びてきて、さらさらと優しく頭を撫でられた。その手にぎゅっとしがみついて、不安な気持ちを恐る恐る口に出す。
「あ、う。す、すてない?……わたし、いらないこ、ちがう?」
「捨てるだなんて、そんなこと絶対にあり得ない。君には居てもらわないと、僕が困る」
良かった、と***は息をついた。ぐるぐると頭の中を占めていた不安が薄まる。
「君がどこまで思い出していて、理解してくれているのかが解らないけれど。……僕は、君がだいすきで、とても大事に思っているんだよ。だから、危ないことはしてほしくない」
「……? わかった。ちゃんと、いいこ、する」
「なら、仲直りだね」
「うん……!うん、ありがと!」
やっと、****はいつもの優しい笑顔を浮かべてくれた。
***の中のずしりとした憂鬱な気持ちが消えていく。明るい気分がまたむくむくと蘇ってきて、嬉しさが滲むように笑顔になる。
****がとっても柔らかい表情をしながら、***へ向かって手のひらを差し出した。膝上のクッションから飛び立って、その手の上に乗る。きらきらがいっぱい振り撒かれる。
また頭を撫でられて、嬉しくなる。
「きみは、わたし、すき?」
「ああ、もちろん。もちろんだよ」
微笑んだ****の、細い細い三日月のような口元がとても印象に残った。なんとなく、その笑顔の後ろに知らない何かがあるような気がした。良いものか、悪いものかなんて区別は付かない。ぱちくりと目を瞬かせる。
それを見た****が少し苦笑した。そのまま、するするとなめらかに言葉を繋げる。
「君が居ないなんて考えられない。君が眠っていた間は、自分の気持ちを必死に見ないようにして我慢できていたけれど、今となってはもう無理だ。僕の中に閉じ込めたままにしてしまいたいと考えている。誰にも見せたくないぐらいだいすきだ。あいしてる」
「―――」
しっかりと合わされた視線の先で、アイカメラが強く輝いていた。とろりとこぼれてきそうな、溶け落ちてきそうな熱っぽい感情が***に向いている。
見詰め合っているうちに、何を言われていたのかが解らなくなってしまった。とても難しくて、色々な意味が重なり合った文字列をいっぺんに告げられてしまった気がする。長い会話のやりとりは慣れて覚えなければいけないのに、なかなか上手く飲み込みきれない。
視覚と聴覚から、同時に与えられたたくさんの情報を処理しきれずに、パニックになる。
「ん、ん?んえ? あ、ぅ? い?いっぱい、すき?って、こと?」
「うん。その通り」
「えへ、うれしい。よかった」
正解だったようだ。ふにゃっと表情が緩む。
好きだと言ってくれる。大事だといってくれる。だったら、***もそれに応えないといけないのだ。
「きみの、ために、いいこ、する。おそと、きになって……でも、あぶないならしない、よ」
「外が気になるのかい?」
****が、少し考えながらそう言った。***は眉を下げながら首肯する。
「どうして、おそと、ダメなの?」
「……きみのその見た目は、色々な人達に衝撃を与えてしまうからね。その『装い』を見たら、みんなが驚くだろう」
「みため?よそおい?」
悲しそうな顔で頷かれる。
「驚いて大騒ぎになって、君を全力で捕まえたがってしまう。捕まえたら……あとは、どこかへ閉じ込められて、ずっと出られないままにされてしまうかもしれない」
「……それは、や」
昼間のあの、セキュリティプログラムに追われていた時のことを思い出して、***は震え上がった。
****以外のみんなが自分を捕まえようと追い掛けてくるなんて、考えるだけで恐ろしい。悪いことはしていないのに、どうしてそんなに一生懸命になるのか、***には検討も付かなかった。
「本当に、ごめん。これは僕の責任でもあるから。君がそんな目に遭うくらいなら、もういっそ、ずっと僕の中に隠してしまいたいよ」
****は自分の胸元へ手を添え、小さく囁いた。その視線が逸らされる。苦しそうに表情が歪んでいた。
この部屋へ誰かが入ってくる時は、いつも****の電脳の中に隠れさせてもらっている。****の容量は凄く大きくて広々としているから、ちっぽけな***一人くらいなら簡単に収めたまま、連れ歩いてしまえるだろう。
****の中は暗いけれど、とっても優しい雰囲気がするからそれも悪くない。お喋りだって何も問題ないし、視界を借りれば外を見ることもできる。
……でも、それは楽しくないなぁ、と思った。
「あ、あのね、きみのなか、やさしくて、すき。でも、きみのかお、みて、おはなししたい。きみに、さわって、ほしい。だから、ずっとかくれんぼ、いや」
***が大人しくしたままで居れば何も問題は起きないのだ。なら今までのように、誰か来たときにだけ隠れればいい。
****の周りを飛び回るのが大好きだ。撫でられるのも、手や膝の上に乗るのも、頭の上に乗るのも大好きなのだ。だから、隠れるのは必要なときだけが良い。
「君はずるいな……そんなことを言われたら、実行しようなんて思えなくなる」
****は少し悲しそうに、でもなんだか嬉しさを抑えているみたいな微笑みをほんのり作った。また頭を撫でられて、にこにこと笑顔を作ったまま、その指先にぐりぐりと頬ずりをする。
「ここに、いたいなあ」
「ああ。……ずっと、ここに居てくれ」
****は淡く微笑んで、小さく囁いた。